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ならば法廷でお会いしましょう

作者: 笠原夜子
掲載日:2026/08/14

「そもそも、旦那様……イヴァン様は先代の女伯爵であるエリザベータ様の夫という自覚がなかったように思います」


 まずは一人目。祖父の代から屋敷に仕える初老のメイド長。彼女は年齢を感じさせない姿勢の美しさで、迷うこともなく目の前の司法卿へとそう言った。


「社交も、領内の視察も、イヴァン様が先代の供をした回数は片手で足りるかと。屋敷の管理も先代がほとんどやっておりました。イヴァン様のなさっていたことと言えば後に後妻となるアンナ様と蜜月の時をお過ごしになることだけだったのではないでしょうか。領地の運営に関してはわたくしめには分かりませんが、ほとんどナタリアお嬢様がなさっていたと聞いています」


 メイド風情が!と怒声が飛んできたが、メイド長は気にする素振りも見せずにただ静かに司法卿を見つめていた。発言を求めるために挙手をすれば、司法卿は静かにうなずく。


「父が母と共に領地の視察に出たのは、わたくしが生まれる前の2年は3件、わたくしが生まれてから1件、アンナ様が屋敷に入られてからは0ですわ」


「まあ、本当に片手で足りるだなんて」


 メイド長はわたくしの方を見て小さく笑った。記録の改ざんなど容易だ!とまた怒声が飛んでくるが誰も相手にはしない。メイド長は証言台を降りるとまっすぐわたくしの元にきて、わたくしの手を握ってくれた。母の手とは違う分厚くてすこし硬い手は、子供のころから何も変わってはいなかった。瞳に膜を張った涙を隠すように目を伏せる。


 二人目。わたくしの侍女。わたくしの乳母であった男爵夫人の子だ。年のころも近く、姉妹のように育った。主従の関係はあれど人目のない場所であれば

わたくしたちは気取ることはない。


「アンナ様とその娘であるソフィア様に、ナタリアお嬢様の宝石やドレスを持ってくるよう言われました。この屋敷は今後自分たちが仕切るのだから、前妻の子に贅沢はさせられないと。メイドがちょうどその現場を見ておりましたので、証言が必要でしたら次回連れて参ります。それからナタリアお嬢様ではなくソフィア様に仕えるようにとイヴァン様からもご命令がありました。それから、お嬢様は北の離れの物置部屋に移るようにとアンナ様から言われていました。侍女もなく、服もなく、仕方なしにメイドのお仕着せを着ておりました」


 わたくしはもう一度挙手のうえ発言をする。


「わたくしに与えられたのは日に2度の食事でした。アンナ様や、時にはソフィアが手ずからお持ちくださったのです。お前の食べるものなど下働きと同じで十分だと。わたくし、恥ずかしいことに存じていなかったのですが、うちの下働きの者たちはカビたパンとクズ野菜がわずかに浮かぶ湯しか与えられてなかったそうなのです。神から与えられる糧への感謝はありますが、屋敷を支える者に与えられるのがこんなものだなんてと悲しくて涙が止まりませんでしたわ」


 誤解よ!と悲鳴のような声が聞こえてくる。誤解。確かにそうだ。屋敷の下働きには日に3回食事が出るし、パンはカビていない焼き立てのものだ。スープには野菜も鶏の肉も浮いている。

 侍女は子供のころから変わらない笑顔をわたくしに向けてから証言台を去っていった。わずかに残っていた緊張感がすっと溶けてゆく。


 三人目。王都の教会の大司教。この国の宗教的権威であり、その力を国王も無視することはできない。伯爵家のお家騒動に大司教猊下ほどのお方がお出ましになるとは思わなかったが思わぬ味方だ。わたくしは自分の幸運に感謝した。


