戦艦武蔵ノ最後
「通信学校は楽そうだな、うちの対潜学校なんて地獄だ」
幼馴染の黒川 紘が言う。
「酷いのはどこも同じなんじゃないのか」
「葵さんよう。君が思っているほど甘くはないぞ。教官の俺たちに対する関係は家畜以下だぞ」
「そんなにひどいのか」
「ああ、毎日のように極太の棍棒で殴られるんだからな。
んで、体力を使う割には、食事はコップ半分のおかずと久里浜汁だ。久里浜汁って知っているか、海水に大根をぶちこんだや
つだ」
「良く体力が持つな、紘も私と同じ大学出身のへなちょこ野郎
だったのに悔しいよ」
「フフ、葵は鉛筆より重たいものを持ったことがないもんな」
「そんなことはない・・・」
「そうか、そうか。かわいいお坊ちゃんすまなかったよ」
黒川はさぞかしおかしそうに言った。
「あーあ、この面会時間が終われば俺はまた地獄に戻されるのか・・・教官と米国、どっちが鬼畜かわからなくなってきた」
さっきの表情と打って変わって顔に影を作る黒川。
私は紘の表情がコロコロと変わるところが一番好きだ。
おもしろい。
「そうだな、私が毎日来ることができれば楽しくなると思うんだがな」
「そうだ!」
「ちょっと、どうした、急にでかい声を出して」
「いや、良いことを思いついた。葵の通信学校は出入り自由みたいなもんだろ?」
「だから何だっていうんだ。」
「いや、だからな」
『面会時間終了だ』
「あ、葵 待て・・・・・」
彼が言うには次の面会の時に菓子を仕入れてくれ。とのことだった。
見つかれば大変だが、まぁ、幼馴染の名を借りて許してやろう。
あぁ、紘の好きな食いものを聞いておけばよかった。
一ヶ月後に私は黒川のいる対潜学校にバックいっぱいの菓子と、吉報を持って心を浮かせながら行った。
「菓子持ってきたぜ、紘」
「おお!すまなかったな、よくばれずに持ってきてくれた」
「いやいや、そんなことはいいんだ。今日はそれよりも紘に伝えたいことがあってきたんだ」
「ん?なんだ。嬉しそうな顔をして」
「言うぞ、よく聞いておけよ。勤務地が決まった。」
「本当か、もう葵も国のために働けるようになったのか。それで、任地はどこなんだ」
「まだ驚くなよ。勤務地は“武蔵”だ」
「フフフ まさかな・・・・」
「何がおかしいんだよ」
「実は俺も武蔵に搭乗することになったんだ」
「はぁ!」
「これからよろしくな」
「あ、あぁよろしく」
「中学校の席替えを思い出すな。俺たちが隣の席になって先生に怒られたっけ」
「紘はまだ覚えてたんだ。あの時はたしかバケツ持って廊下に立たされたよな」
「はは、そうだよ。でも今でも同じ艦に入れただけで喜べるんだから、同じだよ」
『こら、お前たち少し声を抑えなさい』
「すみません」
「はは、葵も俺も本当に変わらないな。教官に怒られちまった」
「これで心細い船の中でも信頼できる奴ができた。ありがとうな」
「それはお互い様だろ」
このとき私たちは地獄が待っていることなど知る由もなかった。
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ついに武蔵に登場する日が来た。
不沈艦であるし、幼馴染もいるので多少は安心できるが、やはり自国の最前線で戦うとなれば、恐怖心が生まれてしまうものである。
これから始まるレイテ沖での戦いは、指揮官を栗田健夫とし、栗田艦隊は大和を筆頭とし、武蔵、長門、摩耶、愛宕、羽黒、
鳥海・・・・その他多くの戦艦、駆逐艦、補給部隊などが勢ぞろいした。
レイテ沖は敵国の力が強く、この地での戦いは、戦力の衰えている日本では勝利をつかむのは困難かもしれないと思っていた。
が、武蔵に搭乗している人間の顔は皆、闘志に目を輝かせていた。
「われ勝てり!」
掛け声とともに米国との決戦は幕を切って落とされた。
『機銃討ち方はじめ!』
武蔵の12.7cm連装高角砲が耳を劈かんばかりに鳴り響いた。
「案外米軍機の弾丸は当たらないものだな」
「おい紘、そのうちそんなことも言っていられないくらいにひどいことになるぞ」
