やすなちゃんと、みけにゃん
とん、とん、とん。
おうちのドアをノックする音がきこえます。お客さんが来たようですね。
おうちで一人、お留守番をしていた織田やすなちゃんは、玄関まで行ってドアを開けました。
「はい、どちら様でしょうか?」
すると……やすなちゃんの目の前には、スーツ姿の見知らぬ男の人が立っています。男の人は、いきなりこんなことを言いだしました。
「よう、やすな! 二人で遊びに行こうにゃ!」
ですが、やすなちゃんは首を傾げました。
「すみません……どなたでしょうか?」
やすなちゃんは、そう言いました。目の前に立っている男の人は、とても背が高くて足が長いのです。白いスーツを着て黒いネクタイをしめていて、上着の下には赤いワイシャツも着ているのが見えます。さらに、白くてお洒落なデザインの帽子も被っていました。
そして、目鼻立ちの整った綺麗な顔をしています。まるで、テレビで見るホストみたいなかんじです。
ただ……残念なことに、やすなちゃんは小学三年生でした。まだ十歳になったばかりです。やすなちゃんから見れば、目の前に立っている男の人は、見覚えの無くて怪しいチャラい大人でしかありません。
「だからあ、オレだにゃ! みけにゃんだにゃ!」
男の人は突然、訳のわからないことを言い出します……やすなちゃんは、困ってしまいました。
「みけにゃんは、うちの猫です……あなたは、人間です」
やすなちゃんは、仕方なくそう言いました。
そうなんです。みけにゃんとは、やすなちゃんの飼い猫の名前なのです。でも、目の前の男の人は、とても猫には見えません。
しかし、男の人は――
「にゃはははは! そう言うと思ったにゃ! いいか、やすな……オレはニャンコ神さまに頼んで、今日だけ人間にしてもらったんだにゃ!」
こんな変なことを言う大人の人は初めてです。やすなちゃんは、とても困りました。
「でも、そんなの信じられません」
やすなちゃんが、ごく当たり前のことを言うと、男の人はとても悔しそうな顔をしました。
「ふしゃー! なんで信じないにゃ! じゃあ、これを見るにゃ!」
そう言うと、男の人は帽子を取りました。
すると、どうでしょう。男の人の頭には、三角の耳がついていたのです。猫のような耳が……。
「それだけじゃないにゃ! 尻尾もついてるにゃ!」
言いながら、男の人はやすなちゃんにおしりを向けました。
そして、ズボンを脱ごうとしているではありませんか。
おやおや。
この男の人は、猫耳コスプレ好きな変態さんだったのでしょうか。
変態さんに会ったらどうすればいいか……やすなちゃんはちゃんと知っています。
おまわりさんを呼べばいいのです。
やすなちゃんは、おうちの電話のところまで行き、受話器を持ちました。
「もしもし、おまわりさんですか? うちに変態のおじさんが――」
「にゃ、にゃんとお! ちがうにゃ! オレは変態のおじさんじゃないにゃ! みけにゃんだにゃ!」
男の人はあわてて、やすなちゃんを止めようとしました。
しかし、やすなちゃんは男の人をみあげ、受話器に言いました。
「大変です、おまわりさん……変態のおじさんが、うちの中に入りこんできました――」
「待つにゃ! 誤解だにゃ! だったら、みけにゃんにしかわからないことをオレに質問するにゃ! そしたら、オレは全部こたえてやるにゃよ!」
男の人はそういって、やすなちゃんの前でぴょんぴょん飛びはねました。
やすなちゃんは、じっと男の人をみました。
そして――
「じゃあ、みけにゃんは今いくつですか?」
「五歳だにゃ!」
男の人は、胸をはって言いました。
やすなちゃんは、うなずきます。
「当たりです。みけにゃんはうちに来て五年になりました」
「にゃはははは! これで信じたかにゃ!?」
「まだです。わたしとみけにゃんは、どこで出会いましたか?」
