【39】不信と憎悪
「このドラゴン迷宮で残り物を漁って生活している、とおっしゃってましたよね?」
「ああ、確かだ」
「プルデンシアさんたちを助けたように、マルカデミー本科生への助言や手助けは日常的に?」
微笑みを浮かべているハインツだが、その眼光がスッと鋭くなる。
「それは、何かの調査なのかな?」
「ええ、まあ、そうです。実はこの1年ほど、このドラゴン迷宮のクリア率が異常なぐらいに高まっていましてね。過去の記録と比較しても、突出していると言っていいぐらいに。それで、『なにか不正があるのでは?』ということで、その調査を……先日、あちらの二人が、理事長より仰せつかったはずなんですが」
少しイタズラっぽい笑みを浮かべて、ハインツがロンフォードとアスタを指し示す。
ロンフォードは顎に手を当て、鼻歌交じりに足をパタパタさせている。
アスタは苦笑いを浮かべて「バレちゃいましたね」なんてロンフォードに囁きかけていた。
「なるほどな。確かに先日、迷宮管理人の洞窟にあの二人が来たんだ。『迷宮管理人のニコラス爺さんはどこか?』と聞かれたが、『俺が迷宮管理人だ』って虚勢を張ったら、何もせずに帰ったんだ」
「そうですか」
「ふあーっはっはっはっ!」
高笑いを上げるロンフォードが、勝ち誇ったような表情でブワッとマントをはためかせる。
そして両手を腰に添えて胸を張った。
「細かいことはこの際、ど〜でもいいじゃないか〜、ハインツくん。結果、面白いことになったのだからね〜!」
「面白いかどうかは……」
「キミからもマルマルに言っておきたまえよ! 悪巧みなどするものじゃないッ、とね! ふあーっはっはっはっ!」
ビシッと右手を水平に差し出して言い放つ。
さすがのハインツも、苦笑いするしかない様子だ。
”呪われし”ロンフォード=ロンガレッティの面目躍如といったところか────。
おかげでこの理想的な迷宮生活の終焉が数日延びたわけだが、いずれにせよ、それが終わりに向かっていることに違いは無さそうだ。
「それで、先ほどの質問ですが」
ビクトルは小さく首を横に振ると、降参だと言わんばかりに両手を上げた。
「……ああ、そうさ。マルカデミー本科生たちに迷宮攻略法をいろいろアドバイスしたし、直に手助けもしたよ。そうやって効率的にクリアしてもらった方が、実入りがいいんでね。クリア率が異常に高まったのは、まあ、俺が原因だろうな」
「わかりました。ありがとうございます」
ハインツは目を細めてニコリと微笑むと、クイッとロンフォードに視線を向けた。
「ああ! それもキミの手柄としたまえ!」
「わかりました。これだけたくさんの手柄を譲っていただけるなんて、ロンさんには足を向けて寝れませんね」
「ふあーっはっはっはっ! いいのだよ! 私は出世というものに、興味が無いのだからね!」
全く思考が読めない男だ。
ただ、出世に興味が無いのは本当のように思えた。
だからこそ、その場の状況を平気でシッチャカメッチャカに掻き回せるのだろう。
「では、ヒゲもじゃさんも、一緒に来ていただきますよ。最終判断は都市議会の裁定に委ねることになりますが、迷宮管理人と認められた場合は、職権乱用・マルカデミークエスト規約違反・横領などの罪に問われ、10年以下の懲役を課せられることでしょう。非公認の迷宮生活者と判断された場合は、不法侵入・窃盗などの容疑となるでしょうね」
”覗き”の罪もあるが、その事は口に出さずに、喉の奥でグッと堪える。
一人だけのいい思い出にしておこう。
「ま、それは自業自得だから仕方ないし、大人しく捕縛されるのも構わない。取り調べにだって応じるさ。だが……」
「何か気になることでも?」
