9、ヒーロー&ヴィラン&
エンが床に激突しそうな勢いでうなだれる。
修正したいと思っているが、相手は部外者が関われば大問題になる存在。
下手に手出し出来ず、成り行きを見守っていれば勇者が異世界のエンを睨みつけた。
「何のつもりだローラン! それにその姿」
「最後まで気付かないとはな。これが本来の姿、そして本来の力だ。愚かな貴様でも分かるだろう」
「じゃ、じゃあお前」
「我が魔神だ」
如何にもな自己紹介。
エンとアリスは魔神と聞いてもピンとこないが、勇者とヒロインは正体を知っただけで背中に冷や汗が流れ、ブタフクロウにいたっては魔王を引きずりながら一目散に逃げ出した。
「獣の方が賢いとはな。貴様らは逃げないのか? 我としては少しでも逃げてくれた方が助かる……ククッ、クハハハハッ。貴様らは玩具。壊れるまで遊び、壊れたら修復して遊ぶ。壊され方を選べるのは今しかないぞ」
――というセリフを聞いてアリスが「ぷふぅ」と噴き出した。
「すっごいキリっとしてる。『今しかないぞ』だって。エンさんもアレやってよ。ちょっとカッコ良い顔で『壊れたら修理して遊ぶ』と言って」
エンの顔でエンとは思えない会話をする魔神にアリスはお腹を抱えながら足をバタつかせて笑っている。一方エンには笑う余裕などなく、見守っている場合ではないと考えを改めていた。
理由は言葉の節々から感じ取れる嗜虐的性格。
創造主は魔神を倒す物語が書けなかったことで、本の神が依頼する事態にまで至っている。
その魔神がエンという追加設定で元よりも更に強化されたと予想される現在、欲望の赴くままに暴れることが容易となり物語は誰も望まない展開へ突入する可能性が非常に高い。バットエンドはおろか、創造主の精神を疑われる地獄の幕開けも危惧される。
打ち切りはないだろうが、発売の延期、最悪は休止の二文字が現実味を帯びてしまう。
エンは決断して指を動かす。
糸での操作を自動ではなく手動に変更。
魔王はエンの助力で登場人物達が戸惑うほどの魔力を全身に漲らせると出血が止まり、大怪我などしていないかのように立ち上がった。
「お父様」
完全に操作され自我を失った魔王は娘に返事をすることなく跳び、本来の魔王では決して出せない馬鹿力で魔神を突いた。手刀がタキシードを破り、体内、ろっ骨の内側まで深々と入り込む。
これには全員が驚愕し、特に驚いたのは他ならない攻撃をしかけたエン自身だった。
物語の展開上、勇者が倒さなくてはならない最後の相手を魔王が倒してしまったのだ。
糸を通して感じる臓腑の熱に「やり過ぎた」と後悔してしまう。どう辻褄を合わせれば良いのかと悩み……そんなエンを嘲笑うかのように魔神が魔王の手を掴んだ。
瀕死とは思えない握力。
体内に手があるというのに少しも衰えていない。
不吉な気配に急いで腕を振り払い魔王を下がらせる。
「上等なビックリ箱だ……まさか力を温存していたとはな。魔王、貴様から壊れてみるか」
偉そうに的外れなことを言った魔神が両手を上げる。
「撓め」
石天井がアーチ形にしなりだした。
構造的にも材質的にも柔軟に曲がることなどありえない。だが事実として天井と屋根は青空の下で飴細工のように丸くなり、塊となって魔王に落ちてきた。
勇者達がいるので魔王に回避行動はさせられない。即座に魔力で肉体を強化。本来なら全員まとめて圧死していたはずの攻撃を受け止め、投げ返す。
魔神は笑う。
力の差を示すかのように塊を片手で止めとめてみせ、そんな魔神を大量の螺旋が囲む。
「アンサンラム・オルタ」
螺旋が黒白の烏の姿に代わる。
けたたましく鳴いて羽ばたき――
「溶けろ」
――接近する間もなく石天井もとろも液状化した。
魔法の発動だとか、魔神が触れた訳でもない。ただ言葉を発しただけで烏の群れは雪のように溶けてしまっている。
エンはそれでも魔王にスキルを使わせ続けていく。床に広がった螺旋を再び烏の姿に変え、室内どころか空までを黒白の羽で埋め尽くす。
数万羽が一斉に鳴けば身の毛もよだつ咆哮となり、大群の連携した羽ばたきはまるで巨大な一羽だけがいるかのよう。