やすなちゃんは尋ねました。みけにゃんとの出会い……それだけは、誰も見ていないはずです。やすなちゃんとみけにゃん、その二人……いえ、一人と一匹しか知らない秘密なのです。だから、もしこの質問に答えられたなら、男の人をみけにゃんと認めてあげてもいいでしょう。
「そんなの簡単にゃ。忘れるはずないにゃ。あれは五年前のことだったにゃ……オレはお菓子の箱に入れられ、公園に捨てられてたにゃ。オレは寂しくて悲しくて怖くて、みーみー鳴いてたにゃ。そこに、やすなが通りかかったにゃ。やすなはオレを拾ってくれて、うちに置いてくれて……やすながいなかったら、オレは死んでたにゃよ。あの時は本当に嬉しかったにゃ……やすなは、オレの命の恩人だにゃ」
男の人は昔を懐かしむように、しみじみとした口調で語っています。
そして……やすなちゃんは驚きました。男の人の言うことは当たっています。みけにゃんは、公園に捨てられていました。お菓子の箱に入れられ、みーみー鳴いていたのです。やすなちゃんはみけにゃんを拾い、家に連れて帰りました。パパとママには叱られましたが、やすなちゃんは一生懸命にお願いして、みけにゃんを飼ってもらえるようになったのです。
それ以来、みけにゃんは家族の一員となりました。
「じゃあ、あなた本当にみけにゃんなの?」
やすなちゃんが恐る恐る尋ねると、みけにゃんは嬉しそうに頷きました。
「そうだにゃ! ニャンコ神さまに頼んで、きょう一日だけ人間にしてもらったにゃよ! さあ、遊びに行くにゃ!」
「え!? ちょっと待ってよ!?」
やすなちゃんは慌てました。いきなり、そんなことを言われても困ります。
しかし、みけにゃんはお構い無しでした。やすなちゃんの手を握り、外に連れ出します。
「待てないにゃ! 今日はいっぱい遊ぶにゃ!」
そう言いながら、みけにゃんはやすなちゃんの手を引っ張って行きました。
やすなちゃんと、みけにゃん……二人は仲良く手を繋いで、外を歩きます。
ところが、不意にみけにゃんが足を止めました。
そして、やすなちゃんに言ったのです。
「やすな……オレの顔を見て、どう思うかにゃ?」
「え?」
やすなちゃんは、きょとんとしました。今のみけにゃんの顔は、繁華街をうろつくホストにしか見えません。
「オレの顔、カッコいいにゃ? ときめかないかにゃ?」
みけにゃんはそう言いながら、やすなちゃんの前でおかしなポーズをしました……ボディービルダーが、筋肉を自慢するようなポーズを。
しかし……やすなちゃんは、首を振りました。
「全然カッコよくない」
そうなんです。やすなちゃんの好みのタイプは、学級委員長の木杉くんです。木杉くんは勉強がよく出来る上品なメガネ男子で、今のみけにゃんとは大分かけ離れています。今のみけにゃんのようなチャラい男は、やすなちゃんは好きではありません。
しかし、やすなちゃんの反応を見たみけにゃんは、いきなり地面にうつ伏せに倒れました。
そして、地面をグーで叩き始めます。
「にゃー! ニャンコ神さまの嘘つき! カッコいいイケメンにしてくれるって言ったにゃ!」
みけにゃんは大声でわめきながら、地面をグーで叩いています。やすなちゃんは恥ずかしくなり、慌てて止めに入りました。
「ちょ、ちょっとみけにゃん! みっともないからやめてよ!」
やすなちゃんがそう言うと、みけにゃんは悔しそうな表情で顔を上げました。
「オレはカッコよくなって、やすなをドキドキさせたかったにゃ! だからイケメンにしてくれるよう、ニャンコ神さまにお願いしたにゃ! なのに、やすなは全然ときめいてくれないにゃ! ぐやじいにゃ!」
みけにゃんはそう言いながら、地面に猫パンチをしています。
やすなちゃんは、さすがに気の毒になりました。
「大丈夫だよ。みけにゃんは充分イケメンだから」
