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一行が出発するその朝、ラリータは父と揉めに揉めた。


父が用意させた荷物は、煌びやかなドレスや宝飾品ばかり。

どれもこれも、身を飾り立てるためのものにすぎない。


「これは遊びの旅ではありません。私は、あくまでケベック教授の助手として同行するのです」


そう何度説明しても、父は聞く耳を持たなかった。

父の頭の中にあるのはただ一つ。

ラリータを使って陛下を籠絡すること。

そのためだけに用意された、不要で見当違いな荷物だった。


あまりに嵩張るうえ、実用性もない。

「一切いりません」と突き返した瞬間、父の顔が歪み、手が振り上げられた。


(殴られる!)


そう覚悟した、その時だった。


「そこまでだ」


制止したのは、陛下ご自身だった。


父はその場で言葉を失い、周囲の視線が一斉に集まる。

ラリータは、出発の場でこれ以上ないほどの辱めを受けた。


(……なんて、みっともない……)


胸の奥が冷え切るのを感じながらも、歯を食いしばる。


だが、その一部始終を見ていたメレドーラ公爵が、

なぜか柔らいだ目を向けてくれたことだけは、ラリータにとって唯一の救いだった。


結局、父は陛下と兄の両方から厳しく窘められ、

用意された荷物のうち、三分の一だけが馬車に積み込まれることになった。

こうして一行は、ぎこちない空気を残したまま、出発した。


「それにしても……辺境伯令嬢は、なかなかのものだな……」


助手という立場で、ベールの馬車に同乗している。

それだけでも本来なら舞い上がってしまうはずだった。


教授と同じ馬車。

前に座る、教授。


それなのに、先ほどの父の暴挙が頭から離れず、胸の奥がささくれている。

せっかくの喜びも、半分以下に削がれていた。


「教授……私のことは、辺境伯令嬢ではなく……ラリータとお呼びください……」


そう告げると、ベールは一瞬こちらを見てから、軽く肩をすくめた。


「そうか?では、ラリータ。とんだ出発になったな……」


ベールのその口元は、わずかに笑っている。

たぶん、これは冗談だ。


可笑しそうな表情の教授を見て、ラリータの胸に、ふわりと嬉しさがこみあげてくる。


(……ラリータって、呼んでもらったわ……)


その事実だけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。

内心嬉しさでいっぱいだったが、ラリータはそっと姿勢を正し、座り直した。


「……ありえません。一行の出発の予定時刻も過ぎてしまいましたし……こんなに皆様にご迷惑をかけて……」


ラリータが俯いてそう言うと、ベールは続ける。


「……だが、サキレスは安心していたな。辺境伯と君の考えが同じではないと、理解できたみたいだぞ……」


そう言って、今度ははっきりと、愉快そうに笑った。


「当たり前です!」


思わず声が弾む。


「私ごときが、陛下のお相手になれるわけもございません!そんなこと、最初から百も承知です!」


ぷりぷりと怒るラリータに、ベールは興味深そうに視線を戻す。


「……君は、面白いな」


「……面白い、ですか?」


不思議そうに問い返すと、ベールはあっさりと言った。


「ああ。陛下は顔も整っているし、普通の若い令嬢なら、目を合わせただけで頬を赤くする。だが、君は違う……だから、面白いと思っただけだ」


その言葉に、ラリータは一瞬、言葉を失った。


(……そんな風に、見られていたなんて……)


思いもよらなかった視線に、胸の奥がきゅっと縮まる。


(だって、私が想っているのは……)


ふと視線を上げると、目の前のベールは、先ほどと変わらず、どこか楽しげに微笑んでいる。

その穏やかな横顔を見つめながら、ラリータは心の中で、そっと言葉にならない想いを抱いた。


(……陛下じゃない。私が、ずっと見てきたのは……)


声には出せないまま、その想いはラリータの胸の奥へと静かに沈んでいった。


数刻もしないうちに、一行は隣国アサイア国との国境に設けられた検問所へと到着した。

そこで、事前に迎えとして派遣されていた隣国の騎士たちと合流すると、場の空気は一気に慌ただしくなる。


それも無理はない。

アサイア国は、アイゼン帝国の十分の一にも満たない国土の国家だ。決して弱小というわけではないが、帝国と呼ばれるアイゼンが誇る広大な領土と国力を前にすれば、規模の差は歴然としている。


本来であれば、隣国の王侯や使節が帝国へ赴き、ザイル皇帝陛下に拝謁するのが慣例だ。

しかし近年のザイルは、「同盟国の実情は、書簡ではなく自分の目で見るべきだ」と言い出し、あえて自ら隣国を訪れる形での親善訪問を選んだ。


その経緯を思えば、隣国側が神経を尖らせるのも当然だった。

帝国の皇帝が直々に国境を越えてやって来る。

それは、アサイア国にとって歓迎であると同時に、これ以上ない重圧でもある。


隣国の騎士たちが一様に背筋を伸ばし、緊張を隠せない様子で一行を迎えたのも、無理からぬことだった。


ラリータは、カーテンのわずかな隙間から外の様子をうかがい、それから、そっと視線を目の前へ戻した。


……教授は、しっかり眠っている。

先ほどから、ぐっすりと。


(こんなに外がざわざわしているのに……全然気にせず眠れるなんて……凄いわ……!さすが教授……!)


感心とも尊敬ともつかない思いを胸に、ラリータは、ベールが眠っているのをいいことに、先ほどから不躾なくらい、じっと教授を観察していた。


(……顔は前髪でほとんど見えないけど……寝顔も……か、可愛い……!)


そこで、はっと我に返る。


(ちょっとラリータ!ダメよ!そんなに見ちゃ!失礼でしょう!?)


自分で自分を叱るのも、これでもう何度目かわからない。


(……でも、寝顔を見られるとか……何これ……すごく幸せなんですけどっ!!!)


胸の奥がそわそわして、落ち着く気配はまるでない。

そのせいで、眠気など訪れるはずもなく、ラリータは結局、また教授に視線を戻してしまう。


(ああ……寝ていると、かわいらしい!……顔に差す影の部分が品があるわ……。あら?そういえば……忘れがちだけど、教授って伯爵様よね。品があるのは当たり前だわ……)


実際のところ、ベールは「品がある」と言い切れる見た目ではない。

むしろ、世間一般で言えば、もっさりとしていて不潔寄りと見られてもおかしくない風体だ。


だが、「恋は盲目」とはよく言ったもので、ラリータの目には、そんな教授の寝姿さえも、なぜかきらきらと輝いて見えていた。

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