顕現した神の御使い八咫烏が三本脚で魔神に襲い掛か――
「斥」
あっけなかった。
エンの魔力で限界を超越した魔王の攻撃は何も出来ないまま四散し、魔神が床へ降り立つ。
「なかなかの見世物だったぞ。芸人として飼ってやろうか」
魔神がいやらしい目つきで魔王を見つめる。
当然と言えば当然だが大きく開いた実力差によって魔王を敵として認識していない。さながら畑を荒らす純白の鹿を見ているようで、最終的には命を奪うつもりでもしばらくは眺めたいと思っている。
魔神はなるべく長く楽しみたい。
すぐには攻撃してこないと魔神の心理を読み切ったエンが魔王を通して勇者に話しかける。主人公には創造主の用意した対抗手段がある。
「魔眼だ! ヤツを倒すにはそれしかない」
「そ、そうかもしれないけど、それより怪我は」
「そうですお父様。激しく動かれては」
「黙れ。優先順位を間違えるな。さっさとやらんか!」
戦っていた時以上の迫力を出す魔王に叱咤され、勇者は軽く身ぶるいして目を輝かせる。
勇者と一緒に他の者達の視線も魔人へ集まり、全員が声を失った。
醜い顔をしていた。
解放感、優越感、万能感、久方ぶりに味わう多数の快感が魔神の理性を崩したのだろう。
細い三日月のようになった目。耳に届くほど大きく裂けた口。だらしなく舌を垂らし、白い肌にはヒルのような青紫の血管が蠢いている。
エンは自分の顔がここまで醜悪なものになれる事実に愕然とし、アリスは不可解な能力を使うエンのそっくりさんにワクワクしていた気持ちが消し飛んで悲鳴を上げた。
「やぁっ! あんなのエンさんじゃない!」
「……同感だな」
エンが頷き魔王を操作する。
「勇者。弱点は分かったか」
「…………無い」
「何だと」
「こんなこと初めてだ。ローラン……魔神には弱点がない。完璧なんだ。でも」
「でも俺には更なる力がある――そう言うつもりなのだろう。貴様の戦いは何時も魔眼に頼ってばかりだな」
魔神が会話に入り込んできた。
エンと同じ声なのだが見た目の先入観からか汚い音をしている。
「だからどうした」
「浅はかだな。だが、正しい。敵を蝕み破壊するアブソリュート・コアはどんなスキルよりも卑怯で凶悪だ。ク八ッ使いたくば使え。我に効くかもなぁ」
「……そっか、そうか。ずっと仲間のフリをしていだけなのか」
高らかに嗤う魔神に勇者は顔を伏せる。
勇者の知る男はもういない。そう理解していても長い付き合いは記憶を蘇らせ、どうしようもなく溢れてしまう想いがあった。
「バカ野郎」
一言だけ。かつて仲間だった重戦士に別れを贈り、勇者は顔を上げる。
気持ちに呼応するかのように瞳の光が強く輝きを増す。
「アブソリュート・コア」
声に合わせエンは魔王を突撃させた。
いくら創造主に優遇された主人公の力があっても、それだけでは勝てない。弱体化させなくては勇者は魔神に近付くことも出来ない。
魔王が魔神の腕を掴む。
避ける素振りはなく、また反撃もなかった。
それもそのはず。魔神は常に後手に回らなければ戦いが終わってしまう。歪んだ性格と強すぎることが勇者も見抜けなかった弱点なのだろう。
そしてエンはこの弱点に加えて、魔神が超常的な力を有していようと肉体の強度には差がないことも既に確認している。
容赦なく肘関節を逆方向に捻じ曲げ――勢いよく千切れ飛んだ。
魔神の腕ではない。
魔王の腕が虹色に染まり、右肘より下が宙を旋回している。
「なんだと?」
思いもしなかった事態にエンが魔王の操作に遅れ、魔神が掌底で魔王を吹き飛ばした。
「ウィンドウォール」
咄嗟に娘が風のクッションで魔王を受けとめる。
彼女の隣には目から血を流した勇者がおり、何が起きたのかは一目瞭然だった。
魔神が魔眼を奪ったのだ。
エンもその考えに至るが、すぐに「違う」と自分の考えを否定する。
魔神といえども創造主の意向には逆らえない。主人公の力を奪うなどもってのほか。
可能だとすれば、それは……創造主が最初から魔神の設定として用意していたということ。
「創造主も匙を投げるはずだ。ここからの逆転か」
