【12】転落
マルカデミー本科生となって4年目を迎える頃────。
馬鹿騒ぎしていた友人たちも、何人かはマルカデミーを去り、残った者はさすがに卒業を意識し始めて、真面目に講義やクエストをこなすようになっていた。
しかしビクトルは、まだ遊び足りなかった。
そして、新たな遊び仲間を求める内、とある古びた館に出入りするようになったのだ。
そこは街の端の暗い一角で、治安の良いマルカグラードでも女が一人で出歩くには注意が必要な区画だった。
そんな区画の墓地横に、貴族の老婆が二人の召使いと暮らす古びた館はあった。
どういう理由かは知らないが、数人の本科生たちに無償で部屋を貸し、騒ぐがままに任せていた。
老婆が言うには、「私の眼鏡に叶う優秀な子たちなのよ」ということだったが……。
しかも、「マルカデミーポイントは後々に取っておきなさい」と、朝と夜の食事と、飲み代まで都合してくれていたのだ。
決して、老婆の言う程には、他の本科生たちが優秀なようにも見えなかったが。
確かに彼らはクエスト経験が豊富で、マルカデミーポイントを稼ぎまくっていた。
しかしそれは、館に出入りする顔見知りの日傭生とともに、数の力に任せて初級〜中級クエストを制するやり方だ。
それなら自分にも出来そうだ、なんて思わずにはいられなかった。
そのことを羨んでいた矢先、ある日突然、老婆にビクトルはその一員として認められることになったのだ。
別に何をするでもなく、館の中で酒を飲み、ただ一緒に騒いでいただけなのに。
もちろんビクトルは、天にも昇る思いだった。
宿代すら払わなくていいばかりか、24時間遊び続けられる。
そしてビクトルも彼らのパーティに混ぜてもらい、クエストに出るようになった。
おかげで、大した貢献もしないのに、マルカデミーポイントを稼ぎまくれるようになったのだ。
そうしてパーティについていく内、モンスターの攻撃パターンや弱点を見抜く能力が磨かれたようだ。
戦闘にはあまり参加しないものの、「ビクトルのアドバイスは的確だ」と仲間たちが褒めてくれるようになった。
その話をすると、老婆も「やはり私の眼鏡に狂いはなかった」と、殊の外、喜んでくれた。
そんなこんなでメインクラスのレベルもすぐに上がり、Cランクとなった。
サブクラスの取得時には、迷わず教官オススメのバードを取得した。
バードは歌や楽器演奏によって、集団エンチャントを掛けるエンチャント特化職だ。
大勢の日傭生を率いて、パーティを支援するには打ってつけだった。
おかげで、その年のモンスターカーニバルでは、トップ10に迫る活躍も残した。
マルカデミーに名を轟かせる英雄に昇り詰めるまで、あとわずか。
1年も経たずに、講義3年分のマルカデミーポイントを一気に稼いだ。
古びた館では、時折、老婆が友人を招いてパーティを開くことがあった。
そうした時には、本科生も皆、良い身なりをして客人を出迎えた。
客人の中には、自警団幹部や都市議会議員、州議会議員などのお偉いさんまでいた。
「『キミたち、選ばれし優秀な本科生の未来に乾杯!』」
そう言って、彼らはビクトルたちをもてはやした。
卒業の暁には、その就職先に口を利いてくれるとも。
すべてのツキが回ってきている。
やはり自分は、生まれながらにしての英雄だ────。
そう信じて疑わなかった
卒業に必要なマルカデミーポイントまで目前、順風満帆、前途洋々。
そんなある時、顔見知りの日傭生たちの誘いで、夜の酒場に赴いた。
いつものように男ばかり、酒代は老婆に請求で貸切状態。
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
疑いなど、これっぽっちも抱いていなかった。
そして、事件は起こるべくして起こった。
「『────愚か者よ、精算の時だ』」
グルグル回る視界の先で、冷たい灰色の瞳をしたターバンの男と、ハゲ頭の筋肉男。
その言葉と光景が、脳裏に焼き付いて、離れない。
泥酔したビクトルは、店の支払いとして、すべてのマルカデミーポイントを奪われたのだ。
そして、殴る蹴るの暴行。
「『このアッグルモンキーはよ、炎耐性の先天性精霊力者さまだそうだぜ!』」
そう言って、酒を浴びせられ、火をつけられた。
火をつけられても火傷はしないし、傷も残らない。
しかし、多少の熱さは感じる。
それに、顔の周りが炎にまみれると、炎に酸素を奪われ、息苦しくもなる。
「『ひゃっはっはっ! 踊れ踊れ踊れ! アッグルモンキーのファイヤーダンスだ!』」
臭い匂いを放つ汚泥の溜まった下水溝に、自ら身を投げた。
火が消えて、鼻の奥まで汚水にまみれる。
それでも男たちはビクトルを許さなかった。
引き上げては酒を浴びせて火をつける。
