13、アリスのお家
空白の世界。
そこには今日も黒くて大きい鉄扉だけがポツンと佇み、訪ねてきた小太りの男性がノックした。
「あっ…………い」
以前と変わらずゆっくり開かれる扉。
以前と変わっている室内。
気品漂う家具の中でも特に高級感溢れる机の前に巨大なウサギのヌイグルミが置いてあり、全身に包帯を巻いた探偵が乗っている。
「その……お久しぶりです」
「魔眼の勇者は元ニートの神。お待ちしておりました」
「お待ちしてました~クッキーの神様!」
「えっクッキー? あぁ! ごめんね。今日はクッキー持ってないよ」
「むむっ! むぅ」
あからさまに不満気になったアリスに神は苦笑いしながらエンを見つめ、どう言葉をかけるべきか悩む。十中八九、依頼で怪我をしたのだろうが事情を聞いて良いものか……
とりあえず普通に話してみることに。
「えっ……と。大丈夫ですか?」
「無論です。私も神の端くれなので意識がある限り問題ありません」
「そうですか。まっまぁ直接の面識はありませんが、頭部だけの方もおられますもんね……大変だったようですね」
「いえ何時ものことですから」
「何時も……ああ。通りでヌイグルミが似合っていると思いました」
「…………そうですか?」
「はい……いいえ。すみません」
エンは思いがけないことを言われ見つめただけなのだが、顔の包帯の隙間にある吸い込まれるような黒い眼窩に見つめられるのは睨まれるよりも迫力があった。もっと普通に話せば良かろうに、どうもこの二人はぎこちない。
こんな時に役立つのは自分の好奇心を優先する者だ。
「ねえねえ神様。それで本はどうなったの?」
「それがね、実は創造主が緊急搬送されて――」
「――あっそれはエンさんがね」
「アリス」
「うあっ内緒だったの」
両手で口を隠すアリスに、後ほど神に詳しく説明しようと思っていたエンは深いため息を吐く。
少女のさもさもな態度のせいでエンは依頼中の全てを包み隠さず話すつもりだったのに、まるで不手際を隠蔽しようと企んでいたかのような雰囲気になってしまった。
「真に申し訳ありません。ご迷惑をかけてしまい――」
「ちょっ。頭を上げて下さい。どんなに大変だったのか聞かなくても分かりますから気にしないで。こちらこそ、そこまでのお姿になるような依頼を持ち込んで申し訳ありません。えっと、それで依頼してから二カ月でしょうか。無事に新刊が発行され、今日はその報告に伺ったんです」
「おぉ~やった! クッキーの神様良かったね。ねぇエンさんも」
「アリス頼むから神に敬意をだな……依頼の効果はありましたか?」
「ええ! それはもう期待以上でした。本当にありがとうございました!」
神がいきなりエンの手を掴んだ。手足の欠けたエンはバランスが崩れてウサギの上に倒れ、神が慌てて起こす。
強引な修正だった割に、もの静かな彼が飛びつくほど成功したようだ。
「文句のつけようがありません。創造主が退院した日は締め切り日でしたが、その一日で必要な分を全て書き上げ、その後も昼夜を問わず続きを書いて、なんと年内にも最終巻が二冊同時発売されることになりました! 信じられません。まだ下書きではありますがスラスラと僕を描いていて、なんてお礼を言ったら良いか」
「それは凄い。おめでとうございます。差し障りなければ、どのような展開になったのか概要を教えてもらえないでしょうか」
「とにかく言葉では言い表せない怒涛の展開ですよ。あのペンダルが魔神の部下で、しかもレオと戦うだなんてファンのみんなも予測していない急展開。魔神の正体はやっぱりそうなのかと信じたくない焦燥感もあって、これが人々の目に触れればどんな顔をして頂けるか。もう……もう! 今から待ち遠しくてたまりません。それと他にも――」
聞かれるのを待っていましたとばかりに神の口が止まらない。
思い出し笑いであったり、涙ぐんでみたりと表情を忙しなく変え――有体に言って自画自賛をしている訳なのだが、聞いた者もニヤついてしまう感想にアリスもウズウズして話す。
「魔神すぅっご~くイヤだったの」
「そうだろうね。でも、敵は嫌われるほど盛り上がるんだ。僕は彼本人を見れた君が羨ましいよ。世界樹が生まれ、割られた向こう側から〝何か“が覗いている不気味な戦場。王道だけど世界中から集結する仲間達。今までクールだった魔王の怒り。特に熱いのは魔軍の活躍だね。魔神に負けるのは分かっているんだけれど、あっさり死んでしまう可能性が高いから緊張感があるし、やっとの思いで彼らが噛みつき最強の敵に一矢報いるのは熱くて……もう感動しちゃって」
