【52】サラの過去
サラは、アッグルの戦士の村に生まれ、戦士として育ったという。
しかしある時、不意打ちを打たれ、村が襲撃されたのだと。
村は焼かれ、男は老人も子供も皆、殺された。
サラは他の女たちと共に捕らえられ、敵の男たちに思うがままに陵辱され尽くしたと。
「敗北すれば陵辱される……それは戦士の宿命だ。だからそのことは、仕方が無いのだ……」
陵辱の果てに待つものは、死。
男たちに思うがままに陵辱されながら、ただひたすらに、死を望んでいたと。
しかし、なぜかサラは、そんな恥辱の日々を生き抜いてしまった。
部族の中でたった一人、サラだけが生き残ったのだ。
死体同然、虫の息だったサラの前に、一人の老いた男が現れた。
────呪術師。
男はそうとだけ名乗った。
そして男は言った。
サラの肉体には、生への渇望が残されていると。
それはおそらく────激しい怒りと復讐の念から来ているものだと。
「『生きながらえた戦士ならば、復讐を誓うは当然のこと』……。呪術師はわたしに、そう囁きかけた」
復讐したいのなら力を貸そう、とも呪術師は言った。
そしてサラはそれを望み、呪術師から、呪蠱とバトルナイフを与えてもらったのだと……。
それが、あの鋭い牙を持つオタマジャクシのような生き物だ。
呪蠱にとってのサラは、栄養を与えてくれる母のような宿主。
そしてサラにとっての呪蠱は、比類なき力をもたらす守護者。
呪蠱の力でサラは回復し、それまで以上に、戦士としての才を強烈に発揮することができるようになったのだ。
しかも、呪蠱のもたらす闇力が、霊鉱石製のバトルナイフに纏わり付いて、全てのモノを切り裂いた。
悪魔をも切り裂く力を、サラは手に入れたのだ。
────こうして、復讐が始まった。
男たちの生まれ故郷の村へと出向き、子供から老人まで、すべての村人を殺した。
血縁だからという理由だけで、何人もの罪なき人を……。
だが、残しておけば、サラと同じ境遇に立たされる。
新たな復讐の鬼を残すだけだ。
「わたしは心を鬼に変え、息の根が止まるまで、確実に死を与えた。あの男たちに関わる、すべての人に」
そしてサラに屈辱を与えた屈強な男たちを、呪蠱のもたらす闇力で追い詰めた。
どこまで逃れようとも野犬の如く執念深く探り出し、恐怖を与え、許しを請わせた。
哀願にむせぶ男を八つ裂きにし、すべての敵と敵に味方する者に死を与えた。
何人殺したか、覚えていない。
そうして、復讐を果たしたのだ────。
復讐を果たすと、サラは生きる目的を見失った。
それに成長した呪蠱は、女の日に合わせて生まれ落ちてくる。
放っておけば、人を襲い、人に取りつき、自分のようなモノを生み出してしまう。
そうなれば、人の世は乱れに乱れるだろう。
だから生まれ落ちると同時に、即座に殺さねばならない。
あれを生み落としてしまう自分も、このまま生きていてはいけない。
自分はもう、人ではないモノになっているのだ────。
「わたしの身体は穢れきっている。復讐のために、罪なき人を何人も殺した。この呪いのせいで、殺す気も無かった人を巻き込んでしまった。わたしはもはや、人間じゃない。鬼だ、悪魔だ────」
だから復讐を果たした今、一刻も早く、この世を去るべきだ。
死を決意したサラだが────呪蠱はそれを許さなかった。
自らに刃を突き立てても、一晩眠れば、不思議と回復する。
毒を食らおうとも、ちょっとやそっとの毒では死にやしない。
ならば餓死を、と思っても、気づけば獣を殺して生肉を屠っていた。
極限状態に陥ると、呪蠱がサラの意識までをも支配し、勝手にそうした行動をとらせるのだと。
死を求めて彷徨った日々の中で、もうひとつ、サラを苦しめたモノがあった。
己の中で燻る────欲情だ。
激しい復讐の念に駆られていた時はなんとも無かったものが、なぜか時折、強烈に目覚めるようになったのだ。
あれほどまでに陵辱され、嫌というほどの屈辱を味わったというのに……。
それは、岩を身体に括りつけ、断崖絶壁から海に飛び込んだ時だった。
サラは近くに住む漁師に助けられた。
サラを助けた漁師は若くて優しい目つきの男だった。
心を閉ざし、物言わぬサラを、自分の家に招き入れ、ただひたすらに看護してくれたという。
何事もなく平穏な時間が流れた、小さな漁師の村での日々。
「あれは……あの若い漁師は、わたしのことを愛していた。わたしもそれを……受け入れたいと願った。あんな気持ちは初めてだった……なのに、受け入れたその時に……」
