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第3話 漢文

 埼玉の自宅に戻った俺は、早速、(かわら)拓本(たくほん)を取るために、拓本セットを書棚から引っ張り出した。


 拓本とは、画仙紙(がせんし)と呼ばれる紙と拓墨(たくずみ)を使って、物の表面の微妙な凹凸を写し取ることで、アナログ的なエッジ抽出技法と言ったほうが分かりやすいかもしれない。


 これで縄文土器の表面の文様や、石碑文などを写し取ったりするのだ。

 考古学者には必須のアイテムと言っていい。


 まず、机に置いた瓦をしげしげと観察する。

 いわゆる平瓦(ひらがわら)と呼ばれるもので、全体は淡い灰色、長辺は30センチくらいの長方形で、ゆるく湾曲(わんきょく)している。

 隅部が欠けていて割れ口は新しい。

 ごく最近に割れたような印象を受ける。


 文字は湾曲外面の中央付近に、割と大きめに記されていた。

 大型のルーペでよく見ると、引っ掻いたように刻んでいることがわかる。


 俺は、画仙紙を瓦より一回り大きく切り取り、台所から醤油小皿に水を汲んで机に置いた。

 人差し指大にロール状にした脱脂綿をそれに浸し、瓦の文字面に画仙紙を添わせ、しわを作らないように濡れた脱脂綿を転がして伸ばしていく。


 その後、乾いた脱脂綿で軽く押し付けながら画仙紙を細部に密着させていく。

 3分ぐらいで半乾きになったところで、拓墨を丁寧に打ち、文字を写し取る。


 実物を見るより、はっきりと字が確認できる。


 画仙紙を瓦から破れないように丁寧にはがして、横にあった漫画雑誌に挟んで水分を抜いた後、画仙紙の余計なところをハサミで切り取り、フラットベッドタイプのスキャナを使用して、パソコンに取り込んだ。


 そして画像編集ソフトを操作して、グレースケールに変換後、明るさコントラストを調整する。

 適度なところで別名保存した後、A4サイズで数枚プリントアウトした。


 俺は、デスクライトを()け、プリントアウトの一文字一文字を読んでいった。

 古代の漢字は、楷書(かいしょ)に近い字体のため、ほかの時代のものより読みやすい。


 それは、このような縦書きの漢文であった。(以下、<>は漢文の引用、《》は読み下し文の引用、または現代語訳文に使用する)


 <外従五位下上毛野朝臣宿奈麻呂者>

 <左大臣長屋王近侍不和君足告意此>

 <合薬事丁丑年六月夭死訖王誅之也>

 <豊島足此十女癸午年十月廿日造墓>


 ……ほう……これは面白い……


 あの古代史上、有名な長屋王(ながやおう)に関係する内容であるらしい。

 3行目と4行目に登場する<年>は干支年(かんしねん)で、日本史年表などにあたれば、和暦と西暦はすぐに判明する。


 その上で、ざっと読み下すとこんな感じだろうか。


《外従五位下の上毛野朝臣宿奈麻呂は》

《左大臣長屋王の近侍で、不仲の君足がこの意見を告げた》

《薬を合わせること。天平9年(737)6月夭死しおわんぬ。王の誅これなり》

《豊島足此十女が天平14年(742)10月20日に墓を造った》


 やはりこの瓦は、墓誌であったのだ。

 しかも墓を造った日までわかる。

 天平14年(742)10月20日に、<豊島足此十女>なる人物によって造られたのである。


 <豊島足此十女>とはいったい誰だろう?

 末尾に<女>が付くから、女性であることは間違いない。

 しかしこの名前は何と読むのだろう? 


 例えば日本書紀に出てくる<木花咲耶姫>は《このはな さくやひめ》と読む。

 この感じで読むとすると《とよしま あしこのとめ》とでも読むのだろうか?


 まあ、古代の氏名は女性に限らず、ケッタイな名前が多いから、特に異とするにはあたらない。


 そして、この墓の被葬者は、どうやら<上毛野朝臣宿奈麻呂>であることがわかる。

 読みは《かみつけの の あそん すくなまろ》であろう。

 今の群馬県は、古代には<上毛野>、読みは《かみつけの》と呼ばれ、それが後に<上野>つまり《かみつけ》ないし《こうづけ》と呼ばれるようになる。


 <上毛野朝臣>は、古代の群馬で君臨した豪族であることは、古代史ではよく知られている。

 <上毛野朝臣宿奈麻呂>はその一員なのであろう。

 しかも彼は<外従五位下>という官位を持っている。


 ……へー、外従五位下と言ったら、当時の地方官最高クラスの官位じゃないか。こいついったい何者だ?


 ちなみに最初の行末の<者>は、助詞の《は》である。

 俺は、とか、お前は、の《は》である。

 つまり《上毛野朝臣宿奈麻呂は》となり、次の行に続くことになる。


 《上毛野朝臣宿奈麻呂は左大臣長屋王の近侍》と読める。

 宿奈麻呂は、長屋王の側近のような存在であったのであろう。


 問題はその後だ。


 <不和君足告意此>


 これをどう読むか?


 一応素直に読むならば、君足とは人物の名前であろう。

 読みは《きみたり》だろう。

 君足と宿奈麻呂は不和、すなわち仲がよくないということを言っていると思われる。

 おそらく君足も宿奈麻呂と同じく、長屋王の側近だったのではないか。


 だが、次の<告意此>《この意を告げた》とは一体何のことか?

 よくわからない。

 しょうがないのでこれは後で考えるとして、三行目を考えてみる。


 <合薬事丁丑年六月夭死訖王誅之也>


 この解釈もかなりやっかいだ。

 すなおに読むと、3つのセンテンスに分かれそうだ。


 《薬を合わせること》

 《天平9年(737)6月に夭死した》

 《王の誅これなり》


 薬を合わせることとは、薬を調合する、ないし調合した薬のことと思われる。

 そうすると、前の行に関係すると考えた方が理解しやすい。


 すると、君足がこの調合薬のことに関する意見を告げたという意味か?

 だが文意は判然としない。


 次の、天平9年(737)6月に夭死した、という内容だが、少なくとも長屋王の死の事ではない。

 長屋王が死亡したのは、729年2月であることが分かっているからである。

 とすると夭死したのは一体誰なのだ?


 そして、王の(ちゅう)これなり、という王とは長屋王としか考えられない。

 長屋王が誰かを誅したのだろうが、それが誰なのかも分からない。


 ……うーん、分からないことだらけだ……


 もっと長屋王についてよく調べる必要がありそうだ。

 それと同時に、この瓦についても、考古学的な観点から、詳細に調べる必要がある。


 俺は、明日から本格的に調査を開始しようと思いつつ、食事の支度にかかった。


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