何度も殴られ、蹴り上げられた。
「『生きるチャンスが残されただけ、ありがたいと思え』」
「『俺んら舐めてっと、こうなるってことよ!』」
服は燃え落ち、全裸のままで、冷たい下水溝の中に横たわる。
朦朧とした意識の中で、死すら覚悟した。
「『アイツらはよぉ、「組織」の人間だ。あんちゃん、アンタぁハメられてたのさ。いつかこうなると思ってたがねぇ────』」
夜明け前、ビクトルを匿ってくれたのは、街の地下を走る暗い排水溝に住み着く浮浪者だった。
「『悪いことは言わねぇ。早くマルカグラードを離れるんだ。ヤツらに見つかれば、また同じ目に遭うだけだからよぉ……』」
痛む身体を臭気のこもる石床に横たえながら、それでもビクトルは、『組織』への復讐を誓った。
このままで済まされるものかと。
騎士の回復スキルで傷を癒やすと、浮浪者の忠告も無視して、何か手立てはないかと夜の街を徘徊して回った。
しかし、決して優秀な部類ではなかったビクトル一人では、どうしようもなかった。
何のためのマルカデミーガントレットか。
街で攻撃スキルを行使して騒動を起こせば、規約違反で機能停止に陥る。
そうなれば、すべての手段を奪われたも同然だ。
マルカグラードを徘徊しているところを『組織』に見つかるたび、酷く殴られ蹴られ、身ぐるみ剥がされた挙句に下水溝へと投げ込まれた。
昔の仲間たちを頼ってみても、彼らに迷惑をかけるばかり。
街角でビクトルに気づいても、関わり合いになりたくないとばかりに、そそくさと姿を消していく。
必死の思いでマルカグラードの自警団に泣きついたこともあったが、やはり結果は同じだった。
あの自警団幹部も、おそらく『組織』の手先……いや、あの館にいたすべての人間が────。
それに気づいた時の失意と絶望は、決して忘れることはない。
全てを失ったのに、今さら、故郷にも戻れない。
両親にも祖父にも、会わせる顔が無かった。
あの時、苦言に耳を傾けていれば。
立派な人間にしようと心砕いてくれた家族の思いを、全て無駄にした。
涙が溢れ、声も枯れた。
……こうなったら、魔物王ビクトル=マルカーキスのように、ドラゴンを使役して、ヤツらに復讐を……!
自分にだって、もしかしたらできるかもしれない!
いや、できるわけないか……。
燃やされることはないが、ドラゴンに食われるのがオチだ……。
……でも、たとえ無理だったとしても、ドラゴンに食われて死んだとなれば、『組織』にハメられて落ちぶれたと言われるよりは数段マシだろう……。
それに確か、この地は魔物王が赤紫竜と出会ったとされる土地だ。
人生の最後にそんな伝説と巡り会えたなら、本望じゃないか。
ああ、そうだ。それがいい……。
そんな風に思って、このドラゴン迷宮にやってきたのだ。
ここに来たあの日、固く閉ざされた立派な石造りの門の前で、ビクトルは呆然と座り込んでいた。
そこへ声を掛けてくれたのが、ニコラスじいさまだ。
「ここの迷宮管理人だ」と、手短に話してくれた。
ミートワームの肉をごちそうになり、身の上話を聞いてもらった。
そして、「しばらくノンビリしていけばいい」と言ってくれた。
その言葉に甘えるつもりもなかったが、いつの間にか、じいさまの手伝いをするようになっていた。
安息処をキレイに掃除して、人のあまり来ない迷宮を、ホウキで履いて回るだけの日々。
『迷宮管理人ルート』なんてものがあることは、その時に知った。
マルカデミーが管理する他のダンジョンにもあるそうだ。
なんでこんな無意味なことをするのか、と尋ねたら、「それが迷宮管理人だ」とだけ答えが返ってきた。
そうする内に、何度かマルカデミー本科生のパーティもやってきた。
残り物をさらうのは、じいさまもやっていたことだ。
ただ、じいさまはアイテムは収集しなかった。
肉や鉄くずや木片を集めて回るだけ。
それを生活に活かして、ほそぼそと暮らしているようだった。
本科生たちの奮闘ぶりを『迷宮管理人ルート』から覗き、去った後に残り物をさらうという生活を送る内、ビクトルは迷宮がワンパターンだということにすぐに気がついた。
どうすれば、安全にクリアできるかということも。
そうしている内に、ある日、じいさまが姿を消した。
『迷宮管理人ルートのカード束』を残して。
また一人になったビクトルだが、その心には活力が戻っていた。
迷宮には安息処も完備されている。
女の子たちのパーティが来た時には、風呂場も覗きたい放題だ!
こんな生活も悪くない。
グウグウといびきをたてるビクトル。
暖かな炎が、優しくチロチロと燃えている。
今はただ、一人の部屋でノンビリと惰眠を貪れることが、最高の幸せだった────。
たどり着いた先が理想郷……。旅には出てみるもんだってことでしょうね!