【34】大ピンチ!
「……何の事かよくわからないが、気のせいじゃないか?」
興味なさげな演技をしながら、視線を戻すと、鼻歌交じりに皿洗いを続ける。
「へへへ、確かに俺んらは頭は弱いんだ。だがよ、だからこそ気になるんだよ。わかるか?」
肩をすくめてみせただけで黙っているビクトル。
するといきなり、デクスターがその首根っこを掴み上げた。
「うぐっ!!」
胸ぐらを掴み上げ、そのまま反対の壁まで「ドンッ!」とばかりにビクトルの身体を叩きつける。
「うげほっ……!」
一瞬、呼吸が止まって、苦しげな呻き声が自然と漏れた。
ビクトルの手から包丁が滑り落ちて、カランと石床に転がる音がする。
そんなビクトルの胸ぐらを、デクスターがグイグイと締め上げてきた。
「く、苦しい……! 離せ……!」
デクスターの手首を掴み上げ、引き離そうとするが、その強靭な腕を引き剥がすことはとても叶いそうにない。
床に届かない足をバタつかせるが、デクスターの身体を蹴り上げるには至らなかった。
苦しみに顔を歪めながら、ギッとばかりにデクスターを睨みつける。
「……ああ、その目だ」
やにわに、デクスターがニタリと笑みを浮かべる。
勝ち誇ったような笑みだ。
「その目にゃ、見覚えがあんぜ。苦しみから逃れようと嫌がるその目だ。ヘヘッ……」
「────ビクトル=ヒエルマンだな?」
すぐ近くから、ダッカドの声がした。
「(気づいていたか……!)」
ゴーレム対策の素材集めをしている時か、風呂に入った時か……いや……。
ダッカドのことだ。
顔を合わせたその瞬間から、気づいていたのかもしれない。
ビクトルを生かしておけば、プルデンシアに『組織』のことがバラされてしまう可能性がある。素知らぬフリをして、ビクトルを殺害するタイミングを伺っていたとも考えられる。
リタイアせずに先に進むことを選択したのも、この迷宮内でビクトルを殺害せんと目論んだため……?
ゴーレムの部屋で、一瞬、ダッカドに殺気を感じなかったか?
レイスの部屋で、生け贄の牢獄の中にいる自分を、ひと突きにするチャンスを伺っていたりはしなかったか?
デクスターがレイスの服飾品を納めるのを渋っていた時も、何か考え事をしてはいなかったか……?
まさかと思うが、レイスの毒霧も、ああなることを予期して……?
安息処にやってきた時、先に風呂に入ろうとしたプルデンシアを押し留め、料理を作るように指示したのはダッカドだった。
そう考えると、デクスターにそのことを伝えたのはあの時か?
同時に、腹ごしらえをする要件も満たせたわけだし……。
いずれにせよ、二人はビクトルの事を話し合っていたに違いない。
ビクトルが、それに気づいた時には遅すぎたようだが……。
「お、俺は……め、迷宮管理人の……ま、マリオだ……」
咄嗟に思いついた名前を口にする。
「フフッ、この期に及んで、まだシラを切るか……いいだろう」
ダッカドはほくそ笑むと、ビクトルの手首を掴み上げ、腕をグイッと伸ばさせた。
「なにしやがる……!」
見ると、ダッカドは火のくすぶる薪を手にしていた。
それをビクトルに見せつけるように、顔の前に差し出してみせた。
「炎耐性の先天性精霊力者だったな。これを押し付ければどうなるか、見せてもらおう」
言うなり、ビクトルの腕に薪を押し付けた!