ビクトルの不審げな視線に気がついたように、ハインツが問いかける。
「ぶち込まれた先で『組織』の手で抹殺される、なんてことになったらやってられないぜ? 正直、マルカグラード自警団は信用出来ないからな」
ハインツの、ビクトルを見つめるその眼光が凍てつくように冷たくなる。
下手な事を言おうものなら許さない、といった雰囲気だ。
ロンフォードも片眉を上げて、ビクトルを見つめている。
「ほ〜う? ヒゲもじゃくん、理由を話してみたまえ」
促されるまでもなく、ビクトルは言葉を続けた。
「簡単な話さ。マルカグラード自警団にも『組織』の手が回ってるってことさ」
「それは体験談かね?」
「まあね」
ビクトルはひとつ息をつくと、真面目な顔つきでハインツを見上げた。
そして、とある古びた館が『組織』のアジトになっていることと、そこに自警団の幹部が出入りしていることを告げた。
「そして、俺がポイントを吸い上げられてボロ布のように放り出されたあとのことだ。俺だって、少しぐらいは『組織』に仕返ししてやろうって考えたさ。だがヤツらは、顔を見れば街の暗い一角に連れ込んで、殴る蹴るの暴行を加えてきやがる。昼も夜も、街を徘徊して、俺みたいなのを監視してやがるんだ。だから助けを求めようにも、おちおち街も歩いてられない。ヤツらからすれば、俺みたいな被害者には、さっさと街から消えて欲しかったんだろうな。特に、自警団の前は周到に見張りが配置されてて、近づけもしなかった。だが、こっちだって簡単に引けるか、って気合さ。俺にも人生ってモンがある! この国には悪を裁く法もある! そうだろ?」
ハインツに視線を向けると、ハインツは静かに頷き返した。
「この国の法を信じて、一縷の望みを賭けて、俺は一計を案じたんだ。あの館に出入りしてた『組織』の本科生に対して、マルカデミーガントレットの『スキルリミッター』を解除して、攻撃スキルを強引に仕掛けたのさ」
ビクトルの言葉に、ハインツがなるほど、といった表情になる。
本来、マルカデミー本科生同士の決闘は禁止されている。
しかし、犯罪に走ったマルカデミー本科生を取り押さえるなどの非常事態も起こりうる。
そうした時のために、攻撃スキルの使用制限を解除することが可能なのだ。
ただし、聖騎士養成都市マルカグラードで本科生がスキルリミッター解除をすると、ただちに警報が鳴り響く。
そして自警団がやってくるというわけだ。
「ふあーっはっはっはっ! キミにしてはなかなか冴えているじゃないか、ヒゲもじゃくん! 感心したよ!」
「お褒めに預かり恐悦至極、だね。それで、なんとか自警団に連れ込んでもらったんだ。だがな……」
「取り合ってもらえなかったのですか?」
「いいや、そうじゃない。『捜査するので案内して欲しい』と言われて、自警団5人に囲まれて『組織』の連中が集まってる古びた館へ行ったのさ。これでヤツらもおしまいだ、ざまあみろと思ったさ。まあ要は、そいつら自警団5人もすでに『組織』の息が掛かってて、誰かさんみたいに『異常なし!』とか言って俺を館に放置しておしまい。俺と一緒に自警団に捕まってたはずの『組織』の本科生は、その場で釈放。俺は『組織』にフルボッコにされて排水溝へポイ、さ」
そう言って一息つくと、しんとする一同の顔を眺め回した。
「ふあーっはっはっはっ! 面白い! まさに飛んで火にいるなんとやらじゃないか! 最っ高だよ!!」
……一人、高笑いを上げるロンフォードに、ビクトルも閉口せざるを得ない。
アスタが困ったような表情で、ロンフォードのマントをクイクイと引っ張っている。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、って言ってもらいたいね」
