【50】サラの行方
「ふう〜。俺もすっかり、腹が減ってきたぜ」
キッチンの調理台に、オイラーフィッシュ4匹をドサリと投げ出すと、ビクトルは思わず溜め息をついた。
今は昼すぎ。
朝から迷宮攻略に出ていたのだから、腹が減っていてもおかしくないだろう。
部屋の攻略時間よりも、第五の部屋の攻略準備に、ゴーレムの砂や土を集めている時間の方が長かった気がする。
ロンフォードの暴走があったとはいえ、油ガマガエルも瞬殺だった。
あれも、プルデンシアがアイスストームを使った時のように、ロンフォードの魔法能力が高かったがゆえの好結果だろう。
イフリートはイフリートで、ハインツたちの手腕によるところが大きい。
多くのパーティは、例え攻略法がわかっていても、イフリートの業火の前になかなか攻撃チャンスに踏み込めなかったりするものだ。
だが、ハインツはもちろん、ダッカドとデクスターも怯むこと無く攻撃チャンスを確実にモノにしていた。
「途中で、冷気スライムコアを投げつける必要性も出てくるもんだがなぁ」
あの三人の勇猛さと戦闘能力の高さには恐れ入る、といったところだ。
彼らがもっとヘボければ、一人でイフリートを相手にしていたアスタに、何か悪い事故が起こっていても不思議は無かったはずだ。
あれなら、普段よりも手強そうな狂化ドラゴンでもなんとかなるかもしれない。
本当にそう感じる。
あとはサラが元の調子に戻ってくれさえすれば、盤石だろう。
「……そういえば、サラが寝てるんだっけか」
ふと思い出して、ひょいと、ベッドの方を覗きこんでみる。
安息処はシーンとして静まり返っていた。
「(熟睡してるのか……?)」
それなら起こさないようにと、足音を忍ばせて、ゆっくりとベッドに近づいてみると……サラの姿が無い。
掛け布団がめくれ上がり、布団の中は空っぽだ。
「トイレにでも行ってんのかな?」
戻ってきた時に、そんな気配はしなかったが、気が付かなかっただけかもしれない。
「……オイラーフィッシュでもさばいてるか」
トイレなら、しばらくすれば戻ってくるだろう。
少し眠って、体調も戻ったのかもしれない。
変に気にしすぎて、笑われるのも気恥ずかしい。
キッチンに戻ると薄汚れたガントレットをはずし、包丁を手に、早速、オイラーフィッシュをさばき始めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おかしいな……」
オイラーフィッシュをさばき、塩をまぶして皿に寝かせ終わったところで、ビクトルはふと思い出したように呟いた。
まだ、サラが戻ってこないのだ。
もう20分は過ぎただろう。
さすがに、トイレにしては長すぎる。
まさか、迷宮のどこかに一人で出かけたとか……?
しかし、『銀』のカードはプルデンシアたちが、『鋼鉄』のカードはビクトルが持っている。
その他の『迷宮管理人のカード束』はロンフォードに渡したままだ。
転送装置を使ってどこかに行った、という可能性はゼロだろう。
「……トイレか風呂か、もしくは風呂の通気口から外に出たか」
それしか考えられなかった。
手早く手を洗い、腰に巻いたエプロンをはずしてキッチンテーブルに放り投げると、慌てたように廊下へと向かう。
洗面所からトイレの中を覗き込む。
サラの姿は無かった。
「(まさか……)」
嫌な予感が脳裏をよぎり、心臓の鼓動が早くなる。
もし仮に、サラが何らかの事情で逃げ出したとしたなら、ビクトルがここにとどまって手助けをする理由が希薄になる。
ハインツたちの信頼を裏切るのは忍びないが、今は一人っきりだ。
逃げるチャンスでもある。
そんなことを考えつつ、ソロリ、と風呂のドアノブに手を掛けた。
ゆっくりと音を立てないようにドアノブを回す。
鍵は掛かっていない。
となると、中に人がいない……サラがいない可能性が高い。
ゆーくっりとドアを開けていく……と。
「(サラの革鎧だ……!)」
脱衣室の床に、無造作に脱ぎ捨てられている。
ニーソックスや下着も散乱している。
そして、風呂場に続く戸が薄く開いていた。
ビクトルの頬に冷や汗が伝い落ち、全身にゾクリと鳥肌が立った。
まさか、全裸で逃げたしたとは考えにくい。
間違いなく、風呂に入っているのだろう。
だがそれにしては、脱衣所の状況が……。
どこか、慌ただしく風呂場に駆け込んだ後のようにも見える。
体調は大丈夫なのか? 風呂場で倒れたりしてやしないか?
