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扉が開く日

放課後の街を急ぎ足で抜けると、窓のないビルの地下にたどり着く。

ただひたすらに、この場所に来て、自らを削って歌い、踊り、立っていること。

そこが彼らの生きる世界だった。


汗の匂いと古びた床のワックスが入り混じり、低音がスピーカーから響くたびに壁がわずかに震える。

鏡の正面に立つのはGだった。


背は高くない。派手さもない。けれど、整った五感は光に照らされると静かに際立ち、真剣な眼差しは、もうすでにリーダーの輪郭を描いていた。


「もう一回」


少し高い声が合図となり、音楽が再び流れ出す。靴底が擦れる音、息遣い、床の軋み――それらが一つのリズムに溶け合っていく。


(すい)は体を持て余すように動いていた。

少し太り気味で、すぐに息を切らす。

それでも膝に手をついた次の瞬間には、また立ち上がる。

額から滴る汗の向こうに、まだ磨かれていない原石のような美しさが見えた。


Gの隣に並ぶ(けん)は、動きを刻むたびに火花を散らすようだった。

互いに視線を合わせることはなく、それでも一つ一つの振りに挑み合う気配が漂う。

顔立ちは華やかさに欠けるが、均整のとれた輪郭があり、不意に浮かぶはにかんだ笑みが妙に心を惹きつけた。


(ひじり)は端で黙々と振りを繰り返す。

造形は冴えず、鏡に映っても目立たない。

だが、ふとした拍子にこぼす子犬のような笑みが、見る者の緊張を解きほぐした。


スグルは人懐っこい笑みを浮かべ、必要以上に力強く踊っていた。

自信に満ちた仕草の裏で、寝不足を思わせる影が滲んでいる。

その危うさすら甘さに変えてしまうのが、彼の光だった。


だがGは、鏡越しに視線がぶつかっても逸らした。

呼びかけにも答えない。無視することでしか、苛立ちを押し込められなかった。


余裕などどこにもなかった。

デビューを賭けて必死に食らいついている最中に、急に加わった子どもじみた存在――ただそれが気に入らない。

馴染もうとしていることはわかっていた。

大げさな声も、場違いな笑いも、すべて必死さの裏返しにすぎない。

それでもGには、鬱陶しく映るだけだった。


やがて訪れるデビューの日を夢見ながら、

彼らの練習生としての時間は続いていった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



季節が変わり、外の風が冷たくなる頃。

地下の練習室には、いつも以上に張りつめた空気が漂っていた。


それでも彼らの日々は変わらない。

息を切らし、額から汗を流し、それでも立ち続ける。

そうして積み重ねられた時間が、確かにここにあった。


練習を終えた後、床に座り込む音が次々と響く。

タオルで顔を拭う者、水を一気に飲み干す者。

音楽が途切れた練習室には、床に散らばる息遣いだけが残った。


タオルを額に押し当て、目を閉じる。

Gの胸の奥に残るざらつきは、汗でも息苦しさでもなかった。


口を開けば何かが崩れる気がする。

かといって黙り続けるには、あまりに重いものが喉の奥に沈んでいた。


もはや子供じみた意地だと知っている。

かといって、素直に謝る気にもなれない。

プライドがそれを拒み、理性が押しとどめる。


視線を流したまま、喉に絡むものを吐き出すように言葉を落とした。


「……お前も、あのドラマ見てたよな。何時に始まるんだっけ?」


あまりに自然な調子で放たれた言葉に、空気が一瞬だけ揺れた。


自分でも唐突だと思った。

必要な問いかけでもない。

ただ、張りつめた沈黙に小さな裂け目を入れるために、理性が選んだ言葉だった。


スグルはわずかに硬直し、次いで即座に応じる。


「……九時からです。見てるんですか?」


Gは視線を外し、無造作にペットボトルを置いた。


「……まあな」


それ以上は続かない。

和解の証でもない。

ただ、閉ざされていた沈黙に裂け目が入った瞬間だった。


拳は視線を伏せたまま口元をわずかに緩める。


上下は揺らがない。主従のような線は厳然と引かれている。

それでも、その線の上に微かな温度が灯ったことを、誰もが感じ取っていた。


わずかに交わされた声の響きは、やがて年月が過ぎても彼らの中に形を変えて残り続ける。


ある者には、決して忘れられない呼び声として。

ある者には、妙に具体的な情景の断片として。

ある者には、温かな安堵として。

またある者には、流れ込んだ静けさそのものとして。


年月を隔てても、その小さな裂け目から差し込んだ光は消えずに残り続けた。


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