授業参観(1)
そんなわけでシリアスで上品なこの作品も山場に突入します。
夏希の通っている中学校。今日、そこで授業参観が行われる。
当然俺も学校を休んで授業参観に参加することにしている。妹がいるクラスメイト達も偶然、学校を休んで授業参観に行く予定になっているらしい。
偶然、だよね。
偶然ってことにしとこう。
姉妹仲が良いって素晴らしいよね……ハァ。
何はともあれ、教室へと向かう。
俺が教室に入るなり、ざわりと空気が震えた。
今は休み時間。教師も授業の準備のためか、黒板にせっせと紙を貼ったりしており、空気はわりと弛緩している。生徒も保護者も和気あいあいとお喋りをしていたはずだ。
しかし、俺が入った瞬間にどよめきが起こり、それからしんと静まり返ってしまった。
……気まずい。
もしかしたら世の男性はこういう空気が嫌で引きこもってしまったのかも知れない。
いやまぁ普通に普段から感じる肉食獣的な視線が嫌なのかもしれないけど。
ともかくしんとしずまり返った教室、俺は夏希の姿を探した。
「あ、おにーちゃん!」
おっと、先に夏希が俺を見つけてくれたようだ。
「夏希、来たぞ」
「ありがとっ! すっごく嬉しい!」
「気にするなよ、夏希のためだからね」
いじめっ子達にざまぁをするために夏希はいつも以上に可愛らしく振舞っている。
夏希に集まる視線から察するに、結構なヘイトが溜まっているようだが俺も夏希もそんなことは気にしない。
それよりも、と夏希が教えてくれた人物に目を向ける。
ターゲットその1。夏希の親友であり、俺のクラスの委員長の妹でもある山本・詩織ちゃん。
俺は彼女を見つけると同時、にこやかに手を振って近づいた。
本人は、「えっ、えっ」みたいな顔をして俺と夏希を交互に見比べているが、気にせず近づいて声をかける。
「山本・詩織ちゃん、だよね?」
「へぁ? あ、はい! そうですっ!」
敬礼でもしそうなくらいに直立した詩織ちゃんは、顔を真っ赤にしていた。
中学生くらいだと反応が初で可愛いなぁ。詩織ちゃんも高校生くらいになったら肉食獣へと変化するのだろうか……。
「いつも妹がお世話になっています。兄の暦です。よろしく」
「こ、こちらこそ不束者ですが、よろしくお願いします!」
何? 嫁入り?
緊張でテンパッている詩織ちゃん。
ごめんねターゲットにして。
心のなかで謝ると、さて、と周囲を見回す。
保護者(と、何故か学校を休んで参加しているクラスメイト数名)は相変わらず俺を見つめたままだが、反応が明らかに変わった者達もいる。
夏希のクラスメイト達だ。
俺に声を掛けてもらえるかも、と思ったのか、前髪をいじったりひそひそと近くの人同士でやりとりをしたり俺をチラチラ見たりと、明らかに浮足立った様子が見て取れた。
ここで本命でもあるターゲットその2。
夏希に嫌がらせをしているというグループの、ボス的な立場にいる女子。
名前?