「イヴァン殿は、ナタリア嬢が神の前で己の伯爵家の継承権を放棄したことを理由に家督の相続を目論んでいるようだが、彼は勘違いをしている。脅しによって行われた誓約は無効だ。伯爵領の教会の司教から報告が上がっている。神に偽りの誓約をすることにナタリア嬢が苛まれていると。尊き神への誓約を己の野心で穢したイヴァン殿を、教会側としては厳しく糾弾したい」


「偽りの誓約であればそれを述べた方に問題があるだろう!私に落ち度はない!」


 司法卿が何度目かのため息のあと、法廷騎士に父の拘束を命じたが、それを大司教が止める。


「神への誓いとは心からのものでなくてはならない。嘘を誓うことは神への裏切りであるし、覚悟なき誓約は冒涜である。しかしながら首元に剣を突き付けられた状態でか弱き令嬢が誓いを述べさせられるのならば、神は剣の持ち主に罰をお与えになるだろう」


「ナタリア!大司教猊下に証言しろ!伯爵家の権利の放棄はお前がしたことだ!神に誓っただろう!」


「ええ、誓いましたわ。けれどそれは、お父様がそうしなければお母様の墓を壊し、遺体を野辺に打ち捨てるとおっしゃったからです」


「証拠がない!」


「先ほども申したが伯爵領の教会の司教から報告が上がっている。誓約が行われる前にナタリア嬢が涙ながらに訴えたそうだ『母の死後の安寧を守るためでも、わたくしは神に望まぬ誓約をすることが恐ろしい』と。半信半疑であった司教のもとに誓約書が届けられ、報告書と共に私の元に届いたのだ。イヴァン殿は神に仕える我々が、司法の場で嘘を吐くと思っているのかね」


 父は唸り声を上げて腰を下ろした。否定も肯定もしなかったが、この態度を司法卿がどう判断するかは考えるまでもない。と思いたい。


 物心ついた時からわたくしは父を父だと思ったことはなかった。領地経営も屋敷を仕切ることも、すべて母であったエリザベータ女伯爵が担っていたのだ。侯爵家の三男であった父は実家の身分を笠に着て面倒な仕事をすることはなく、母と結婚する前からの仲であったアンナ様との関係を隠すことはしなかった。

 母も文句のひとつくらい言えばよかったのに、と思う。貴族の結婚は家同士の結びつきだ。愛だの恋だのと夢を見るのは勝手だが、現実はそうでないことを父に言い含めるべきだった。もっとも、それをあの父が受け入れるとは思わないけれど。


 母はわたくしにすべてを教えた。領民とのかかわり方、税のこと、社交のこと、屋敷のこと。自分の後を継ぐわたくしが苦労をしないように、迷わないように、間違うことのないように。父のような男とは絶対に結婚したくないわ。だからお母さま、とびきり優しくて賢くて誠実な方をわたくしの夫に選んでね、と笑いあっていたころに母は死んだ。病気なんてほとんどしない人だったのに、大したことのなかった風邪をこじらせて死んだのだ。


 父はこれ幸いと、母の一周忌の追悼式が終わる前にアンナ様とソフィア様を屋敷に迎えた。アンナ様の死別した結婚相手との子だというソフィアは、不自然なほど父に似ていた。


 後継者であるわたくしが未成年であることを理由に、父は伯爵代理を名乗り始める。けれど母の時代になにひとつ仕事をしてこなかった父に出来ることなどほとんどなく、すべての仕事はわたくしに回ってきた。屋敷の管理だけはアンナ様がやっていたけれど。当然、わたくしという存在は邪魔だった。父は婿であるから伯爵家の継承権はなく、当然後妻の子であるソフィアにもない。父が伯爵家の当主となる方法はふたつ。わたくしが死ぬか、わたくしが継承権を放棄すること。


 厨房の下働きが泣きながらわたくしのもとにやってきたときは流石にわたくしも少し泣いたわ。父はわたくしの死を望み、弱い立場の下働きに毒を盛るように言ったというのだもの。父にとってわたくしは娘ではなく、アンナ様との仲を引き裂いた母への憎しみの証そのものだったのでしょうね。


