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「は?」


ラリータの口から反射的に出た声は、驚きよりも明らかに拒絶の色を帯びていた。

しまった、と気づいたラリータは、遅れて言葉を取り繕う。


「い、いえ……あの、その……ワ、ワタクシなどが、王太子殿下と踊るなど……」


だが、最初の「は?」はすでに取り消しようもない。

次の瞬間、王太子は笑い出した。


「ははははっ!キーン、聞いたか?今のだ!」


王太子のその笑い声が周りの人々の注目を集めている。


「キーン、私はとても気分がいいぞ。遠慮でも建前でもない、心の底からの拒否だ!こんなこと初めてだ!」


王太子は胸を張り、実に晴れやかな表情でそう言い切った。

あまりに清々しい宣言に、キーンは一瞬言葉を失い、どう反応すべきか分からないといった顔で固まる。


ラリータは血の気が引き、「やってしまった」……と悟る。

反射的に、横の教授に救いを求めて視線を向けた。

教授の表情は、相変わらず髪に隠れて見えない。

だが、口元はきつく結ばれている。


「ラリータ嬢、ますます踊りたくなったぞ!」


シュバリエはそう言うが早いか、ラリータの手を掴み、ぐいっと自分の方へ引いた。


「――っ!」


バランスを崩したラリータは、足元を取られた勢いのまま前につんのめり、そのままシュバリエの胸に倒れ込んだ。


ラリータは反射的に、彼の胸元へ手をつき、すぐに体勢を立て直そうとする。

だが次の瞬間、自分がすでに逃げ場のない位置にいることに気づいた。


背後へ下がろうとしても、そこにはすでにシュバリエの腕が回り込んでいる。

直接触れているわけではない……。

それなのに、確実に退路を塞がれていた。

わずかな動きさえ封じられているような感覚に、ラリータの意識が鋭く研ぎ澄まされる。


(……この王太子は、力で来るタイプ。しかも、これを面白がっているわね……)


至近距離にある彼の気配から、ラリータは瞬時にそう判断する。

だが、その内心は一切表に出さない。

表情も呼吸も乱さず、何事もなかったかのように視線を伏せると、すぐに礼を尽くした声を紡いだ。


「……王太子殿下……誠に申し訳ございません」


声は落ち着いており、言葉遣いも完璧だった。


まず詫びるべきは、自分の非礼。

たとえ不可抗力であっても、断りなく王族の身体に触れてしまった以上、それは明確な無礼にあたる。

王族に触れることは、どの国においても厳しく禁じられている行為なのだから。


「……不注意でした。自分で立てますので、お構いなく……」


あくまで自らの失態であるかのように告げながら、ラリータは胸元についていた手にわずかに力を込め、慎重に距離を取ろうとする。

その動きは控えめで、決して相手を拒絶したと受け取られないよう計算されたものだった。


「殿下にお支えいただくほどの身分ではございませんので……」


柔らかな声音。

しかしその言葉には、明確な境界線が込められていた。

それ以上の接触は不要だと告げる、静かな拒絶。


(……私たちはザイル陛下一行の隊員だ。しかも、この方は訪問国の王太子……)


ラリータの思考は、驚くほど冷静だった。


ここで感情的な反応を見せれば、それは個人の問題では済まされない。

皇帝の一行に属する者として、外交上の問題に発展する可能性すらある。


(ここで助手ごときが騒ぎを起こすのは、愚策……)


ラリータは瞬時にそう結論づける。


だからこそ彼女は、徹底して「自分が悪い」という体裁を貫いた。

非はすべて自分にあると示し、相手の行動に疑問を差し挟む余地すら与えない。


まるで、シュバリエが意図的に逃げ場を塞いだなどという可能性など、最初から存在しないかのように振る舞いながら。


(……とんだ、ヤンチャ王太子ね……)


心の中でだけ、静かに毒づく。

顔には微塵も出さず、あくまで慎ましく俯いたまま。


その時だった。


視界の端に、すっと差し込むように別の人影が入る。


「……王太子殿下。私の助手がお手間をおかけしました」


低く、落ち着いた声。

横から静かに伸びてきた手が、ラリータの腕を取った。


その動きはあまりに自然で、強引さはない。けれど、そこには明確な意思があった。まるで、これ以上の接触は許さないと告げるかのように。


引かれる力は驚くほど穏やかだった。

だが、その腕が誰のものか気づいた瞬間、ラリータの胸がきゅっと小さく跳ねる。


(……こんな状況なのに、嬉しいなんて……私って、本当にどうかしてるわね……)


