【68】黄昏に染まる二人
まもなく、夕刻に差し掛かる頃。
ビクトルは、ドラゴン迷宮からの坂道をゆっくりと下っていた。
今日は刑務所での奉仕期間を終えて、出所の日。
迷宮管理人のニコラスじいさまに、せめてものお詫びと思って、手土産を持参したのだが……。
「(木の陰に隠れたまま、『それ以上近づくんじゃない』とはねえ……)」
迷惑を掛けてしまったのは間違いない。
だが、そこまで怒っているとは予想外だった。
仕方なく、遠くからわびを入れ、手土産をそっと地面に置いて引き返してきた、というわけだ。
「『洞窟を立派にしてくれたのは礼を言う。だが、二度と来るんじゃ無いぞ』」
そんな声が聞こえて振り返ると、草むらに置いたはずの手土産と、ニコラスじいさまの姿はあとかたも無く消えていた。
「(まったく、不思議なじいさまだぜ……)」
手土産を受け取ってくれたのだけが、せめてもの救いだろう。
緩やかに続く土道を下りながら、木々の生い茂る道へと入っていった時だった。
「どこへ行く気だ、ビクトル?」
聞き覚えのある声に、ビクトルは立ち止まった。
道の向こうに立つ人影は────サラだった。
「よお、サラ。久しぶりだな」
「てっきり、あそこに戻ったものだと思ったが……」
首を傾げてみせるサラに、ビクトルは「フフッ」と笑いながらゆっくりと近づいた。
「3年間の領地追放処分なんだ。俺は今すぐにも、ここから出て行かなくちゃならないのさ。出所日の今日から、3日の猶予は貰ってるがな」
「そうなのか……」
少し驚いた様子のサラの目の前で、ビクトルは立ち止まった。
「髪、伸びたな」
サラの後ろ髪をそっと指先で撫でつけて、眉にかかる前髪を掻き上げる。
嫌な顔をする様子もなく、サラは小さく微笑んだ。
「……よく、気づいたな」
「一度見た顔は忘れない。服の傾向や仕草もだ。だから、ちょっとした変化を見抜くのは、得意なんだぜ?」
ビクトルの言葉に、サラはニヤッと微笑んだ。
「色男気取りか? 似合わないぞ」
コツンとビクトルの胸を拳で小突くと、なぜか二人、顔を見合わせて笑い合う。
「ビクトルは……まだつるつるのままか? ヒゲも、髪も」
サラがそっと指先を伸ばして、ビクトルの顎から頬を撫で付ける。
ビクトルはサラの好きにさせながら、肩をすくめて小さく首を振った。
「ロンさんの『狂化毒』の副作用だとさ。しばらくすれば治る、って言ってたけどな……」
「そうなのか? わたしも……それにアスタも、何も変わってなかったというのに」
「うーん、俺がロンさんから聞いた話だが……。なんでも、呪蠱ってやつは人の霊魂を食って力に変えてるらしい。んで、人が霊魂を食われると、身体にも影響が現れるんだとさ。で、俺は霊魂を食われてこうなったわけだが……サラの場合は、原種アッグルは呪蠱の毒に耐性があるとか言ってたっけな。それに長期寄生タイプだから、そこにあるものを食いつくすんじゃなくて、新たに入ってきたものを食いつくすとか。だから5年の間、見た目が一切、変わらなかったんじゃないか、ってさ」
「ほう……」
真剣な面持ちだったサラは、納得気な表情を浮かべると、そっと指先を引っ込めた。
「アスタだが、アイツはおかしいんだ。アイツは他人の憎悪を炙り出し、ヘイトブレイカーで吸い上げてるだろ? その吸い上げた憎悪の一部を、呪蠱に食わせてるんだと。だからアスタ自身には影響がなく、普通に髪も伸びるし成長するとかで。だからロンさんにとっちゃいいおもちゃなんだとかどうとか、まあなんか、そんなこと言ってたぜ」
小さく「うんうん」と頷くサラに、ビクトルは、つるつるの頭を撫で回しながら、にっこり微笑んでみせた。
「ロンとはよく話を?」
「ああ。どういうつもりだか知らないが、何度もムショに訪ねてきてね。『インテリアコーディネーターとして私の研究室に来る気はないかね?』ってしつこいんだ」
「仕事の斡旋か? いいじゃないか」
「バカいえ。こっちはムショ務めのあと、追放処分の決まってる身だ。3年もあの理事長の目をかすめて暮らすなんて、無理に決まってるだろ?」
「ああ……」
サラは「なるほど」と言いたげな表情で頷いた。
自身も監視されていた身だけによく分かる、といったところだろう。
「ロンなら『大丈夫さ! この私が保証しよう!』と言いそうだが」
「言ってたよ」
そう言うと、二人して苦笑する。