「ほ、本当かにゃ!」
そう言って、嬉しそうに立ち上がるみけにゃん……やすなちゃんは十歳の女の子であるにもかかわらず、つい苦笑いをしてしまいました。
「うん、みけにゃんは凄くイケメンだよ。それより、早く遊びにいこ」
「わかったにゃ!」
とても嬉しそうに、返事をするみけにゃん……その顔を見ていたら、不思議とやすなちゃんまで嬉しい気持ちになったのです。
そして、やすなちゃんは思いました。
人の嬉しい顔を見ると、自分も嬉しくなるんだなあ……と。
やすなちゃんとみけにゃんは、仲良く手を繋いで歩いています。
しかし、大きな鏡の置いてあるお店の前を通りかかった時……みけにゃんは、足を止めました。
そして、まじまじと鏡を見つめます。
「みけにゃん、どうかしたの?」
やすなちゃんが尋ねても、みけにゃんは黙ったまま鏡を見つめています。
そして、いきなり髪の毛をいじくり始めました。
「ちょっと、みけにゃん……何やってんの?」
「わかってないにゃあ、やすなは……オス猫にとって、毛づくろいは重要な儀式だにゃ。何匹のメス猫が、オレの毛並みを見てときめいていたことか……」
そう言うと、みけにゃんは帽子を脱いで地面に置きました。
すると、頭に生えている三角の耳が露になります……やすなちゃんは、驚いてしまいました。
「ちょ、ちょっとみけにゃん!? 何してるの!?」
しかし、みけにゃんは答えません。おもむろにポケットからクシを取り出し、髪の毛をとかし始めました……大変です。このままでは、みけにゃんは変な生き物として、保健所に連れて行かれるかもしれません。それどころか、宇宙人として怪しげな組織の人たちに捕獲されてしまうかもしれません。
「みけにゃん! 帽子を被りなさい!」
やすなちゃんが叱りつけると、みけにゃんはビクリ! として、恐る恐るやすなちゃんの顔を見ます。
やすなちゃんは出来るだけ怖い顔で、みけにゃんを睨みました。やすなちゃんだって、みけにゃんを叱りたくはありません。でも、みけにゃんを酷い目や危険な目に遭わせたくないのです。
「にゃにゃにゃ……わかったにゃ……やすなは、怒ったら怖いにゃよ……」
みけにゃんは怯えた表情で、しぶしぶ帽子をかぶりました。
そして、やすなちゃんと二人で手を繋ぎ、また歩き始めました。
二人で町中を歩いていると、とあるファーストフード店の前を通りかかりました。
すると、みけにゃんが立ち止まったのです。
「やすな……何か食べようにゃ!」
そう言うと、みけにゃんはずかずか店内に入って行きました。
やすなちゃんは、大慌てです。
「ちょっと! みけにゃん! わたし、お金持ってないよ!」
しかし、みけにゃんは自信たっぷりの表情で言いました。
「大丈夫だにゃ! ニャンコ神さまから、お金もらったにゃ! やすな、ここはオレのおごりだにゃ!」
そう言った後、みけにゃんはお店の女の人の方を向きました。
「おい娘! チキンナゲットをいっぱいよこせにゃ! やすな、何でも好きなものを注文しろにゃ!」
「えー……」
やすなちゃんは、ちょっと困ってしまいました。しかし、みけにゃんはお構い無しです。
「おい娘、オレはチキンナゲットが大好きだにゃ! 早くよこせにゃ!」
そう言いながら、みけにゃんはぴょんぴょん飛び跳ねて催促しています。
仕方ないので、やすなちゃんは注意しました。
「みけにゃん! お店の人を困らせちゃ駄目でしょ! おとなしくしなさい!」
結局、みけにゃんはチキンナゲットをいっぱい持って席に着きました。やすなちゃんも、ハンバーガーとコーラを持って席に着きます。
そして、楽しく食べようと思ったら――
みけにゃんは、チキンナゲットをいきなり右手で弾き飛ばしました。
そして、左手でキャッチします。
「にゃ! にゃにゃ!」
