モチベーション・コントロール
今年も、11月がやってきて大学祭で自主製作映画を
上映する準備をする時期になった
ここ数年は予算が少なくてすむからという理由で
出演者が二人だけな、会話劇というか朗読劇のようなのが
何本も作られている
来年、卒業して社会人になる4年生が
脚本、監督、音楽、主演、撮影、編集をして
完成させた動画のサークル内での試写会
モチベーション・コントロール
タイトルが大写しになって映画が始まり
場面説明ナレーション
ここは、とある会社の一室
やる気の管理をする管理職と、管理されている直属の部下
管理職が今日も、やる気を引っ張り出そうと朝礼で演説
そして始まる管理職の煽り文句セリフ
女にモテたいから仕事が出来るようになって
もっと金を稼げるようになりたい
そういう独身若年労働者だろう? 御前等
会社は仕事が出来る人間を色んな意味で優遇する
結婚生活を抱えるにしても、稼げなきゃ
奥さんが子育てに専念する数年の結婚生活が無理だろ?
それ以前に、週末、一緒に出掛けるにしても
男が色んな金を払うのが甲斐性ってもんだから
二人分の食費や交通費を負担しないとならないよな?
それが気にならないくらいに稼ぎが無いと駄目だろ
などなどと、誰もが羨むような女と結婚したいなら
こうした方がいいだろ、ああした方がいいだろ
という感じで、やる気を引っ張り出そうとするセリフを
管理職役の男が話しているシーンが続く
ほぼ、起承転結の起の部分な、この冒頭シーンは
管理職役をする事となった4年生の力量が全て
いや、脚本を書いた4年生の力量もある・・・
誰も何も言わない。変に文句を言うと、じゃ御前が来年やれ
ってな事になって面倒な事になるのが、わかっているからだ
そして、起承転結の承の部分へ
直属の部下が上司である管理職に煽られた通りに
同期入社の社内恋愛をする女に良い所を見せようと
張り切るのだが、カラ回りして
色んな意味で、やりたがるだけな下手くそ
無能な働き者というか、運動会で走っている同級生に
頑張れーと掛け声をかけているだけな常態に嵌っていってしまう
ナレーションが、同僚による、そういった冷ややかな評価を語るのだが
本人は
やる気を出して会社と仕事のために働く社会人な俺
もっと仕事が出来るようになるんだ
と客観的な酷評を、根拠の無い自信で跳ね除け
自分の思い込みと、客観的な評価が乖離していく
転では、その乖離が深刻なものになっていき
統治能力が残念な、うぬぼれ王様常態となった部下を
なんとかしろと管理職へ、人事部から命令が下され
なんとかしようとする管理職
言った指摘や指示を勘違いして
更に変な堂々巡りに嵌るだけになる部下
といった光景がエスカレートしていく
結では、数年後の二人の現状が
ナレーションで語られた後
時間が経過して客観的に考えられるようになった二人が
何故、こうしなかったんだろうか
ああすれば、良かったのにな
と後悔を懺悔する語りと、哀しい音楽で劇は終わる
試写会後の匿名アンケートに書かれるのは
毎年、書かれるのと同じような意見
まあ、いいんじゃないの?
しょせんは大学サークルの自主製作映画だし
来年こそは、出演者が三人以上、いや群像劇を
作れるくらいの予算を確保できるように頑張りましょうね
脚本が、あまりにも やっつけ過ぎね?
毎年、同じような指摘がされるのだけれども
何故か同じような事を観た人が感じるような
内容のものが作られてしまう。
何故か、これは今年の映画のテーマ
モチベーション・コントロール
とかいう心理学用語だか、やる気の管理での手法を指す
言葉で言うなら
先輩が、こんな感じのを作ってたから
それと同じようなものを、やればいいかあ
で、自分の代で、先輩の作ったものより
もっと良いシーンを作り上げたい
という意欲が発生していないからなのだろう
この学園都市の住民気質というのが
保守的に今まで通り、いつも通りに生きていこう
という気質だから、仕方ないのだろう。
いい意味でのアマチュアリズムというもの大事にする
いい意味での初心を忘れない人々へ送る
そんな標語が書かれた上映会チラシを見ながら
そんな事を思いついた日であった。




