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1、名前のない鉄扉

 少女がトラックにはねられた。


 ポーンと青い空に弾かれて、肉体が落下しても中身はそのまま飛んでいく。

 屋根を超え、山を越え、雲を超えた所で扉にぶつかった。


 それは黒くて大きい鉄扉。


 表札どころかドアノブすらないので少女には扉だということも分からない。

 ただただ無骨な鉄板の陰で小さな体を縮こませ、空色の瞳から大粒の涙を零している。

 すると扉が重苦しい音と共に開きだした。

 ゆっくりゆっくり……

 中には腕を組んだ男が立っていて、大きなため息を吐きながら言った。


「やかましい!」




                      ※ ※ ※




 休日ならば客で賑わっているものの、平日では道路の真ん中で猫が寝ているマイナーな温泉街。土産屋ののぼりが大量に並んだ坂道を眼鏡をかけたスウェット姿の男性が歩いている。

 体型は丸。

 顔も腹も尻も腕も足も全てが太く、一目で運動嫌いだと分かる。

 一歩進んでは膝をさすり、二歩進んでは汗を拭き、何度も足を止めながらやっとこさっとこ頂上まで辿り着く。

 男性の前に現れたのは二階建ての木造家屋。

 地域一帯で最も古い休み処を見上げながら男性は呼吸を整える。すっかり曇ってしまった眼鏡を拭くと、入り口の看板を何度も確認して店内へ。


 一階の休憩所には見向きもしない。用があるのは上の階。

 男性の重みで廊下は悲鳴をあげ、階段を上ろうとして壁に手をつけば風では不可能な揺れを起こしてしまうが、居住者の老夫婦は気にしていない。この家では奇妙な家鳴りが日常茶飯事だし、朝の連続ドラマ“マタギちゃん”を夢中で見ているからだ。


 男性が二階の角部屋までやってきた。

 老夫婦が寝室として使っている部屋で、長年使い込まれた桐たんすが部屋の隅に置かれている。そのたんすを男性は丁寧に開くと中へ飛び込んだ。

 たんすの使われていない四段目。そこが人の世に幾つかある異空間への入り口。

 長年住んでいる老夫婦も知らない場所には階段があり、男性が到着したのは木造家屋の存在しない三階。

 霧に覆われた白い空間に黒い鉄板が浮かんでいる。


「これ……ですよね」


 男性は扉があると聞いていたのに、目の前の物体にはドアノブがない。覗き穴や装飾もないのでとても扉には見えず、仮にこれが扉であったとしても裏側には霧が広がっているのみ。肝心の部屋がなければ、目的の人物も見当たらない。

 男性はどうしようかとしばらく悩み、恐る恐るノックをしてみることに。


「――ぁーい」


 おかしな話だが鉄板の中から幼い声が返ってきた。

 とりあえず反応があったことで男性は扉だと確証を得てホッとするも、男がいると教えられていたので嫌な予感は払拭できない。


「間違えたかも」


 不安を口から漏らしていると扉が開きだした。

 ゆっくりゆっくり……

 眠気を誘うノロノロとした速度で開き、明らかに男のものではない「むむぅ」という唸り声も聞こえてくる。

 男性が隙間から覗いてみれば青色のドレスと長い金髪に結ばれた白いリボンが見えた。

 背丈からして小学校低学年位だろうか。

 ほんのり甘い香りのする少女が視線にも気付かず頑張って鉄扉を押している。男性はすぐさま手伝おうとしたが、徐々に見えてきた内側が気になりそれどころではなくなった。

 

 部屋がある。

 

 男性は驚き扉の裏側へ行ってみるが相変わらず白いまま。手を伸ばしても何もない。それなのに開かれた扉越しには木造の一室が確かに存在している。壁には別のドアもあるので更に複数の部屋まであるようだ。

 これは男性がこれまでに訪れた、カビ胞子と席を並べる極小世界、あの世、国会図書館に極秘で作られた地下十五階などの様々な場所と比べても特に不思議な光景だった。


 部屋の中心には来客用と思われる革張りのソファーが長机を挟んで左右に置かれ、正面奥の窓際には艶めかしく光る木製の机と豪華な大型の椅子――いわゆる社長机と社長椅子があり、窓の外には霧でも温泉街でもなく何故だか森が広がっている。

 観葉植物や絵などの置物は一切見当たらない。

 必要最低限の道具だけが置かれた内装から男性は厳格な家主を想像していると、ついに扉を開ききった少女から元気な声が発せられた。


「こんにちは!」

「ど、どうみょ」


 少女は男性が動揺して言葉を噛むほど美しい顔をしていた。

 ぱっちり二重の中に零れ落ちそうな大きい瞳が輝く、日本とポーランドの混血児ハーフ

 色素の薄い白い頬には子供特有の丸みがあるものの、高い鼻や整った眉などが年齢と一致しない大人びた顔つきを作り出している。

 黄金の髪も青色のドレスに映え、男性はこの前の会議で目撃した天使……いや、この不思議な部屋に住んでいることを考えれば妖精がふさわしいかな。などと思っていると、少女がドレスの裾をつまみ上げ足を軽く曲げて挨拶した。


「ようこそ。ワールドメディック探偵所へ」


 神宮じんぐうアリツィアが嬉しそうに微笑んだ。

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