17
「う~ん…………着いたのか?」
幸せな妄想に浸っていた、その瞬間だった。
教授が大きく伸びをしながら、ゆっくりと目を開ける。
……起きてしまった。
いや、完全に起きた。
「お、おはようございます、教授。先ほど、アサイア国に入りました」
「……そうか」
まだ寝起きなのだろう。
ぼんやりとした声でそう返すと、ベールは窓の外へ視線を向けた。
「……なんだ?アサイア国の騎士がいるな……?」
国旗が目に入ったのか、不思議そうに目を細めている。
「はい。国境で、アサイア国の騎士様が陛下をお迎えに合流されたようです」
「ふーん……ご苦労だな……」
興味は一瞬で尽きたらしい。
ベールはあっさりと窓から視線を外し、こちらを向いた。
「……君は、寝たのか?」
「い、いいえ……はじめてのアサイア国への旅でしたので……楽しく……窓の外を見ておりました……」
(本当は、教授を楽しく見ていたんだけど……そんなこと、口が裂けても言えないわよね。……このくらいの嘘なら、許されるわよね?)
自分の行動がだいぶ怪しいことは自覚している。
ラリータは、ふいっと視線を逸らした。
「そうか……」
ベールは特に気にした様子もなく、淡々と続ける。
「今夜は、おそらく歓待の席が用意されているだろう。その席に君は参加しなくていい。今日は早めに休むといい」
その言葉に、ラリータの胸が、わずかにもやっとした。
(歓待……?きっと、美しいご令嬢もたくさん出席されるのよね……?教授は未婚で、しかも帝国の伯爵…………え?大丈夫?女性に狙われたりしない???)
「あ……あの……」
思わず、声が出た。
「教授は……その……出られるんですよね?」
「ん?歓待の席に出るかという意味か?……まあ、面倒だが、立場上、出ないわけにもいかないだろうな」
「……でしたら……」
一瞬、迷ってから、意を決して続ける。
「……私も、出てはいけませんか……?」
「出たいのか?」
「……教授が出られるなら……私も……出てみたいです……」
しばらく、ベールはラリータを見たままだった。
そして、小さく肩をすくめる。
「……やはり、君は変わっているな。ああいう場は、面倒なだけだと思うが……まあ、それも経験か」
軽く息を吐いて、言った。
「わかった。君も参加できるよう、伝えておこう」
「……っ!はい!ありがとうございます!」
(……よかった……これで、見張れる……じゃない。……一緒にいられるわね……)
ラリータの胸の奥で、抑え込んでいた感情が、ぎゅん、と膨らむ。
この馬車に乗ってからずっと、それは少しずつ、確実に、大きくなっていた。
それはきっと、ようやく父のことを忘れて、ラリータが心から浮かれ始めてしまったせいなのだろう。
父に持たされた荷物の中を漁れば、夜会用のドレスはすぐに見つかった。
(やっぱり……)
本を入れたはずの木箱は、いつの間にかドレスの箱にすり替わっている。
(……まあ、結果的に助かったからいいか……)
呆れはしたが、三箱ある荷物のうち一つがドレス用になっていた。
もちろん、父の指示に違いない。
「お嬢様、お着替えのお手伝いをさせていただきます」
目を伏せて部屋に入ってきたのは、この国の侍女と思しき女性たちだった。
どうやら着替えを手伝ってくれるらしい。
それは正直ありがたい。
アサイア国は言葉もほぼ同じで、イントネーションに多少の違いはあるものの、会話に支障はない。
これも大変ありがたい。
「……ありがとうございます。助かります。よろしくお願いします」
箱の中にドレスが入っていることを示すと、侍女たちはわずかに目を見開いた。
それもそうだ。
伯爵の助手の女が、煌びやかな夜会用ドレスを持参しているのだから。
おそらく、城付きの侍女なのだろう。
彼女たちは最初こそ驚いたものの、それ以降は一切表情を崩さず、淡々と、しかし手際よくラリータを飾り立てていった。
(ふう……久しぶりの正装だわ。少し派手かしら……)
鏡に映るのは、赤い髪をハーフアップにし、後ろへ艶やかに流した自分。
大きな緑の瞳と白い肌が、はっきりとした対比を描いている。
兄がいつも褒めてくれる、ラリータの夜会の定番の装いだ。
ドレスは赤に近いオレンジ色。
透けるような生地を幾重にも重ね、柔らかな色合いを作り出している。
だが、燃えるような赤髪が相まって、全身が炎を纏ったかのような強い印象を与えていた。
(こうして見ると……私の顔や髪って、やたらと派手ね……)
鏡の端に映る侍女たちの髪や瞳は、ブラウンやグレー、ゴールドがほとんどだ。
この国では、帝国よりも落ち着いた色合いの人が多いのかもしれない。
「お嬢様、ほかにご用命はございますか?」
年配で、侍女たちの中でも立場が上と思われる女性が声をかけてくる。
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」
その言葉を聞くと、侍女たちは一礼して部屋を後にした。