全て腑に落ちたエンが完璧な姿を取り戻した異世界の破壊者を眺める。
全身から虹色の煙を立ち昇らせ魔神は嬉しそうに笑っている。これで何度目になるか分からない他者を見下した高慢な嗤い。
「ハハハハハハハ!! これだ。この感覚! このパワー! 懐かしい。長かったぞ」
「どういうことですか! お父様とシンに何を。それに長かったとは」
「知りたいか麗しき姫よ。昔話にあるように、かつての戦いで我は封印された」
「天魔戦争」
「そうだ。天界の民は自分達を犠牲に我を異界へ封印し、初代魔王は監視役を任された。もっとも人間共は簡単な情報操作で魔族が天界の民を滅ぼしたと勘違いしていたがな。まぁ、それは今はどうでも良い。問題は封印された場所よ。チキュウと呼ばれる異界は遠く、我でも簡単には戻れなかった」
「魔王が監視役? そんな話お父様からは……それにあなたの封印とシンに何の関係が」
「戻れた時、力を使い果たし我が弱っていることは容易に想像できた。だが魔眼は目立つ。邪魔者を排除し、力を取り戻すまでの間、魔眼の所有者を誤魔化す必要があった。我に代わって命を狙われる者がな。だが考えてみろ。強き者では我の障害になりかねない。そこで選んだのだ。チキュウのゴミからな」
聞いていた勇者が震えている。彼だけは魔神が語る前に理解してしまった。
ここまでの冒険。
誰かに必要とされる喜びも、別れの悲しみも、何もかもが魔神の掌の上だったのだと……
「選び抜かれたゴミとは言え貴様の役立たずぶりは酷かった。おかげで我が直々に鍛える羽目になるとは……不思議だ。どうして命とは価値なき者にまで宿るのか」
「俺は。俺はっ」
「シン。ここは地球の名である信弥と呼ぼうか。何を悲しむ。孤独で空虚な人生を嫌悪していたではないか。怠惰に貪るだけの日々を悔いてもいた。そんな貴様の世界を我が変えた。力の快楽を教え、民衆の羨望で自尊心を満たしてやった」
「もう止めなさい! シンあのような話を聞く必要ありません」
「そうかな? 此度の戦争はそなたの母を人間に殺させることで始まった。脳なしは歌い、欲ある者が踊りだす。ささやかな後押しで簡単に後戻り出来ない状況まで進んだ。大勢が無意味な死を遂げていく、その喜劇の中心で血と光を浴びるのはシン。ああシン。シンよ! 麗しき姫との絆は何度も楽しませてくれた道化への礼だ」
「俺は……何のために」
勇者が慟哭する。
ヒロインは彼をさすってあげ、真実に絶望した男が外聞も気にせず涙をこぼす姿は残酷だった。
しかし。
そんな読者なら一緒になって涙するであろう場面でエンは無表情を貫いている。
軽く読み聞きしただけで目を潤ませてしまうアリスと違い、エンは大人。自分の世界に入りこんで会話をする登場人物達とは大きな温度差があった。
天魔戦争。天界の民。
どれも知らない。
登場人物達が独自の単語を使って言い合う様はうすら寒くさえあった。
感動は共感から生じる。物語を通して彼らの過去や選択を体験し、物語の中へ限りなく近づくことで心を揺らされる。
いきなりクライマックスを見ても、それは言葉の羅列に過ぎない。
魔眼の勇者は元ニートの本を読んでいない者が、登場人物の苦しみに胸を痛めるのは無理というもの。
…………とはいえ、不愉快ではあった。
人間の泣き顔は見ていて楽しいものではないし、なにより、自分と瓜二つの男が尊重すべき相手をけなしている。
自分の声が追い込み、凌辱し、喜びを見出す。
まるで探偵の仕事を自分自身に否定されているようではないか。
登場人物への共感は少なくとも、エンはエンの事情で気持ちが高ぶっていく。
「シン貴様を選んで正解だった。最後にこれほど無様な姿で笑わせてくれるとは。クハハハハハハハハ」
魔神が愉悦に浸る。
何時までも途切れない嗤いは聞いた者の神経を逆なで心に傷を付けてくる。
主人公が倒すべき悪の出現。
肝心の主人公は動けない。仮に動けたとしても、笑みすら消せはしない。
そんな真似が出来るのは限られている。
この場に、世界中に、たった一人しかいない。
物語に登場してはいけない部外者の拳が小指から順に固められた。