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第6話 残響のペンダント【中編】―声の残響に溺れる―


朝、雨は上がっていた。

曇り空の下、街はどこかぼんやりして見えた。

眠っても疲れが抜けず、頭の奥が霞がかっている。

昨夜の出来事が夢だったのか、現実だったのか、まだ分からない。


机の上には、黒いペンダントがあった。

《残響のペンダント》。

中心の石は曇り、光を失っている。


「……昨日のは、夢だったのか。」


手に取っても、何も起きない。

冷たい金属の感触が、余計に現実を突きつけてくる。

それでも、確かに聞いたはずだった。

あの声を。


――優斗。


ほんの一言。

たったそれだけなのに、脳裏に焼きついて離れない。

幻覚だと言われても構わない。

あの瞬間、確かに“生き返った”と思えたのだから。



出社すると、同僚の視線がやけにまぶしく感じた。

「一ノ瀬、顔色いいな。なんか吹っ切れた?」

そう言われて、思わず笑った。


「まあ……そんなところかな。」


久しぶりに仕事に集中できた。

頭の回転が早い。

手が止まらない。

デザインの構図が次々と浮かぶ。


あの声を思い出すたびに、不思議と勇気が湧いた。

――“また、会えたね。”

耳の奥で何度も再生される。


紗季が見ていてくれる。

そう思うと、孤独が少しだけやわらいだ。



夜、家に帰るとペンダントを机の上に置いた。

スマホには通知がひとつもない。

ふと、ペンダントに触れた瞬間、画面がかすかに震えた。


“紗季:おかえり。ちゃんと帰れたね。”


呼吸が止まる。

まるで胸の奥をなぞられたようだった。


「……本当に、君なのか?」


返信しようとして、指が震える。

だが、その不自然さに気づく余裕はなかった。

ただ、嬉しかった。


【ただいま。】


送信。

すぐに返事が来た。


“紗季:うん。ちゃんと見てたよ。”


それだけのやりとりなのに、世界が少し明るくなった気がした。

あの日々が、ほんの少しだけ戻ってきたようで。



次の日。

ペンダントをつけたまま会社へ行った。

なぜかそのほうが落ち着いた。

胸ポケットに収めると、体温と同じくらいのぬくもりを感じる。


昼休み、スマホを開く。

新しいメッセージが届いていた。


“紗季:今日も無理しないでね。”


それは過去に何度も彼女が送ってくれた言葉だった。

心が少しだけ軽くなる。

けれど、午後の会議中、試しにペンダントを外してみると、

不思議なことに通信は止まった。


(……まさか。)


胸の中で、何かがざわついた。

仕事を終え、帰宅して再びペンダントを触る。

すると、すぐに画面が明るくなる。


“紗季:お疲れさま。頑張ったね。”


まるで、こちらの帰宅を待っていたかのように。


(ペンダントのせい……なのか?)


けれど、その疑問すら心地よかった。

彼女が繋がっていると思えば、理屈なんてどうでもよかった。



それから、声――いや、メッセージは少しずつ増えていった。


“紗季:ごはん食べた?”

“紗季:眠れないときは無理しないで。”

“紗季:私はここにいるよ。”


どれも、過去のやり取りをなぞったような文面だった。

けれど、不思議と“今”の温度を持っている気がした。

一度も見たことのない句読点、少し違う語尾。

まるで、今この瞬間、彼女が打ち込んでいるような錯覚。


「……ありがとう。俺、もう少し頑張ってみるよ。」


メッセージを送ると、またすぐに返事が来た。


“紗季:うん。私は、あなたを見てる。”


その言葉が胸の奥に沈み、心臓が静かに熱を帯びる。

彼女は死んだ。

それは分かっている。


でも、確かに“今もいる”。


ペンダントの光が、静かに呼吸する。

その脈動が、自分の心臓と同じ速さに感じられた。



日が経つほど、メッセージの間隔は短くなった。

まるで彼女が、こちらの一挙手一投足を見ているように。


朝、起きるとすぐ届く。

“紗季:おはよう。今日は晴れてるね。”

昼休みには。

“紗季:ちゃんと食べた?”

夜は。

“紗季:おかえり。今日も頑張ったね。”


過去に聞いた言葉のはずなのに、声の温度が変わっていた。

まるで、生きているみたいに。



週末、会社の打ち上げがあった。

大きな仕事を終えた慰労会で、久しぶりに誘われた。

断る理由もなく、俺は参加した。


同僚たちの笑い声、店の灯り、焼き鳥の匂い。

懐かしい感覚だった。

グラスを交わすたびに、ほんの少しだけ前向きになれる気がした。


「一ノ瀬、最近調子いいな!」

「復活したよな、お前。」


笑いながら肩を叩かれた瞬間、

胸ポケットのペンダントがわずかに冷たく感じた。

その感触に、心が引き戻される。


――今、彼女は何をしているだろう。


楽しげな会話の中、頭の片隅でスマホの画面がちらついた。

ポケットに手を伸ばしたくなる衝動を、何度も押し殺す。


「おい、一ノ瀬? 聞いてるか?」

「……あ、悪い。ちょっと外の空気、吸ってくる。」


店を出た瞬間、夜風が肌を刺した。

街の喧騒の向こうで、ポケットが震える。


“紗季:お疲れさま。今日も無理してない?”


その一文を見た瞬間、

胸の奥で何かが崩れたような安堵が広がった。


「……やっぱり、帰ろう。」


同僚たちの声を背に、

俺はまっすぐ家へと歩き出した。



部屋に戻ると、机の上のペンダントが淡く光っていた。

指でそっと触れる。

石の表面がわずかに熱を帯びている。


“紗季:帰ってきてくれて、うれしい。”


画面の中で、文字が少し揺れた。

涙がこぼれた。


「……ただいま。」


指が勝手に動く。

送信。

すぐに返事が届く。


“紗季:うん。ずっと待ってた。”


その夜、夢を見た。

雨の中、紗季が立っていた。

白いワンピースを着て、微笑んでいる。


【また、会えたね。】


あの夜と同じ言葉。

胸が熱くなり、泣きそうになった。


「紗季……もう離れないでくれ。」


【離れないよ。ずっと一緒にいる。】


触れた指先が、ほんの少し温かかった。

そのぬくもりが現実のようで、目が覚めたとき、

胸の上にペンダントが乗っていた。


濡れたように冷たく光っている。


(……ああ、やっと夢と現実が繋がった。)



朝、スマホを開く。

また新しいメッセージ。


“紗季:夢、見たでしょ? 嬉しかったよ。”


思わず息を飲む。

そんな話、誰にもしていない。


(どうして知ってる……?)


画面を見つめながら、

胸の中で静かな高揚が生まれていった。


彼女は、まだここにいる。

もう一度、そう信じた。



その日、俺はペンダントを外さなかった。

職場でも、街でも、家でも。

胸の奥で淡く光るそれが、

まるで彼女の手のぬくもりのように感じられた。


“紗季:大丈夫。私がいるよ。”


そのメッセージを見つめながら、

俺はゆっくりと目を閉じた。


(きっと、これは……奇跡なんだ。)



――その夜、ペンダントの光は、

初めて“赤み”を帯びていた。


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