「ふぅ~ん。魔王は知ってるけど、ちょっと私の見たのとちょっと違う。向こう側とか仲間って何だろ。それで魔神はどうなるの? ちゃんと倒せたの?」
「こらアリス。そこは聞いてはダメだ。結末は先に知るべきではない」
「むぅイジワル」
「残念だったね。でも探偵さんの言う通りだよ。結末は自分で読んで欲しいな……そうだ! 僕は難しい本じゃないから、最終巻が完成したら今度持ってくるよ」
「ほんと!」
「お安い御用さ。是非とも読んでもらいたい。ヒロインの告白シーンは必見だよ。それまで魔眼の勇者は元ニートというタイトルは魔神の眼を持つ勇者という意味だったのに、違う意味を持つようになったんだ。ほら魔族の眼も略せば魔眼だからね。勇者は姫のものという――」
冷めない興奮で神が割と重要なネタバレをするもアリスは「なるほどな~」と気にしていない。話を聞いているようで聞いていないのだろう。
神はまだまだ話足りなそうだったが、このまま聞いている訳にもいかないのでエンが「そろそろ」と報酬について切りだす。
「すみません。僕の方も予定があるというのに時間を忘れてしまって」
「構いませんよ。喜ばしいことです。では依頼完了の証人を呼ぼうと思います」
「ああ東風さんから聞いています。僕達よりも高次元の存在だとか」
「御冗談を。あれは究極のストーカーに過ぎません。出てこい天外の眼」
エンが誰もいない空に――つまりは観測者たる“余”に向かって呼びかける。
童には他者へ敬意を払うよう注意をする癖に、此奴ときたら余が相手だと扱いが雑になる。
無視したくなるが私怨に無関係の神を巻き込むわけにもいかんので降臨して遣わす。
余は寛大なのだ。
「天外の眼第ニ垓三七一ニ京八九――」
――と名乗りながら降臨している最中の余の体をエンが叩いた。正確には哺乳類のような肉体を有していない光の塊なので、煙草の煙でも払うかのように鬱陶しそうに手を振った。黄泉平坂の奥深くまで更に落としてくれようか
「眩しい。長い名前も嫌いだ。さっさと始めろ」
「お主な。何時か必ず天罰が下るぞ……では、既に答えは聞いたようなものだが、これも掟。改めて聞こう。魔眼の勇者は元ニートの神よ、お主は結果に満足し、依頼が不備なく完了したと認めるか?」
「はい。勿論です」
「では余が証人になりて九十九エンに報酬を与える。今回は三千」
「さんぜん!! うわぁ今までよりもすごく多い。いっぱ~い」
童が客の前だろうと関係なく感情を爆発させてバンザイをし、それでも一応は探偵の助手である彼女に余と初対面の神が尋ねる。
「アリスちゃん彼……彼だよね? 男の声だから。こちらが天外の眼様なのは分かったけれど、今の数には何の意味があるのかな」
「うんとね。アイちゃんはね、神様や人間や虫の中でしょ。他にも南極やジャングルや宇宙にも住んでいてね。全部見てるの。考えてることも何でも分かってね、それをずうぅぅ~~っと遠くの誰かに伝えているんだって」
「ええ東風さんが言うには、我々では認識することも出来ない大いなる者の眼であり耳であるとか」
「うん。多分そんなの。良く分かんないけど。でね、遠くにいる誰かさんが依頼の結果におっ、おお、おう……」
「応じた?」
「そう。応じた神ポイントをくれて願いを叶えてくれるの。私もお仕事中のエンさんと頭の中で話が出来るようにしてもらったり、いっぱい難しい漢字を読めるようにしてもらったの。もっとアイちゃんと話したいのに依頼が終わった時しか喋らないの」
この説明には訂正すべき点が多々ある。
神ポイントとは童にも報酬が分かるように使われているものであって本来依頼の成果は数値で表せるものではない。そもそも『神ポイント』という名称は童が勝手に名付けて呼んでいるだけだ。
加えて重大なのは――
「童よ。アイちゃんと呼ぶなと何度言えば分かる」
「だってアイちゃんだもん」
「だってじゃなかろうに。お主、ある意味エンよりも質が悪いぞ……願いを叶えるとしよう。まずはエン」
「私の願いは……」
「ふん言わずとも心の内は視えている。七四三」
余が宣言するとエンの体から包帯がほどけ出す。
ズボンを履いた新たな足が床へ伸び、すっかり元通りになった手で顔の包帯をもぎ取れば失われたはずの目も現れた。
「主は気にくわんが、他の目もあるので服も新調してやった。次は童の番だが、願いは二つあるようだな。鳥が二千。小物が十だ」
「アイちゃんは何でも知ってるな~う~ん。高いの、安いの~」
「アリス。ルールは分かっているな。叶えられる願いは一人一回までだ」
「分かってるもん。だからどうしようかな~って。うう~」
