30
ラリータが目を覚ますと、隣にいたはずの師匠の姿がなかった。
はっとして身を起こし、慌てて周囲を見回す。
いない。
その直後、簡易の作業台を設けた部屋の方から、忙しない物音と人の気配が伝わってきた。
「……大変!寝すぎたわ……!」
胸がひやりとして、ラリータは布団を抜け出し、部屋へと駆け込む。
そこではベールを中心に、看病にあたっていた者たちが総出で薬草をすり鉢に入れ、ひたすら細かく砕いていた。
立ち上る薬草の香りと、張り詰めた空気……戦いは、すでに再開されている。
「す、すいません!教授、私もやります!」
「ああ、起きたか。頭はすっきりしたか?」
「はい、大丈夫です。何でもやるので、言いつけてください」
ベールは一瞬だけこちらを見てから、作業台の端を指さした。
「あそこに包んである薬を、重症患者から順に飲ませてきてくれ」
視線の先には、白い紙に包まれた薬が、患者の数を上回るほど、三十以上、きちんと並べられていた。
「……もう、こんなに作ったのですね……」
「ああ。俺一人ではない。他の者にも手伝ってもらった」
「……教授は、あまり眠らなかったのですよね……」
思わず、重たい声がこぼれる。
それを聞いたベールは、すり鉢から手を離して立ち上がった。
「……いや。お前の布団のおかげで、思った以上によく眠れた」
「でも……私は、すっかり寝てしまって……」
自分だけが休んでしまったことが、胸に引っかかって離れない。
やるべきことは山ほどある。
患者に薬を届けなければならないとわかっているのに、心が沈んだまま動けずにいた。
私だけ、楽をしてしまった。
その思いを振り払えないまま、ラリータは包まれた薬を胸に抱きしめた。
ラリータの目の前に立つベールは内緒話をするようにラリータのすぐ近くで小さな声で話し出す。
「お前は……ここに来る途中……大きな声では言えないが、山賊と戦っていたのだ……俺より、ずっと疲れていたはずだ。あのまま薬を作り続けていたら、いい結果は出ない。自分が最善の状態で研究に向かうことも、薬師として大切な判断だ」
声は低く、静かだった。
叱るでも、咎めるでもない。
ただ淡々と事実を並べながら、その奥に確かな気遣いを滲ませている。
その口調に、ヘーゼルは思わず言葉を失った。
胸の奥が、きゅっと音を立てて縮む。
張りつめていたものが、急にほどけたような感覚だった。
不意に、ベールがわずかに口元を緩める。
そして、戸惑うラリータの頭に、そっと手を置いた。
「……そう、気負うな。お前はよくやっている」
「……教授……」
名を呼ぶ声が、かすかに震える。
「今日中に、この状況をなんとか安定させよう。さあ、これから忙しくなるぞ。早く、薬を患者に持って行ってやれ」
「……わ、わかりました……!」
優しく背中を押され、ラリータの緑の瞳に涙が滲む。
けれど、それを零すまいと、ぎゅっと口元を引き結んだ。
「行ってまいります!」
「ああ……頼んだ」
薬包を胸に抱き、足早に部屋を出ていくその背を、ベールは静かに見送る。
そして、何事もなかったかのように、再び作業へと戻った。
「先生と、あのお嬢さん……婚約者なのかい?」
声をかけてきたのは、薬作りを手伝ってくれている村のパン屋で働くという、恰幅のいい陽気な女性だった。にやにやとした笑みを浮かべながら、興味深そうにベールを見る。
それは、重症患者たちが一夜を越え、看護の者たちが軽口を叩けるほどに持ち直してきた、その証でもあった。
ベールは、すり鉢を動かす手を一瞬止め、少しだけ考える。
そして、小さく息を吐きながら。
「……そう、なったら……」
わずかに視線を落とし、
「……楽しいのかもしれないな……」
と、ぽつりと呟いた。