「だが見事に火中の栗を拾わされたわけだろう? 同じじゃないか! ふあーっはっはっはっ!」
「そんなに笑うなよ。あの時はマジで辛かったんだ。もう他に手を思いつかなくて、絶望しか無かった。『組織』に怯え、ドブ溝で暮らし続けるぐらいなら、ドラゴンに頭をかじられて死ぬ方がマシだ……なんて思って、ここに来たんだからな」
「お〜や、そうなのかい? じゃあなんでまた、まだ生きてるんだね?」
ロンフォードのずけずけとした質問に、ビクトルは肩をすくめた。
「……助けられたってほどじゃないが、ここのじいさま……迷宮管理人のニコラス爺さんにはなんとなく世話になってね。そうしている内、思いの外、ここの生活が楽しくなったのさ」
「だろうね! あの部屋を見たら一目瞭然だよ!」
ハインツも思い出したように、苦笑を浮かべる。
指摘されたビクトルも、気恥ずかしさに頭を掻くしかなかった。
頭上の毒蜘蛛が「キキッ」と声を上げる。
「……まあ、なんだ。あれから、2年も経ってる。その間に、心も持ち直したし、いろいろ自省もしたさ。本科生だった頃の俺は、遊びに夢中で隙だらけで、決して誇れるような人間じゃなかったからな。『組織』にハメられる程度だった俺自身にも問題がある。……もちろん、『組織』みたいなのを考えて作り出す連中が一番悪いんだが。だからまあ、本当に『組織』の連中を、特にその上層部を、あんたたち支配者側がきっちりと取り締まってくれるってなら、いつでも喜んで協力するさ。ただ、信頼していいのかどうかってのが気になってるのさ」
「地位や権限を悪用する良からぬ者がいることは、僕も認めます。しかし決して、この国の法、そしてこのマルカグラードの自浄作用が、機能不全に陥っているわけではありません」
「そうだといいがね」
「フンッ! アッグルモンキーらしい泣き言だぜ」
縛られたままのデクスターが、顔を歪めて言い放つ。
「そうやってリムテアを悪モンにしてりゃいいじゃねーかよ。おめーらはいつもそうなんだよ」
「おい待てよ。俺は別にリムテアを嫌ってるわけじゃないぞ。お前らみたいな『組織』のことを憎んでるだけだ」
「ハッ! どうだかねぇ? これがイスパン美女ならケツ振って隷属してんじゃねーのか?」
……相手が美女ならそうかもしれない。
ビクトルはそんな言葉をグッと飲み込んだ。
「泣きついてりゃ、おこぼれに預かれると思ってんじゃねえぞ! てめえの面倒ぐれえてめえできっちり見ろってんだ!」
「俺の話、聞いてなかったのか? 自分でも一応の解決を試みようとしたって言っただろ」
「あめーんだよ! あますぎんだよ! 俺んら貧乏村の人間はよ、もっと厳しい環境を生きてきてんだ! 生まれた時からなぁ〜んにもねえ、水すら満足に出ねえ乾いた大地で、殴って奪って蹴って奪って、生命の取り合いして来てんだよ!」
デクスターが、怒りに上気した真っ赤な顔で立ち上がろうと身を捩る。
その勢いでドンと身体を床に打ち付けるが、ジタバタと藻掻くようにして立ち上がった。
「それもこれも……! てめらアッグルモンキーとよ、イスパンのモヤシっ子のせいだろうがよっ! ああンッ!」
「やめろデクスター」
「いや、言わせてもらうぜ、ダッカドの兄貴! よく聞けやクソども! このダッカドの兄貴はな、そうした状況を変えようってんで、自ら進んで立ち上がったんだ! 気に食わねえ『組織』のヤツらにも頭下げて、歯を食いしばって出世して、”本国”に戻って指導者になって、俺んらのような貧乏村を救うためによ!!」
怒りに身をブルブルと震わせて、ギリギリと歯軋りの音をたてている。
