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「なぜ、ご令嬢が、このような部屋を……?」


「ええと……ケベック伯爵様は、何もない部屋でお休みになるより、ご研究をされる方ではないかと……」


ベールは改めて部屋を見渡した。


広さは十分。

清潔に保たれているが、どこか『使われていた』痕跡がある。

立派なベットも浴室も備え付けられており、部屋から出ずとも生活が完結する造りだ。


「……ありがたく使わせていただく。ご令嬢に、礼を伝えてくれ」


「かしこまりました。こちらの紐をお引きいただければ、侍女が参ります。何かございましたら、お呼びくださいませ」


扉が閉まり、部屋に静寂が落ちる。

ベールは、ゆっくりと机へ近づいた。


「……なぜ、こんな部屋を……」


器具は真新しいものではない。

だが、丁寧に手入れされ、大切に使われてきたことが分かる。

視線を上げると、乾燥させた薬草が、几帳面に吊るされていた。


「……この家の令嬢は、薬師なのか?」


ぽつりと呟き、ベールはガラス器を一つ手に取った。



「ねえ、ねえ!ケベック伯爵は、あのお部屋を気に入ってくださったかしら!!」


夕方。


客人たちがそれぞれの部屋で寛ぎ始めた頃、

オーレアン辺境伯家の厨房では、赤い髪を無造作に三つ編みにしたラリータが、侍女の手を掴み、ぴょんぴょんと跳ねていた。


「ラリータお嬢様……落ち着いてください……」


「だって!だって!!」


「先ほどもお伝えしましたが、ケベック伯爵様は『ご令嬢に感謝を』と仰っていましたよ」


その言葉を聞いた瞬間、ラリータの顔がぱっと輝く。


「ああっ!ケベック教授は、やっぱり素敵だわ!!もう二度とお会いできないと思っていたのに、こんな機会が巡ってくるなんて……私、なんて運がいいの!」


大声で話し、侍女の手をぶんぶんと振るラリータに、侍女は青ざめる。


「お嬢様!そんなにはしゃいで……辺境伯様に見つかったら、また折檻されますよ!」


その言葉で、ラリータの動きがぴたりと止まった。


「……ほんと。お父様もお母様も、どうしてああなのかしら」


低く、吐き捨てるように言う。


「さっきだって、陛下に『家族紹介』だなんて……不敬もいいところよ。お兄様だって、恥ずかしがっていたわ。そもそも……私が陛下の側妃になれるわけないでしょう?夢を見るのも大概にしてほしいわ……」


「……お嬢様……」


「しかも、こんな濃い化粧までされて……ケベック教授に変に思われなかったかしら……」


ラリータは、嫌そうな顔で鏡に映る自分をチラリと見た。


「……それより!」


ラリータは鏡から視線を外して、顔を上げ緑の瞳をきらきらと輝かせた。


「ねえ、ケベック教授は、あの部屋を見て、他に、何か言っていなかった!?」


侍女の答えを待ちながら、

ラリータの意識は、二階の一室、ベールのいる部屋へと向かっていた。



それは、かつてラリータが、父から逃れられるように策を巡らせ、兄とともにアグルス学園へ通っていた頃の記憶に繋がっていく。


兄は辺境伯の嫡男として騎士科へ。

ラリータは、迷うことなく薬学を選んだ。


このオーレアン領は、立地上、魔物の侵入が多い。

二年前の花祭りでの魔物暴走事件以降、竜騎士団による異形種の討伐で大事は減ったとはいえ、普通の魔物は、今も月に数度、領内へ入り込んでくる。


だからこそ。

薬師の存在は、この領にとって、決して飾りではなかった。


兄は、あの父に代わりに少しでも早く、領主になることを望んでいる……。


なぜなら、

あの父は、もはや『辺境を守る騎士』という本分をすっかり忘れ、自身の栄光と私腹を肥やすことだけに心血を注ぐ、哀れで強欲な男に成り下がっているからだ。


剣を取れば鈍く、判断は遅く、責任は取らない。

それでいて爵位と権威だけは手放すまいとし、周囲に威張り散らす。

辺境の騎士である以前に、人としての誇りすら見失っている。


さらに質が悪いのは、娘であるラリータを「駒」としか見ていないことだった。


自分の思惑どおりに操り、より高位の家へ嫁がせ、その縁を使って己の地位を押し上げる。

そんな浅ましい算段を、恥もなく当然のように巡らせている。


本来、このオーレアン辺境伯領は、父ではなく父の兄が継ぐはずだった。

剣の腕もあり、領民からの信望も厚い、まさに『辺境伯にふさわしい男』。

だが、ある嵐の夜、魔物討伐の最中に事故が起き、兄は帰らぬ人となった。


そして、棚からぼた餅のように爵位を拾ったのが、ラリータの父だ。


剣の才はなく、領地経営の才もない。

判断を誤り、金を浪費し、責任は部下に押し付ける。

どうしようもない、まさに、辺境伯という肩書が浮いている存在だった。


現在、領地が何とか回っているのは、ほとんど兄のおかげだ。


学園に通いながらも、実務は兄が指示を出し、騎士団も兄が実質的に掌握している。

それに加えて、昔からこの家に仕える家令のビショップが必死に支えているからこそ、ようやく崩壊を免れているにすぎない。


もし兄も、ビショップもいなかったなら……

この領地は、とっくに破綻していただろう。


……本当に、危なかった。


それでも父と母は、今も何一つ反省などしていない。

領政には関わらず、社交と遊興に明け暮れ、浪費を重ねる毎日。


兄が必死に支えている現状を『当然』のものとして受け取り、感謝の言葉ひとつ口にしない。


兄は頭が良く、状況を冷静に見極める。

だからこそ、両親を真正面から否定することはせず、適度に持ち上げ、適度に転がしながら、実権だけを握っている。


辺境伯家の騎士団も、領地経営も、今、動かしているのは兄だ。


本当に、あのどうしようもない両親を、手のひらの上で転がしている兄には、感謝しかない。それだけは、心の底から、疑いようもなくそう思っている。


だからこそ、

ラリータは、陛下一行がこの屋敷に宿泊すると聞いた瞬間、思った。


(……これは、好機だわ)


この機会に、自分の首を差し出してでも、現、辺境伯の体たらくを陛下に直接上申する。

これ以上、兄に苦労を掛けてはならない!


父の愚行、領地の実情、そして、この辺境伯領が抱えている危うさを。

そもそも、父は領地の為に国から出る援助金も私用に使っているのだ。

そんなこと絶対許されるわけもない!

ラリータのその覚悟は、間違いなく本物だった。


ただし。


陛下一行の名簿の中に、『ベール・ケベック』の名を見つけた瞬間、

胸の奥で、別の感情がふわりと浮かび上がってしまったのも、また事実だったのだが……。


(……まさか、あの方が……)

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