第0話 魔道具屋クロノス
雨が降っていた。
街の喧騒が遠くへ滲み、
アスファルトの照り返しが夜を薄く照らしている。
その中に、一枚の看板があった。
「クロノス」――それだけが、かすかに金の文字で刻まれている。
何の店かはわからない。
雑居ビルの裏、誰も通らない細い路地。
明かりも、音も、気配もない。
けれど、その扉の前だけは――
雨が当たらなかった。
◇
扉を開けると、鐘の音が響いた。
懐かしいようで、聞いたことのない音。
店内は狭くも広くもない。
棚には用途の分からない道具が無数に並び、
瓶や箱の中で、淡い光が息づいている。
空気は静かで、
まるで“時間”だけがここに留まっているようだった。
奥のカウンターに、誰かが立っていた。
黒いローブを深く被り、顔は見えない。
「いらっしゃい」
声は、性別も年齢もわからない。
ただ、その響きだけが――人間のものではなかった。
◇
「ここは?」
思わず尋ねると、
ローブの人物はゆっくりとこちらを見た。
「あなたが、来ることになっていた場所です。」
「……どういう意味ですか?」
「時を見失った者だけが、この店の扉を開けられる。
それが、ここ《クロノス》の決まりでして。」
人物は棚の奥を指差した。
そこには、無数の奇妙な品々が並んでいる。
「欲しいものを探しなさい。
それは、あなたの“願い”を映す鏡でもありますから。」
◇
その瞬間、
どこかの棚の上で、ひとつの魔道具が微かに光った。
まるで呼吸するように。
振り向いたときには、もう店主はいなかった。
ただ、奥の方で――時計の針が動く音がした。
――カチリ。
音が鳴るたびに、店の光がわずかに揺れる。
雨の音が遠ざかっていく。
気づけば、外の世界が霞んでいた。
この場所だけが、永遠に取り残されているようだった。
――クロノスは今日も、雨の中で誰かを待っている。




