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ラリータはベールに手を引かれ、夜の光に照らされた庭を歩いていた。

石畳に落ちるランタンの灯りがやわらかく揺れ、さきほどまでの喧噪が嘘のように遠ざかっていく。


ラリータの心はまだ、ふわふわと宙に浮いたままだ。


「……急にすまなかったな……あのような場所で……」


少し気まずそうに、けれど真剣な声音でベールが言う。


「い、いえ!そんな!全然!!!……」


勢いよく否定してから、ラリータは慌てて口を押さえた。


「シュバリエ殿下に、お前をあきらめてもらうには……あれが一番手っ取り早くて……」


「……手っ取り早い……?」


その言葉に、ラリータの足がぴたりと止まる。


(……え?もしかして、あれは、殿下を遠ざけるための……芝居だったの……?)


胸の奥が、きゅっと音を立てて縮む。


「ああ、いや、そうじゃない……!」


ラリータの表情を見て察したのか、ベールは慌てて言葉を重ねる。


「くそっ……調子が狂う……」


せっかく整えられた銀髪を、がしりと掻きむしり珍しく苛立ったように毒づくベール。

ラリータは、そんな姿を呆然と見つめる。


「……ラリータ……」


名を呼ぶ声は、先ほどまでよりずっと低く、真剣だった。


「俺は……お前の、ここまでの頑張りを見て……気がついたら、いつも目で追うようになっていて……」


一歩、距離が縮まる。


「この女性と一緒にいたら、きっと楽しいだろうな……そう思うようになっていた……」


「教授……」


「あーーーーっ!もう!」


突然、声を荒げて、けれどどこか自棄になったように続ける。


「とにかく!俺は、お前を誰にも渡したくないと思うほど、想っているって言いたかったんだ!」


そのあまりにも不器用で、真っ直ぐな言葉にラリータの胸が、きゅっと温かくなる。

思わず、ふふっと笑いがこぼれた。


「……教授……」


そして、少し照れたように、でもはっきりと告げる。


「私も……教授を、誰にも渡したくありません」


「ラリータ……」


小さく、宝物のように名を呼ばれて。


次の瞬間、ベールがゆっくりと距離を詰め、そのままラリータを包み込むように抱きしめた。


ラリータは、教授の紫色の綺麗な瞳に吸い寄せられるようにベールの顔を見上げ、そっと目を閉じる。


(……ああ……ここにいていいんだ……)


