7、別ルート
きちんと足を揃えてソファーに座っていたアリスが宰相を見つめ「これが悪い顔~」とろくでもない偏見を学習している。
独り身の男と純粋な子供が一緒にいては教育に悪いと実証されたのはさておき、エンは穴の空いていない山を四つ飛び越え、およそ魔軍と戦った辺りだと思われる地点まで移動した。
二人を降ろし、事前に会得しておいたトマーレ――本来は六魔将の一将を担う重要人物のみが扱える固有スキル――で二人を向き合わせ戦っているかのような姿で固定する。
「アリスどうだ」
「う~ん。かっこ良くない」
「そうか」
エンが二人を細かく動かす。
剣士は突き、宰相は杖に両手を添えて魔力を溜めているような姿勢になり、更に禁断魔法の白球も作り上げると動き出さないよう慎重に杖の上へ設置した。
今回の白球はこぶし大ほどでかなり小型だがそれでも地鳴りが始まり、空中に砂や水滴を撒いて固定すれば先ほどよりも臨場感のある戦闘風景が完成した。
「アリス」
「う~ん、うん。かっこ良い。でも、なんか違う。彼らの決闘には魂を震わす熱を感じない」
「……もう少し手を加えよう」
急にそれらしい感想を言い出した少女にエンは若干戸惑いつつ改善していく。
固定状態を解除。
剣士と宰相はすぐさま糸の切れた人形のように倒れだし、エンは目にも止まらぬ速さで体勢を変える。
「トマーレ。解除。トマーレ。解除。トマーレ――トマーレ――――トマーレ」
パラパラ漫画のようにちょっとずつ前傾姿勢になっていく二人。
アリスは突然の見世物に無邪気な拍手をしているが、エンは思いがけず手に入れてしまった強大な力で肉体を削り取らないよう指先に全神経を注いでいる。特にアリスへ感想を尋ねがら柔らかい顔をいじくる緊張感ときたらSF小説で寄生型エイリアンが体内に侵入した時と大差なかった。
僅かでも力が入れば無防備な二人の顔は恐怖小説でも披露できない肉塊と化す。普段なら無視すれば済む騒がしい声にも耳を傾ける必然性があり、集中を乱されながらの繊細な作業が続く。
やがて窓一枚を隔てた対照的な共同作業は作品の完成度を高め、剣士はアリスが怖がるほどの怒気を飛ばし、宰相の顔はアリスが鳥肌をたたせるほどの下卑た笑顔にまで昇華した、
「アリスこれでどうだ」
「うん! ぱーふぇくと!」
「問題なさそうだな。B・Bはどうなっている」
「ん~っとね、さっきから変なの。短い言葉がゴチャゴチャバラバラしてて……あううちゃんと読めない」
「では、とりあえず創造主は新たな展開を生み出そうとはしているな」
「なになに、どゆこと? 分かんないよ~」
一人納得したエンは唸るアリスをほっておき、剣士の持つ剣を宰相の胸に刺さらないよう注意しながらそっと当てた。刺さらないよう注意しているのは、エンが極力アリスに不適切な光景を見せないようにしているのと彼らを無暗に傷つけたくないため。
エンは剣士の腕を微調整しながら一瞬だけ苦笑した。
事故とはいえ数日前に百万もの魔物を屠ったばかりでこんな優しい行動をしているのは、探偵のエゴを象徴するものだったからだ。
異世界……物語の中には命の価値に明確な格差がある。
名のある主要人物は重く、名のない脇役は軽い。どちらも記憶と感情を携え生きているのに、脇役の命の価値はゼロだ。
それを割り切れなくては異世界の修正という仕事はこなせない。
命に優先順位を付けられることが探偵をやる上での最低条件だろう。
エンが微調整を終えると、アリスは弾けるように笑ってB・Bに二人の戦いが書かれだしたと報告を始めた。
果たしてこの幼い助手も探偵の正しい順位を付けられるようになるのだろうか。
なにもかもが違う不慣れな存在にエンは今日も頭の片隅で悩む。
「エンさんエンさん! すごいよ! でもね変なの『極光を地捌きが切り裂……形を保てたのは……神の……確かに貫いていた!』だって。なんだかどこも読みにくい。大丈夫?」
