殿下、私を罪人とお呼びになる前に、この封蝋つき報告書をお読みください
「エリシア・フォルン。おまえを、この場で罪人として告発する!」
私の罪状は、殿下の声で読み上げられた。その声は判決文の形式を取らず、広間の梁に触れ、燭台の火を小さく揺らし、招かれた貴族たちの手元から扇の音を奪い、最後に私の名だけを宙へ残した。
燭台は六つ。扉の前の衛兵は四名。私の左手には、白い絹に包んだ薄い束がひとつあり、封蝋はまだ割れていない。数えられるものは、数えたほうがよい。
「婚約者として呼んだのではない。王家を欺き、弱い者を踏みにじった女として呼んだのだ」
アーヴィン殿下は、広間の端まで届く声をお持ちだった。舞踏会の音楽が止まっても通る声であり、返答を待つための余白までは持っていない。
私は礼をした。白い絹包みは左手の位置から動かさなかった。未開封のものは、未開封である間だけ価値を持つ。
「お呼びにより、参上いたしました。殿下」
「まだその呼び方をするか」
殿下の隣で、ミレーヌ・ラドワ様が肩を縮めた。破れた手袋を両手で握り、伏せた睫毛を震わせている。白い手袋の裂け目は、よく見えるように外側へ向けられていた。
「わたくし、ただ、エリシア様にご挨拶をしただけですの」
ミレーヌ様の声は小さい。小さいが、途切れる位置は整っていて、人が聞き逃したくなるところで止まり、聞き返すには遅いところでまた続く。
「それなのに、庭園の奥へ呼ばれて……身の程を知りなさい、と。手袋を破られて、侍女にも口止めを……」
「聞いたか、エリシア」
「はい」
「はい、ではない。認めるのか」
「ミレーヌ様のご発言は、最後まで伺います」
扇の骨が、いくつか私の喉元で止まった。反論のない口元へ、広間は先に印を押したらしい。私は息を浅く整え、左手の包みだけを動かさずにいた。
殿下は一歩近づいた。金の飾緒が揺れ、胸元の宝石が燭火を拾う。距離が縮まれば声量も縮む、という決まりは、殿下の中にはないらしかった。
「弱い者を踏みにじる女を、王家に迎えるわけにはいかない。おまえは伯爵家の名を笠に着て、ミレーヌを追い詰めた。婚約者である私の目を欺き、王宮の庭でまで恥知らずな真似をした」
ミレーヌ様が、手袋を胸へ寄せる。その裂け目は、殿下のほうへではなく、広間のほうへ向いていた。
「殿下、もうよろしいのです!わたくしが我慢すれば...」
「いいや。今日で終わらせる!」
終わらせる、という言葉に、広間の何人かが息をそろえた。視線は王子の口元へ集まり、私の左手にある薄い束をまだ物の数に入れていなかった。
私は白い絹包みを持つ指を、少しだけ直した。封蝋には王立監察院の紋が押されている。鷲と秤。私の家紋ではないし、殿下の紋でもない。
「エリシア。最後くらい、潔く罪を認めろっ!」
「発言の順序をいただけますか」
「弁明か。今さら何を言う」
「弁明ではございません」
私は広間の奥に立つ灰色の制服へ視線を向けた。王立監察院の官吏は、扉脇でずっと動かずにいた。招待客に紛れる色ではないし、紛れる気配もない。
「殿下、私を罪人とお呼びになる前に、この封蝋つき報告書をお読みください」
殿下の眉が上がった。その視線が、私の顔から絹包みへ落ちる。声で裁く手順には、紙を読む工程が含まれていなかったのだろう。
「報告書?」
「王立監察院より、本日この場で開封するよう預かっております。開封者は、監察官殿にお願い申し上げます」
「おまえが用意した紙切れで、この場を逃れられると思うな」
「わたくしが用意した紙であれば、そうでございましょう」
灰色の制服が進み出た。靴音は三つ。監察官グレイルは私の前で止まり、絹包みには触れず、まず殿下に頭を下げた。
「王立監察院、監察官グレイルでございます」
「なぜ監察院がここにいる?」
「王宮内での貴族令嬢間の加害申告、および王族婚約者に関わる名誉毀損の可能性について、照会を受けました」
「誰からだ」
「照会者名は記録にございます。開封後にご確認いただけます」