「まあ、なんだ。ああ言ってもらえるのはありがたいが、アスタと同様にこき使われるのが目に見えてるからな」
「ああ、そうだろう。違いない」
「くっくっくっ」と笑いを堪え切れないまま、頷くサラ。
その表情に、「心の底から笑えるようになったんだな」とビクトルは安堵の気持ちを覚えていた。
「……サラは今まで、どうしてた?」
「わたしか? わたしは一度、ロンフォードに駆り出された以外は、プルデンシアのところで、世話になっていた」
「へえ、またロンさんと?」
「ああ。その話は、いつか聞かせよう」
「そうだな。是非とも、聞いておきたいぜ。ムショじゃ、外界の出来事はさほど耳に入ってこなかったからな」
ニヤリと微笑み返すビクトルに、サラは何事か考えるようにして、ゆっくりと辺りに視線を巡らせた。
そして一息つくと、そっと真面目な目つきになって、ビクトルを見据えてくる。
「……わたしの話を、聞いてくれるか?」
ジッと見つめるその瞳が、小さく揺らいでいる。
ビクトルは小さく「もちろん」とだけ答えた。
サラは頷いて目を伏せると、ポツリポツリと話し始めた。
「わたしの記憶は、やはり本物だった。……決して、呪蠱に操られた妄想などではなかったのだ」
サラの記憶を元に、プルデンシアとマルガリータが、過去の記録を調べたのだそうだ。
供述は、5年前の『ルダードの槍』壊滅にすべて当てはまったという。
当時、『ルダードの槍』はリムテア三国からもテロリスト認定され、それを受けて王立連邦中央議会でも掃討命令が承認されていた。
それはあくまで表向きで、内情は、『ルダードの槍』を組織したリムテア三国の手にも余る暴走をしていたことが原因らしい。
「彼らの暴走は常軌を逸し、リムテア三国に対してもあの人型飛行決戦兵器の矛先を向けようとしていたのだそうだ。リムテアもそれ以上の戦闘集団を抱えておらず、慌てふためいたのだとか」
「なるほど。それでリムテアが連邦王国に泣きついてきた、ってわけか」
「そうだ」
事を荒立てたくない連邦王国は、密かに『ルダードの槍』殲滅をサラの父を長とする戦士団に依頼。
しかし『ルダードの槍』に機先を制されて、準備の整う前にサラの村を壊滅させたという経緯らしい。
「ってことは、サラには、『ルダードの槍』殲滅の権限が与えられてたってことか?」
「そうだ。だから、彼らの村を焼き払い、すべての村人を皆殺しにしたのも、権限の範囲にあると……」
彼らの拠点だったリムテアの村は、女も子供も老人も、呪術師であったり戦士であったり、決戦兵器のパイロット候補だったりしたそうだ。
つまり、すべてが連邦王国の敵。
「だから、わたしは連邦王国の危機を未然に防いだ戦士だと、プルデンシアが……」
「ああ、そうなのか。すごいじゃないか」
ビクトルの言葉に、サラは悲しげに首を横に振った。
「そんな気は毛頭ない……わたしは激情に駆られ、私怨を果たすに燃えただけだ……。あなたがダッカドとデクスターを許したように、生かしておくべき生命もあっただろう」
「……まあ、そうかもな」
「本当に……己の未熟さを、思い知らされるばかり……」
サラは悲痛な表情で俯いている。
まだまだ、心の傷は癒えないのだろう。
この先、癒えることも無いのかもしれない。
「他に、何か気になってるのか?」
驚いたように、サラが顔を上げる。
「どうしてわかる?」
「顔に書いてある」
「バカを言うな……」
困ったように眉根を寄せながらも、サラは言葉を続けた。
「漁師の村の話だ」
「……それは、記録に残っていたのか?」
「いや、それが……記録では、災害で壊滅したとされている。たしかにあの日は、朝から嵐だった。わたしが去ったあと、村は大波に飲まれ、村人の7割が飲み込まれたと……」
「なるほど。つまり、お前が殺人を犯した証拠は記録には残っていないってことか」
「そういうことになる、とプルデンシアは言っていた。ただ……」
サラは俯いて、肩を落としている。
「だからと言って、罪ではないと言えるのか……?」
悲しげな瞳で問いかける。
ビクトルは、そっとサラの肩を抱き寄せた。
小柄な身体の、細くてしなやかなその背中を優しく撫でつける。
「わたしは死ぬつもりで、村の近くの断崖から飛び降りたのだ。だが、呪蠱のせいで死ねないばかりか、助けられた。あの男に……。そしてあの男の優しさに触れて、それに甘えてしまったのだ……。愛情を注がれる悦びに、わたしの中の女の欲情が……弱き自分の心を振り切って、すぐにでも村を離れていれば……」