興奮した様子のアリスに質問され、エンは答えるより先に城へ向かって飛んだ。二人の戦いが書かれだしたので素早く自分という邪魔な存在を遠ざける必要があった。
再び山を越え、城も見えてきたところでアリスに返事をしていく。
「問題ない。文章が変だろうと確実に物語は私の作り出した展開と繋がった。ようやくこれで本来の依頼に戻れる」
「どういうこと? B・Bにブワァっと文字が出てきててすごいけれど、文章になってないよ」
「基本的に私達の修正は頭の中で既に完成した物語に対して行うからな。今回のように一から新しく生まれる最中は文章にまとまりがないものだ」
「そうなの?」
「そうだ」
「そっか~でもモヤモヤ。エンさんは創造主さんに結末の続きを書いて欲しかったんじゃないの? 二人をどうして戦わせたの? それって物語を変え過ぎじゃないの? 良いの? ねぇエンさん。エンさ~ん」
経験の少ないアリスにはエンが説明不足なせいで状況が分からない。
飛行しているエンの頭の中でアリスの声がしつこく木霊し、空のヒビ付近では雲が「何で~何で~」という振動で散っている。
「アリス。教えるから騒ぐな。修正箇所が増えたらどうする」
「むっごめんなさい。教えて」
窓に映るエンに向かって手を合わせるアリス。
異世界側から彼女の姿は見えないのだが、エンの脳裏には手を擦る小動物の姿がまざまざと浮かんだ。
「異世界が創造主の中なのは分かるな」
「分かるよ。私が読んでるB・Bは創造主さんの気持ちでしょ。こうしよう、あ~しようって考えてるの」
「その通りだ。創造主はこの異世界を元に現実の本を書く。その際、基本的に私に関わる部分は削除される。私は物語に不必要な存在だからだ。しかし、今回の私は目立ちすぎた。創造主は物語に必要と判断して私を書いてしまうだろう。その修正こそが最も重要だったのだ」
「え~なんで? 書いてもらおうよ。何時もエンさん頑張っているのに忘れられちゃって、誰も知らないもん」
「場合によっては私の登場もアリだが、今回は許されん。最終章に新しい登場人物は不自然極まりないし、何よりも登場する私は全てを消滅させてしまう」
「エンさんそんなことしないよ。する訳ない」
「私では無い。B・Bに私の魔法が全て消滅させる結末を書かれただろう。その結末を実行するために創造主が生み出す“異世界の私”がやるのだ。おかげでこの数日間は“私”が修正を阻止しようと現れるのではないかと気が気ではなかった。幸い現れなかったが」
「ふ~ん」
この数日間はあらゆる意味で一刻を争っていた。なのにそれを知ったアリスの反応といえば、いかにも興味なさげな生返事でエンの眉がわずかに動いた。理解するまで念入りに教えようと思ったが、規則正しく眠る仕事をしていた少女に苦労を語るなどみっともないので止めた。
「それで剣士さんと宰相さんは何だったの?」
「狙いは三つある。一つ目は創造主に再生された大陸の利用を決定的にするため。重要人物達が戦えば終わった物語でも続きを考えたくなるだろう。二つ目は光る大樹の発生や城の構造が変化した理由付け。宰相が敵になれば、不可解な点は彼の企みによる結果として物語を再考してくれる可能性が高い」
「え~宰相さん可哀想。良い人なのに。にえってヤツなの?」
「お前の気持ちも分かるが仕方ない。それに、B・Bに戦いが書かれた。ならば創造主も私の用意した設定を認めたということだ。以前、恋愛小説に笑いを求める依頼を受けたが、お前も私と一緒に見ていたはずだ。ヒロインの生徒会長にタライを落としても謎の風で吹き飛ばされ命中させられず、ギャグを披露させたら世界の時間が停止してSFが始まってしまった。創造主が気に入らなければB・Bに文字は書かれない」
「あ~あったーそっかあったね。あはは。みんなピタッと固まちゃってエンさんでも動かせなかったもんね」