金髪をわしわし揉んで考える。童の心の中ではアニメでしか見かけないようなデフォルメされた小人が数人沸き、どっちを願うか会議をしている。
ギャーギャー、ワーワーと水掛け論をして、まとまることは無さそうだ。
「どちらにするのだ」
「むむっ。エンさん二回したい」
「却下」
「むぅ!」
頬をパンパンにした童がエンをじぃっと見上げ、それでもエンは涼しい顔。
本当につまらん奴だ。困れば少しは余の留飲も下がるというのに何とも思ってはいない。
「にせん……うぅ~ん。う~じゅう! 十にする」
童が未練たっぷりに決めた。
二つの内どちらが良いか判断がつかず、最後はエンの願いよりも高ポイントにならないという理由で小物を選択した。
「うむ。では叶えたぞ」
「早い! もう?」
「疑うのならば後で確認してもらうが良い。では、さらばだ」
特に意味はないのだが光量を増し、朝日にも引けを取らぬ光で部屋を照らす。
下々の者には崇高な存在は光っているという共通意識があるので、これによって儀式の終了を直感的に理解できるのだ。初対面の神もいるので余と邂逅したからには土産話の一つや二つ持たせてやろうという慈悲でもある。
更に光量を強め――去るという所で、エンが目を細めながら余を叩いた。叩き返す手がないことが悔やまれる。
「おい。余計な見栄を張るな。目を潰す気か。それに、まだ私の願いが終わっていないのに帰ろうとするんじゃない」
「見栄を張ってなどおらんわ。だいたい何を抜かす。お主の願いは叶えたではないか」
「耄碌したか。私の記憶では、あれはお前が勝手に言いだしたことで私は一言も願ってなどいない」
「ええぇ~エンさんズルイ!」
「同意するぞ童よ。随分とお粗末な戯言だ。しかし遺憾ながら、役目を終えたはずの余が今現在も話していられるのは余の本体が戯言を認めているということ……仕方あるまい。願いを言え」
「不自由な身になって私の家は防御が甘いと判明した。よって番犬でも置こうと思う」
「それこそ戯言だ。下らん。ここに守りなど……いや、なるほど」
ここに至ってようやく先ほどは影も形もなかったエンの願いが視えた。
しかし、どういう理屈だ?
心中には治療の願いしかなかったというのに、今は確かにもう一つ存在している。こ奴は全てが視える余から気持ちを隠していたとでもいうのか。そんなことは不可能だ。太陽が西から上るよりも難しい。
心がない。もしくは本当は筆記具の神ではなく嘘の神なのでは?
などと余の愚痴はさておき、願いの内容はひねくれたものだった。
とんだ茶番だが余も付き合ってくれる。
天外の眼は偉大なので空気も読めるのだ。
「いかんいかん。お主の体も回復したのだし番犬など不要ではないか」
「珍しく意見があったな。私も番犬はいらないと思っていた。必要なのは夜を守るものだ。私だって眠りたい時もある」
「夜……うむ。それならば分からんでもないな。あてはあるのか」
「夜目がきく生物ならな」
エンが童の方を向く。
こういう時に限って、また心が上手く隠され感情が視えん。一体どんな思いで相棒の顔を見ているのやら。
だからつまらん男なのだ……役目を果たそう。
「承知した。その願いは、二千」
聞き覚えのあるポイントに童が余と探偵を見比べる。
ようやくエンの狙いが分かったのだろう。
消えていく余と入れ替わりに会いたいと思っていた生物が出現してポーンと床を跳ねれば、元気に駆け寄りまん丸な体を抱きしめた。
「ホゥ」
潰れる白い毛玉。歓喜の声を上げる少女。
そんな様子を魔眼の勇者は元ニートの神が食い入るように見つめ、何時までもそうしていたかったが次の予定も迫っているのでエンに挨拶をして歩き出した。
顔を埋めて堪能しているアリスには声をかけず鉄扉を開ける。
「それにしてもお前は何を願った?」
「ふっふ~ん。シークレットなの! エンさん大――」
と、そこで鉄扉が閉まり、神は二人の会話を最後まで聞けなかった。
もっとも何を言ったのかは察せたので微笑み、不意に視界へ予想外の文字まで飛び込んでくるものだから笑い過ぎてむせてしまった。
「ごほっこほっ。あ~あ~これ……ふふっ怒られても知らないよ。それにしても今度来る時は忘れず本と、それとクッキーも持ってこないと……二枚、いや三枚……」
神が次の来訪に胸を躍らせ軽い足取りで階段を下りていく。
そうして白い空間にあるのは黒くて大きな鉄扉だけとなった。
ドアノブすらない無骨なデザインは今も昔も家主と同じ威圧感を放っているが、丸っきり同じではない。
耳を澄ませばうっすら子供の鼻歌が聞こえるし、表面には「異ワールドメディック探偵所」という新品の表札が貼られているのだから。




