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教授の部屋の中は整然としており、机の上には書類と鞄が並んでいる。
その脇に立つ教授の横顔は、先ほど食堂で見たときと同じく、どこか不機嫌さを隠していないように見えた。
(……やっぱり、怒っていらっしゃるわよね……)
ラリータは、まず謝るしかないと判断した。
「教授……出過ぎた真似をしてしまい、誠に申し訳ございません」
部屋に足を踏み入れると同時に、勢いよく頭を下げる。
顔を上げる勇気は、とうていなかった。
「……」
返ってきたのは、沈黙だけ。
言葉がないことが、かえって胸を締めつける。
怒られるよりも、何も言われない方が、ずっと怖い。
ラリータは頭を下げたまま、じっとその場に留まり続けた。
自分の鼓動の音だけが、やけに大きく耳に響いていた。
はあ……と、教授の深いため息が聞こえた。
「……陛下にも、困ったものだ」
ぽつりとそう漏らし、言葉を一度区切る。
「頭を上げてくれ……。私こそ、君を巻き込んでしまったな。申し訳ない」
静かな声だった。
「こうなってしまっては仕方がない。君は特に何もしなくていい。旅行だと思って、一週間、自由に過ごしてくれ……」
その言葉に、ラリータは思わず、がばっと顔を上げた。
「いいえ!それはダメです!」
勢いのまま、言葉が飛び出す。
「きちんとできるかどうかは分かりませんが……教授の助手として、陛下から頂いたお役目を、しっかり全ういたします!」
「……君は、本当にそれでいいのか?」
教授は少し眉をひそめる。
「自分の生活だってあるだろう。辺境伯領の薬師だ。日々、やることも多いはずだが……」
「……父の命令でもあります……」
本心では、まったくそんなことは思っていない。
けれど今は、それが一番、角の立たない言い訳だった。
(……今度こそ、このチャンスを逃したくない)
ラリータは胸の内で、そっと拳を握る。
「……わかった」
教授は、諦めたように小さく息を吐いた。
「だが、本当に私の面倒は見なくていいからな」
「あの……」
少し間を置いて、ラリータはおずおずと口を開く。
「先ほど、陛下が仰っていたヘーゼルさんというのは……教授のお弟子さんの、ガゼット助教授のことですよね?」
「……ああ、そうだ」
短く返される。
「ガゼット助教授はご結婚されたと伺っております……。教授の助手は、お辞めになられたのですか?」
そう問いかけた瞬間、ラリータの胸の奥が、ひくりと揺れた。
無意識のうちに、ベールの顔を見つめてしまう。
ベールは、わずかに眉を寄せた。
その問いを口にした瞬間、ラリータの胸に、過去の記憶が静かによみがえった。
(……あの時、告白しようと必死に勇気を振り絞って教授のもとへ向かった時も…… 隣にいらしたのは、ガゼット助教授だった……。彼女が結婚したと聞いたとき、一瞬だけ、 教授と……? なんて、思ってしまったけれど……)
その記憶をなぞるうち、ラリータは自分でも気づかぬまま、息を詰めていた。
「……ああ」
ベールは短く答えると、わずかに視線を伏せる。
言葉を選ぶように、ほんの一拍、間が落ちた。
「……辞めてはいないのだが……彼女は、ガゼット伯爵夫人になったからな……」
淡々とした声だったが、最後の言葉は、ほんの少しだけ低くなる。
「今後は……会う機会も、減るだろうとは思っている……」
その横顔は静かだったが、どこか割り切ろうとしているようにも見えた。
「……そう、ですか……」
ラリータは、小さく頷く。
「では……教授も、助手がいなくてご不便ですよね……」
探るような問いだった。
だが、ベールはすぐに肩をすくめる。
「まあ……彼女は、確かに、私の身の回りの世話もしてくれていたが……」
一瞬、懐かしむように目を細めてから、すぐにいつもの調子に戻る。
「だが、助手がいなくても問題ない。昔から、私は細かいことは気にしない性格だ」
そう言い切り、どこか照れ隠しのように、少しだけ強めの口調になる。
「一人でやる方が、気楽なことも多い」
(……強がっている……?)
ラリータの胸が、きゅっと締めつけられた。
「……わかりました」
一拍置いて、ラリータは深く息を吸う。
「やはり……私が一週間、ガゼット助教授の代わりに、教授の身の回りのお世話をさせていただきます」
顔を上げ、まっすぐにベールを見る。
「明日から、よろしくお願いいたします」
はっきりとした声だった。
「君……!」
ベールは、思わず顔を上げる。
「先ほどの私の話を……本当に聞いていたのか?」
呆れと戸惑いが混じった視線が向けられる。
「はい、聞いておりました」
ラリータは一歩も引かず、きっぱりと答えた。
「ですが……陛下の命令は絶対ですし、それに……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
「……私自身が、そうしたいのです」
その一言に、部屋の空気が、静かに張りつめた。
ベールは、しばらく何も言わず、ラリータを見つめていた。