「そういことだ。最後に三つ目だが私の身代わりだ。消滅魔法を宰相が使ったような形にして、私は物語に不必要と判断させ“私”の出現を防ごうとした……と、基本的にどれも私の願望でしかなかったのだが全て上手くいった。この異世界の創造主とは気が合うのかもしれん」
「むずかし! 宰相さんは可哀想!」
元気なアリスとの問答にエンは若干くたびれながら城内を進む。
気を抜くと力が強すぎて廊下に穴が空くので丁寧に歩き、未だ床で眠り続けている魔王の横を通り過ぎて壁際に立つ。
「そういえば! あとねエンさん。二人はエンさんが動かして無理やり戦わせたのに変な風にならないの?」
「彼らを動かす私の姿は物語にとって邪魔でしかない。本に書かれる際には削除される」
「二人をあそこに置いてきたままなのも大丈夫?」
「大丈夫だ」
「でもでもクルクルパーだよ。体もカチコチ」
「創造主の力の前では些細な話だ。必要となれば彼らも勇者のように私が何かせずとも勝手に動き出す。気になるならB・Bを読んでみろ。もしかしたら創造主の筆が乗って先ほどの中途半端な文章が完成しているかもしれないぞ」
「ホント! 見たい!」
アリスがB・Bを開き、ふと何を思ったのかB・Bを持ったままソファーを降りた。
とことこ走ってエンの社長椅子へ座りクルクルと回転。楽しい場面を読むなら、もっと楽しい状態になって読もうというアリスなりの工夫だ。
エンとの生活で同世代の少女と比べて少年的な思考を持つアリスは戦闘に目がない。
花より団子。香水より硝煙の匂い。流行りの音楽より体揺さぶる爆発音。
胸を躍らせページをめくり、落胆した。そこに完成した戦闘の文章はなく、相も変わらず短い言葉が乱雑に並んでいるだけだった。
この時エンはアリスの反応からB・Bに変化がないのを察したが、文章の完成は自分の予想でしかなかったので問題視しなかった。
実は剣士と宰相の戦いを創造主が即座に書かないことには依頼と深く関わる理由があり、短い言葉の中にはこれからの修正を左右する重要な言葉もあったのだが二人は気付かない。
自分のものさしで判断しがちの大人と器を経験で満たしている最中の少女。
エンとアリスの連携が十分機能するにはまだ時間がかかる。
「さて休憩は終わりだ。締めに取り掛かる」
アリスがB・Bを読まないようなので時間を潰す必要がなくなったエンは幻覚魔法で姿を隠した。登場人物達との会話を避けるための対策であり、それはつまり世界が滅びた後でも意思を持つ創造主に優遇された存在とこれから会うことを意味している。
そんな裏をアリスには読み取れず目を大きくして消えたエンを探している。
「わぁカメレオエンさん」
「……好きなように呼べ」
エンが投げやりに返事をしてもう一つスキルを使う。
「乱乱舞踏」
それはトマーレと同じく六魔将の一将のみ扱える固有スキル。
性格の悪さでは他を寄せ付けない蜘蛛女が所持したスキルで、効果は糸によって他者を操るというもの。複数人を同時に操れず利便性には多少欠けるも聖職者を操り大惨事を引き起こした過去がある。
スキル使用者にしか分からない透明の糸を寝ている魔王へ張りつければ、今朝のおぞましい仕草さなど嘘のように颯爽と立ち上がり力強い眼差しをエンへ向けた。
「自分の名前が分かるか?」
「ティアマンド・フォルフェ・マーリアムターツェ・サランキュラン・シュバルト」
「長いな。どの異世界も王族は名前が複雑な傾向にある。もっと小暮ヨシノブのように簡潔に魔王らしい名前にしてはどうか」
エンの声に魔王は反応しない。操られることで一時的に自我を取り戻してはいるが、術者のエンを認識することは防がれている。
普段らしく振舞えと命令して魔王が玉座に腰かけ目を閉じる。
決戦に備えた瞑想により室内の緊張感は高まっていき、数分とかからず城門を開く音が部屋まで響いてきた。