26
(教授を守らなきゃ!)
咄嗟にドレスの裾をつかみ上げ、太ももに隠していた短剣を抜く。
右手に冷たい感触が伝わると同時に、ラリータは迷いなくベールの前に立った。
「ラリータ!?」
ベールが反射的に手を伸ばし、彼女を庇おうとする。
だが、ラリータはその手を即座に払いのけ、逆にベールを床へと押し倒した。
「教授。私は辺境伯の娘です。剣の心得はあります……このまま、床に伏していてください!」
その声は低く、はっきりとしていた。
ベールは、外の異変で完全に覚醒していた。
騎士の叫びに反応し、ラリータを守ろうとした……はずだった。
気づけば、自分は床に転がされている。
目の前の光景に、思わず息を呑んだ。
ラリータの雰囲気が、いつもとまるで違う。
瞳は鋭く、迷いがない。
いつの間にか手にしていた短剣が、鈍く光を反射している。
そして、自分を床に押し倒したあの動き。
無駄がなく、隙がなく、倒された瞬間すら認識できなかった。
「ラリータ……」
「いまは、喋らないでください」
低く抑えた声が、小さく返ってくる。
視線は一度も馬車の扉から離れない。
(……確かに、今の俺は何もできんな)
剣は手元にない。
この狭い馬車の中では、下手に動けば足手まといになるだけだ。
(だが……このまま、守られているだけというのも……)
そう考えた瞬間。
バンッ!
荒々しく扉が開いた。
外では騎士たちが必死に抗戦しているが、どうやら山賊の数が多いらしい。
馬車の中に、下卑た太い声が流れ込んでくる。
「女がいるぞ!」
汚れた服の大柄な男が、身を屈めて馬車に踏み込んできた。
それを見たラリータは一切の迷いなく体を前に投げ出し、短剣を振り下ろした。
「ギャアッ!」
刃が男の顔を裂き悲鳴を上げる。
男が反射的に顔を押さえ、一瞬の隙ができる。
ラリータは躊躇なく踏み込み、喉元へ短剣を叩き込んだ。
すぐさま血飛沫が上がる前に、男の身体を蹴り飛ばし、馬車の外へと放り出す。
続けざまに、馬車へ近づこうとする別の山賊へ向き直る。
流れるような足運び。
無駄のない腕の動き。
その動きは、まるで舞うようだった。
優雅で、滑らかで、そして鋭い。
ベールは、ただ呆然とその背中を見つめていた。
(……強い。それも、実戦の動きだ……)
目が、どうしてもラリータから離れなかった。
返り血を浴び、顔も腕も、ドレスまでもが真っ赤に染まっているラリータ。
それでも、その瞳は生き生きとした緑の光を失っていない。
踊るように揺れる燃えるような赤い髪は、戦場の埃と血の匂いの中で、なお鮮烈に目を奪った。
死と混乱が渦巻くこの場所で、彼女だけが異質なほどに輝いて見える
ラリータ・オーレアン。
なんと、美しい女性なのだろう。
胸の奥から自然と湧き上がるその感情は、ベールの中に静かな熱を残した。
思わず、もっとよく見ようと身を乗り出してしまう。
ラリータは馬車から、ひらりと地面へ降り立った。
そして、目の前で苦戦している騎士のもとへ一気に駆け寄る。
背後から山賊の頭を掴み、首を捻る。
ごきっ、と鈍い音が響いた。
首の骨が折れたのだろう。
大柄な男の身体が、糸を切られた人形のように後ろへ倒れ込む。
戦っていた騎士は、剣を構えたまま唖然と立ち尽くし、ラリータを見つめていた。
そのまま奥へと駆けていく赤い背中を追うように、ベールも馬車を降りる。
騎士三人が、山賊五人を相手に苦戦していた。
そこへ、ドレスを翻し、ひらりと飛び込んでいくラリータ。
この戦場において、彼女は明らかに場違いな異物だった。
だが、その戦い方を見れば、護衛の騎士たちよりもはるかに強い。
短剣一本で、すでに数人を容易く屠っている。