私は両手で絹包みを差し出した。グレイル監察官は封蝋を確認し、広間に見える高さまで持ち上げる。誰の手から来たかより、どの印が閉じていたかを先に示す高さだった。
「封蝋は真正です」
短い言葉だった。殿下の長い告発のあとでは、その短さだけがよく通った。
「王立監察院保管印。封緘日、今月十四日。開封前の破損なし。受領者、エリシア・フォルン嬢。開封権限者、王立監察官。以上、確認いたしました」
「待て」
殿下が言った。グレイル監察官の手は止まったが、封蝋は下がらなかった。確認済みの印は、広間の目の高さに残っている。
「それは、私の前で読む必要があるのか」
「本件は、第二王子殿下の公開発言により、すでに広間全体が証人となっております。告発が公開であれば、当該記録の確認も同程度に公開されるのが妥当です」
「妥当かどうかを決めるのは私だ」
「監察院の手続き上は、違います」
封蝋が割られた。小さな音だった。紙と蝋の間から、乾いた音がひとつ。ミレーヌ様の手袋が、胸の前でさらに歪んだ。
グレイル監察官は一頁目を開いた。紙の端を揃える音が、広間の奥まで届いた。私の声を重ねる場所は、まだなかった。
「調査対象。ミレーヌ・ラドワ嬢による被害申告。申告内容、今月十二日午後三時頃、王宮東庭園奥にて、エリシア・フォルン嬢より侮辱、物品破損、口止め強要を受けたもの」
殿下が頷いた。報告書はまだ冒頭で、殿下の指先はもう剣帯の飾りを叩いていた。
「その通りだ」
「同日午後三時、エリシア・フォルン嬢は王妃殿下主催の慈善刺繍会に出席。記帳時刻、午後二時四十七分。退席記録、午後四時十二分。王妃付き女官長、および参加者十六名の署名あり」
誰かの扇が止まる。止まった扇は、動いていた時よりよく目立つ。
殿下はすぐに言った。
「記録違いだ。庭園へ抜けたのだろう」
「刺繍会会場の出入口は一箇所です。当日は王妃殿下の宝飾品展示を兼ねており、入退室は衛兵二名が記録しております」
「偶然だ」
「時刻記録について、次頁に詳細がございます」
「偶然だと言っている!」
同じ言葉が、少し大きくなった。殿下の声はよく届く。届くほど、紙面から離れていく。
ミレーヌ様が一歩前に出た。手袋の裂け目は、また外側へ戻っている。
「でも、わたくしの侍女が見ています。侍女が、確かにエリシア様を庭園で見たと」
グレイル監察官は頁をめくった。
「ラドワ家侍女の証言。初回聴取では、東庭園でエリシア・フォルン嬢を見たと証言。二回目聴取において、ミレーヌ・ラドワ嬢より『青いドレスの令嬢をエリシア様と申し立てるよう』指示されたと訂正」
「そんな記録、何かの間違いです...!」
ミレーヌ様の声は、先ほどよりよく通った。小さいままで、広間の奥まで届く声だった。
私は口を挟まなかった。紙はまだ薄くない。薄くない紙に、私の声を重ねる必要もない。
「侍女は脅されたのですわ。エリシア様の家が、きっと...」
「次頁をお願いいたします」
私が言うと、殿下が鋭くこちらを見た。
「おまえは命じる立場ではない」
「お願いいたしました」
グレイル監察官は次頁を開いた。紙の角がそろっていく。裁断のよい紙は、めくられるたびに同じ音を立てる。
「請求書照合。王宮御用達仕立商、請求書番号四一七二。青い絹ドレスの裾修繕、依頼者ミレーヌ・ラドワ嬢。受付時刻、今月十二日午後五時三十一分。添付記録、裾の泥汚れ、右袖の裂け」
ミレーヌ様の指が、破れた手袋を隠した。隠すには、少し遅い。
「庭園で転んだだけです」
「申告書には、手袋以外の衣服破損なし、とあります」
「動転していて、忘れて」
「申告書提出は翌十三日午前十時二分です」
殿下が手を上げた。その一言の前に、広間の背筋が動く。衛兵の靴先が半歩、こちらへ向いた。
「もうよい!」
グレイル監察官の指が、頁の端で止まった。止まったのは指だけで、紙面に並んだ時刻でも、署名でも、請求書番号でもない。
「殿下」
「王族の名において命じる。この報告書の読み上げを停止しろ!」
声が低くなった。今度は広間の端に届かせるためではなく、従わせるための低さだった。