夏希は何か言ってたけど、覚える気ないよ。夏希をいじめるような奴だしね。まぁ写真で説明されたから顔だけは分かる。
俺はそいつの席まで移動すると、努めてにこやかな笑みを浮かべた。
詩織ちゃんの時にはまったく思わなかったけれど、笑顔を作るのって難しい。特に夏希をいじめた奴の前では。
やっぱり捌くために包丁を持ってくるべきだったか、と思いつつ彼女に話しかけた。
「こんにちは」
「ここここんにちわ?」
やはりテンパッているのか、いじめっ子は疑問形で俺の言葉に返した。癖なのか、すごい勢いで前髪をいじっている。ハゲるぞ。
「夏希が君にもお世話になってるって聞いてさ」
俺が言った瞬間、いじめっ子から、えっはっ、と変な声が漏れた。
どうやら心当たることがしっかりあるらしく、顔が段々と青ざめていく。
「えと、その、あの、何のことだか……」
「上履きと靴のことだよ」
ざっくりと切り込めば、彼女の顔は青を通り越して白くなっていた。
と、本当ならここで事実を公表して吊るし上げる、というのが夏希の案なんだけども、さすがに保護者がいる前でそれは可哀想な気もする。ヘタすれば二度と学校に出てこれないだろう。
いや、こいつ自身はどうでもいいんだけど、これがきっかけで不登校とかになったら夏希が気にするだろうし。
そう思って、俺は台本を書き換えることにした。
「洗ってくれたんだよね?」
「へ? あ、え?」
「夏希の上履きと靴。わざわざ持って返って、洗ってくれたんでしょ? まだ乾いてないみたいだけど」
「そそそそそそそ、そうです! そうなんです!」
「本当にありがとうね」
話に食いついてきたいじめっ子に再び笑みを見せる。
いじめっ子もそれにつられて、引きつった顔のまま笑みを形作った。
「いやー、綺麗になって返ってくるんだろうな。楽しみだわー」
わざとらしく言うと、笑っていないであろう視線で彼女の瞳を見据えて、念押しする。
「新品みたいに綺麗になって返ってくるんだよね?」
買って返せ、という意味だが、いじめっ子は即座に頷いた。
「もちろんです! 餅が危険牌切って即座にロンですよ!」
「……なに?」
「あ、いえ! 明日! そう、明日には新品みたいに綺麗な上履きと靴を用意できると思います! いえ、必ず用意します!」
一瞬、何言ってるか分からなかったけどもどうやら俺の意図はきちんと汲んでくれたようである。
俺は推移を見守っていた夏希へと向き直ると、
「夏希、良かったな」
今度は作り笑いでは無い、特大の笑顔を向けるのであった。
さっきまであんなに難しいと思っていた笑顔が、簡単に出来てしまった。
***
「夏希、良かったな」
なななななななな!?
なんて顔するのよおにーちゃん!
私は思わず噴き出しそうになる鼻血を必死で堪え――切れず、鼻を摘んで上を向いた。
見ればしーちゃんを含めて教室内にいる多くの人が同じように上を向いていた。
当たり前だ。
おにーちゃんの満面の笑顔。
そんな、核にも劣らないような最終兵器を持ちだされては、我が軍の指揮はそう崩れになっても致し方ないというものである!
ちょっと自分でも何言ってるか分からなかったけど、要するに刺激が強すぎるのだ。
「おにーひゃん、ありがほー」
鼻を摘んだまま情けない声でお礼を言うと、おにーちゃんはくすりと笑っていた。
うわ、鼻血が口まで下がってきた……口の中が鉄臭い……。
まぁしかし、おにーちゃんはすごい。
おにーちゃんに追い詰められている時のいじめっ子の表情。
あれを見ただけでも私の溜飲は下がっていたのだけれど、同時に少しやり過ぎちゃったかな、とも思っていた。
どうしよう、と考えていたところに、私の心を読んでくれたかのようなあのアドリブだ。
おにーちゃんの言葉は、いじめっ子にはお釈迦様が垂らした救いの糸に見えたことだろう。ああやって上手な落とし所を見つけてくれて、本当に感謝してもし足りない。
その上、おにーちゃんが魅力的過ぎるせいでクラス全体から敵視されたらどうしようか、と思った瞬間に、
「夏希。困ったことがあったら、何でも相談しろよ?」
なんてかっこいいことを言ってくれた。
……嬉しすぎて耳が妊娠しそうだった。
きっと双子だ。耳、左右にあるし。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。
授業だ。
全員が着席し、保護者の方やおにーちゃんは教室の後ろで見ててくれることになったけれど、授業になんてならなかったことは言うまでもないだろう。
全員、鼻血が止まらなかったのである。
私達だけじゃなくて保護者の方々も鼻血が止まらずに上を向いていた。
それどころか、授業担当の先生も鼻血が止まらずに上を向き続けていた。
もう、おにーちゃんのせいだからねっ!
あ、終わるとかそういう意味じゃないです。シリアスで上品って言葉を使いたかっただけです。
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