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翌朝、王太子殿下の言っていた通りお茶のお誘いがきたので、ラリータは、完璧に整えられた王城の離れのサロンに通されていた。


(……逃げ場がない……)


白と金を基調にした室内は、天井が高く、窓からは手入れの行き届いた庭園が一望できる。

柔らかな日差し、上質な調度品、香り高い茶葉。


どこを取っても、「王太子殿下との優雅なお茶会」と言った舞台だ。


正直、胃が痛い。


「待たせたな、ラリータ嬢」


朗らかな声とともに現れたのは、アサイア国王太子、シュバリエ・アサイア。

昨日と変わらぬ余裕の笑みを浮かべている。


(来た……元凶……)


内心でそう呟きながらも、ラリータは完璧な所作で立ち上がり、淑女の礼をとる。


「本日はお招きいただき、恐れ入ります、王太子殿下」


「いや、大したことはない。足はもう大丈夫なのか?」


「はい、おかげさまで」


(まったく痛くありません。昨日の教授の機転が優秀すぎただけです)


そんな本音は、笑顔の裏に押し込める。


席に着くと、すぐに侍女が茶を淹れ始めた。繊細な動き、静かな音。完璧だ。

アサイア国王太子、シュバリエ・アサイアは若い割には優雅にカップを口に運びながら静かに言った。


「……しかし、ベールがもう一人弟子を取るとはな……」


王太子シュバリエは、湯気の立つカップを指先で軽く回しながら、何気ない独り言のようにそう言った。

磨かれた白磁が、カップ越しに淡く光を反射する。


(……やっぱり、その話から来るのね)


ラリータは、内心で小さく息を整えた。


「……私は、ケベック教授の弟子、というほどの者ではございません」


即座に、しかし角が立たぬよう、声を落ち着かせて否定する。


「私は、あくまで臨時の助手です。教授の研究を補佐する立場にすぎません」


一瞬、室内の空気が静まり返った。


「ほう」


シュバリエは、面白い玩具を見つけたかのように、わずかに眉を上げる。


「なるほど。では、ベールに『従事している』わけではない、と?」


その言い回しに、ラリータの胸がちくりと刺された。


「……今回、教授に同行いたしましたのは、皇帝陛下よりご依頼をいただいたためでございます」


(……私だって、喜んで教授に従事したいわよ!……でも、この場で本音を出すのは危険すぎる……)


「ザイル陛下が?」


「はい。私自身も見識を広めたいと考えておりましたし、教授の助手……ガゼット助教授がご結婚によりご同行できなかった事情もあり……ですので、あくまで今回限りの臨時です」


シュバリエは、しばし黙ってラリータを見つめた。

その視線は、値踏みするようでもあり、試すようでもある。


「ふむ……」


カップを置く、かすかな音がやけに大きく響いた。


「ではラリータ嬢は、特に重要なポジションを担っているわけではないのだな」


「……」


(昨日も思ったけれど……本当に、失礼な方だわ……。私のことを取るに足りないとおっしゃりたいのかしら?)


「ええ。仰る通りでございます」


微笑みを崩さず、静かに肯定する。


「つまり、君がいなくとも、ベールは特に困らないということだ」


「……まあ……そう?、ですね……」


(ここまで言う?本当に意地が悪い……私を怒らせたいのかしら)


胸の奥が、じわりと熱を帯びる。

それでもラリータは、何事もなかったかのように口角を上げた。


その様子を眺めながら、シュバリエはふっと息を吐き、今度は軽い調子で言う。


「では、ラリータ嬢。こちらの国に滞在中、私の話し相手になってくれ」


「え……?」


思わず声が漏れる。


「そんなに重要な役割ではないのだろう?ならば、私に付き合ってくれても構わないはずだ」


「い、いえ……確かに私は重要な立場ではございませんが……ですが、ケベック教授のお手伝いもございますし……それに、陛下のご許可もいただかねば……」


予想外の展開に、さすがのラリータも言葉を選ぶのが遅れた。

シュバリエは、その様子を愉快そうに眺めながら、柔らかく告げる。


「ラリータ嬢。私は、あなたが気に入っているんだよ」


(!!!!!!!……まずい。これは……本当に、まずいわ……)


ラリータの背筋を、冷たいものがすっと走った。


ラリータの目の前に、優雅に腰かけているのは、彼女より五つ年下の王太子だった。

つい先日、正式に立太子したばかりの青年。

端正な顔立ちにはまだ若さが残り、余裕の笑みの奥に、無邪気さと傲慢さが同居している。


(……年下……しかも王太子……最悪の組み合わせだわ……)


隣国の、それも自分より年若い青年が、まさか自分に個人的な興味を示すなど。

ラリータは、その可能性を一度も考えたことがなかった。


(ないわ。絶対に、ない……)


彼女の世界は、薬学と調合、そしてケベック教授の背中でほぼ完結している。

人を惹きつける立場に立った覚えもなければ、立つ気もない。


「どうした?急に黙り込んで」


シュバリエは面白そうに、カップを指先で回しながらラリータを覗き込む。

その視線には、試すような色と、確かな好意が混じっていた。


「……王太子殿下」


ラリータは一拍置き、慎重に言葉を選ぶ。


「そのようなお言葉、私には過分でございます」


「ほう?」


「私は……殿下が想像なさるような人物ではありません」


(というか、想像されること自体が困るのだけれど……)


胸中でそう付け足しながらも、ラリータは微笑みを崩さなかった。


「私は薬学を少し齧っているだけの身でございます……帝国と申しましても、辺境の田舎の人間です。殿下のお目にかなう話題など、とても」


「それはどうかな」


シュバリエは軽く肩をすくめ、笑った。


「君は、自分で思っている以上に面白い」


(……面白い……ですって?)


その評価に、ラリータは内心で首をかしげる。

薬草の配合比率や、教授の癖、教授の素晴らしさ……

それらを語って「面白い」と言われた経験は、これまで一度もない。多分自分はそんなに面白くないはずだが。


「それに……」


シュバリエは少しだけ声を落とし、柔らかく続けた。


「自分を低く見せようとするところが、気に入った」


(……ああ、この方は……)


王太子として生きてきた人間特有の、自信と独占欲。

それが、彼の言葉の端々からにじみ出ている。


(これは……好意というより、興味と支配欲ね……)


ラリータはそう結論づけ、心の距離をさらに一歩引いた。


(やっぱり……教授の方が、百倍落ち着く……)


無骨で、無頓着で、研究の話になると周囲が見えなくなるあの背中。

比べるまでもなく、彼女の心はすでに決まっている。

殿下など入れる隙間もない。


「殿下……」


ラリータは静かに微笑み、しかし一線を引く声音で言った。


「私は、ケベック教授の助手として、この場におります。殿下からのお話はありがたいのですが、陛下……いえ、帝国から預かった役割を全うしたいと存じます」


「……それほどまでに、あのベールの元にいたいと?」


「はい」


即答だった。


その迷いのなさに、シュバリエは一瞬、言葉を失い……

次の瞬間、ますます興味深そうに目を細めた。


「なるほど……」


(……あ、これは余計に目を付けられた気がする……)


ラリータはそう直感し、内心でため息をついた。


(お願いだから、早く諦めて!……ああ、いますぐ教授に会いたい……)


王太子の視線を正面から受け止めながら、

彼女はただ一人、全く別の人物の姿を思い浮かべていた。

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