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第14話 漢文の意味

 今、俺は、八王子で、加藤と摩耶と3人で飲んでいる。


「結局、阿倍朝臣帯麻呂だったというわけですね」と加藤。


「<意比(おび)>が阿倍朝臣帯麻呂を指していることがわかった後、ちょっと調べてみたんだ。そうしたら続日本紀の大同3年(808)6月13日の帯麻呂の息子が死んだ時の記事に、父が<意比麻呂>と書いてあった。この時代はいろいろな当て字は普通だったからな。これでウラが取れたと言っていいと思う」と俺。


「帯麻呂って、どんな人だったんでしょうね?」と摩耶。


「調べたところ帯麻呂の一族は、飛鳥奈良時代には大臣を出した家柄で、ちなみに帯麻呂の兄はあの有名な仲麻呂だ」と俺。


「仲麻呂って誰でしたっけ?」と加藤。


「まあーったく、部長は歴史に弱いんだから。あれでしょ。唐に行って偉くなって帰って来れなかったって人」と摩耶。


「そう。遣唐使の留学生に抜擢されるぐらい、若い時から優秀で、しかも留学先の唐で、超難関を誇る官吏登用試験の科挙(かきょ)に合格し、そのまま唐で高位高官となり、生涯を唐で過ごし帰国しなかった。ちなみに1300年余り続いた科挙の試験に、日本人で合格したのは、この仲麻呂ただ一人だ」と俺。


「デキの良い兄貴を持った弟は不幸だよな。いつも兄貴と比較されてコンプレックスのカタマリだったんじゃないの?」と加藤。


「帯麻呂の前半生はわからない。記録に現れるのは、宿奈麻呂と同じく、長屋王事件の前年の神亀5年の728年だ。この時は5階級特進で外従五位下となった。この異常な昇進の裏には、式部卿の藤原宇合(うまかい)がいた。だから帯麻呂は、もうこの時には藤原氏の手先だったろう」と俺。


「そして、帯麻呂が長屋王邸にいた君足や東人を操っていたというわけね」と摩耶。


「そうだと思う。ちょっと調べてみたんだが、都の警察の役割を果たした京職(きょうしき)という役職がある。この当時の京職の大夫すなわち長官は、藤原四兄弟の末弟の麻呂だった。だから帯麻呂は、この麻呂と始終連絡を取って指示を仰いでいたんだと思う」と俺。


「長屋王邸内でなんでもいいから、謀反の証拠となるようなものを探せという指示だったんですね」と加藤。


「ちょっと疑問なんですけど、この時には、<宿奈麻呂>や<足此十女>や<豊島>が邸内にいたんでしょう? この帯麻呂の工作に気が付かなかったのかしらね?」と、摩耶。


「長屋王は、たぶん邸内についてはあまり関与しなかっただろう。長屋王は一番偉い人だからそんな細々したようなことは<豊島>まかせだったんじゃないか? <足此十女>や<豊島>に隠れてやってたんだろうな」と加藤。


「宿奈麻呂は軍事貴族だったようだ。上毛野朝臣が拠点を持つ今の群馬は、そのすぐ北が異民族との境界をなしていた。出羽や陸奥という国と接していたから、前線基地のような存在だった。宿奈麻呂のすぐ上の世代で、上毛野朝臣広人という人物がいて、蝦夷(えぞ)に殺されてしまった事件が起こった。これによって上毛野朝臣は軍事貴族としても面目を失ってしまったらしい。宿奈麻呂はこれを挽回するために長屋王に接近したようなんだな。だから長屋王との関係は軍事アドバイザー的なものではなかったかと思う」と俺。


「宿奈麻呂が長屋王の軍事アドバイザーで、君足や東人は邸内の管理であるなら、同じ長屋王の側近でもまったく役割が違うな。そりゃ、仲も悪いわけだ」と加藤。


「<合薬事>って、本当に毒薬のことなのかしら?」と摩耶。


「長屋王邸の発掘調査から木簡が大量に検出されているが、その中に<薬>と記されているものがある。<薬師>という木簡もあるから、薬を取り扱う薬剤師みたいな人がいたのかもしれない」と俺。


「でも薬を作ることと毒薬を作ることは違うんじゃないのかな?」と加藤。


「確かに。だが瓦文の中で、《君足が薬を合わせた事を帯麻呂に告げた》と記していることからすると、このことが長屋王事件の核心だったのかもしれないな」と俺。


「核心?」と加藤と摩耶。


「単なる推測だが、薬、つまり毒薬を用意したのは君足だった。多分<薬師>を抱き込んで作らせたのだろう。そして用意ができたことを帯麻呂に告げた。この毒を長屋王の謀反の証拠にするとともに、宿奈麻呂ら七名も謀反の一味として仕立て上げたんだ。そして帯麻呂は、これを使って長屋王を毒殺したと思う」と俺。