「ジュッ」と音がして、白い煙が上がる。
「んんんっ!!!」
如何に炎耐性と言えど、熱さと痛みは少し感じるのだ。
必死の抵抗を試みるが、完全に身体を押さえられて、身動ぎすら出来ない。
痛みに耐えるビクトルの髪を掴み上げ、デクスターが強引に前を向かせる。
「見ろ、思った通りだ」
「ああ、本当だなダッカドの兄貴。目がターコイズブルーに光ってやがるぜ」
ニヤリとほくそ笑んで、デクスターがビクトルに顔を寄せてくる。
目を見開かなければよかったのだが、この状況でそれを考えている余裕はなかった。
「ヒゲもじゃとボサボサ頭で全然気づかなかったぜ! さーすがダッカドの兄貴の慧眼だ!」
酒臭い息が、ビクトルの鼻孔を突く。
酔っていても馬鹿力に変わりはない。
「まーたあの、ファイアーダンスを見せてくるか? ヘヘッ、炎を消すための下水溝が無いのが残念だぜ」
「こ、こんなことして何になる? 俺がいなけりゃ……この迷宮は、く、クリアできないぞ……!」
「構わんさ。プルデンシアを説き伏せて、リタイアすればいいだけだ。それより、我らのことを知っている貴様の存在の方が、重要だ」
やはり……とビクトルは痛感せずにはいられなかった。
元から、ここに留まった理由は、ビクトルだったのだ。
「ここは街の外だ。一般人を殺したところでバレなきゃいいんだぜ? ここなら誰も見てねえしな。切り刻んで、ドラゴンのエサにでもしてやんぜ」
「今すぐにでも、プルデンシアが風呂から出てくるかもしれないぞ!」
「残念だな。プルデンシアは、いつも長風呂なのだ。そう、軽くあと1時間は入っているだろう」
「なん、だと……」
ビクトルは絶望にかられるしかなかった。
今、この状況を打破してくれるとすれば、サラとプルデンシアだろう。
だが、頼みの綱の二人が、あと1時間も出てこないとなると……!
やはり、ダッカドは計算づくだったのだ。
「サラが! サラが訝しむだろう!」
「知った事か。日傭生三人をリタイアさせてしまったことに恐れを成して、姿を眩ませたとか言っておけばよかろう」
「……俺の行方不明に、ぷ、プルデンシアが疑問を感じれば、通報するだろう。そうなったら、お前らは……お前ら『組織』は、おしまいだ!!」
必死の形相で言い放つビクトルに、二人がせせら笑う。
「『組織』が、何のために”貴様ら”のような無能を担いでると思っている?」
”貴様ら”という言葉を強調して、ダッカドが冷たく言い放つ。
ビクトルは、背筋に寒気を感じずにはいられない。
胸ぐらを掴み上げるデクスターが、鷲掴みにしているビクトルの頭をグイと引っ張った。
「あんな神輿のお嬢ちゃんに何ができるよ? 手向かうなら、殴りつけて押さえ込めばいい。こんな風によ」
「幸い、性欲に飢えた野獣たちにも事欠かない。思うままに調教を施して、”本国”に送り込めばそれで終わりだ」
「ポイント吸い上げて、はいさようならだ、バーカ」
「貴様も『それだけは許してくれ』と泣いて喚いて許しを媚びただろ? 思い出さないか?」
思い出したくもない過去をほじくり返され、ビクトルの胸の奥がズキリと痛んだ。
惨めな敗北と辛酸と、鼻を突く汚泥の匂い。
それらがまるで、現実のように蘇る。
「『俺こそ、魔物王ビクトル=マルカーキスの名を戴いた、生まれながらの英雄よ!』だっけか? ハハッ、笑わせんぜ」
「ポイントを稼ぐだけのコバンザメが……虎の威を借る狐とは、貴様のことだ」
静かに言い放つダッカドの視線が凍るように冷たい。
「もっと傷めつけてやりてえぜ!!」
「いいだろう」
「おうよ!」
「ズダン!」と音を立てて、デクスターがビクトルを床に組み伏せる。
うつ伏せにされたビクトルの股間を、ダッカドが思いっきり蹴り上げる。
「うごっ……!!」
脳天まで突き上げてくる痛みに、呻き声を上げて悶絶するしか無い。
痛みに身体をかがめようとして、自然と尻を持ち上げる姿勢になる。
「ダッカドの兄貴、それを貸してくれ!! このアッグルモンキーのケツにぶち込んでやんぜ!」
「いいだろう」
「な、なにを……あぐっ!!」
驚愕したその瞬間に、ビクトルの尻に熱い感覚が迸る。
そしてグイグイと押し込んでくる嫌な感覚に見舞われる。
「なっ!……」
なんてことだ、あり得ない!
