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2、神からの緊急依頼

 少女が練習していたカーテシーと呼ばれる異国の挨拶を上手に披露でき、得意げに男性を見つめる。

 すっかり大人びていた顔つきは年相応の可愛らしいものへと変化し、男性もついその顔につられて笑ってしまった。


「綺麗な挨拶をありがとう。それで、探偵さんはいらっしゃいますか」

「います! じゃなくていました! もうすぐ襟を……倒したら? 戻ってきます」

「もしかして襟を正すのこと?」

「そうかもしれないです。今日はバスっぽいネコさんの所に行ったから服をパッパッと綺麗にしてるの。部屋にいても誰か来たらパッパッやる。それでB・Bビービー消えたから帰ってきます。あっ来た。顔怖い!」


 ネコ? ビービー? 来た? 怖い?

 意味不明な話に男性は困惑しながら少女が指さす背後を向き……霧の中に上ってきた階段だけがぼんやり見える。誰もいない。そう思うのと同時に近くから声がした。


「アリスここは九十九つくも探偵所だと言っているだろう」

「わっ」

 

 何時の間にか男性の隣には、少女を愛称で呼ぶ黒いタキシード姿の男が立っていた。

 背は180㎝前後。

 気品漂う皴一つないジャケットと綺麗に整えられたオールバックの髪型には依頼者に期待を抱かせる一流の雰囲気があり、しかし同時に近寄りがたい雰囲気を併せ持つ。

 極限まで引き締められた肉体は細身な見た目に反して強い存在感があり、常に眉間に力の入った鋭い眼差しは彼の端正な顔と相まって他者を威圧してしまう。

 現に今日も彼に会いたかったはずの男性は緊張で硬直し、怖いもの知らずの少女だけが口を開いた。


「えぇ~ツクモつまんない。ワールドメディック探偵所の方がかっこ良いよ」

「かっこ良さなど不要だ。私の家にみっともない名前をつけるな」

「そんなことないもん! 二分も考えた名前だもん!」

「二分しか考えていないではないか。だいたいメディックは医療従事者という意味だ。医療従事者探偵所など変だろうが。それに異ワールドだと? 耳障りの悪い造語を作るな」

「だって物語を治すでしょ。異世界を難しい本で調べたらディファレントワールドだったの」


 アリスの治すという言葉に男が眉を動かす。


「お前な。何度も言っているが、私の仕事内容は治療ではなく修正だ……ディファレントワールドがどうした」

「ディファレントワールドメディック探偵所なんて、ごてごてちゃんちゃん」

「……意味が分からない。ごてちゃん?」

「そう! 保険屋さんとか弁護士さんとか悪い人が住んでそうな名前になっちゃうの! でも最初に異があれば違うよ。わ~いの感じがやって来て入りやすくなるの。それにね来た時も思ったけどエンさんの扉は分かりにくいよ。シーンとした板だもん。これだと客も迷――メディック――後ね――――――」


 少女が扉の前を陣取り謎の講釈を始めた。話すのに夢中で客である男性は外でほったらかしにされている。

 エンと呼ばれた家主はぎゃーぎゃー騒ぐアリスと彼女が邪魔で部屋に入れずにいる男性を見つめ、ため息。

 スイッチの入った子供を小脇に抱えると「小動物用」というネームプレートが貼られた扉へ放り込んだ。

 静かになった部屋へ男性を招き入れる。


「真に申し訳ありませんでした。私まで話し込んでしまって」

「い、いいえ。気にしないで下さい。彼女……人間ですよね? まさか女の子がいるとは思いませんでしたよ。元気で微笑ましい」


 男性が眼鏡の奥で目を細めながら話す。

 そんな大人達の様子を自分の部屋から伺っていたアリスは、元来賢い子なので男性に責められないことで余計に悪いことをしたと思い、小さな体を一層小さくしながら出てきた。

 隙あらばやらかすのが彼女の癖だ。


「ごめんなさい」

「いやいや。ほら、クッキー食べる?」


 男性がとぼとぼ出てきた小動物にポケットからクッキーの袋を取り出す。

 途端アリスはリスのような俊敏さで受け取り、エンが止める間もなく齧って脳内は「あまい!」で満たされ罪悪感など吹き飛んでしまった。


「お前、躊躇なく……お礼を言え」

「あひぃがとごひゃいまふ」

「……申し訳ありません。後できつく言っておきますので」

「いやぁ気にしないで下さい。創造主の影響で子供は好きですから。それであの、ここに来れば僕の悩みを解決出来ると聞いたのですが……」

「はい。どうぞ、お掛け下さい」


 男性をソファーに促し、長机を挟んだ正面にエンも座る。

 アリスもエンの隣に飛び乗ってクッキーをかじる。


「申し遅れました。私は九十九つくもエン。異世界の探偵を生業なりわいとしております」

「私ふぁアリツィアです。すごいエンさんのパートナーでひゅ」


 アリスが自己紹介しながら食べるのでソファーにクッキーの欠片が落ちた。男性は細かい溝に自分の渡したお菓子が次々入り込んでいくのを目撃し、塵一つない床や整理整頓された机の上にも目をやり引きつった笑みを浮かべる。

