4、アリスのお仕事
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その男は誰よりも先にいた。
魔軍が城から転移した先で近所を散歩でもするみたいに歩いていて、その全く緊張していない普通な感じは魔軍が味方だと思ってしまうほどだった。
各隊の先頭はあんな前を歩くのはどこのバカだと舌打ちして、その後ろも人間みてぇな匂いだと鼻を動かすだけ……数秒後に全員が口をあんぐり開けて固まった。
「「「人間がいるぅ!?」」」
有り得ない事態だった。
付近に山ほど設置された罠は一つも発動していない。しかも大陸周辺の海は厳重に監視されている。一体どこをどうやって上陸したのか。
魔物達がそれぞれ推理をして言い合う。
「あの男の見たこともない黒い服。あれはきっと神具だ。その力でここまで」
「アルイハ、マホウ。ケハイ。スガタ。ケセラレル?」
「ちょっと待て! 気配なら、そんなもん盗賊クラスなら誰でも使える。だがよ、そんな魔法で、この城まで来れたならヤバいぜ。しかも、もしも姿を消せるんなら、そんな最上位の魔法を使えるヤツは滅多にいない」
「滅多どころではない。扱える者は大戦で姿を消した天界の民もしくは勇者の仲間……」
みんながみんな戸惑って指揮権を持つ上等兵達まで男の対応に悩んで指示を出せないでいる。そんな中で一体のミノタウロスが前に出てきた。
力こそ全ての超獣軍団に所属する彼にとって相手の正体なんてどうでも良い。
弱ければ殺す。
強ければ楽しめる。
戦闘中毒者だけは最初から推理なんてしていない。ただただ欲望のままに巨大なバトルアックスを豪快に振り上げて力一杯振り下ろし、男も、動く。
男はバトルアックスを紙一重でかわすと素早く後ろに回り込んでミノタウロスの両足を引っ張った。ミノタウロスが前のめりに倒れる。
バタァーンッ!!!
大きな音をたてて顔を土まみれにしたミノタウロスの姿に魔軍から大笑いが起きた。が、笑ったのは経験の浅い新米だけで、大多数の戦士達は今の一瞬の攻防で武器を構えた。
男は危険視するような攻撃は何もしていない。
しかし、牛より重いミノタウロスの足を引っ張り転ばすなんて普通の人間には不可能だし、何よりも男の無駄のない洗練された動きが戦士達の闘争心に火を着けた。
攻撃の命令が出てもいないのに興奮した超獣軍団の団員が一斉に襲い掛かる。
先陣をきったのは空から全てを眺めていた八体のクイーンハーピー。半透明のドレスをなびかせながら腕の羽を矢のように飛ばす。
頭上から男の隙をついた攻撃だったが、男は魔物達の目線から敏感に危険を察知して空を見もせずに魔軍の中へ走りだした。魔物は武器や爪を振るうが誰も攻撃を当てられない。
男は素早く、技術もハイレベル。叩こうとすれば肘を、蹴ろうとすれば膝を、巧みに攻撃してくる魔物の関節を抑え込んで思うようには攻撃させず、おまけに攻撃した魔物は男に気を取られている内に空から飛んでくる羽のえじきになってしまう。
「クキャー!」
クイーンハーピー達が怒りの奇声をあげる。
クイーンハーピー達は攻撃が利用されて仲間を倒されていくことには怒っていない。間抜けな味方が倒れるほど自分達の攻撃を外した証拠が地面に残っていくことにプライドを激しく傷つけられて怒った。
遠距離からの援護を役目として上空にいたのに、短気で傲慢な性格をした姫達はあっさり役目を放棄して地面へ接近する。そして男を追って滑空しながらの連射をした。命中率や威力はかなり下がるが量は今までよりずっと多い。
十六枚の翼から鋭利な羽が途切れることなく飛ばされ戦場には針の雨が降り出した。
次々サボテンみたいな魔物が出来上がって、それでも高慢な姫達は少しも気にしない。避けない愚図が悪いとばかりにキャーキャー鳴いて針を容赦なく降らす。
このワガママに魔軍は激怒して中には男よりもクイーンハーピー達に攻撃を始める者も現れ、すっかりメチャクチャな戦況になってしまったが男は確実に追い詰められていた。
どんなに男が素早く動けても全ての雨はよけきれない。ついに当たりだして男はたまらず巨大な魔物の下へと逃げた。
全身が黒いウロコで覆われたドラゴンの下へ。
「クピィィィ」
散々やりたい放題だったクイーンハーピー達が慌てて止まり攻撃を止めた。だが既に発射されている羽までは止められない。自分達の失敗に気がついて後悔して鳴いても羽は突き刺さっていく。
男が雨宿りに選んだ場所……熟睡中のブラックドラゴンの背中がびっしり針だらけになって山と見間違えるほど巨大な体がピクリと動いた。
大いなる漆黒の巨竜の眼が開かれて周囲の魔物達が青ざめていく。
勇者を倒す為に宰相が用意した魔物は110万。
その大軍にブラックドラゴンはたったの三体しかいない。レベルは魔物全体でも最上位の95で、強さだけなら六魔将にも劣らない。
だがしかし、頭はとてつもなく悪い。
理性がなく目に入った生物を襲うことしか出来ないからいざという時にしか絶対に起こしてはいけない諸刃の剣――それが魔軍を見た。
あくび代わりのファイヤーブレスがオーガの集団を襲う。92体を炭にすると頭部の角から全方位にたっぷり雷を落とした。一瞬でクイーンハーピー達を含めた1000体以上の魔物が犠牲になり、死体だらけの戦場にブラックドラゴンは炎と雷を動く者がいなくなるまでお見舞いしていく。