そう言いながら、みけにゃんはチキンナゲットを片手で弾いてはキャッチ、片手で弾いてはキャッチをしばらく繰り返しました。
そして最後は、宙に舞ったチキンナゲットを口でキャッチしたのです。
「チキンナゲット、美味しいにゃ!」
チキンナゲットを美味しそうにむしゃむしゃ食べながら、みけにゃんは笑顔で言いました。
やすなちゃんは、思わず苦笑します。猫の姿の時のみけにゃんは、チキンナゲットが大好きでした。でもやすなちゃんは、パパとママに言われていたのです……味の濃いチキンナゲットのような食べ物を、猫に食べさせてはいけないと。
しかし、やすなちゃんがチキンナゲットを食べている時……みけにゃんは物欲しそうな顔で、じっとやすなちゃんを見ています。なので仕方なく、やすなちゃんは一個だけチキンナゲットをあげていました。すると、みけにゃんはそれはそれは美味しそうに食べるのです。
みけにゃんは今までずっと、チキンナゲットをお腹いっぱい食べてみたかったんだろうなあ……やすなちゃんは、そう思いました。
そして、幸せそうなみけにゃんの顔を見たら、やすなちゃんも幸せな気分になってきました。
「ん……やすな、どうしたにゃ?」
ニコニコしているやすなちゃんの顔を見て、みけにゃんは尋ねてきました。
「うん……みけにゃんが凄く嬉しそうだから……みけにゃんが嬉しいと、わたしも嬉しい気持ちになるよ」
やすなちゃんがそう答えると、みけにゃんはさらに嬉しそうな表情になりました。
「にゃはははは! やすなが嬉しいと、オレはもっと嬉しいにゃ! やすなが幸せなら、オレはもっと幸せだにゃ!」
「でも、みけにゃん……食べ物で遊んじゃ駄目だよ」
やすなちゃんがそう言うと、みけにゃんはちょっとだけ悲しそうな表情になります。
「にゃにゃにゃ……オレはこうやって食べるのが好きなのににゃ……でも、やすながそう言うなら仕方ないにゃ……」
言いながら、みけにゃんはまたチキンナゲットを口に入れます。
すると、満面の笑みを浮かべました。
「やっぱり、美味しいにゃ! やすなと食べるチキンナゲットは、格別の味だにゃ!」
お店を出たあと、やすなちゃんとみけにゃんは手を繋いで、仲良く歩いて行きます。
やがて二人は、近所にある真幌公園へと入って行きました。
そして……公園に入っていくと同時に、みけにゃんは目を輝かせます。
「やすな! あそこだにゃ! あそこで、オレとやすなは出会ったにゃ!」
みけにゃんはベンチのそばの植え込みを指さしながら、ぴょんぴょん飛び跳ねています。やすなちゃんも当時を思い出し、懐かしい気持ちに襲われました。「そうだよね……みけにゃんてば、ここでみーみー鳴いてたね……」
やすなちゃんは、とても懐かしくなりました。
「あの時は本当に、寂しくて悲しくて怖かったにゃ。でも、やすながオレを拾ってくれて……オレは凄く嬉しかったにゃ。やすなはオレの命の恩人だにゃ。オレはいつか、やすなに恩返ししよう……ずっと、そう思ってたにゃ」
植え込みを見ながら、しみじみと語るみけにゃん……やすなちゃんは、嬉しくなりました。
「恩返しなんて、いいんだよ。わたしの方こそ、みけにゃんには何度も助けられたし」
「にゃ、にゃんとお! 本当かにゃ!」
みけにゃんは驚いた顔で、やすなちゃんに聞いてきます。
「本当だよ……みけにゃんが居てくれて、わたし幸せだったよ……」
そうなんです。辛い時も悲しい時も、いつもみけにゃんがそばにいてくれました。テストの点が悪かった時も、友だちと喧嘩をした時も、パパやママに叱られた時も、みけにゃんはいつもそばに居て、やすなちゃんを慰めてくれていたのです。みけにゃんがそばに居るだけで、やすなちゃんは元気づけられました。
やすなちゃんは今まで、みけにゃんにたくさんのものをもらっていたのです。
目には見えない、大切なものを……。
