第4話 アジ文
翌日朝、俺は年季の入ったリュックに瓦と拓本を入れ、満員電車の洗礼を受けつつ、埼玉から東京西部の八王子に向かった。
車で行かなかったのは、東京の朝の渋滞がいやだったからである。
八王子には、株式会社アジア文化財サービスの本社がある。
文化財業界内では「アジ文」と呼ばれ、業界のシェアは、国内でも5本の指に入る大手である。
そこの文化財調査部長の加藤駿は、俺と同じ大学の2年後輩で、よく俺に発掘調査の仕事を振り向けてくれる。
1か月ほど先から始まる発掘調査事業に調査員として入る仕事も、加藤からのオファーである。
加藤は、俺と同じ日本考古学専攻であるが、学問研究より営業活動や企業経営の方に頭角を現していた。
現在のアジ文の好調な業績は、加藤の手腕によるものと言っていい。
俺は、これまで加藤には、佐伯老人から頼まれたさまざまな古物の鑑定に関して素直に話し、相談に乗ってもらっていた。
加藤にとっては、会社の業務とは無関係な話なので迷惑千万なはずだが、案外こうしたイレギュラーなことは楽しいらしかった。
俺は、昨日受けた依頼に関して、加藤に頼みたいことがあるので電話でアポを取ってあった。
「また、佐伯老人からの依頼ごとですか?」
加藤は、結構興味津々だった。
「古瓦だ。裏面に文字が刻まれてある」
平瓦は、つるつるした凸面の方が表面と思われがちだが、逆である。
建物の屋根には凹面を上にして並べられるので、そちらが表面となる。
「文字?」
「これだ」
と、俺は言ってから、瓦の実物とプリントアウトした漢文の拓本をミーティングテーブルに置いた。
「漢文は苦手なんですよね」
と、加藤が顔をしかめる。
考古学の世界で取り扱う研究範囲は、とてつもなく広大であり、さらに毎年膨大な件数の発掘調査が全国で実施されることによって、絶え間なく拡大し続けている。
先土器時代から明治の近代遺産までの各時代、日本全国細部に至るまで、考古学の最新事情に通じている考古学者など、この世に一人も存在しない。
どうしても専門分野を作らざるを得ないのだ。
加藤の専門は、縄文時代だった。
縄文屋に漢文は無縁である。
俺は笑いながら応えた。
「別に、加藤ちゃんに漢文を解読してほしいとは言っていない」
俺は昨日、茂木太平から聞き取った内容を、かいつまんで説明した。
「瓦が出土した畑を見たが、出たところは地境あたりで、その隣を前高市が最近発掘を行っていたらしい。もしかしたら、この瓦は遺構に伴っていて、その続きを前高市が調査していたかもしれない。それを確認したいんだ」
考古学では、遺物が出土した状況を把握することが、何よりも大事である。
例えば、古墳の石室から遺物を取り出してきても、その遺物単体では考古学的には価値が低い。
どの古墳の石室のどの地点から出土して、他にどのような遺物が伴っていたのか等の情報を把握して初めて、考古学的な価値が高まるのである。
この瓦は、何らかの遺構――おそらく墓であろう――に伴っていた可能性があり、その続きが前高市によって調査されたかもしれない。
しかし、発掘調査が終了したばかりで、まだ発掘調査報告書が刊行される前では、なかなか資料を見せてもらえない。
誰か、前高市にコネを持っている人はいないかと考えていたところ、アジ文が昨年、前高市内で別の場所で発掘調査を行って、現在、報告書作成作業に取り掛かっていることに思い当った。
俺は、その関係で前高市にアクセスすることができるのではないかと考えたのである。
「現在、作業を行っている最中で、前高市とは頻繁に打合せを行っています。その時に同行してはいかがですか?」
「こちらの作業担当は?」
「小泉です。中野さんはご存知でしたよね?」
小泉摩耶は、都内の大学で考古学を専攻し、大学院を修士まで行ってアジ文に入社した。
発掘現場の経験はあまりないが、発掘調査報告書作成作業には精通している。
年齢は30歳手前ぐらい。
ショートカットの髪と切れ長の目が知性を醸し出している。
性格がきついので、とかく周りから敬遠され気味だが、俺とはウマが合った。
「摩耶ちゃんか。それは好都合だ」
「この件を小泉に話してもよろしいですか?」
俺は頷いた。
加藤は近くの内線電話を取った。
「小泉に、ミーティングテーブルまで来るように伝えてくれ」