「停止しろと言った。エリシア・フォルンを下がらせろ。これ以上、被害者を辱める必要はない」
衛兵が一歩踏み出した。
一歩。
私の手は、空いていた。絹包みの残りはない。封蝋は割られ、報告書は監察官の手にある。空いた手には、押さえる紙も、掲げる印もない。
衛兵の一人が私の右側に立った。甲冑の金具が鳴る。広間の視線は、殿下と衛兵と私を順に見た。紙から離れた視線は、また人の声に戻ろうとしていた。
ミレーヌ様が、殿下の袖をつかむ。
「殿下、もう、わたくしは」
「安心しろ。私が止める」
止める。一度目より、便利な言葉になっていた。終わらせる、止める、守る。どれも紙に載せると、途端に欄が必要になる。
グレイル監察官が頁を閉じなかった。閉じない指のほうへ、広間の視線がまた少し戻る。
「王立監察院の封蝋報告は、王族個人の命によって破棄、隠匿、または読み上げ停止できません」
殿下の目が細くなる。
「私を侮辱するか」
「手続きを申し上げています」
「私の命令だ」
「記録します。第二王子アーヴィン殿下、今月十五日、王宮大広間において、監察報告書の読み上げ停止を命令」
グレイル監察官は懐から小さな記録板を出した。ペン先が短く走る。止める、と言った声が、そのまま別の紙へ移された。
広間の右手から、硬い声がした。
「殿下、先ほどのお言葉を撤回なさいますか?」
セレナ・ヴァイス様だった。公爵家の令嬢で、薄青の扇を閉じたまま立っている。彼女の周囲だけ、招待客の輪が少し広い。
殿下は振り返る。
「セレナ嬢。これは王家の問題だ」
「王家の問題であればこそ、停止命令の根拠を確認したく存じます。監察院の報告書を、どの規定によりお止めになるのでしょう?」
「おまえまで...!」
「どの規定により?」
同じ文が返った。飾りのない確認だった。扇は閉じたまま、声だけが置かれる。
殿下の喉が動く。
出ない。答えは出なかった。出ない答えの代わりに、衛兵の足が元の位置へ戻った。
グレイル監察官が頁を開いた。
「続けます」
紙の音が戻った。広間が、ようやくその音を聞く場所に戻った。私の空いた手は、相変わらず何も持っていない。
「照合一覧。今月十二日午後二時四十七分、エリシア・フォルン嬢、慈善刺繍会入室。署名者、王妃付き女官長。午後三時三分、ミレーヌ・ラドワ嬢、東庭園通用門より入場。記録者、門番。同行者、ラドワ家侍女」
頁がめくられる。紙の上で、時刻が列を作った。
「午後三時十七分、青い絹ドレスの令嬢が東庭園奥で転倒。庭師見習い、手桶の水をこぼしたと証言。相手令嬢の氏名認識なし。午後三時二十二分、ミレーヌ・ラドワ嬢、庭園通用門より退出。袖口に泥汚れあり。記録者、門番」
ミレーヌ様の唇が開いたが、声は少し遅れた。
「そんな記録、何かの間違いです!!」
二度目。薄い。間違いのほうが、増えすぎていた。
グレイル監察官は続ける。
「午後四時十二分、エリシア・フォルン嬢、慈善刺繍会退室。退室時、王妃殿下より刺繍布を預かる。午後五時三十一分、王宮御用達仕立商、ミレーヌ・ラドワ嬢名義で青い絹ドレス修繕受付。請求書番号四一七二。午後六時四分、ラドワ家侍女、手袋裂けの修繕について別途問い合わせ。請求書番号四一七三」
殿下は紙を見ていなかった。私を見ていた。けれど私は、殿下を見なかった。見るべきものは、頁の上に揃っている。
「十三日午前十時二分、ミレーヌ・ラドワ嬢、エリシア・フォルン嬢による手袋破損および侮辱を申告。申告書には、発生時刻、十二日午後三時。場所、東庭園奥。被害品、白手袋一双。衣服破損記載なし」
紙の上では、時刻は声を荒げない。三時三分は三時三分であり、四時十二分は四時十二分である。どちらかがすがりついても、数字は場所を譲らない。
グレイル監察官が最後の頁を持ち上げた。
「結論。ミレーヌ・ラドワ嬢の申告は、公式出席記録、門番記録、商会請求書、侍女訂正証言と矛盾する。少なくとも、申告時刻にエリシア・フォルン嬢が東庭園に存在した事実は認められない。また、侍女への証言誘導、被害品目の変更、衣服破損の不記載により、申告内容には作為が認められる」
