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(……どうやら、俺は噂になっているらしい)
「……噂かどうかは分かりませんが……実は、私は薬学に携わっておりまして……」
「まあ!薬学を!?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳がぱっと輝いた。
「ええ。王都の学園で教鞭をとっております。それで、大変不躾なお願いなのですが……薬草を分けていただけませんか……いえ、できれば種をお渡ししますので、育てていただきたいのです。もちろん有償です。そのようなお話に、興味はありませんか?」
「教鞭……先生なのですね……」
教鞭と聞き、ベールの怪しい風体を見つめながら、どこかホッとした顔をするヘーゼル。
だが、その表情も、すぐに困惑に変わる。
「私が……薬草を育てる……?」
ヘーゼル・ガゼットは、少し目を見開き、しかしすぐに楽しそうに、その言葉を繰り返した。
「私が、薬草を育てる……?」
その声音には、驚きよりも好奇心が勝っている。
ベールは、ころころと変わる彼女の表情に、思わず笑いそうになるのを堪えながら、言葉を続けた。
「ええ。ここにある薬草は、どれもとても生き生きしている。土も、水も、手入れも申し分ない。正直に言って、素晴らしい薬草園です」
そう前置きしてから、少しだけ言いにくそうに続ける。
「私の研究では、各国の薬草を扱います。ですが、すべてを自分で育てることはできません。種自体は、キャラバンなどを通じて手に入るのですが……」
そこで、ベールは小さく咳払いをした。
「……私は、致命的に栽培が苦手でして。とにかく、薬草を枯らしてしまうのです」
「まあ……」
ヘーゼルは同情するように目を丸くした。
「ですので、育ててくださる方を探していました。もしご興味があれば、という話なのですが」
「そうなんですね!いいですよ!」
返事は、あまりにも即答だった。
ベールの方が、思わず目を瞬かせる。
「……ええと。本当によろしいのですか?」
「はい。異国の薬草なんて、とても楽しそうです!」
まるで新しいお菓子の話でも聞いたかのような調子だった。
「あ、ああ……では、契約を……」
そこまで考えて、ベールは言葉を失った。
どうやって説得し、条件を提示し、対価を支払うか……そこまで綿密に考えてきたというのに、すべてが空振りだ。
「契約?……そういうのは、いいです」
「……は?」
「だって、ケベック様はガゼット領の領民ですもの。皆で助け合っていきましょう」
にこにこと、当たり前のように言い切るヘーゼルを、ベールは珍しく愕然と見つめた。
「い、いや……さすがに、それは……」
「全然大丈夫です!とても楽しそうですし!」
……なんて領地だ。
のんびりしているとは思っていたが、想像以上だった。
この領主の娘がこれなら、あの民たちが妙に警戒心を持たない理由にも納得がいく。
「……いえ、だめです」
ベールは珍しく、少し強い口調で言った。
「薬草の栽培は、大変な作業です。それに対して対価を支払うのは当然のことです」
するとヘーゼルは、しばらく考え込むように首を傾げ、やがてぽん、と手を打った。
「では、お金はいりません」
「……?」
「その代わり、私に薬学を教えてくださいませんか?」
「私が……あなたに、薬学を?」
「はい。薬草も薬も、すべて独学なんです。好きでやっていますがやはり限界があって……。ケベック様が知識を授けてくださるなら、その代わりに薬草を育てます」
少し照れたように、けれど真剣な目で、ヘーゼルは言った。
「それが交換条件、ということで」
「……まあ、それなら……」
ベールがそう答えると、ヘーゼルは満足そうに笑った。
「では、早速ですが。何か種はお持ちですか?」
そう言って、彼女は笑顔のまま手を差し出す。
ベールは一瞬迷ってから、ポケットに手を入れ、包みを取り出した。
彼女の手のひらに置かれたのは、種袋ではなく……ずしりと重い、茶色の皮袋だった。
「とりあえず、薬学は教えましょう。ただ、やはり無償というのは心苦しい。ひとまず、これで」
そう言い残し、呆然とするヘーゼルを置き去りにして、ベールは去っていった。
中身は、金貨三十枚。
強烈な第一印象を残したベールだったが、結局その金はすべて返され、代わりにベールが領に滞在する間は休みなく薬学を教えることになった。
やがてヘーゼルは、薬学の理解においても非常に優秀であることが判明し、植物を育てる手腕も申し分なかった。
気づけば、弟子にしていた。
ベールは、月に一度、六日間だけガゼット領で過ごすようになった。
王都から馬車で三日かかる距離ではあったが、研究さえできれば場所を選ばない彼にとって、大した負担ではない。
ヘーゼルは、ベールが不在の間、彼の家の管理まで引き受けていた。
六日間で、どうすればここまで散らかせるのか……というほど部屋を荒らすため、彼が帰った後、彼女はしばらく忙しくなるのが常だった。
そんな弟子にベールが好意を抱くまで、時間はかからなかった。
勉強熱心で、世話焼きで、薬学の話が通じる相手。
それは、ベールにとってあまりにも心地よい存在だった。
だが、彼は公爵家で長く忍耐を強いられてきたせいか、恋愛ごとにひどく疎かった。
言葉にしなくとも、この関係は続く。
そう、どこかで高をくくっていた。
それが、それが突然崩れる。
ヘーゼルが、無自覚に恋心を寄せる相手が現れたのだ。しかも、その男は、彼女に明確な好意を向けていた。
流石のベールも焦って、一度だけ気持ちを伝えようと明け透けな行動に出た。
だがヘーゼルは、それにすら気づかなかった。
……完敗だ。
そう悟らされた。
それからは、二人の楽しげな姿を見るたびに、心臓に針を刺されたような痛みが走った。
だが、やがてその痛みも、少しずつ薄れていく。
二人の結婚を祝う頃には、ベールの中でヘーゼルは、
『かわいい弟子』
それ以上でも、それ以下でもない存在になっていた。