「にゃはははは! 嬉しいにゃ! オレはやすなに誉められたにゃ! 嬉しいにゃ!」
みけにゃんは笑顔で叫びながら、ぴょんぴょん飛び跳ねました。挙げ句、木によじ登りましたが――
途中で、背中から落っこちてしまいました……。
「ちょっとみけにゃん! 大丈夫!」
やすなちゃんは、慌てて駆け寄りました。すると、みけにゃんは顔をしかめて起き上がります。
「いててて……爪がないのを忘れてたにゃ……」
やすなちゃんと、みけにゃん……二人は公園で話をしたり遊んだりした後、道路を歩いていました。もう夕方です。そろそろ、おうちに帰る時間でしょう。
すると、後ろから黒い車が走って来ました。
そして、二人の横に停まります。
「織田やすなさま……お迎えに参りました」
車から降りて来た人が、やすなちゃんにそう言いました。黒いスーツを着た、青白い顔色の男の人です。
「え……わたしですか?」
やすなちゃんが尋ねると、男の人は頷きました。
「はい、あなたです。この車でお送りしますので、お乗りください」
男の人はそう言って、車の後ろのドアを開けます。やすなちゃんは、何故か逆らってはいけないような不思議な気持ちになり、そのまま車に乗ろうとしました……。
しかし、誰かが突然、やすなちゃんの腕を掴みました。
みけにゃんです。
「やすな……お前は歩いて帰るにゃ。この車には、オレが乗って行くにゃ」
やすなちゃんにそう言った後、みけにゃんは男の人の方を向きました。
「ニャンコ神さまと、話はついているにゃ……この車に乗るのは、オレだにゃ」
そう言うと、みけにゃんは車に乗り込んでしまいました。
すると……男の人は頷きました。そして運転席に行きます。
「ちょっとみけにゃん! どういうこと!」
やすなちゃんは、慌ててみけにゃんに言いました。しかし、みけにゃんはニコッと笑います。
「やすな……今日は凄く楽しかったにゃ。また、遊ぼうにゃ」
そう言うと同時に、車のドアが閉まります。
そして車は、みけにゃんを乗せたまま走り去って行きました。
「……変なの」
やすなちゃんは呟くと、おうちに帰るために一人で歩き始めました。
ところが、やすなちゃんの目の前が急に明るくなります……どんどん眩しくなり、やすなちゃんは思わず目を閉じました――
「あれ?」
やすなちゃんは、ふと目を開けました。すると、いつの間にかベッドで寝ています。どうやら、今まで眠っていたみたいです。
「何これ……夢オチなの……楽しかったのに……」
やすなちゃんはちょっと嫌な気分でぶつぶつ呟きながら、ベッドから起き上がろうとしました。
すると、腕に管のような物がくっついていることに気づきます。
「何これ……」
やすなちゃんは、何だろうと思いました。しかし、その時になってようやく、ここがおうちでないことに気づいたのです。
壁は真っ白……ベッドの横には、見たこともない機械が置かれています。さらに、お医者さんや看護婦さんたちが立ったまま、驚いた表情でやすなちゃんを見ています。
そして、ママが泣きながら抱きついてきました。
やすなちゃんがいたのは病院でした。ママの話によると、やすなちゃんは学校の階段で足を踏み外して頭を打ち……三日間、昏睡状態だったのです。お医者さんは、いつ死んでもおかしくない状態だと言っていたそうです。
ところが、やすなちゃんは……奇跡的に意識を回復しました。
何それ……ぜんぜん覚えてないよ……。
この時のやすなちゃんは、何も知りませんでした。
おうちで、みけにゃんが一人さびしく天国へと旅立っていたことを……。
みけにゃんの顔は、それはそれは安らかなものでした。
そして、満足げでもありました。まるで、とても大切な仕事を成し遂げたような……そんな表情をしていたのです。
・・・
それから、二十年が経ちました。
やすなは三十歳になり、都内で一人暮らしをしていました。しかし……。
