8、勇者の挑戦
魔物が不在の城内。足音が乱れることなく近づき、エンのいる部屋に三人と一匹が入ってきた。
胸当てと細身の剣を装備した魔眼の勇者。
深緑のフルヘルムとフルプレートで全身を堅く守り、大剣を背負った重戦士。
闇の加護を受けた紫のドレスを着こみ、大きく肌が露出した背中で蝙蝠の羽が動く。赤い髪と瞳は魔王に酷似し、どちらかと言えば悪役に分類される見た目の女性が魔王の娘。
その娘の履く黒いブーツには真ん丸な愛玩動物ブタフクロウがくっついて歩いており、アリスが過剰に反応した。
「かわい~!!」
異世界と地球、その両者で人々を魅了するこのマスコットキャラクターは作中最弱の生物。
意思疎通を可能とする高い知能を有していても魔法は使えず、名にフクロウとありながら草食。獲物を捕らえる爪もなければ、羽も威嚇用に少し広げられるだけで飛行能力はない。柔らかな白い体に埋もれた短い足で歩くせいで下腹部は何時も薄汚れ、当然ながら素早く走ったりは出来ないので緊急時は転がって逃げる。
ブタフクロウが野生で生存していられるのは、多少は遠くまで見えるつぶらな瞳と他の生物は遠慮するような固い植物の殻を割れる小さなクチバシのおかげだろう。これらも戦闘に使えるような代物ではないが……
勇者達が入室するなり魔王との戦いを始める。その大一番でエンはアリスのジタバタしている音に邪魔され窓を手で隠した。
「見えない~」
「仕事中だ。静かにしろ」
「だってモフモフだもん。スーパー子供ペンギン。ワタワタバードだよ。ワタバード。白マリモ」
「そうか。お前の言動は時々分からん……アレのどこが良い? 鳥としての造形美は皆無だぞ」
「全部良いの! あ~あ~いいなエンさんいいな~抱っこしたい。軽い人はブタフクロウを枕にして寝れるんだよ。そんなの朝起きれなくなっちゃう。永眠だね!」
「分からんし、言葉の意味を履き違えている」
何を言ってもアリスの興奮は収まりそうにない。話していると調子を崩されるので、エンは騒音を我慢して観戦することにした。
娘が室内に濃霧を発生させている。
敵も味方も相手を見失い、その中で唯一人術者として全員の位置を把握している娘が両手から黒い液体を静かに垂らす。
「アンサンラム・サイズ」
液体が二丁の大鎌に変形し魔王へ飛んだ。
上、右、左、上下同時。
様々な角度から大鎌が襲い掛かり、魔王は空気の揺らぎを頼りに全て避けつつ握りしめていた大剣に風を纏わせる。
「タービュランス」
周囲を薙ぎ払えば竜巻が起こり大鎌を吹き飛ばした。濃霧も払われ、現れたのは娘の鎌に導かれ至近距離まで走り寄っていた重戦士の姿。
魔王は焦ることなく口から火種を落とす。
「インフェルノ。マスターレベル+99」
すぐに小さな火種は天井を突き抜けんばかりの激しい炎となって二人を遮る。
極限まで鍛えられた魔法の熱で重戦士の体からは瞬間的に大量の汗が噴き出し、魔王は彼の接近を阻止しただけでは満足せず炎を横に広げて赤い壁を作り出す。
互いに見失う相手の姿。
魔王は娘と良く似た戦法で攻勢に転じた。
「メテオランス」
生成した天隕石の槍を構え、把握している重戦士の身体能力から壁向こうの見えない動きを予測、壁の端まで到達する時……投擲した。
魔王の予測した時は憶測にすぎず、壁の出口には右端、左端という二択がある。更には出てくる際に跳ねていたり転がっているかもしれず、剣士がその場から動かない可能性までも含めれば槍を放つべき位置は定まらない。
運任せの一撃。
圧倒的に当たらない確率の方が高い。だからこそ魔王は当てる。
勝機を掴んでこそ強者。
流星を模して飛翔する槍。その先へ、影が引き寄せられるかのように飛び出した。
胸を射抜き、そのまま勢いを落とすことなく突き進み深緑の鎧を壁に貼り付ける。
反動で兜が三度ばかり力なく揺れ――魔王は気付いた。
血が流れない。
緑だったはずの鎧に黒い個所がある。
「偽――」
娘の作り出した身代わりだと気付くまでに一呼吸も要さなかった。が、魔王が見破った時には炎の中心を真っすぐ抜けてきた重戦士が煙立つ腕で分厚い鉄塊を振り下ろしていた。
魔王は振り遅れ、しかし、受け止める。
さすがに威力を殺しきれず膝をついたものの、怪我は負っていない。
