第8話 瓦の出自
俺には、気になることがあった。
この瓦を初めて見た時には、文字に気を取られて頭の片隅に追いやられてしまったが、前高市で見た瓦の破片を見て、このことがよみがえってきた。
それは、この瓦の生産地についての疑問である。
古代瓦は俺の専門外だが、それでも、前高市付近にある山王廃寺や上野国分寺の瓦と形態や特徴が異なっていることに気づいていた。
このことを理解するためには、古代の瓦について知る必要がある。
日本古来の伝統的な建築物の屋根は基本、茅葺である。
伊勢神宮や出雲大社の本殿の屋根を見れば納得できるだろう。
瓦は、6世紀に仏教文化の伝来とともに、寺院の屋根に葺かれたのが始まりだ。
日本では西暦588年、崇峻天皇の時に建てられた奈良の飛鳥寺を嚆矢とする。
それ以来、仏教文化が急速に地方に浸透していくにつれ、各地の豪族によって寺院が作られ始める。
それまで地方の豪族たちは、巨大な古墳を造営して勢威を現していたが、それを寺院建築に切り替えていくのである。
群馬では、前橋の山王廃寺、伊勢崎の上植木廃寺、太田の寺井廃寺、吾妻の金井廃寺などが知られている。
一つの寺院に必要な瓦の数は膨大である。
現在の一戸建て住宅に必要な瓦数とは訳が違う。
例えば法隆寺の中央伽藍だけでも、中門と回廊、塔、金堂、講堂など、必要な瓦数は、平瓦・丸瓦・その他を含めて、万のオーダーを軽く超える。
これだけの大量の瓦を調達するには、多数の工人を徴発して、粘土を採掘し、成形し、窯で焼いて、寺まで運ばねばならない。
だから古代寺の近隣には大規模な瓦窯が必ず存在している。
逆に考えれば、生産地と消費地が直線的に結ばれるので、瓦の流通範囲は狭くなる。
赤城山西南麓にいた古代人が、瓦をどこかから拾ってくるとしたら、山王廃寺か上野国分寺か、そこに供給した瓦窯以外にはないはずだ。
だがこの瓦は、そのいずれでもない。
また、上植木廃寺、寺井廃寺、金井廃寺のものとも異なっている。
……いったい、どこから持ってきたのだろう?
何となくだが、関東の瓦とどこか異なるものを、感じさせているような気がする。
この疑問を解くためには、古代瓦を専門に研究している考古学者に見せて、教えてもらう必要がある。
幸い俺には心当たりの人物がいた。
その日、瓦を持って、古代瓦を専門としている男に会いに行った。
彼は、都内にあるP大学考古学研究室で助手をしていた。
名前は、鈴木という。
俺が以前、会社勤めをしていたころ、静岡中部で発掘した平安期の瓦窯から出土したものを見てもらったことが始まりで、俺が独立した後でも、瓦に関して相談に乗ってくれていた。
JR市ヶ谷駅からバスに乗って10分ぐらいで、P大学に到着した。
校門前にある警備室から、考古学研究室に内線をしてもらい、許可証を持って中に入った。
考古学研究室がある大学院棟は、古ぼけた6階建ての建物で、2階の研究室のドアは開け放たれてあった。
部屋の中が丸見えだったが、一応ドアをノックすると、目の前のパーテーションの上に、鈴木助手の顔がぬっと出現した。
「やあ、久しぶりです」
俺が挨拶をすると、笑顔を見せ、パーテーションを巡って、部屋の隅にある粗末なミーティングテーブルに誘った。
部屋の内部は、エアコンがあまり効いておらず、彼の顔は汗ばんでいる。
どこの大学でも考古学研究室は、比較的冷遇されている。
就職に有利な法学や経営学や理化学などの方が優遇され、文科系の研究室はエアコンも効かない古い校舎に押し込められていることが多い。
鈴木助手は研究一筋で、そのようなことにはまったく頓着しないタイプの男だったが、食い物に関しては甘いものに目がないことを、俺は以前から知っていた。
有名店のどら焼きの詰め合わせを手土産として渡すと、彼は露骨に嬉しそうに受け取り、小声で礼を言い、自分のデスクの下にそっと仕舞った。
他の研究室の人たちに、おすそ分けする気配は感じられない。
俺は早速要件を述べ、瓦をテーブルに置き、わかることを教えてくれるように頼んだ。
鈴木助手は、瓦を手に取って、角度を変えながらしばらく見つめ、何か得心したように頷いた。
「中野さん、この瓦は、群馬の前高市から出土したのですね?」
「その通りです」
「うーん。こんなことがあるのかな? あんまり聞いたことがない……」
「何か?」
「実は、この瓦は、平城京から出土しているものと同じです。時期は、8世紀第2四半期(825~850)でしょう。僕の見たところ、平城京の瓦を模して群馬で造ったものではない。平城京のオリジナルそのものです。ですから、当時、誰かが平城京から群馬まで運んだことになりますね。そして……」
彼は、さらに言葉を続けた。
「平城京の中でも、この瓦は比較的限定されたところから出ているのですよ」
「それは、どこですか?」
「左京三条二坊一・二・七・八坪です」
彼はよどみなく答え、立って本棚に行き、その発掘調査報告書を取り出してきて俺に見せた。
だいたい発掘調査報告書などというものは、見てすぐに理解できるような代物ではないが、俺もその時は、「その場所がなんだっつーんだ」という思いで、彼が差し出した報告書を手に取ったが、次の彼の言葉には、息をのんだ。
「この場所は、長屋王の邸宅跡なのです」