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第13話 魔道具クロノス― 時の牢獄 ―


雨は降っていなかった。

最後に空が涙を落とした日がいつだったのか、

それすら思い出せないほどの、果てしない時間が流れていた。


永い観測の果てに、

初めて訪れた“雨のない夜”だった。

空気はひどく静かで、雫の音も、風の気配もなかった。

まるで世界の呼吸そのものが止まってしまったように、

店のまわりには完全な沈黙が漂っていた。


この世界では

時を測る人間も

涙を流す誰かも

もう存在しない


だが私は――“私だったもの”は――

まだここにいる。


店の奥に据えられた椅子に沈み、

壁いっぱいに並ぶ時計たちの針を、黙って見守り続けている。


――カチリ、カチリ


それだけが、私の存在を証明する唯一の音だった。


時計の針が壁一面を覆っている。

規則正しく刻むはずのその音も、今日はどこか鈍い。


――カ……チ……リ


針が動いてはいるが、どこか遅れ、どこか迷っている。


私はゆっくりと視線を巡らせた。

この店はもう、人が訪れる場所ではなくなっている。

私が人であった頃の記憶を持つ者は誰一人として残っていない。

無垢の鏡を渡した王国も、贖罪の燭台を手にした僧侶の村も、

金糸の帳簿を開いたあの男の世界も──

とっくに終わってしまった。


それでも、私はこの店に留まり続けた。

魔道具クロノスとして、観測者として。

すべての人間の“結末”を見届ける存在として。


だが――

もう、その役目も終わりに近づいていた。



私は、ようやく理解した。

人は救えない。

どれほど祈っても、どれほど忠告しても、

人は必ず、自らの欲と共に堕ちていく。


かつての私はそれに胸を痛めたが、

長い時を過ごすうちに、

感情のほとんどは静かに剝ぎ落ち、

合理だけが私の中心に残された。


その合理に照らせば

人間の選択はすべて


“誤りの連続”


でしかない。


だが同時に──

その誤りこそが、あまりに美しく見えるのだった。


それは共感や情愛ではない。

ただ、完全に“合理化された存在”となった私には、

彼らの不完全さが、

途方もなく複雑で魅惑的な動きとして映ったのだ。

人の愚かさは、もはや感情ではなく、

純粋な構造美として胸に刻まれた。


そしてほんのわずか、

魔道具となる前の“人としての残滓”が、

その光景を懐かしむように疼くのだ。


だからこそ、私は見届け続けた。

観測し、記録し、時を渡り──

誰も知らない場所で、誰も知らない結末の、その先まで。


私は、人間の人生が終わる


“最後の瞬間”


をひとつ残らず見てきた。

そのたび、合理性は冷静に記録を刻み、

人としての名残だけが微かな痛みを覚え、

その痛みが薄れる前にまた次の物語が、

雨のように私の前に落ちてくるのだった。


しかしある時から、

その“わずかな痛み”すら感じられなくなってきた。


そうして私はようやく悟った。


――もう、終わりにしよう


観測を続ける理由が、

救いを信じた“かつての私”の想いが、

摩耗して消えてしまうまえに。


人は変わらない。

そして、私も変わらない。

合理はただ“観測の継続”を淡々と求めるだけだ。


だが私は──

その合理に従うことすら、

もう必要ないのではないかと考えた。


「……もう、いいだろう」


店の奥に広がる静寂は、

まるで終わりを迎える者を優しく包むようだった。


これ以上、人を見続ける必要はない。

誰の破滅も、誰の祈りも、充分に記録した。


そう思った瞬間、

世界はひっそりと私と共に沈み始めた。



「……そろそろ、終わりにするか」


声に感情は乗らない。

だが、その響きだけは確かに“私”だった。


呟いた瞬間、店の空気がわずかに揺れた。

まるで店そのものが、私の決意に反応したように。


観測を終える方法はひとつしかない。

店と繋がる時計のすべてを止めること。

それはすなわち、自分自身の終わりでもあった。


私はカウンターへ歩き、

壁に埋め込まれた時計へ手を伸ばした。


「……長かったな」


そう言い、時計へ触れた。


……カチ


その瞬間、世界の音がひとつ消えた。


続いて二つ目の時計。

三つ目。

十、二十、百――

触れるたび、光がひとかけらずつ消えていく。


カチ……

……カチ……

…………カチ


ついに最後の時計の前に辿り着く。

そしてその終わりは、静かに、確実に近づいていた。


はじまりの国の暦に合わせて作った

この店にある一番古い時計


針はとうに動いていない。

しかし“最後の時”を待つように、

薄く、静かに震えていた。


まるで息継ぎを忘れたように、

音が途切れ、そのまま沈黙が積もっていく。


世界の空気が薄くなる。

色がすり減る。

形が曖昧になり、輪郭さえ霞んでいく。


この店を包む空間そのものが、

巨大な石のように“冷たく重く”沈んでいくのがわかった。


私はただ、その最後の変化を観測していた。


人間であった頃なら恐怖しただろう。

だが今はもう、恐怖の構造を“理解”するだけで、

それを感情として受け取る回路はほとんど残っていない。


それでも――

胸の奥の、ごく小さな残滓だけが疼いた。


(……これで、終わるのだな)