やすなは、あらゆることに疲れ果てていました。上司とは不倫の関係でしたし、若い後輩たちからはお局さま扱いされ、しかも仕事は連日のサービス残業……やすなの心は、悲鳴を上げていたのです。
そして……やすなは、全てをリセットすることにしました。
会社を辞め、上司との関係を清算し、アパートを引き払い、身も心もボロボロの状態で実家に戻って来たのです。
その日……久しぶりに、やすなは真幌公園を訪れました。
やすなにとって、この公園は特別な場所です。子供の時に一番の親友だった、猫のみけにゃんとの出会い……やすなは二十年経った今でも、病院のベッドで見たものが夢や幻でないと信じていました。みけにゃんが自分の身代わりとなってくれたのだ、と。
だからこそ、これを機にもう一度、公園を訪れてみたかったのです。傷ついた心を、みけにゃんとの思い出が癒してくれるのではないかと……。
公園に入ると、やすなはみけにゃんと出会った場所へと向かいました。
ところが……。
ベンチには、一人の青年が座っていたのです。青年は何かを食べながら、物珍しそうに公園内を見渡していました。
青年の顔には、見覚えがあります。
二十年前に会った、みけにゃんの変身した姿……その青年は、みけにゃんと瓜二つだったのでした。
「みけ……にゃん?」
やすなは、思わず声を出してました。すると、その声に反応し、青年はやすなの方を向いたのです。
そして……青年もまた、やすなの顔を見た途端に動きが止まりました。
その拍子に、青年は食べていた物を落としました。そして、ベンチの上に転がります。
よく見ると、それはチキンナゲットでした。
青年は驚愕の表情で、こちらを見つめています。やすなは、落ちたチキンナゲットを指差しました。
「落ちたよ」
やすなが言うと、青年は慌てふためきました。
「え……え!? あ、はい! すみません!」
チャラい雰囲気とはかけ離れた反応……やすなは苦笑し、ティッシュを取り出しました。
そしてベンチに行き、チキンナゲットをくるんでポケットに入れます。
「うちの猫にあげるね。うちの猫、チキンナゲット好きだったから」
そのやすなの言葉を聞いたとたん、青年の顔がパッと輝きました。
「え!? ね、猫飼ってるんですか! オレ、猫が大好きなんですよ! どんな猫ですか? 見てみたいなあ――」
「もう、死んじゃったよ……お墓に供えてあげようと思ったんだけど」
「え……そうでしたか……す、すみません……」
青年の表情は、みるみるうちに変わっていきます。
「それにさ、猫見てみたいって言ったよね……遠回しにうちに来たいって言ってない? ひょっとしてナンパしてるの?」
やすなが、ちょっと意地悪に言いました。すると、青年はまた慌てます。
「えええ!? ち、違いますよ! オレは生まれてから、ナンパなんかしたことなんかないんですから! でも……どこかで会ったことないですか? 初めて会った気がしないんですけど……」
青年は耳まで真っ赤にしながら、必死の様子で聞いてきます。見た目はチャラいですが、人の良さや素直さが感じとれました。きっと、根は純朴な青年なのでしょう。
やすなは微笑みながら、ベンチに座りました。
「うん、どこかで会ってるかもしれないね……よくあるタイプの顔だし」
そう言いながら、空を見上げます……空には、いつの間にかお月さまが出ていました。まんまるなお月さまは、どことなくみけにゃんの顔に似てます。
ひょっとしたら、この青年は……みけにゃんの生まれ変わりなのかもしれない、とやすなは思いました。
仮にそうでなかったとしても……みけにゃんとの思い出が、青年と引き合わせてくれたことに変わりはありません。
みけにゃん……いっぱい、いっぱい、ありがとう……。
やすなは、そっと呟きました。