デクスターが、尻の穴に薪をねじ込もうとしているのだ!
ブルブルと身を震わせ、必死の抵抗を試みる!
「ぐ、おおおおおおお……!!!」
「ハッハッハァッ!! 最大限の屈辱を味わえってんだ! くっそ笑える!! ひいっひっひっひっ!!」
ビクトルを押さえつけたまま、ダンダンと足を踏み鳴らしてデクスターが嫌な笑い声を上げる。
その度に、尻の突き当てられた薪がグイグイと押し入ってこようとする。
激しい怒りと憎悪、そして屈辱が、ビクトルの胸に渦巻いている。
歯ぎしりに血が混じり、涙と鼻水が噴き出してくる。
「欲深き汚物め……神の裁きを受ける時は近いと知れ」
「どうよ!? 肉棒より熱いモノを突きつけられた感覚はよ! ああ、待て待て! 知りたくねーわ!!! アヒャヒャヒャヒャ!!!」
狂ったように笑いながら、ビクトルの頭を押し潰さんばかりにグイグイと体重を駆けてくる。
このままでは、穴の奥にぶち込まれるのも、時間の問題だろう!
「ヒャハハハ!! ワインボトルぶっかけてやるよ! またファイアーダンスを踊らせてやろうぜ! なあ、ダッカドの兄貴!」
「調子に乗りすぎるな、デクスター。そろそろ……」
ダッカドが言いかけたその時だった!
「きゃあああああああああああああああああ!!!」
風呂場の方から響く悲鳴!
それは間違いなく、プルデンシアの声だった────!
「ど、どうする、ダッカドの兄貴!」
デクスターの声が、今までがウソかと思えるほどに、異常に慌てている。
それもそうだろう。
大事なポイント源を失うという過失を、『組織』が許そうはずもない!
弱い者を蹴落とし、強い者にはミスにかこつけ引きずり下ろすのが、『組織』の流儀だ。
ドガッ!
「ぐへぇっ……!」
いきなり、ダッカドがビクトルの横腹を蹴り上げた。
そして即座に風呂場の方へと駆け出した。
それに続くデクスターの足音も、遠ざかっていく。
「くっ……げぼっ……!」
横っ腹の痛みにのたうち回りながらも、ヒリヒリする尻に触れてみる。
ズボンが焼け焦げ、丸い穴が空いていた。
それでも、どうやら突っ込まれるのだけは防ぎきったようだ。
「くっそ……!」
屈辱過ぎて笑えない。
激しい怒りに身を震わせながら、ビクトルは身を起こした。
行方をくらませるなら、今がチャンスだ。
転送装置は廊下の突き当りだが、騒ぎに乗じて逃げ出せるだろう。
痛みに悲鳴をあげる身体を無理矢理に引き起こし、ヨロヨロと開け放たれた戸口へと向かう。
「貴様、何者だ!!」
「きゃあああああああ!!!」
ダッカドの怒声のあと、再びプルデンシアの悲鳴が聞こえてくる。
それに続いて、男の高笑いが聞こえてきた。
「ふあーっはっはっはっ! レディの入浴を覗くだなんて、キミも隅に置けないねえ〜!」
「ちちち、違います! 違いますって! お、俺はそんなんじゃありません!!」
耳に届いた緊張感のない言葉に、思わずズッコケそうになる。
それに、どこかで聞いたことのある声のようだ。
いったい、何が起こっているのか────?
<第二章 ドラゴン迷宮管理人の困惑 終>
えっと……いったい何が起きているの……?(困惑
じ、次回より、第三章に突入です!!!