(……ここにいる連中が、最後ね……)
抗戦の只中へ身を滑り込ませ、まず、ナイフを振り翳していた山賊の腹へ、低い体勢から短剣を突き立てる。
不意を突かれた動きに、周囲の山賊も騎士も、一瞬だけ硬直した。
もちろんラリータはその隙を逃さない。
ベールの目では追えないほどの速さで、近くの騎士から剣を奪い取ると、振り向きざまに山賊の胸を正確に貫いた。
胸を突いた山賊が倒れる間もなく、腹を刺され悲鳴を上げる山賊の首を切り落とす。
さらに迷いなく、その隣の男も薙ぎ払う。
あまりの光景に、護衛騎士たちは呆然と立ち尽くしていた。
「何を呆けている!山賊を討て!」
その場に、ベールの怒号が飛ぶ。
はっと我に返った騎士たちは、隙だらけになっている残党へと一斉に斬りかかった。
戦いが収束しつつある中、ラリータは敵が残っていないか周囲を見回す。
そして……馬車のそばに立つベールの姿を見つけると、慌てて駆け寄ってきた。
「教授!まだ危険です、早く馬車に戻ってください!」
「戻るのは君もだ!一緒に来い!」
ベールに怒鳴られたのは、初めてだった。
余計なことをしてしまったのだと悟り、胸がずしりと重くなったその瞬間、
ラリータは、突然ふわりと視界が浮いた。
「……え?」
気づけば、ベールに抱え上げられていた。
「き、教授!?」
ラリータは、完全に混乱していた。
「……」
ベールは何も言わないまま、ずんずんと歩き、ラリータを抱え上げたまま馬車に乗り込む。
「……どういうつもりだ……」
「……え……どう?……と言われましても……」
「なぜ、あんなことをした?」
「ええと……教授を守るため、ですか……?」
ラリータには、ベールがなぜここまで怒っているのか、さっぱりわからなかった。
(教授は……どうして、こんなに怒っているのかしら……?)
ベールの視線は、ラリータの顔ではなく、血に染まったドレスのほうへ向けられているようだった。
「あ……す、すみません! 私、血だらけで……」
慌てて馬車の外へ出ようと立ち上がる。
「……違う。座っていろ」
「え……でも……」
刺すような視線に射抜かれ、ラリータは戸惑いながらも、椅子にちょこんと腰を下ろした。
「お前は、なぜこの国に連れてこられたか……言ってみろ」
「もちろん、教授の助手です」
それだけは、迷いなく答えられる。
「そうだな。お前は俺の助手であって、護衛じゃない……そうだろ?」
「……それは……はい……」
「なのに、なぜあんな危険な場所へ飛び出した?」
「え、ええと……」
言っていいのか、逡巡しながらちらりとベールを見る。
彼はまだ、鋭い目でこちらを見据えていた。
(……きちんと言わないと、だめみたい……)
ラリータは大きく息を吸い込み、さらに怒られることを覚悟して口を開いた。
「……外で戦っている騎士を見ました……。あの人数の山賊相手では、押し切られると判断しました……。教授を守るには、騎士が交戦している間に合流して、早く始末するほうがいいと……」
ベールは、ふっと息を吐いた。
「……そうか」
一拍置いて、低い声が続く。
「まさかラリータが、あそこまで戦えるとは思わなかった。俺の判断ミスだ……。だが、それでもだ」
視線を真っ直ぐ向ける。
「今後、俺を護衛することも、戦いに身を投じることも禁止する」
「……教授……でも……」
「この件についての話は終わりだ」
きっぱりと言い切る。
「とりあえず、俺は一度馬車を降りる。着替えろ」
「教授……」
ベールはそれ以上何も言わず、無言のまま馬車を降りていった。
「……教授を、怒らせてしまったわ……」
ラリータは、悲しみと共に、はぁ……と長いため息をついた。




