第4話 千里眼の防衛策
翌日。
登校して自分の席に着いた僕は、机にカバンを置くよりも先に、隣の席からの強烈な熱視線に気づかざるを得なかった。
「おはよう、頼斗くん」
昨日編入してきたばかりの真乃極凛先輩が、頬杖をつきながらこちらをじっと見つめている。
その距離が、物理的におかしい。僕のパーソナルスペースを完全に侵略するほど身を乗り出しており、彼女の大きな瞳が僕の顔を至近距離で捉えて離さない。
「おはようございます、真乃極さん。朝から随分と前のめりですね。重心が机の端を超えると転倒のリスクが高まりますよ」
「ふふっ。そうなんだ。頼斗くんって、本当に面白いね」
僕の論理的な忠告に対し、彼女はなぜか嬉しそうに微笑んだ。そして、さらに顔を近づけてきて、挑発するように小首を傾げる。
「ねぇ。私のこの視線の意味、解読できるかな?」
唐突な問いかけ。
僕は瞬時に脳内で思考を巡らせた。彼女は昨日から、やたらと僕に絡んでくる。そしてこの、異常なまでの視線の集中。
間違いない。これは『千里眼』、あるいは視線という物理的なベクトルを利用した『精神攻撃』の類だ。彼女は僕が理屈っぽい性格であることを看破し、あえて答えを提示しないことで、僕の探究心を煽り、彼女の非科学的なペースに巻き込もうとしているのだ。
「ちょっと、わからないですね。答えは?」
「ダメ。もっとしっかり考えて。……まだ教えない」
なるほどね。論理的な人間が『不明な事象の答え』を知りたがる心理を利用した、高度なトラップというわけか。
つまり彼女の目的は、僕を未知の超能力実験のモルモットにすること以外にあり得ないのだ。僕は非科学的な特訓になど、一秒たりとも時間を費やすつもりはなかった。
「……そうですか」
「え?」
「特に興味はありませんので、解読は辞退します。僕は非科学的な事象に割くリソースを持ち合わせていないので」
僕が極めて冷めた態度でそう告げると、彼女は「えっ……あ、うん……」と、肩透かしを食らったように言葉に詰まり、少しだけ寂しそうに視線を落とした。
+++
その日の放課後。図書室。
僕はカウンターの奥で、新着図書のデータ入力を進めていた。
静寂に包まれた空間。キーボードを叩く音だけが響く、極めて効率的な作業時間になるはずだった。
――ジィィィィィィッ。
斜め前方、約五メートル離れた閲覧席から、強烈な視線を感じる。
顔を上げると、文庫本を開いた真乃極先輩が、本には一切目を落とさず、ただひたすらにこちらを凝視していた。僕と目が合っても、彼女は逸らすどころか、頬を赤らめてさらにじっと見つめ返してくる。
……非常に、気が散る。
僕はタイピングの手を止め、小さくため息をついた。
彼女が超能力者気取りの中二病であることはすでに僕の中で証明されているが、今はオカルト云々の話ではない。純粋に、作業効率が著しく低下しているのだ。
僕は席を立ち、真っ直ぐに彼女の座るテーブルへと歩み寄った。
「あの、真乃極さん」
「あっ、頼斗くん……! どうしたの?」
彼女はパッと表情を輝かせ、嬉しそうに顔を上げる。
「先ほどから、こちらの様子を執拗に観察しているようですが。非常に気が散ります。読書をするなら本に集中していただきたい。視線を向けるのはやめてもらえませんか」
僕が淡々と事実と要求を突きつけると、彼女はハッとして顔を真っ赤にした。
「あ、ごめんなさい……! その、つい、目で追っちゃって……邪魔するつもりはなかったの……」
シュンと落ち込み、手元の文庫本の端をいじり始める真乃極先輩。
その様子を見て、僕はふと、昨日の彼女の青白い顔を思い出した。
「……それで」
「え?」
「昨日の今日ですが、時差ボケによる自律神経の乱れは回復したんですか? まだ少し、顔に疲労の色が見えるようですが」
僕が尋ねると、彼女は驚いたように目を丸くした。
「無理をしてまた倒れられては、図書室の安全管理上の問題になりますし、何より再び保健室まで物理的に運搬する僕の労力も馬鹿になりませんからね。体調が優れないなら、早めに帰宅して休息をとることを推奨します」
「頼斗くん……」
彼女の大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。そして、パァッと花が咲いたような、とびきりの笑顔を見せた。
「ありがとう……! 心配してくれてるんだね。私、すごく元気になったよ!」
「……事実確認と、今後のリスクヘッジをしただけです」
なぜこれほど喜んでいるのか理解に苦しむが、これ以上会話を続けると作業に支障が出る。僕は踵を返し、逃げるようにカウンターへと戻った。
背中から感じる視線の温度が、先ほどよりもさらに数度上がったような気がしたが、気のせいだと結論づけた。
+++
翌日の昼休み。校舎の屋上。
僕は手すりに寄りかかりながら、悪友の佐藤健太に事の顛末を報告していた。
「健太。どうやら僕は、本格的にエスパー特訓の標的にされてしまったらしい」
「……ぶっ! げほっ、ごほっ!」
紙パックのイチゴオレを飲んでいた健太が、盛大にむせた。
「お前……また随分と飛躍したな。真乃極先輩のことだろ?」
「ああ。彼女は今朝も、僕に対して『千里眼』と視線を用いた精神攻撃を仕掛けてきた」
「精神攻撃って……ただ見つめられてただけだろ、それ」
「ただの視線ではない。彼女は『私の視線の意味を解読できるか』と挑発してきたんだ。これは明確な、精神感応能力のテストに他ならない」
僕が大真面目に分析結果を語ると、健太は腹を抱えて笑いを堪えるように肩を震わせた。
「ひぃっ……そ、それで? お前はどう返したんだよ」
「『非科学的な事象に割くリソースはない』と宣言し、答えの提示を拒否した。だが、彼女は諦めていないようだ。図書室でも執拗な観察を続けてきたからな」
「いや、お前それ……完全に先輩の好意をへし折りにいってんじゃねーか……」
「好意? あり得ないな。インチキ神社の一味であるこの僕が女子に好かれる確率は0%だ。これは物理法則と同じくらい確固たる事実だよ」
僕が断言すると、健太は呆れたように天を仰ぎ、それからニヤニヤと意地悪な薄笑いを浮かべた。
「なるほどなぁ! そりゃあ高度なエスパー特訓だわ! 真乃極先輩も、なかなかエグいことすんねぇ!」
「だろう? だが僕は屈しない。徹底的な物理と論理で、彼女の非科学的な妄想を暴いてみせるさ」
「おうおう、頑張れよ頼斗。俺は陰ながら、お前のその『防衛対策』とやらを応援させてもらうわ」
健太は面白がるように僕の肩をバシバシと叩いた。
なぜこいつがこんなに楽しそうなのかは不明だが、少なくとも状況の深刻さは伝わったようだ。僕は眼鏡のブリッジを押し上げ、未知の脅威に対する防衛の決意を新たにした。