「あー、そうか。まぁその時はその時でどうにかなるだろ」
「本当に楽観的だな。絶対に生きて一緒に帰るからな。覚えていろよ」
「なんていった?周りがうるさくて聞こえねえ」
それはそうだ、米軍の魚雷から逃げるために武蔵はジグザグ走行をしていてエンジン全開なのだから。
「俺たちは、一心同体だ!!」
「ああ!了解した!」
その時、ふと空を見上げた私のはるか上で金魚の糞の様にばらばらと落ちるように、黒いものが三つ、四つと武蔵めがけて落ちて来るのが見えた。
そして、その黒いものがだんだんと大きくなったかと思うと、左舷付近の海面に水柱を立てながら爆発した。
間髪いれず直撃弾がすさまじい轟音とともに艦橋背後の右舷を襲った。
炸裂した直撃弾の鋭い破片は牙をむいて四方に散乱した。
あるものは肩を貫かれ、あるものは頭から腹まで真っ二つに裂かれ、あるものは左肩を貫通し肩甲骨を砕かれた。
続いて右舷後方に直撃した爆弾が三番砲塔と四番砲塔の爆薬に
引火し、黒い煙と焔をもくもくと立ち昇らせていた。
爆弾で飛ばされた鉄片が藤堂の同僚の内臓を引きずり出す。
『足がない。足が・・』
先ほどまで自分がいた活気あふれる場所は、何発かの爆撃で大破し、血肉にまみれ、悲鳴の聞こえる地獄絵図となっていた。
「あ、あぁああ、・・・紘、紘は!どこにいる!紘!!」
名を読んでも轟音の中で声は届くはずはなく、聞こえたとしても、自分の声が震えており聞き取れるかさえ自信がない。
広い船の上を探していると突然足首をつかまれた。
「ひぇっ!」
「おぃ、・・・ぁおい 俺だ、、、」
「紘!怪我しているのか?どこだ、くっそ、血の海でわからん」
「はぅ、右腹に・・・鉄片が刺さってる」
黒川の言う通りに彼の右腹には、生々しく肉を抉る物があった。
「ちょっと待ってろよ、 おい!そこの衛生兵、怪我人だ!」
『お待ちください!こちらも怪我人が多くて手一杯なのです!』
「すまないな、葵、、」
そう言いながらも黒川の口は絶えず血を吐いている。
「この間まで俺の方が体力があるって言ってたのは誰だよ・・・」
「大丈夫、だから・・・一緒に生きて帰る」
「ああ、一緒にか」 グワァァン ガゴン!
「なんの音だ!」
『魚雷がうちの艦にあたったぞ!』
『艦の速力が一六ノットに落ちました』
船の応急手当てをしようとする兵が船の上を駆け回る。
不沈艦武蔵は着々と海の底へと引きずり込まれていった。
黒川も武蔵と同じように体力がだんだんと無くなり、まるで武蔵と同じ運命を背負っているように見えた。
この後、武蔵は米軍機の攻撃により、魚雷二〇本、爆弾一七発、至近弾二〇発以上・・・と軍艦史上最多、空前絶後の損害を与えられ、ついに海に没する時がきた。
『総員上甲板へ集合』
副長からのその一言が私たちは戦争に負ける。という思想を呼び起こさせた。
私たちは後部甲板に集めさせられ、半壊したマストから軍旗を下す。
軍旗を下ろすと副長から総員退避が命ぜられ、私たちは泳いで一〇〇メートルほど離れた救助船に乗り移るため、自力で泳ぐことになった。
「おい!紘、海に入るぞ、傷が痛むだろうが踏ん張るんだ」
「あぁ」
数十分前から黒川の体力が急激に低下している。
「さあ、行くぞ!」
武蔵の甲板から海に飛び込むと、予想以上の冷たさに驚いた。
肩に担いで黒川をなるべく海につからないように努力はしているが、やはりしみるらしくたまにうめき声をあげている。
「ごめんな・・・私が紘を守ってやれなくて」
黒川からの返事はないが私の肩をつかむ力が強くなった。
「私たちは一心同体でこれからも生きてもらうんだからな。だから紘が死ねば私も同じ運命をいずれ歩く。だから紘。絶対に死ぬな。 わかったか」
そのまま私は黒川を背負ったまま救助船に乗り込んで、すぐに黒川を衛生兵に渡した。
「紘!頑張って治せよ!」
黒川は弱弱しくも右手で手を振ってくれた。
「どれだけ疲れたか・・・フフ」
黒川が助かって、一緒に食事をとる事を想像すると笑みがこぼれた。
「われ勝てり!」
これからの運命に踏ん張るように私は叫んだ。