作為。
その語だけが、広間の中央に置かれた。
ミレーヌ様が殿下の袖から手を離した。
「違います。わたくし、そんなつもりでは...」
「虚偽申告の疑いあり。追加聴取を要する」
「殿下、信じてくださいませ! わたくし、本当に...」
「ラドワ嬢」
グレイル監察官の声は、厚い扉を閉めるようだった。
「追加聴取の通知は追って送付します。本日のご発言も記録対象です」
ミレーヌ様は手袋を握り直した。裂け目は内側に入った。布は隠せても、請求書番号は残る。
殿下の顔色は、燭火を受けても戻らなかった。広間の中央に立つ背が、先ほどより少しだけ薄く見えた。
「エリシア」
「はい、殿下」
「おまえは、なぜ先に言わなかった...?」
問いは、告発より小さかった。小さい声は広間の端まで届きにくい。届かない言葉は、便利に消える。
「発言の機会をいただけませんでした」
「私が、聞かなかったと?」
「記録上は、そうなります」
セレナ様が扇を閉じたまま、目を伏せた。広間の誰かが身じろぎをし、衣擦れが一度だけ続いた。
殿下は口を開き、閉じた。謝罪の形にはならなかった。私はそれを待つ役ではない。謝罪は欄外の語であり、封蝋の代わりにはならない。
「監察官殿」
「はい」
「続いて、婚約白紙化および名誉回復の書類をお願いいたします」
グレイル監察官は別の薄い封筒を取り出した。黒に近い紫の封蝋が、燭火を受ける。広間の何人かが、その印を見て姿勢を改めた。
殿下が身を硬くする。
「何だ、それは ・・・」
「婚約白紙化および名誉回復申立書です。公開の場で罪人と呼ばれた事実、監察報告により当該根拠が否定された事実を添付し、提出いたします」
「白紙化だと...」
「はい」
「私との婚約を、おまえから...」
「判断を仰ぎます。わたくしからは、申立てを」
グレイル監察官が封を切り、机を求めた。近くの従者が、小さな署名台を運んでくる。先ほどまで杯を置いていた台は、布を外されるとただの木の板になった。
申立書の一枚目に、私の名はすでに記されていた。エリシア・フォルン。爵位、家名、提出日。署名欄だけが空いている。
私はペンを取った。殿下は、まだ何か言おうとしていた。王族の名誉、誤解、ミレーヌ様への配慮、広間を騒がせた責任。どれも書類には欄がない。欄のない言葉は、今は置き場所がない。
ペン先が紙に触れる。
エリシア・フォルン。
書き終えて、私はペンを置いた。名を戻しただけで、何かを勝ち取ったわけではない。少なくとも、まだ。けれど戻した名は、殿下の声の下にはなかった。
「殿下」
私は礼をした。深すぎず、浅すぎず。婚約者に向ける角度ではなく、王族に向ける角度で。
「本日の記録については、王立監察院および提出先のご判断に従います」
殿下の唇が動いた。
「エリシア、私は」
「わたくしへのお呼び名は、書面で訂正されるものと存じます」
罪人。その二文字は、広間の床に落ちていなかった。紙の上へ移され、線を引かれ、別の書類に添付される。声で付けられたものは、声だけでは剥がれない。
グレイル監察官が申立書をそろえた。割られた封蝋の欠片が、署名台の端に残っている。黒紫の破片は、もう何も閉じていない。
ミレーヌ様は俯いたまま、破れた手袋を握っていた。殿下はその隣で、広間の中心に立っている。中心に立つことと、裁くことは、別の作業だった。
セレナ様が一礼した。私はそれに目礼を返し、扉へ向かった。衛兵は今度は動かなかった。私の前を遮る命令は、どの頁にも残っていない。
広間を出る直前、署名台を振り返った。空いた署名欄は、まだいくつか残っている。殿下のもの。王家のもの。
私はようやく息をした。罪人でないことと、自由であることは、別の書類で証明される。
お読みいただき、ありがとうございます。声で告げられた罪も、紙一枚で返せることがあります。すっとしていただけたなら、書いた甲斐がありました。
ほかの短編や連載も、作者ページからのぞいてみてください。またどこかの夜に。




