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夜会への参加のため、ラリータの部屋へ迎えに現れた人物を見て、彼女は思わず目を瞬いた。
「……サキレス公爵?」
現れたのは、穏やかな微笑を浮かべたサキレス公爵だった。
「ベールは、現在陛下とご一緒しております。ですので、代わりに迎えに参りました」
さらりと告げられ、ラリータは慌てて一礼する。
「まあ……わざわざ恐れ入ります」
「いえ。これほど美しいラリータ嬢をエスコートできるとは、光栄の極みです」
そう言って、公爵は自然な仕草で手を差し伸べてくれた。
(……社交の場でも、やはり一流の方だわ)
本来であれば、すでに家庭を持つサキレス公爵は、令嬢のエスコート役として最適な人物である。
端正な顔立ちに落ち着いた物腰。
今なお社交界で高い人気を誇るのも頷けた。
だが、公爵の隣には、いつも公爵夫人のシャナ様がいる。
どの舞踏会でも、まるで大輪の花が咲き誇ったかのように場を支配する、圧倒的な華やかさ。
若い令嬢たちの間には、シャナ様の密かな『ファンクラブ』があると噂されるほどの存在だ。
(……そんなご夫人の夫君に、美しい、なんて言われても……)
内心では少しばかり気後れしつつも、ラリータは微笑みを崩さない。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、嬉しいです」
礼を述べ、公爵の腕に手を伸ばそうとした……。
「……サキレス公爵。ラリータは、私がエスコートします」
低く、しかしはっきりとした声が割って入った。
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは、息を切らし、明らかに急いできた様子のベールだった。
「……教授……?」
肩がわずかに上下し、呼吸が乱れている。
それでも、その立ち姿は凛としていた。
そして‥…
(……誰、ですか……?)
ラリータは、思わずそんな失礼な考えを抱いてしまった。
目の前に立つベールは、いつもの研究衣姿ではなかった。
身体にぴたりと合った夜会服に身を包み、背中はまっすぐに伸びている。
いつも猫背で、背中を丸めて机に向かっている姿しか見てこなかったせいか、彼がこれほど背の高い人物だったことに、今さら気づかされる。
こんなにも、見上げる存在だっただなんて。
シルバーの髪は後ろへ撫で付けられ、髪は一本に整えられている。
露わになった額と輪郭は、細く尖った逆三角形。
通った鼻筋に、静かながらも強い意志を宿した唇。
そして何より、こちらを射抜くように見つめる、深い紫の瞳。
その整い方は、『メレドーラの至宝』と称されるアクオス竜騎士団長と並べても遜色がない。
……否、少しも引けを取らない。
(……綺麗な瞳……)
思考が止まり、胸の奥がふわりと浮いた。
言葉を失い、ただ、その姿を見つめることしかできなかった。
もちろん、ラリータは知っている。
自分がそう感じるのは、顔立ちの問題だけではないということを。
(……教授だから……)
教授である、というだけで。
ベールである、というだけで。
どんな男性よりも輝いて見える。
そんな戸惑いと、ときめきが入り混じったまま、
ラリータはしばらく、その場から動けずにいた。
「ベール……ずいぶん早いな……陛下との話は終わったのか?」
アクオスは、走り込んできてまだ呼吸の整っていないベールに、呆れたような視線を向ける。
「……解決策が見つかった……もう話をする必要がなくなった……」
息を切らせながらそう答えると、サキレスはなぜか哀れむような目で、ラリータをちらりと見やった。
「……そうか……」
サキレスは小さくため息をつく。
「では……ラリータ嬢。せっかくエスコートができる機会かと思いましたが……ベールが嫌だと……いえ、ベールが来ましたので、私は失礼いたしますね。また後ほど会場で」
公爵はにこりと微笑み、ベールとすれ違いざまに肩をぽんと叩くと、そのまま城の奥へと歩み去っていった。
「……教授、エスコートありがとうございます……。ですが、陛下とのお時間を、ずいぶん早く切り上げたようで……本当によろしいのですか?」
「ああ、問題ない……」
そう答える頃には、ベールの呼吸もすっかり落ち着いていた。
夜会服に身を包んだスレンダーな体と、いつもより整った顔立ちは、ラリータのよく知る『教授』とはどこか違って見える。
ベールは、少しばかりおずおずとした様子で、エスコートのために腕を差し出した。
いつもより背が高く感じられて、ラリータは見上げるようにして教授の顔を見る。
「ふふ……なんだか、私の知っている教授じゃないみたいで……少し緊張します……。でも、今日の教授も、とても素敵です……」
なぜか可笑しくなって、ラリータは柔らかく笑いながら、その腕にそっと手をかけた。
「……サキレスのせいで、こんな格好になってしまったが……」
こちらへ来る際、荷物を一切持ってこなかったベールのために、夜会があることを見越していたサキレスが準備を整えていたのだ。
髪型も服も、彼が手配した侍従たちによって、文句を言う暇もないほど手早く用意されてしまった。
「……ラリータも、綺麗だな……」
「……!!」
最初に「綺麗だ」と言われたときも、胸は大きく跳ねた。
けれど……今のそれは、まるで違う。
不意打ちのような低い声。
ためらいがちで、それでも確かに向けられた称賛。
「……!」
ラリータは言葉を失い、反射的に視線を落とした。
頬が、かっと熱くなるのが自分でもわかる。
「……ありがとうございます……」
かろうじてそれだけを口にすると、ベールはそれ以上何も言わず、ただ、ほんの少しだけ腕に力を込めた。
その仕草ひとつで、胸がいっぱいになる。
やがて、重厚な扉が開かれた。




