第5話 恋するポンコツと傍観者
放課後。駅前のシャッター通りにポツンと残された、釜久羅高校の生徒にとって数少ないオアシスであるファーストフード店。
私はプラスチックのストローでアイスティーをかき混ぜながら、目の前で身悶えしている親友を冷ややかな目で見つめていた。
「あああ……やっちゃった。完全に失敗したよぉ、沙紀……」
テーブルに突っ伏して嘆いているのは、私の親友であり、この世の誰よりも重い恋心をこじらせている真乃極凛だ。昨日から下の学年に編入した彼女は、今日さっそく意中の相手である亀岡頼斗くんにアプローチを仕掛けたらしい。
「で? 具体的に何を言ったのよ」
「隣の席になったから、じっと彼を見つめて……『私のこの視線の意味、解読できるかな?』って」
「……」
私は無言でこめかみを押さえた。痛い。色んな意味で頭が痛い。
「あんたねぇ……それ、完全に乙女ゲームの悪役令嬢か、何か企んでる黒幕のセリフよ? 普通の男子なら引くわよ」
「だ、だって! 頼斗くんってすごく論理的でしょ? だから、難しい問題を与えれば絶対に食いつくと思ったの! あえて答えを言わないことで、私のことを四六時中考えてもらえるっていう、完璧な計算だったのに……!」
凛は顔を上げて必死に弁明するが、その瞳は完全に恋という名の落し穴に首まではまっている。頭脳明晰なはずの親友が、恋愛となるとここまでポンコツになるのかと、私は深い溜め息をついた。
「それで、当の亀岡くんはなんて?」
「『非科学的な事象に割くリソースはない』って、すごく冷たい目で……ウッ、でもあの冷たい目もカッコよかった……」
再び机に突っ伏して身悶えし始める凛。
ダメだこりゃ。重症すぎる。
「そもそも、彼の実家ってあの『インチキ神社』で有名なところでしょ? 非科学的なこととか、意味深な駆け引きとか、一番嫌いそうなタイプじゃない」
「分かってる! 分かってるけど、普通に『好きです』って言って、あっさり振られたら立ち直れないもん……! 私からじゃなくて、彼の方から私に興味を持ってほしいの!」
乙女心とは複雑なものだ。特に、プライドが高く愛の重い凛にとっては、自分から完全に白旗を揚げるのは怖いのだろう。
図書室で彼に体調を気遣われた(凛談)ことで、彼女のモチベーションは完全に復活しているようだが、見通しは果てしなく暗い。
「はぁ……まあ、せいぜい頑張りなさい。でも、あんまり暴走して周りに迷惑かけないようにね」
「うん! 次はもっと巧妙に、彼の論理的思考を刺激するアプローチを考えてみる!」
全く懲りていない親友の力強い宣言に、私は再び頭を抱えるしかなかった。
+++
翌日の放課後。
私は委員会の資料を提出するため、二年生のフロアを歩いていた。階段の踊り場に差し掛かったところで、見覚えのある茶髪の男子生徒とすれ違う。
「おっ、高橋先輩。お疲れ様っす」
首にワイヤレスイヤホンをかけた、佐藤健太くんだった。彼は亀岡くんの悪友であり、この学校の情報通でもある。
「ああ、佐藤くん。ちょうどよかったわ。昨日の今日でアレだけど、そっちの状況はどう?」
私が尋ねると、健太くんは思い出し笑いをするように肩を揺らし、片眉をピクリと上げた。
「状況も何も、腹痛いっすよ。あいつ、真乃極先輩のアプローチをなんだと思ってるか知ってます?」
「……嫌な予感しかしないけど。何よ」
「『エスパー特訓』っす」
「…………は?」
私の思考が、一瞬完全に停止した。
えすぱー? えすぱーって、あの超能力の?
「いやマジで。頼斗のヤツ、先輩からの熱い視線を『千里眼を用いた精神攻撃』だとか言って、一人で物理的な防衛対策を練ってるんすよ。真乃極先輩のこと、本気でヤバいオカルト女だと思ってますぜ」
健太くんは堪えきれないといった様子で、声を上げて笑い出した。
「な、なによそれ……」
私は絶句した。
凛の「論理的思考を刺激するアプローチ」が、まさか「超能力者による精神攻撃」として処理されているとは。いくらなんでも斜め上すぎる。
好きだから見つめているだけなのに、相手はそれをテレパシーの実験だと怯えている。この二人の間には、マリアナ海溝よりも深く、そして絶望的に滑稽なすれ違いが発生していた。
「ひーっ、面白すぎる。俺、しばらくあいつらの観察日記でもつけようかな」
「あんたねぇ……友達なら誤解を解いてあげなさいよ」
私が呆れて抗議すると、健太は涙目を拭いながら悪びれずに笑った。
「無理無理。頼斗のヤツ、『自分が女子に好かれる確率は0%だ』って本気で信じ込んでるから。俺が事実を言ったところで、『何らかの心理トリックだ』って言い張って聞かないっすよ」
そう言ってカラカラと笑う健太くん。
面白半分で傍観を決め込んでいるこの後輩は、性格が悪いと言えばそれまでだが……なぜか、私はその横顔から目が離せなくなっていた。
夕日に照らされた踊り場。彼が笑うと、少し細められた目尻にシワが寄る。その飄々《ひょうひょう》とした態度とは裏腹に、友達の突拍子もない行動を心底楽しそうに語る姿は、どこか無邪気で……。
……あれ?
不意に、胸の奥がチクリと小さく鳴ったような気がした。
これまで特に意識したこともなかった、ただの後輩。少しチャラくて、情報通で、お調子者。
でも、こうして二人で話しているこの短い時間が、思いのほか楽しくて、居心地が良いと感じている自分がいる。
「……ま、お互い苦労するわね。ユニークな親友を持つと」
私は微かな胸の高鳴りを誤魔化すように、ふいっと視線を逸らして言った。
「違いないっすね。あ、先輩、もし向こうが動いたらまた情報共有しましょうよ。俺、先輩とならいい酒……じゃなくて、いいお茶が飲めそうな気がするんで」
「調子に乗らないの」
私は軽く睨みつけるフリをして、彼に背を向けた。
階段を上りながら、自分の顔が少し熱くなっていることに気づく。
ポンコツな親友の恋の行方も心配だが……どうやら私自身も、少し厄介な感情を抱え込んでしまったかもしれない。
エスパー特訓という名の壮大な勘違い劇の裏側で、私の静かな日常も、少しずつ音を立てて変わり始めていた。