重戦士は即座に二撃目を振ろうとするが彼もまた膝をついてしまう。灼熱の業火に突入した代償は大きかった。
先に立つのは魔王。
表情に危機を脱した喜びはなく、ただ機械的に大剣を構え――そこで業火よりもう一人も飛び出してきた。
「このおおっ」
火だるまの男が魔王に斬りかかる。
勇者だ。
当然、魔王は彼の存在を忘れていない。常に彼を意識しながら娘と重戦士の相手をしていた。それでいて尚、この攻撃には虚を突かれた。
勇者と重戦士。二人の防具には大きな差がある。
まさか軽装の勇者までもが業火の只中を抜けてくるとは思えなかった。
魔王は勇者の無謀さに驚嘆しながら大剣を振り――かわされる。
直前に重戦士の全力をもろに受けとめた両手。衝撃で痺れた指は握りが甘く、本来なら勇者を仕留められたはずの素早い攻撃を繰り出すことが出来ていなかった。
魔法での迎撃も間に合わない。
焼けただれた手が長剣を魔王の鎧へ到達させる。
「アブソリュート・コア」
勇者がスキルを発動。
鎧に長剣が当たろうと大した効果はないが、彼こそは主人公でありタイトルにもなっている魔眼の所有者。
弱点を強制的に作り上げる反則スキルによって魔王の鎧は虹色に変色して崩壊を始める。
肩当てから砂のように崩れ、魔王は身を翻しながら勇者を蹴飛ばす。
「おのれ」
勇者が離れてもなお胸部や腹部まで消失していく鎧をはぎ取り、魔王は魔力を解放した。右手より娘と同じ漆黒の液体が溢れ、左手からは娘とは異なる純白の液体があふれ出す。
二色は交わり一つの螺旋となって大剣を覆っていく。
「アンサンラム・オルタ」
螺旋がしなやかに伸び大蛇に変化して部屋中をのたうつ。
咄嗟に勇者を庇った重戦士の鎧が光と闇の異なる属性のうねりに削られ、その間に勇者は魔眼の力で炎の壁を断ち切って二人はどうにか娘の元まで後退した。
「ハイ・ヒーリング」
娘の回復魔法の温かな光が部屋に満ち…………そんな彼らの戦いにエンは真剣な表情で呟く。
「大声でスキルを叫びあっている。信じられん」
スキルの発動でいちいち名前を言うことに拒否感があったエンは異世界の戦闘に衝撃を受けていた。郷に入っては郷に従え。名前を言うことに恥を感じていた自らの未熟さを重く受け止めつつ、部屋の角で丸まっているブタフクロウにも目を向ける。
「コワイ。ガンバテ。コワイ。ガンバテ」
ブタフクロウなりに精一杯の参戦。
エンは探偵の仕事上、観戦に徹するべきなのに、ブタフクロウがあんまりにも弱くちょっとした衝撃で転がっていくので密かに危険から守っていた。
「この珍妙な生物は何故ここにいる」
「癒し用だよ。モフモフ毛玉」
「ただただ迷惑なのだが……創造主も扱いに困っているのか?」
「そんなことないよ。いるだけで良いの。それが仕事なの。ほんわかは大切」
「……依頼に集中したい」
切実な思いを吐露しつつエンはちょこまか逃げ回るブタフクロウを守る。飛んできた螺旋の流れ弾を素手で弾き、一向に良さは分からないまま時間が経過していく。
魔王も勇者も疲れ、戦いの終わりは近い。
それは依頼の終わりが近いことも意味するのだが……
「おかしい」
「どうしたの? エンさん」
「一向に私の修正すべき点が見当たらない。切る際の姿勢など細かく言えばあるにはあるが、神が依頼にくるほどの重大さはない」
「う~ん。この戦い、魔王が勝っちゃうとか? ほら緑の戦士さんがやられちゃいそう」
「あれは創造主の演出だろう。この調子ならば必ず勇者が勝つ」
「そうかな~魔王かっこ良いよ。四対一なのにずっと強い」
「良く見ろ。戦闘が始まってから彼らの負傷度には大きな差がある。それが魔王の敗因だ」
二人が話しながら見つめる先で重戦士が前のめりに倒れた。
囮となって魔王の攻撃を受け切ることで力果て、勇者と娘はそんな彼に目もむけず作ってもらったチャンスを活かすため我武者羅に走りだす。
勇者も娘も魔王も、これが最後の攻防になると理解し、魔王は尽きかけていた残りの魔力全てを大剣に注ぎ込む。
「アンサンラム・オルタ・エクスティア」
手元より解き放たれた闇と光の二重螺旋が大剣に何層も重なり密着、肥大化していく。完成したのは混沌の巨剣とでも評すべき余りにも太く長すぎる一振り。