それが気がかりだ。
かといって、このまま踏み込んでも……。
「(体調に問題がなければ、ただのスケベ変態出歯亀ハゲ野郎だ……!)」
散々、本科生女子たちのハダカを拝んでおいて、その言い草もないだろう。
サラなら許してくれそうだが、そこへロンフォードたちが帰ってこようものなら……!!
「(どどどど、どうする!?)」
思わずドキマギして、心臓の鼓動が気持ち悪いぐらいに高鳴っている。
せめて声でも掛けようかと考えた、その時……。
「……おぅぷっ……うぐへっ……」
サラだ。
嘔吐するような呻き声を漏らしている。
やはりまだ、気分が悪いようだ。
大丈夫なのかと、ビクトルの胸に不安がこみ上げてくる。
ゴクリと生唾を飲み込むと、ビクトルは、思い切ってサラに呼びかけてみた。
「サラ? サラ、大丈夫か?」
……返答は無い。
ジッと耳を澄ませていると、再び、嘔吐の声が聞こえてきた。
続いて、「ハアハア」と苦しげに喘ぐ声も聞こえてくる。
「だ、大丈夫じゃ無さそうだぞ、サラ! 入ってもいいか!?」
返答を待つでもなく、ビクトルはバタバタと足音を立てて脱衣所に上がり込んだ。
そして、ガララッと音を立てて、風呂場の戸を開く。
モワッとする湯けむりに、ツンと鼻を突く酸っぱい臭いが漂っていた。
風呂場の片隅で、へたり込むようにしてうずくまるサラの背中が見える。
全裸だ。
こちらに向けた、丸くて白いお尻がかすかに震えている。
うずくまったまま、振り向こうともしない。
手にはなぜか……バトルナイフを握りしめていた。
時折、小さく、嗚咽が聞こえる。
「サラ……? 気分が悪いのか?」
ピタリ、ピタリと水を跳ねて、ゆっくりと近づいていく。
「……来るな……」
サラが小さく呟いたかと思うと、いきなり、大声をあげた。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛っ!! あぐっあ゛!!」
まるで喉を締めあげられたかのような声に、ビクトルはビクリとなって立ち止まる。
「ぐあ゛あ゛あ゛っ!! あっ! あっ!! あ゛ぁぁっ!」
サラは自分の身体を抱きしめるようにして両腕を回し、二度三度、ビクンビクンと腰を跳ね上げた。
そして────!
ビシャアアッ!!
いきなり、サラの股の間から、大量の血が噴き出した!!
「ビチャリ!」と音を立てて、何かが床の上に滑り落ちてくる!
「なんだこれ……!」
鼻を突く異臭と、サラの中から飛び出してきた不気味な生き物!
ビクトルは絶句するしか無かった。
平べったい甲羅から突き出た12本の節足。
目のない頭には、凶悪な形の大顎。
尻のあたりからは、何本もの細い触手が伸びている。
だが、不気味なそれは……ピクリとも動かない。
死んでいるのか……?
サラの股間からは、ブジュルブジュルと気味の悪い音がして、次から次へと血が溢れ出ている。
溢れ出た大量の血はすぐに血溜まりとなって、ジワジワと風呂の石畳の上に広がっていく。
その血溜まりの中で、黒いオタマジャクシのようなモノが、ビチビチと飛び跳ねていた。
よく見ると、そのオタマジャクシには、鋭い牙が何本も突き出ている。
────それは確かに……間違いなく、サラの中から出てきたモノだ。
「……なんてことだ……」
呆然として呟くビクトルは、全身が小刻みに震えていた。
サラが、フラフラしながら立ち上がる。
うなだれたまま、ゆっくりと振り向く。
そしてついと、視線を上げた。
目を真っ赤に染めて、頬には涙が伝い落ちていた。
程よい大きさに膨らんだ形の良い白い乳房に、綺麗な淡い色の乳首。
細い腰からなだらかに膨らんで、ムダな贅肉のない引き締まった下半身。
薄い茂みの股間からは血が滴り落ち、白い太ももを赤く染めていた。
艶かしい……。
おぞましいはずの光景の中で、その綺麗な肢体に、ビクトルはゾクゾクとしたものを感じずにはいられなかった。
自然と呼吸が荒くなり、カアーッと頭に血が上ってくる。
何か妖しげなフェロモンでも発散されているのだろうか?
恐怖の中で沸々と湧き上がる欲情に、ビクトルは恐れ慄いた。
「それ以上、近づくな……危ない、ぞ」
細い肩を小さく揺らし、胸を上下させている。
涙の溢れる瞳が、ギンとした輝きを放っていた。
いったいこれは……?