 男性に武術の心得はないがエンから漏れだす不穏な気配は十分に感じ取れた。なので空気を変えるためにも大げさな態度で言葉を返す。


「ああ本当ですか! 良かった。間違っていませんでしたか! 以前こちらで解決してもらった東風とうふうさんに教えてもらったのですが、異世界専門の探偵など聞いたことありませんでしたから。その、正直な所、半信半疑で……東風さんから聞いていた位置よりも大分低かったですし」

「最初はどなたでもそうですよ。見ての通り東風さんがいらした頃と状況が異なるので疑って当然です」

「そう言って頂けると助かります。あなたは異世界。つまりは創造主の脳内……それとも精神世界と表現すべきでしょうか? そこへ侵入して物語を内側から修正するとか。まさかそんな方がいるなんて、こうしてお会いしても信じられません。世の中は広いですね。あっ、僕は本の神、魔眼の勇者は元ニートと申します」


 魔眼の勇者は元ニートの神が頭を下げ、エンとアリスも下げる。

 男性の名前が独特なのは生まれて間もないから。最近エンの元を訪ねてくる本の神に多く見られる傾向の名前だ。


「東風さんからの紹介ならばお聞きになっているとは思いますが、通常は準備のため事前連絡を頂くようになっております。連絡もなく来られたということは緊急事態のようですね」

「申し訳ありません。突然の来訪は謝ります。東風さんの場合は準備に一カ月ほどかかったと聞いて居ても立っても居られなくて」

「構いませんよ。こういった依頼も珍しくありませんので。では内容をお聞かせ下さい。私が達成可能と判断し、魔眼の勇者は元ニートの神が幾つかの許可を下さった時に契約成立となります」

「え、あっ。そうか。内容次第で拒否されることもあるのかぁ。あぁ……実は、創造主が僕を書いてくれないんです。締め切りまで残り三週間。このままだと新刊が発売されません。こんなこと初めてで。ぼ、ぼくはどうしたら良いのか。未完にならないか不安で、その」


