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ほぼ一日をかけて街道を進み、隣国アサイアとの国境にほど近い村へと到着した一行は、そのまま今夜の宿となるオーレアン辺境伯領へと足を踏み入れた。
オーレアン領は、深い森に囲まれた要塞の地だ。
森の奥には金山や銀山といった鉱山資源を抱え、財力も軍備も潤沢。
隣国との国境線を預かる辺境伯領として、帝国内でも重要度の高い領土の一つである。
今宵宿泊するオーレアン辺境伯の屋敷は、王都の城と比べれば半分ほどの規模とはいえ、地方貴族の館としては明らかに規格外だった。
高い石壁に囲まれ、広大な敷地の奥に堂々と構える屋敷は、この領が、いかに豊かであるかを雄弁に物語っている。
「陛下、此度の旅、お疲れでございましょう」
屋敷の玄関で深々と頭を下げたのは、指にぎらぎらと宝石をはめ込んだ、恰幅の良い男だった。
オーレアン辺境伯。
辺境を預かる騎士というよりは、蓄財に成功した商人のような体躯である。
「二日間、どうぞ我が領でごゆるりとお寛ぎください」
「オーレアン辺境伯。忙しい時期に立ち寄ってすまないな」
ザイル陛下は穏やかに応じた。
「大所帯での訪問になるが、世話になる」
「とんでもございません。陛下にお立ち寄りいただけるとは、我が領の誉れ……」
辺境伯は一拍置き、言葉を続ける。
「恐れながら……我が家族を紹介させていただいても、よろしいでしょうか?」
その瞬間、サキレス・メレドーラの眉がぴくりと跳ね上がった。
一歩前に出かけたサキレスを、陛下は小さく手で制する。
「サキレス……」
無言の制止に、サキレスは一歩引き下がった。
「……よい。紹介せよ」
陛下の許可は、場の空気を波立たせぬための配慮だった。
本来、このような場で家族を引き合わせることはない。
ましてや国王の親善訪問中に、家族紹介を願い出るなど、かなり際どい行為だ。
だが、ザイル陛下は即位してまだ日が浅い。
ここで辺境伯と角を立てれば、後々まで尾を引くと判断したのだろう。
それでも、サキレスの視線が鋭くなった理由は明白だった。
辺境伯の右端に控えていた『年若い令嬢』。
陛下には、まだ正妃も婚約者もいない。
いずれは他国から妃を迎えることになるだろうが、アイゼン帝国の王族は側妃を迎えることが許されている。
我が子が王の側に立てば、
その家は王家と縁を結ぶことになり、家門の繁栄は約束されたも同然だ。
つまりこれは、
右端の令嬢を、陛下に売り込むための挨拶だった。
かなり後方でその様子を眺めていたベールは、内心で小さく鼻を鳴らした。
(……馬鹿馬鹿しい)
政治的駆け引きも、権力欲も、ベールには興味がない。
ただ、長旅で疲れ切った身体を休め、明日の研究時間を確保したいだけだ。
(いいから、さっさと部屋に案内してくれ)
そんなことを考えながら、ベールは一行の後ろで興味なさげに立っていた。
「……そして、こちらが娘のラリータです」
名を呼ばれた娘は、一歩前へ進み出ると、背筋を伸ばし、やや大袈裟とも言えるほど丁寧なカーテシーを披露した。
その動きは洗練されており、少なくとも『見せるため』の所作には慣れている。
「……陛下。ラリータ・オーレアンでございます。お目にかかれますこと、光栄に存じます……」
ゆっくりと顔を上げたラリータは、年齢のわりに濃い化粧を施していた。
だが、それを差し引いても、美しい娘であることは疑いようがない。
(赤い髪に、緑の瞳か……)
ベールは、その色彩の組み合わせを、純粋に美しいと思った。
だが、それは宝石を見て「綺麗だ」と感じる程度の感覚に過ぎない。
ところが……。
ラリータの視線は、陛下へ真っ直ぐ向けられることなく、ふわりと宙を漂い、やがて一瞬だけ、列の後方に立つベールを捉えた。
(……?)
ほんのわずか。
だが、確かに視線が交わった気がした。
挨拶を終えたラリータは、何事もなかったかのように一歩下がり、元の位置へ戻る。
「オーレアン辺境伯。陛下は長旅でお疲れだ。そろそろ部屋へ案内を。」
硬い声で告げたのはサキレスだった。
さすがに、サキレスの苛立ちを感じ取ったのか、辺境伯は慌てて深く頭を下げる。
侍従たちが次々と荷を運び込み、侍女が一行を客室へと案内していく。
その流れの中で、ベールの前に一人の若い侍女が進み出た。
「ベール・ケベック伯爵様。こちらへどうぞ」
促されるまま歩き出したベールは、すぐに違和感を覚えた。
他の者たちは、皆、三階へ向かっている。
だが、自分だけは、二階で足を止められた。
「……俺だけ、二階か?」
「はい。お嬢様のご指示でございます。ケベック伯爵様には、こちらのお部屋がよろしいだろうと……」
両開きの扉が開かれた瞬間、ベールは足を止めた。
まず目に飛び込んできたのは、手入れの行き届いた庭園を一望できる大きな窓。
そして、その次に……机の上に整然と並べられた、実験器具の数々だった。
種類も量も申し分ない。
研究室ほどではないが、必要な器具は、ほぼ網羅されている。
「……お嬢様?」
「はい。ラリータ様でございます」
「ラリータ……」
先ほどの、赤い髪の令嬢が脳裏に浮かんだ。