魔軍は完全に混乱して、被害が3千を超えた頃ようやく各部隊がブラックドラゴン討伐に向けて連携を取り出した。
炎耐性がありブラックドラゴンにも押し負けないファイヤージャイアントが囮として攻撃を引きつけ、他が遠距離から矢や魔法で攻撃する。
オーソドックスな戦術で安全確実にブラックドラゴンの体力が削られていく。ところが戦いが進むにつれて比較的に無害だった男が厄介な存在になりだした。
男はブラックドラゴンの背中に乗っている。
安全な場所へ逃げていて辿り着いたのか、狙ってなのかは誰にも分からない。とにかく背中の、ブラックドラゴンを倒すには邪魔な位置にいる。
極秘事項で一般的には知られていないがブラックドラゴンの尾の付け根にはファイヤーブレスの元となる熱を生成するメラン気管がある。それを破壊されたブラックドラゴンは炎を吐けなくなるし、蓄積された熱が体内に放出されて大ダメージを受けてしまう。
その弱点を魔軍は攻撃したいのに、背後からの攻撃は男に当たりそうになると防がれてしまう。結果、ブラックドラゴンと魔軍の戦いは正面から潰しあう泥仕合へ。
離れた部隊からも飛べる魔物や超遠距離攻撃を保有する魔物が参戦して、最終的にブラックドラゴンが倒されるまでに出た犠牲者は怪我人だけでも約1万。死者は4万超。
それだけの戦いがあったのに男はかすり傷も作らないで巨竜の背に立っている。
まだまだ余裕がある。
激しい戦いがあったのに男の実力は謎のまま。
5万を失っても魔物達は圧倒的な数で男を包囲しているのに、動けばやられる気がして誰も動けない。
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「たった一人を百万の魔物が恐れていた……ふおおぉ」
アリスが目の前のエンが作り出す文章を呟いて空をパンチした。
「かっこい~! エンさん映画の人みたい!」
「感心している場合か。このままでは殺されてしまう」
「ええっエンさん死んじゃうの」
「当たり前だ。人間よりは頑丈だが不死身ではない」
「とっても大変だよー! ただのブタを飛べるブタにしたり、バスみたいな猫に餌をあげたり、ずっと楽しい依頼だったのに」
「ええい無駄話をしている暇は無い。彼らが襲ってこない内に書け」
「ちょと待って待って」
ジリジリと魔物の輪が狭まる一方、アリスは大急ぎでB・Bをめくる。
彼女が目指すのは巻末。創造主による登場人物の設定が書かれたページを開けば、エンの名前とゲーム等でステータスと呼ばれる強さを表す数値があった。
出発前にエンが話したように異世界にはルールがある。
「異世界は創造主の描いた世界であるから、変えられるのも創造主だけ」
――というものだ。ではエンはどうなるのか? 彼は創造主の描いた存在ではない。
答えは決まっている。
外部より物語へ介入した探偵にこのルールは適用されない。
エンの設定だけは創造主でなくても自由に変えられ、アリスの真の仕事はナビゲートではなく状況によってエンを強化することにある。
机の引き出しからペンを取り出してステータスを変更していく。
この異世界での最高値は魔王の魔力を示す999。
それに対してエンを助けるため急いでいたアリスが書いた数値は9999。
体力:9999
魔力:9999
筋力:9999
耐久:9999
敏捷:9999
器用:9999
見事に全ステータスを一桁多くして、書いた本人は重大な過ちに気付かないままスキルも覚えさせていく。
今回の異世界では些細な行動にもスキルの習得――現実の世界で例えるならば、帽子を被るだけでも金銭等で教師から学ぶ必要がある。
エンが現在所持しているスキルは神具装備可能、回避の二つだけ。
攻撃を可能とするスキルはなく、他者に触ることが出来ても殴ることは禁止の状態。
「ふあ~エンさんこれで戦ってたの? 私も腕立てする」
腕立てで魔物の大群と戦えれば異世界に勇者などいらない。
エンは特殊な存在かつ場数を踏んでいるので動けるのだが、そんなことは分からないアリスはふにゃふにゃの腕をかっこ悪く思いながら書き足す。
こうげき。ぱんち。きっく。たたく。ひっかく。ちょっぷ。つねる。おす。かかとおとし。でんぐりがえし。しっぺ。でこぴん。うらけん! たいあたり。ぱん。どん。がん。ほう。あちょ。はっ。やっ。
あどけない娘が漢字を用いずに書くスキルはデタラメな物ばかり。
後半にいたっては意味不明だが、やり切った顔のアリスが見つめる先で異世界のエンはスキルを習得した証として体から黄金の輝きを発していた。
通常スキル一つ習得するのに最短でも数時間の訓練を要すというのに既にエンは連続で二十回以上も輝き、それはアリスが単語を書き続ける限り止まらない。
三十、四十、五十……
魔眼の勇者は元ニートの世界においてエンの急成長は極めて異常。異世界の住人である魔物達は男の理解の追いつかない進化に心の底から震え、おぞましいとさえ思っている。
勇猛な戦士ばかりだというのに足は自ずと下がり包囲網に穴が空きだす。そんな状況下で、果敢にもエンに挑むべく出てくる者がいた。
最硬度の魔物である永劫の亀より作られし鎧“絶守”を身に着け、手には大地を割った伝説を持つ魔剣“地捌き(じさばき)”を握っている獅子顔の剣士。
宰相より魔軍の総大将を任された最後の六魔将。
物語の重要人物で、修正中のエンにとっては出会うだけで大問題の存在だった。