目は憎しみに燃えてギラギラと輝き、肩を上下に大きく揺らし、荒い息を吐き出していた。
「お言葉を返すようですが、各州は連邦憲章に則した範囲での自治が認められています。たとえ各州内に貧富の問題があったとしても、それはその州政府の対応が悪いだけと言わざるを得ません」
凛としてハインツが言葉を返す。
その瞳は毅然として、力強い光が宿っていた。
この国の社会規範を悪く言うならば、徹底的に論争する、といった構えだ。
「我らの故郷は乾いた風と荒野の大地だ。祖はかつて、漁業と遊牧と交易を生業としてきた。それが赤紫竜による謂れ無き蹂躙に遭い、イスパンの支配となって以降、関税や境界線によって、我らの利益と自由が阻害されるようになったのだ」
ダッカドの言う赤紫竜。
それは、魔物王ビクトル=マルカーキスが使役したと言われるマルカーキスレッドドラゴンのことだろう。
今なお、リムテア三国の保守的な支配層たちには、赤紫竜への呪いの言葉で満ち溢れていると言われている。
「にもかかわらずイスパンは、フォレシアンとアッグルには自由交易を認めている。これは不当と言わざるを得ないだろう」
「関税については、各州からも不満の声が上がっているのは事実ですが、それはむしろ各州内の産業を守るべき役割のはずです。あなた方の指導者を悪く言うつもりはありませんが、もし関税があなた方の産業を苦しめているのならば、それはやり方がおかしい、もしくは周知の仕方に問題があると言えるでしょう」
「税金と偽って搾取している輩はいるものだらかねぇ。法ではなく、それを扱う不出来な役人が悪いのさ!」
「勝手なことぬかしてんじゃねえ! どっちにしたってその法とかいうヤツの、不当な搾取ってヤツだ! なあ、ダッカドの兄貴!」
「だからお前らも、本科生から不当な搾取をしてるのか?」
横槍を入れたビクトルの言葉にも、知らず、刺々しさが滲み出る。
「やられたからやり返す、弱いヤツには倍返し、じゃあ何も解決しないぜ?」
「ああン?! 弱肉強食だ、っつってんだよ!!」
口角泡を飛ばしながら、デクスターが悪しざまに言い放つ。
「それはあなた方のやり方でしかありません。立法・司法・行政の三本の矢は、そうした……」
「ケッ! 気取ってんじゃねえぞ、イスパンのモヤシっ子がよお……!」
デクスターがダンダンと床を踏みしめる。
激情が迸り、引くに引けないといった様相だ。
「我らリムテアには、恵まれた肉体から繰り出されるその高き戦闘能力がある。だがそれは、かえって連邦王国より警戒・敵視される対象となっている。そして連邦王国によって紛争を強いられ、紛争による混乱がリムテアを疲弊させ、発展を妨げているのだ。我らが確固たる安定を手にするには、連邦王国に頼らず、自らの手で切り開いていくしかない」
「いいえ、その逆です。王室は内乱を良しとせず、対話による問題解決を呼びかけています。紛争が不要な支出を増大させ、国を疲弊させるというリスクでしかないということは、王立連邦財務院にてすでに結論が出ていますから」
「先の悪魔系モンスター騒動。あれは我らリムテアの手の者ではない。むしろ、リムテアの兵を出させるための連邦王国の策謀に違いない」
「その件は未だ調査中ですので、何とも言えませんね」
「そうやって、悪いことは全部俺んらのせいにしてりゃ良いだろーがよ」
もはや対話は不可能か。
ハインツは毅然として、ダッカドとデクスターを見据えている。
ダッカドとデクスターも、譲る気は無さそうだ。
エイムレルビス連邦王国の内情そのままに、とても一致団結できる雰囲気ではない……。
迷宮攻略とか狂化ドラゴン討伐とか、やってる場合じゃ無くなってきた……?