忘れたいのside香苗
雪夜のことは忘れよう。咲子の結婚式の晩に雪夜の夢を見てから再び夢を見ることをなかった。
香苗は今美容室に居る。先月の咲子の結婚式に感動した香苗の母は娘に見合い話を持ってきた。今日は見合いの日だ。
「成人式の着物がもう一度使えてよかったわ」
「振り袖って重いから苦手だよ」
喜ぶ香苗の母に憂鬱な香苗。釣り書も一度として開くことはなかった。
「相手の方は本当に素敵よ」
母のご満悦な相手に香苗は首をすくめた。薄紫の地に藤の描かれた総絞りの振り袖を着付けられ完成した香苗は母とともに美容室から出た。
ホテルに着く前に香苗は咲子にメールを打った。「今から桜木ホテルでお見合いです。成人式の時の振り袖を着ました。お見合いが終わったらさっちゃんに会いたい」と。それからホテルのレストランで母としばらく待つと相手がきた。四十前後の印象が特になく普通の人だ。
「お待たせしました」
相手のその一言から見合いは始まった。
***
「後は若い二人で」とありきたりな言葉で香苗は庭に放り出された。可もなく不可もなく平凡な人らしい彼は優しそうな人だなと失礼な第一印象を少しプラスを加えて香苗は池の周りを男について歩いた。
「あれ?ミュージシャンの雪夜がいる。何かの撮影かな」
結婚したらそれなりに重要な普通の質問をされ適度に返し、そろそろお開きにしてほしいと香苗が思っていると男が香苗越しにポツリと呟いた。
「え?雪……夜?」
「香苗さんは雪夜好きなの?」
もう香苗の耳に見合い相手の男の声は聞こえていなかった。振り返った先に立つ人の男の姿しか情報として入ってこない。
「香苗」
「雪夜?」
雪夜は香苗の傍に駆け寄ると香苗を掻き抱いた。
「見つけた……俺の花嫁」
「どう……して?」
「必ず見つけると夢で言っただろう」
雪夜が右手を香苗の頬に添えれば香苗はその右手に自分の手を添える。完全に二人きりの世界に入ってしまったことに気付いた香苗の見合い相手の男は入るすべはなさそうだと見合いを断るためにその場から離れた。だが二人はそのことにすら気が付かない。
「初めまして藤間雪夜です」
「初めまして志村香苗です」
「初めましてだけど君は俺の妻だ」
「初めましてなのにあなたをよく知っているの」
「俺もだ。君が俺の背中に傷痕を残すことを知っている」
「私もあなたがキスマークを付けるのが好きだと知っているわ」
初対面同士なのにパーソナルスペースは恋人同士と物語る。雪夜と香苗の顔が近寄り、そっと重なった。
ごたいめ〜ん