サラの中から呪蠱が男に襲い掛かったのだ。
「『信じていたのに……! やはりお前は、悪魔だ!!』」
そう言い捨てた男の顔が忘れられないと、サラは涙を流した。
気づけば、男の肉を屠っていたと……。
────やはり、人の間では生きていけない。
嵐に見舞われた村を飛び出し、人目を避けて、北へ北へと向かった。
その道中、何度も突き上げてくる欲情に己を慰めた。
もしも若い男を見ようものなら、気がおかしくなりそうだった。
過ちを繰り返すわけにはいかない。
かくなる上は、火山に身を投じようと、山中に足を踏み入れた。
だが、マグマ溜まりを目前にして、またしても呪蠱に操られ、気づけば洞窟の中で獣を屠っていた。
絶望の中、雪の降りしきる山中を、北へ北へとただただ彷徨った。
未開の地に赴けば、それこそ獣として生きることになるだろう。
ひとりきりの寂しさがこみ上げて、獣のような声を上げた。
そうして雪深い山間を歩くうち、サラはとある集落に辿り着いた。
老人ばかりの、今にも枯れ果ててしまいそうな集落だった。
人の集落に近づいてはならない……そう思いつつも、なぜか、引き寄せられるようにサラはその集落に足を踏み入れていた。
集落の真ん中で呆然と立ちすくむサラの前に、一人暮らしの老婆が進み出た。
そして────『ここは、呪術師の村だ』、と言った。
村人たちに事情を語ったサラは、その一人暮らしの老婆の家で、住まうことを許された。
寒さの支配する老人ばかりの集落ということもあってか、サラの欲情は不思議となりを潜めていた。
老婆が言うには「呪蠱は心を弄ぶのだ」と。
宿主の激情に反応し、それに火をつける。
宿主が目の前の獲物を屠れば、自分たちも生きながらえ、さらに子孫を増やす機会ともなるからだ、と。
そして老婆は言った。
「『狂化モンスターの持つ毒ならば、あるいは呪蠱も殺せよう────』」
その呪術師の村から南西に下った山脈の入り口に、聖騎士養成都市マルカグラードはある。
そこならば、狂化モンスターに出会える確率も高くなるだろうと、老婆は言った。
サラの心に、活力が漲った。
────狂化モンスターを見つけ出し倒す。
その強い思いが戦士の心を呼び起こし、再び、剣を取らせたのだ。
「そして、ここに来たのか?」
「ああ、そうだ。わたしはすべてを終わらせるために、ここへ来た。そう、待ち望んだ死がここにあると信じて────」
────死ぬために来た。
サラの言葉が、ビクトルの心を痛烈に苛ませた。
ビクトルは……そんなことのために、サラを手助けしたわけではない。
「わたしはこの地でロンたちと出会い、『狂化飛竜の脳髄液』を手に入れた……ようやく死ねる、と思ったが……」
「どうして死ぬ必要がある? サラほどの戦士が……」
「どうして、だと?」
サラがキッと睨みつけるようにして視線を向けてくる。
「言ったはずだ。わたしはもはや、人ではない。人の間で、生きていけないモノなのだ」
「だが、俺とはこうして話をしている。ロンさんやアスタに手助けをしてもらい、プルデンシアたちと一緒にここへ来たじゃないか」
「それは呪蠱が抑えられているからだ!!」
ザバリ、と湯を跳ね上げてサラが立ち上がる。
「見ろ! わたしの身体を!」
サラはその裸体をビクトルに見せつけるようにして振り向いた。
「この身体は、呪蠱のもたらす副作用で、あの時から一片も変わることが無い! 陵辱しつくされたあの日々から、一片も変わっていないのだ! この髪も、あの時のまま、伸びることすら無い!……穢れに穢れ、恥辱の日々が刻み込まれたままの、呪われた身体だ!」
言い放つサラの目が、ギラギラと妖しく輝いている。
憎しみの炎を燃やし、殺意に溢れていた。
「そして今、罪なき狂化竜の生き血を求めている────」
細い肩を上下に揺らし、荒い息を吐き出している。
「もう嫌なんだ、こんな思いを抱えたままでは……これ以上、罪を重ねたくない……わたしは……わたしは、なんとしても、死なねばならない。わたしが奪った罪なき生命の、贖罪のために……」
抱きしめるようにして、両腕を回し、グッと歯を食いしばる。
閉じた目からは、再び、涙が溢れ出していた。
そこに、いつもの堂々たる気高き誇りは微塵もなかった。
ビクトルは黙って、サラを見つめた。
儚げな少女の面影を漂わせ、涙にむせぶサラの姿を────。
<第三章 ドラゴン迷宮管理人の破滅 終>
ついに明らかになった、サラの本当の目的。果たして、ビクトルはどんな決断を下すのか……?
次回より、最終章に突入します!