機械のような合理が告げる結論。

そして、その下でかすかに揺れる“人の名残”。


どちらも否定しなかった。

その両方を抱えたまま、私はただ静かに受け入れていた。

それは諦めではなく、

長い贖罪の果てに辿りついた静かな受容だった。



最後の時計へ指先を添えた瞬間、

世界が一気に静まり返り

すべてが静かに停止しはじめた。


色は消え、

音は消え、

世界は沈み、

私はただ、機能を落としていく感覚に身を委ねていた。


(……ようやく、終われる)


そう思った瞬間だった。


――光が、揺れた。


壁に影が差す。

最初はわずかなゆらぎだった。

だが次第に形を持ち、輪郭を生み、

ついには“人”の姿としてそこに立っていた。


私は、理解した。


(……ああ……あなた、なのか)


長い時間で擦り切れたはずの記憶

顔も声ももう残っていないのに――

あの瞬間の瞳だけが消えずにいた。


縄の前に立ち、うつむかず、泣かず、誰も責めない

ただ静かに前を見ながら、

ひとつだけ確かな願いを宿していた瞳


――“あなたは見ていてください”


その穏やかな訴えが、

呪いのように今も胸の底で燃えている。


“最初に救えなかった人”


ただ、そこに立っていた。

あの日のままの気配で。

淡い光をまといながら。


私は世界が停止した中で、

ただ、その姿を見つめ返すしかなかった。


「……私は……終わるつもりだったのだ」


声は震えず、淡々としていた。

だが、内側では何かが軋む。


彼女は答えない。

ただ静かに私を見ているだけ。

優しさとも悲しみともつかない眼差しで。

逃げ場を与えぬまま。


(……見届けよ、というのか。)


そのまなざしは命令ではなく、願いでもない。


もっと深く

もっと古く

もっと強い


“拘束”


だった。


これは救いではなく、呪いだ。

だが同時に、

私が最も願い、最も恐れ、

最も手放せなかった唯一の“繋がり”でもあった。


この瞬間、私は悟る。


(……私は……終われないのだな)


その理解が胸に落ちた途端――


――カチリ


沈黙の中で、

止まったはずの時計がひとつ、動いた。


続いて、

もうひとつ


そして、

店の奥でまたひとつ


音はまるで心臓の拍動のように連なり、

死んだはずの世界へ“時”が戻っていく。


私は倒れ込んだ姿勢のまま、

ゆっくりと目を開いた。


影はもう消えていた。

けれど瞳だけが、胸の奥に焼き付いている。


逃がされなかった。

赦されなかった。

終わらせてもらえなかった。


「……そうか」


その言葉には、

絶望も歓喜も、どちらも含まれていた。


「また……観測を続けろ、ということか」


その瞬間――

時計たちが一斉に息を吹き返し、

クロノスは再び、世界へ軋みながら動き始めた。


外では、雨が降り出した。


まるで、

彼女の瞳が落とした“最初の雫”が

永い時を越えてようやく届いたかのように。



扉の向こうから――かすかな気配がした。


足音


それは確かに“人”の歩みだった。


世界がまだ完全な形を持つよりも前。

景色が定まるよりも前。

“誰か”という存在だけが、

一直線にこの店へ向かってくる――そんな足音。


(……また来るのか)


私は視界を上げた。


扉の影が揺れる。

時間の膜を擦るように、静かに震える。

そして、ゆっくりと……押し開かれる。


まだ、訪問者の姿は見えない。


ただ一つわかる


この世界は、私が終わることを許さなかった。

だからこそ、誰かを送り込んできたのだ。


店全体が、低く、深く、息をした。


――それは、私の意思ではない

――この店そのものの呼吸


私は椅子にもたれたまま、

静かに、ゆっくりと口を開いた。


「……ようこそ、クロノスへ

 あなたの“時”を……見せてください」


その言葉が世界に溶けていく。


私が終えたはずの世界と、

これから始まる世界とが重なり、

そのすべてをつなぐ


“時の牢獄”の中で――


私は、

今日もまた、誰かを迎えるのだった。



魔道具屋クロノスの物語はここで終わりとなります。

アイディアがわけば、続編を作るかもしれませんが、、、、

毎日更新のたびにお読み頂いていた方がいて大変励みとなりました!


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

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