 それならば、と思った。父がわたくしを愛した母やわたくしを害すのならば、わたくしは力の限り抵抗することにした。幸いにも屋敷の者はわたくしや母を慕ってくれていたので、父やアンナ様に与するものはいなかった。彼らによって虐げられても、使用人たちからの庇護により、わたくしは大した被害を受けてはいない。母と同じ亜麻色の髪をソフィアに乱暴に切られたってわたくしは悲しむだけの少女でいたわ。


 使用人や侍女たちの協力を得て記録と証言を集め、外部へ情報を流し、母の友であった侯爵夫人に訴状を送り、代理人を立てる手続きを依頼した。父やアンナ様にとって、王都の裁判所からの出頭命令など寝耳に水だっただろう。使用人の手引きにより一足先に王都へと出向いていたわたくしには知る由もないことだが、通達のあった日の屋敷の中は大層荒れたそうだ。


「証言の裏付けや証拠の確認は司法省が行う。今回の裁判の目的は未成年であるナタリア嬢の爵位継承承認であったが、先代女伯爵への毒殺の嫌疑やナタリア嬢への毒殺未遂なども改めて調査が入るだろう。関係者は取り調べには真実を語るように」


「偽りの誓約に関しても改めて教会の審問会から判決を下す。審議の最中に君たちが神を裏切ることがないよう祈ろう」



「無事に伯爵となられたこと、お祝い申し上げます」


「メリル侯爵夫人のお力添えのおかげです。夫人には何度お礼をお伝えしたって足りませんわ」


 件の裁判から半年が経った。司法が下した判断は誓約は無効でありわたくしが正当な伯爵であることを認めるということ。成人するまであと二月だったが、領地経営の実績から特例として爵位を認められた。父は殺人と殺人未遂の嫌疑で拘束されている。アンナ様とソフィアは実家に戻ったようだが、メリル侯爵夫人によって流された噂は彼女たちの社交界の立場を奪っている。宝飾品やドレスの賠償はアンナ様のご実家の現当主である彼女の兄君によって行われた。社交界だけでなく実家でも立場がないのは目に見えている。


 馬車が静かに止まった。目の前の青年―――メリル侯爵夫人の次男であるアレクサンダー様は先に馬車を降りてからわたくしにその手を差し出した。


「道中なにかあってはと思いご一緒しましたが、何事もなくお送りできてよかった」


「なにからなにまで、本当にありがたく存じます。屋敷の者にお茶の席を用意させておりますから、道中のお疲れを癒していってくださいませ」


「ナタリア嬢」


 さ、っと。初夏の風が吹いた。短くなった亜麻色の髪が肩口で揺れる。逆光になったアレクサンダー様の顔はよく見えない。


「私は、誠実な人間です」


「……?ええ、メリル侯爵夫人のご子息ですもの。そうでしょうね」


「あなたが母を頼りにしてから司法卿の前に立つまでを、ずっと見ていました。年端もいかない少女が懸命に戦う姿に私は胸を打たれたのです。友人からで構いません、あなたを支える者になれるか、どうか見定めてはくださいませんか」


 予想もしていなかったことに放心する。侯爵家の者でも跡継ぎでなければ婿入りが望まれるのだろう。それこそ父がそうであったように。胸を打たれたというのは建前で、本音は婿入り先にちょうどよいと思われているだけなのかもしれない。


「ありがたい申し出ではありますが、わたくし、結婚相手には求めている資質がいくつかあるのです。伯爵家を継ぐ以上、妥協はできませんわ」


「差し支えなければその資質というのをお伺いしても?」


「とびきり優しくて賢くて誠実な方です」


 驚いたかのように目をわずかに見開いたアレクサンダー様は、そのあと小さく笑った。


「努力いたしましょう。社交界にはライバルが多そうですので」

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