「長屋王を毒殺!」と加藤と摩耶。


「そうでなければ、瓦文にこんなことを書くだろうか。ただ単に帯麻呂が君足と東人を使って長屋王をハメたくらいなら、むしろ恨みは藤原四兄弟に向くはずだ。もちろん藤原氏も憎かったろうが、それを上回る憎しみを帯麻呂に抱いていたのではないか? そして帯麻呂も天然痘で藤原四兄弟とほぼ時を同じくして死んだ。これを長屋王の誅と理解したんだろう」と俺。


「なるほど」と加藤と摩耶。


「瓦文の3行目の<合薬事丁丑年六月夭死訖王誅之也>の中で、<夭死訖>と書いてあるだろう? この<訖>《おわんぬ》は、普通であれば特にいらないと思う。<合薬事丁丑年六月夭死王誅之也>としてもおかしくはない。この<訖>《おわんぬ》は、~してしまった、というニュアンス、この場合には、《夭死してしまいやがった。ざまあみろ》的に解釈できると思う。この<訖>1文字に、<足此十女>や<豊島>の感情が凝縮されているのだと思う」と俺。


「あたし思うんですけど、宿奈麻呂が赦されてから死ぬまでに4か月ありましたよね。墓誌にこのような報告的な文を書いているということは、<足此十女>や<豊島>は、宿奈麻呂の死に目に会えなかったのではないですかね? もし会えていたのなら、口頭で伝えればよかったはずですよね。あなたをハメた帯麻呂は、長屋王のタタリで死にましたよ、って」と摩耶。


「それは、俺も思っていた。推測だが、宿奈麻呂は赦されて一旦都へ戻ったが、都で亡くなったんだろうと思う。そして火葬にされ、遺骨を<足此十女>の要請で、<豊島>がこの前高の地に運んだのかもしれないな。もしかしたら墓の造り方を教えたのは<豊島>だったかもしれない。そうすると瓦文にある<豊島足此十女癸午年十月廿日造墓>という連名が素直に理解できる」と俺。


「宿奈麻呂は、火葬されたんですか?」と加藤。


「それは間違いなく火葬であったと思う。何故なら、墓の様式が奈良の太安万侶と同じで、それが火葬とわかっているからだ」と俺。


 その時、俺は、ふと思った。火葬されているなら、宿奈麻呂の骨を納めた壺なり箱なりが、墓の中にあるはずだ。佐伯老人も茂木太平も、見つかったのは、瓦の他は質の良い炭だけだった、と言っていた。なんかあってもよさそうだろうに、思っていると、


「なんで長屋王邸の瓦に、刀子で刻んだ文字を残したんでしょうね。以前、中野さんが言っていたように、宿奈麻呂の身分の高さや<足此十女>が裕福な郡司の娘であったなら、当時流行していた銅板を使うという手もあったはずですよね」と摩耶。


「瓦は<足此十女>が長屋王邸を退去する時に記念品として持って帰ったものと思う。長屋王邸は事件後、厳しく封鎖されて、邸内の者は問答無用に追い出されただろう。よく寺院などでは軒下に予備の瓦を置いてある。長屋王邸でも同じで、それを持ち出すのがせいぜいだったのではないか。無骨な瓦であっても、宿奈麻呂と過ごした長屋王邸の日々を思い起こせる大切なものだったろう。どんな高価なものを用いるより、この瓦に刻んだということが、宿奈麻呂に対する想いの深さを表しているように思える」と俺。


「結局、宿奈麻呂と<足此十女>は、どんな関係だったんでしょうね?」と加藤。


「宿奈麻呂と<足此十女>は、夫婦だったと考えたいところだが、それは違うと思う。<足此十女>が采女(うねめ)であったとしたら、采女は独身を前提とした制度であったから、夫婦という可能性はほとんどない」と俺。


「そうか、残念ね。でも、あたしにはわかる。二人は恋人同士だったのよ」と摩耶。


「それはそうと、この瓦の解釈をもう、佐伯老人には報告したのですか?」と加藤。


「明後日から新しい現場が始まるから、明日、佐伯のジイさんのところへ行ってこようと思う。一応文章にもまとめたから、瓦と一緒にジイさんのところへ届けてくる」と俺。


 加藤が、自分と俺に焼酎を足し、摩耶のグラスに冷酒を足した後、乾杯の仕草をした。


「これで瓦の調査は終わりですよね。うまく解決できたことと、新しい現場の始まりに乾杯!」と加藤。


 3人でグラスを合わせ、俺は調査が終わったことを実感した。


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