夢の中の蜜月side雪夜
side雪夜
「ただいま」
「おかえりなさい」
仕事に追われファンに囲まれぐったりして帰れば暖かな彼女と美味しそうな料理の匂い。迎えてくれる彼女を囲い込み、こめかみにキスをしてみれば頬を染め照れて俺の懐に額を押しつけてくる。
「香苗、キスしたい」
耳元で囁けばまるで沸騰したかのように赤くなる。それはまるで熟れた果実のように甘い甘い俺の新妻。
「雪夜……」
吐息とともに名前を呼ばれれば妻を先に食べるべきか、それとも俺に気遣って作られた夕食を食べるべきか悩む。
「早く夕飯を食べてしまおうか。香苗が作ってくれた料理を無駄にはしないように」
そう囁けば俺にくっついたまま上目遣いに照れて言う。
「うん。私を食べるのは後にしてね」
負けたよ。
***
「またか……」
雪夜はここ三ヶ月、見知らぬ女と夢で新婚生活を送っていた。どこかにOLとして勤務しているらしい彼女は一升瓶のワインを愛飲している。そして彼女のとのセックスに溺れている。
夢の中では毎日が蜜月で朝起きれば必ず悲しいことにパンツが悲惨なことになっていた。
雪夜は体をお越しシャワーを浴びに布団を出る。その時だった背中に痛みが走る。何度か経験したことがある痛みが背中を襲い雪夜は驚く。この痛みは大抵女を抱いた後にしかありえない。そして夕べ抱いた女は夢の中の彼女だけである。雪夜は急いで洗面台に向かうと背中を確認した。
「は?」
そこには無数の爪痕があり驚き以外の何物も浮かばない。ここのところ忙しく一夜の女を抱く機会もなかった。いや、毎夜夢の中では抱いて居たがそれ以外に女とこういった接触はない。現実にはこの二カ月半女を抱いたことはないのにも関わらずこの跡の数々。まさに雪夜にとって「は?」だった。
さらに鎖骨下に映るキスマークを一つ見つけ雪夜は頭を抱えた。確かに覚えがあるのだが、あくまでも夢の中だけだった。
「嘘だろ……」
何があっても時間は過ぎ行くもので、今日の予定を思い出した雪夜はとりあえずシャワーを浴びることにしたのだった。
その夜、雪夜がお気に入りの隠れ家のバーに行くと「咲子さんか……」と女性の名前をいとおしげに呟く友人がカウンターに居たので雪夜は隣に座った。
「公平……誰か気になる人でもできた?」
「雪夜さん」
この店の常連客で今一番売れている俳優である友人には気になる人物ができたらしい。圭介にしても公平にしても俺にしても恋に悩むと何故この店で会うのかと雪夜が苦笑していると公平が口火を切る。
「気になる……気になるんでしょうね」
公平が何かを吹っ切った気がして雪夜も静かに口を開いた。
「俺も気になる女がいるよ。ちょっと聞いて欲しいな。夢の中にしか現れない奥さんの話」
ふふっと笑う男に公平は驚く。雪夜はこうも優しげに笑う男ではなかった。
「夢の話ですか?」
「そう。香苗って女とここ三ヶ月の間、夢の中で結婚してる。いつも同じ女……いつの間にか気が狂いそうなほど愛してる。背が小さくて最近髪を切ったらしい。髪を洗った後に髪に薔薇の香りのトリートメントをするのが日課で、得意な料理は煮物系……威勢が良くて、どこか会社勤めをしている。こんなにも気になるのに夢でしか会えない。……実際に居るのかもわからない。だけど俺に爪痕だけ残していくんだ。不毛だとは思うんだけど愛しい。」
雪夜も公平と同じ飲み物を頼んでいて、手元にきたマティーニを呷った。いつもと違う雪夜の様子に、彼もまた自分と同じだと公平は肌で感じる。
「雪夜さん。……俺の話も聞いて下さいよ」
「いいよ」
「去年の夏、圭介とプチ旅行に行った時にあるお宅に立ち寄ったんです。雪夜さんにもお裾分けしたあの葡萄を作っている農家さんなんですが、そこのお嬢さんが気になるんです。こんな気持ちになるの初めてで……」
「ホンモノかもね……」
イタズラな笑みを浮かべる雪夜に公平は頷いた。
「雪夜さん」
「公平の相手は現実に居るんだし、根気よく頑張ってみたら?ホンモノなら絶対手放せないよ」
「……ありがとうございます」
「俺も香苗を探してみることにした。きっとホンモノだからね」
二人はグラスに残ったマティーニを飲み干すと席を立った。
***
「雪夜……」
今日の彼女はどこか違っていた。どこか落ち込んで沈んでいるようだった。
「おかえりなさい」
「ただいま。香苗……どうした?何か悩んでる?」
香苗は悲しそうに首を振る。
「おかしいの……何の接点もないのに……いつの間にかこんなにも好きに」
これは夢なのかそれとも現実なのか。
「香苗……愛してる。必ず見つけてみせるから」
抱き締めていた香苗の姿が消えていく。夢が終わる……
***
公平と会ってから二週間が過ぎたその日を境に夢を見なくなった。突然の蜜月の終焉に雪夜は現実に香苗を探していた。
夢で会えなくなりました。