場違いな高鳴りに、自分で呆れそうになる。

しかし、この状況だ。

ラリータは意識を強引に引き戻した。


いま目の前で交わされているのは、冗談や軽口では決して済まされない、張りつめた外交の空気だ。

ほんのわずかな言葉の選び方ひとつで、意味が変わる。


「……私たちは用事がございますので、これで失礼いたします」


ベールの声は低く、抑揚がない。

丁寧な言葉遣いでありながら、その実、一切の交渉の余地を与えない断定だった。


「……ベール。私はラリータ嬢をダンスに誘ったのだが?」


シュバリエは笑みを消し、あからさまな不機嫌を帯びた視線を向ける。

それは軽い抗議ではない。

自分の申し出を遮られたことへの、明確な異議申し立てだった。


場の空気が、ぴんと張り詰める。


「ええ、存じております」


ベールは一瞬も怯まず、淡々と応じる。

視線はまっすぐ。

あくまで礼節の内側に収められた、静かな対峙。


「……ですが、先ほどの失態で、ラリータ嬢は足を捻ったようで……本日はこれ以上の負担は避けるべきかと」


(……え)


ラリータは、思わず瞬きをした。

たしかに、先ほど体勢を崩したとき、わずかに足首を捻った感覚はあった。

だが正直、痛みはほとんどない。

歩くのに支障もない程度だ。


それでも。


ベールの手は、さりげなく彼女の腕を支え続けている。

逃がさないためではない。守るために。


(そこ、見ていてくれていたの……?)


胸の奥が、ひときわ強く鳴る。

驚く暇もなく、ラリータは即座に理解した。


(これは……教授が用意してくれた、完璧な逃げ道!)


状況を荒立てず、相手の面子も潰さず、自分を引き離すための最善手。

ほんの一瞬でそこまで計算して動いたのだと気づき、誇らしさと同時に、くすぐったいような熱が胸に広がる。


「王太子殿下……大変申し訳ございません」


すっと一歩、ベールの横に並ぶ。

守られるだけではない位置。

それでも、彼の腕にほんのわずか支えられている距離。

ラリータは申し訳なさそうに頭を下げた。


「この状態で踊っては、殿下にご迷惑をおかけしてしまうかと……」


声は柔らかく、控えめに。

決して拒絶には聞こえないように。


「大変光栄なお誘いではございますが、どうか……また次の機会に」


(……次なんて、ないけど。私たち、すぐ帰っちゃうからね!)


内心でだけ、きっぱりと言い切る。

外交儀礼と本音は、きっちり分ける。


「……そうか」


シュバリエは一瞬、口を結んだ。

視線が、ラリータの足元、そしてベールの手元へと落ちる。

さすがに、この流れで強く出れば“無理強いした王太子”という印象を残すと悟ったのだろう。

ラリータが内心で小さく安堵した、その直後だった。


「ならば、明日にでも茶に誘おう」


さらりと。


あまりにも自然な口調で、厄介極まりない言葉が放たれる。


「足の具合も気になる。後で連絡させる」


にこりと微笑むその顔は、先ほどまでの不機嫌さを微塵も残していない。

むしろ、楽しんでいるようにさえ見える。


(……え?)


安堵が一瞬で霧散する。


(この人、全然諦めてない……!)


ラリータの背筋に、ひやりとしたものが走る。

王太子の後ろに控えるキーンが、どこか申し訳なさそうにこちらへ一礼する。

その視線は「ご武運を」とでも言いたげで、まるで他人事だ。

シュバリエは踵を返し、悠然と去っていく。


「……厄介な人物に目をつけられたな」


ベールが低く呟き、ラリータを見る。


「……ええ。面倒事の気配しかしません」


ラリータは困ったように微笑みながらも、内心でははっきりと評価していた。


「……明日、俺は陛下とともに学園との交流が入っている」


ベールは視線を落とし、静かに続ける。


「お前と、常に一緒にはいられない」


その言葉に、ラリータは思わず小さく息を呑んだ。


(え……?教授ってば……もしかして、私のことを心配してくれているの?!)


状況としては、どう考えても厄介だ。

それでも、教授が自分を案じてくれた、その事実だけで胸がふわりと浮き立ってしまう。


余計な心配をかけてはいけない。

そう自分に言い聞かせ、ラリータは努めて明るく口を開いた。


「教授に……ご心配いただき恐縮です。ですが、こうなっては仕方がありません。王太子殿下も、きっと私が物珍しいだけでしょう。ですから、さっとお茶をして、さっさと戻ってきます。大丈夫です、ご心配なさらずに」


その元気すぎるほどの返答に、ベールは一瞬だけ目を見開いた。

だがすぐに、肩の力が抜けたように、ほっとした表情で口元を緩める。


「……ああ、わかった。一応、あとで陛下にはこの件を報告しておく」


「はい!陛下へのご報告だけお願いいたします!」


ラリータはそう言って、にっこりと笑った。

それが強がりだと悟られぬように、あくまで軽やかに。

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