「心の傷は誰にだってある。サラ、お前が立派な戦士ならば、それを受け入れて生きていくんだ」
サラはビクトルの胸の中で、首を横に振った。
「無理だ……思い出すたび、怖くなる……」
「怖くなったら俺を呼べ。どこにいてもすぐに駆けつける」
眉をしかめた涙目のサラが、ビクトルを見上げる。
「そんなこと、軽々しく約束していいのか?」
「重大な決意だ。安心しろ」
二人、真っ直ぐに見つめ合う。
木々の合間から、陽光が差し込んで、二人を赤く染め上げている。
「サラ、俺と一緒に来い。片田舎のしけた町だが、いいところだぜ」
「いいのか? 本当に?」
「ああ、もちろんだ」
「……言っておくが、わたしは面倒くさい女だぞ」
「そうだろうな。よく分かってるつもりだ」
ビクトルの言葉に、サラは小さく鼻をすすって、キリッと真面目な表情をしてみせた。
「浮気は絶対するな」
「ふーむ、善処したいが……男ってやつは、ついついうら若き乙女に目移りするものだ」
「わたしを怒らせる覚悟あるなら、それもいいだろう。まず間違いなく、わたしのバトルナイフが再び、その胸を貫くことになるだろうが」
「想像するだけで怖すぎて、縮み上がりそうだ! この胸の傷に賭けて、忘れないと誓おう!」
胸を張るビクトルに、サラは「ふふっ」と笑った。
「朝は早く起き、夜更かしはするな」
「善処しよう」
「タバコや酒は酒宴の時だけにしろ」
「それも、善処しよう」
「料理は作る。不味ければ文句を言ってもいいが、残さず全部食べろ」
「それは、俺のかーちゃんの助けが必要そうだな」
「掃除と洗濯は嫌いだ」
「ああ、俺もズボラだ。ちょうどいいな」
「それではダメだ。汚い部屋には住みたくないし、汚れたものに囲まれて過ごしたくない。あなたがしっかり担当するんだ。その代わり、手伝えというなら手伝おう」
「なるほど、そういうことか。了解だ」
「家に戻らぬ時、長期に空ける時は必ず、帰宅日時を事前に報告しろ」
「まあ、当然だな」
「財布の紐はわたしにすべて委ねろ。一銭たりとも逃さずに」
「女はあれこれと無駄な物を買いたがるからなあ……。そうじゃないなら任せよう」
「それについては多少は見逃す度量を持て」
「ふむ……」
「心配するな。日頃の倹約には努める」
「それなら、いいだろう」
「子の教育には口出しするな。すべてわたしに任せろ。気になることがあれば、必ずわたしのいる場で言え。わたしのいない時に、子に勝手なことを吹き込むな」
「ああ、いいだろう……てか、気が早すぎないか?」
「それから……」
「まだあるのか?」
「言ったろう? わたしは面倒くさい女だ、と」
ニヤリと、サラが笑みを浮かべる。
それはどこか嬉しげで、楽しそうだった。
ビクトルは片眉をあげて微笑み返すと、小さく「うんうん」と頷いた。
「早急に『サラ攻略書』を作成する必要がありそうだ」
「バカを言え……」
微笑みかけたサラの口を塞ぐようにして、ビクトルは唇を重ねた。
ゆっくりと、舌先でお互いを確かめるだけの、優しいキスだ。
しばらくのあと、そっと唇を離す。
サラが小さく吐息を漏らし、閉じた目を薄らと開いた。
そして、潤んだ瞳でビクトルを見つめた。
「わたしは愛が欲しいのだ……毎日、わたしを愛してると言え」
「約束しよう」
再び唇を重ねようとするビクトルを押し留めるようにして、サラはその唇にそっと指先を当てた。
「────あなたがわたしを愛するなら、わたしはあなたに尽くそう。戦士の、誇りに賭けて」
目を閉じたサラの唇を、ビクトルが吸い付くようにして唇を重ねる。
互いをキツく抱きしめ合い、求め合うように激しく舌を絡め、唾液を貪っていく。
二人を夕陽が真っ赤に染め上げる。
今夜はきっと、熱い夜になる。
そして気怠い夜明けとともに、柔らかな朝陽が優しく、二人の道を照らすだろう────。
<エピローグ 黄昏に染まる二人 終>
<『飛んで火に入るドラゴン迷宮管理人』 完結>
これにて『飛んで火に入るドラゴン迷宮管理人』は完結です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
評価ならびにご意見ご感想などありましたら、是非よろしくお願いいたします。
シリーズ次回作にも、どうぞご期待くだされば!