人間なら五人がかりでようやく持ち上げられるような大きさだが、それを魔王は片腕で流麗に振って腰元へやり、手元に全神経を集中させて身を低く構える。
居合。
魔王の意図は誰の目からも明らかで、勇者と娘は一瞬怯んだが足を止めはしない。止まれば魔王の方から接近され壁際へと追い詰められる。そうなれば敗北は濃厚。
挑むしかない。
前へ。
隣にいる者を信じて前に。
「うおおおおお!!」
勇者が雄叫びをあげて間合いに踏み込み、巨剣が――高音が走った。
それは凄まじい速度で空気が切り裂かれる音であり、勇者に敗北と死を宣告する音でもある。その宣告を誰よりも敏感に聴いた者が勇者よりも更に一歩前へと踏み込んだ。
部屋を突風が吹きぬける。
魔王の巨剣は勇者を庇った実娘の目前で止まっている。
勇者の長剣は魔王まで後少しという所で娘が邪魔で届いていない。
魔王と勇者。先に一人を犠牲にした方が勝つが、どちらも微動だにせず……勝敗は時間が決した。魔王は魔力が尽きる時まで動けなかった。
巨剣から黒白の光が失せていく。
残る刀身も粉々に砕け、足元に散らばった残骸には凛とした顔で涙を流す娘が様々な角度で映り込んでいる。
「エンさん。これで」
「そうだ。決着だ。だが、依頼の修正点は見つからず仕舞いか」
「きっと完になっちゃって、新しく書いたら上手くいっちゃったんだよ。創造主さんがピーンと閃いたの。良く分かんないけれど」
「この戦いは改善後の物語ということか……楽観的だが否定は出来ない考えだ」
「じゃあお仕事終わり?」
「ダメだ。完結するまでは様子を見る」
「大丈夫だよ。もう終わるよね?」
「だからそれは早計だと……」
アリスが一人で部屋にいるのを嫌になってきている。
エンが帰ってきてもろくに構ってもらえず自室に仕舞われるだけなのだが、ちょっとした触れ合いが恋しいようだ。アリスにとって扉の向こう側は近くて遠い。
「はぁ」
エンの口から何度目か分からないため息が漏れる。
帰りを待たれているのは百も承知だが、アリスの我儘で依頼を終了させる訳にはいかない。
どうせ異世界から出るには「帰還」という意思を決定するだけで良いので、またも頭の中の騒音を我慢して部屋に佇む。
とはいえ、勇者と娘が感情的に魔王を説得している現在の展開に探偵の出番はない。
倒れていた重戦士やブタフクロウも勇者の傍に集まれば部屋には濃厚な終わりの気配が漂い、何時B・Bに「完」の文字が現れてもおかしくない。
このままエピローグへ突入しても見守る必要があるだろうか。戦闘とは無縁の安全な場所へ場面転換されたりすれば、さすがに仕事は達成したと判断しても良いだろう。
エンの頭にもとうとう「帰還」の二文字がよぎりだす。
そんな時だ。
魔王が大剣に貫かれた。
「えっ」
あまりにも物語の流れとは矛盾した出来事にアリスから間の抜けた声が出た。
「お父様!」
娘は魔王を抱きしめ勇者と協力して丁寧にブタフクロウへ寝かせる。
そして一人エンだけは冷静に、血の垂れた大剣と、それを握りしめながら宙へと浮きだした彼――修正点を見つめている。
戦いで傷だらけとなった深緑の鎧はすっかり色が失せ、くすんだ緑色が持ち主の笑いに合わせてエンの用意した星空の光で怪しく輝いている。
「……そういうことか。創造主の筆が止まった原因はコレだったのか」
「ど、どういうことエンさん」
「あれが本当の敵。最後の敵は二段構えだったようだ」
「ニダンガマエ! って何だろ?」
「魔王は前座だったのだ。強敵を倒した直後に更なる強敵が出現する。この展開によって主人公の勝利に悩む創造主は珍しくない。何度か同じ依頼を解決したこともある……しかし、くそっ。今回は過去最悪だ。よりにもよってここで登場とはな」
エンがその長い生涯でも三回と使っていない汚い言葉を口にした。
それもそのはずだ。
空中に浮かんだ重戦士は見覚えのある白い光で鎧を消し去り、中からは剣と魔法の世界にはまるで場違いなタキシードが現れた。
黒髪をオールバックに整えた男が勇者達を見下ろしている。
「えええええ、あれ! ええええ!? エエエエエエエンさんだーーー!」
「創造主が筆を止めるほど倒せない敵。恐らく、その異常な強さと私の失態が合致したのだろう……アレは世界消滅の結末を実現させる存在。異世界の私だ」