夜の庭に、二人分の影が静かに重なっていた。



無事に辺境伯領へ戻ってきた一行は、オーレアン辺境伯が国から支給されている援助金を着服していたことを断罪した。


陛下の計らいにより、辺境伯の爵位はすぐさま兄が継ぐこととなり、父と母はさらに東の辺境にある領地へと送られることになった。

その決断の速さはあまりにも素早く、指示を出したサキレス様の手腕には、ただただ恐ろしさすら覚えた。


「ラリ、とても幸せそうだね」


いま、ラリータは兄と二人で小さなテーブルを挟み、朝食をとっていた。


「ふふ……そうでしょう?私、とても幸せだわ」


「ケベック伯爵は先に王都へお戻りになってしまったからね。ラリが寂しそうにしているかと思って、一緒に朝食を取ろうと誘ったんだが……杞憂だったみたいだ」


兄はそう言って、優しく妹に微笑みかける。


「ええ。私も準備が整ったら、この家を離れるわ……」


ベールは、婚約期間中も助手として王都に来てほしいとラリータに願った。

もちろんラリータは、一つ返事で教授とともにいる道を選んだ。


「寂しくなるな……」


「もう、お兄様ったら。そんなこと言って!ランカとの結婚準備もあるでしょう?お互い、寂しがっている暇なんてありはしないわ!」


兄のアルカナは、辺境伯となった途端にランカとの結婚を決めた。

隣家の伯爵家の娘であるランカとは幼馴染で、兄は父の許しが出なかったため、長いあいだ結婚することができずにいたのだ。


父は、もっと高位の貴族令嬢と兄を結婚させようとしていたが断罪され、屋敷を去ることが決まると同時に、アルカナは迷うことなくランカとの結婚を決めたのだった。


「……ようやくだね」


アルカナは、紅茶に視線を落としたまま呟いた。


「父上がいなくなって、ようやく皆が自由になった……これも、ラリのおかげだ……」


「お兄様……」


ラリータは、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

決して父や母を心底憎んでいたわけではない。

けれど、この屋敷で過ごしてきた息苦しさが今になってようやく消えつつあるのも事実だった。


「……ラリは、王都で幸せになるんだよ……」


ふいにアルカナが顔を上げ、まっすぐに妹を見つめる。


「ベール殿は、不器用で、言葉足らずで……だいぶ変わった男だが……」


「ふふ……」


ラリータはそこで先日の一幕を思い出し笑った。


兄と顔を合わせたベールが、しどろもどろになりながらラリータと結婚したいとアルカナに告げてきた、あの日のことは一生忘れないだろう。


「……でも、ああいう不器用な男が本気で手放したくないと思った相手は、絶対に幸せにすると思うんだ」


ラリータは、思わず頬を緩める。


(……ほんとうに、その通りだわ……)


研究室に籠もってばかりで、恋愛ごとにはからきし疎く、肝心なところでいつも言葉を噛み砕いてしまう人。


それでも、あの夜、庭園で必死に想いをぶつけてきた姿を思い出すと、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「ラリ、……お互い結婚して自分たちの家族ができたとしても、私たちはずっと兄妹だ。何か困ったことがあれば、すぐに戻ってくるんだよ」


「ええ……ありがとう、お兄様。そんな日が来ないといいなと思うわ……。とりあえず、次に私がここへ戻ってくるのは、お兄様とランカの結婚式ね」


「ああ、きっとあっという間だと思うぞ」


アルカナは、冗談めいた顔で笑った。


「ふふ……本当に、そうね……」


アルカナとラリータは、その日ゆっくりとした二人の時間を過ごした。




「ラリータ、この実験では、正しい結果が出なかったんだ……なぜだと思う?」


いま、ケベック伯爵家の居間で、ラリータはベールの胸元のクラバットを整えていた。

首を少し上げ、大人しくしているベールだが、その思考は相変わらず実験のことでいっぱいらしい。


「教授、これから兄の結婚式に向けて出発するんですよ?一度、研究から離れてください」


くすりと可笑しそうに笑うラリータをベールは見下ろす。


「……教授、なんて……昔に戻ったみたいだな……」


「昔と言いますけど、意外と最近ですよ?」


「そうか?もう、かなり前のことのように感じるが……」


ふと、ベールの表情が和らいだ。


「ラリータ……半ば強引に王都へ来てもらったが……お前は、いま幸せか?」


ベールは手にしていた書類をそっとテーブルへ置き、ラリータの頬へ手をあてて顔を覗き込んだ。


「……ええ、ベール。私は、この上なく幸せです……」


「……そうか。それなら、よかった……」


安堵したように、ベールは小さく息を吐き微笑んだ。


「俺も、ラリータといられて毎日幸せだ。兄上の結婚式が終わったら……次は、俺たちの番だな……」


深い紫色の瞳が、ラリータを映して柔らかく細められる。


「ええ……待ち遠しいです」


二人は、満ち足りた気持ちのまま、自然に微笑み合った。


ベールは、その真っ直ぐなラリータの視線に吸い寄せられるように、ゆっくりと身をかがめ静かに口づけを落とした。




ベールとラリータの物語はこれで終わりになります。

個人的には腕っぷしの強いラリータをもう少し多めに書きたかったのですが、ラリータが教授のことが好きすぎて、そちらに手が回りませんでした。


また次のシリーズでお会いしましょう。

お読みいただきありがとうございました。

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