 神が眼鏡を外し目頭をおさえる。悩みを口にして我慢できなくなったらしい。

 エンは静かに眺め、頃合いを見計らって話しかけた。


「書かないとのことですが、私には人間社会の問題を解決することは出来ません。進学、就職、冠婚葬祭。創造主の私生活に執筆の妨げになるような変化は御座いませんか?」

「創造主は今年三十になる事務員です。家族も元気ですし、恋愛ごとも……彼女が出来そうにないですから」


 神が創造主を模して形成された自身の体を広げ自嘲気味に笑う。


「そんなことはありませんよ」


 エンの口からは何の慰めにもならない――暗に納得しているかのような言葉が吐かれ、神は何か言いたげではあるものの何も言わない。

 人間の書いた本の神である彼にとって創造主が色恋沙汰にうつつを抜かさず執筆してくれるのは喜ばしいが、自分と瓜二つの存在なだけに胸中は複雑である。

 男達は黙ってしまい、どうにもぎこちない空気を無遠慮に砕かれるクッキーの音が和ませた。


「私は神様の顔ポカポカしていて好きだけどな~私の経験からして創造主も人気あるよ。絶対」


 七歳で常世を離れた少女が経験を語るとは妙な話だが、子供に屈託ない笑顔で言われば納得するしかない。総じて大人より子供の方が目は良いものだ。


「そうかい? ありがとう。創造主にも聞かせてあげたいよ」

「私が会えたら言うのにな。そうしたらクッキーもらえる」


 素直な下心。エンが睨みつければ口笛で誤魔化すが吹けてはいない。

 ふーふーと可愛らしい風の音に神は小さく笑ってご希望のクッキーを取り出し、それをすぐさま口に入れるアリスにエンが苦虫を潰したような顔になった。


「こいつ……何度も申し訳ありません。私生活に変化が無いとすれば筆が止まっている原因は異世界にあると見て間違いないでしょう。近況を教えて頂けますか」

「はい。僕こと魔眼の勇者は元ニートは次の刊から最終章に入ります」

「おめでとうございます」

「うわもぁめでとございます」


 エンに遅れアリスも食べながらお祝い。


「どうも。今まで出されたのは十三冊。最新刊は数々の伏線が明かされた所で終わっています」

「伏線回収ですか。広げた風呂敷を畳むことに苦労している可能性は?」

「いえ、僕の創造主は几帳面な性格で物語は予定通り進行していると思います。原因として考えられるのは最終章の終盤です。最後となれば会話の一つ一つまで全てが期待されますし、几帳面な性格が災いして納得のいくものが出来上がらないのかと」

「なるほど……」


 話を聞き終えたエンが依頼について考えをまとめる。

 十三冊も発売された作品ならば根強い読者がいるのは間違いない。仮に今回の新刊が予定通り発売されなかったとしても打ち切られ未完になってしまう可能性は低い。ゼロと言っても良いだろう。涙する神の手前、口には出さないが依頼に緊急性はない。

 実際このエンの考えは正しく、古き本の神などは新刊が発売されないまま数年が経過するなど頻繁にあるので、今回の依頼は新しき神ならではの焦りから生じた一件だった。とは言え、緊急性の有無が依頼を拒否する理由にはならない。


 エンにとって重要なのは依頼を期限内に解決できるかどうか。


 締め切りまで三週間。二十一日後に完成させるには、創造主の執筆時間も考慮してどんなに遅くとも十日ほどで解決すべきである。

 十日という期限は、平均三日もあれば依頼を解決するエンにとって十分な時間と言える。ただし今回は事前の準備が一切無い。

 先ほどエンは連絡なしの訪問について「構いません」と答えたが、それは客を安心させるための強がりだ。異世界を修正する上でその世界を知っているか否かは依頼の達成以上に自身の生死に関わってくる。


 例えば今回の緊急依頼がホラー作品ならばエンは依頼内容も聞かず断っていた。一度ゾンビの登場する過激描写の多い作品で拷問されたことがあるからだ。

 またコメディ作品でも断っていた。笑いのためなら常識の通用しない行動をする登場人物と相対するのは、銃弾飛び交う軍事小説の世界よりも危険だと知っているからだ。

 過去の厄介な依頼を思い浮かべ、結局エンは「魔眼の勇者は元ニート」という作品名の語感から度を越えた狂人が登場したり、子供が読めないような酷い怪我をする危険はないと判断して依頼を受けることにした。


「……えっと、あの、探偵さん。どうです? 依頼は受けてもらえるでしょうか?」


 しばし黙って考え込んでいたエンに心配になった神が話しかけた。

 エンが深く頷く。


「分かりました。依頼を引き受けます。終盤を中心に調査して、問題があれば解決してきます」

「本当ですか! ありがとうございます」

「それでは依頼の開始にあたって許可して頂きたいことがあります」

「本への侵入。そして第三者の介入による物語に思わぬ展開を生み出すかもしれないことへの了承……ですね。東風さんから聞いています」

「その通りです。特に今回は物語の結末付近ですので、修正次第では取り返しのつかない事態になるかもしれません。その危険性を踏まえて私に許可を頂けますか?」


 自身の運命を左右しかねない決断に対し、神の返事は早かった。


「東風さんは世界的に有名な時代小説。その東風さんが貴方をとても信頼していました。正直僕にはまだ貴方のことを何も分かりませんが、東風さんは先輩として、友として信頼しています。だから許可します。よろしくお願いします」


 神が自身の服からボタンを千切って机に置く。

 これで契約は成立し、神は用が済むと無駄話などは一切せずソファーから立ち上がり流れるように扉前でエンとアリスに礼儀正しく頭を下げて外へ出た。


 本の神は太陽の神などと比べ生命の営みに関わる大仕事はしないが、それでも一分一秒を惜しむほど忙しい。

 自身の本の数だけ日差しや湿気といった身の危険を感じ、存在する限り永遠に対処する。今日もこれから「紙を食す虫達と交渉する会」に主席する必要があり、翌日も明後日も、数年先まで予定が詰まっている。


「村上さん宅はトイレに僕を置き忘れている。小林さん宅は……あぁ、もう手遅れだ。カップラーメンがこぼれた」


 後から後から悩みは絶えない。

 無事に依頼が出来ても心は晴れず、魔眼の勇者は元ニートの神は重い足取りで階段を下りていった。

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