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第1話 調査の依頼

「これを調べて欲しいんだわ」


 そう言って、佐伯(さえき)老人が目の前の応接テーブルに置かれた風呂敷包みを開いて出したものは、1枚の古い瓦だった。


「五郎、お前、最近は(ひま)していると聞いた。頼めるよな?」


 俺は返事をせずに古瓦をながめた。

 (ふち)の一部が欠けていて、割れ口が新しい。


「古いな。8世紀ぐらいか。こんなものをどちらで(ひろ)ってこられましたか?」


「前高市の畑を耕している時に出てきた。そこの農家のじいさんが知り合いでな。わしに珍しいものがあるといって見せよったのよ。じいさんには将棋で貸しがあるから、代わりに巻き上げてきた」


 と言って、佐伯老人は楽しそうに笑った。

 前高市は、群馬県の大都市の一つである。

 佐伯老人は、俺の父の兄にあたる。

 つまり、俺から見れば叔父さんだ。


 佐伯家は、知る人ぞ知る群馬の大地主だった。

 戦前は、太田市や尾島町に持っていた土地を中島飛行機製作所(現富士重工)に売って大いに儲けた。

 戦後は投資に失敗し、鳴かず飛ばずであったが、今でもそれなりの資産は保有している。


 佐伯老人は、佐伯家の長男である。

 俺の父は四男で(めかけ)の子だったので、早くに養子に出されたと聞いている。


 養家は中野と言い、中島飛行機に出入りしていた企業だったが、戦後しばらくして倒産した。

 父は、普通のサラリーマンとなり東京に移り住んだ。

 自分の実家には、ほとんど足を向けなかったが、長男である佐伯老人とは比較的仲が良かった。


 佐伯老人には、変な趣味があった。

 一言で言えば骨董趣味なのだが、絵画や彫刻や陶芸などの正統なモノにはまったく興味を示さず、何かミステリアスなものを集めるという悪趣味の持ち主である。


 俺は、少・青年期にかけて、この人とは全くの没交渉だった。

 都内の大学で考古学を専攻して卒業し、役所で埋蔵文化財を担当、その後退職して民間の発掘調査会社に入り、十数年勤めたが、いろいろあって定年を迎える前に退職した。


 今はフリーランスの考古学者で、民間の発掘調査会社の雇われ調査員として生計を立てている。




 ここで少し現代の発掘調査事情について説明しておく。


 考古学という浮世離れした学問が、唯一、現代社会と関わりを持つ機会が、発掘調査と呼ばれるものである。


 今日、日本全国いつでもどこでも、何かしら道路や建物などを作っているが、遺跡の上に、こうした構造物を作る場合には、文化財保護法という法令上、発掘調査が必要となることを知っている人は意外と少ない。


 日本での発掘調査は許可制となっていて、発掘をするのに国家資格みたいなものはないが、経験豊富な考古学者でなければ許可されることはない。


 それに発掘調査には金がかかるので、個人で行うことは難しい。

 何らかの組織に所属する必要があるのだ。


 発掘調査を行える組織には、おおむね3つの種類がある。


 一つ目は大学。

 考古学研究室の教授や准教授が生徒を率いて行うものである。

 主に生徒に対する教育目的なので、大規模な発掘調査を行うことは少ない。


 二つ目は行政。

 都道府県や市町村自治体の教育委員会事務局の中に、「文化財課」等の発掘調査を行うセクションを設けて、公共事業や民間開発事業を事前にチェックし、必要であるなら発掘調査を実施する。

 「○〇埋蔵文化財調査事業団」「△△埋蔵文化財調査センター」など、自治体の外郭団体として運営しているところも多い。


 三つ目は民間企業。

 考古学を専攻した人間が集まり企業を作って行う場合や、測量会社や土木・建築会社が母体となり、発掘調査を行えるスタッフを雇用して行う場合が多い。

 民間企業は、行政が発注する発掘調査事業を受注して実施する。


 昭和40年代、田中角栄首相の日本列島改造論以降、全国で開発事業が激増し、地下に埋没している文化財の破壊が大きな社会問題となった。


 それまで大学が小規模に行っていた発掘調査に代わって、自治体が大量に考古学専攻生を採用して実施するようになる。


 平成7年には日本国内で届出のあった発掘調査件数は実に1万件を超え、行政発掘全盛期を迎えた。


 だが、バブル崩壊により開発行為が急速に縮小する。


 ほぼ同じころに登場した小泉純一郎首相の「民間でできることは民間へ」という政策が発掘調査事業にも及んでいくこととなった。


 俺のようなフリーランスの考古学者は、民間発掘企業で人手が足りない時にスポット的に仕事を依頼されるのが常である。




 数年前に、父が癌で亡くなった折の葬儀で佐伯老人と会った。

 老人は幼いころの俺を知っていただけなので、最初俺が誰なのかが分からなかったようである。

 親戚から俺の消息を聞いたらしく、近寄ってきて、


「五郎、お前、考古学をやってるんだってな」


 この一言から、今の佐伯老人と俺との、新しい関係が始まった。

 佐伯老人は、あちこちから珍しいものを集めてきていて、俺に鑑定を依頼した。


「そんなものは、骨董屋か学者先生に頼んだらいかがですか?」


 と、いつも言うのだが、


「学者と役人と骨董屋と銀行員は信用できない」


 と、ひねくれた信念を持ち出されるのがオチだった。


 資産家というやつは、いろいろな人間から食い物にされるのが常だ。

 学者はスポンサー、役人は税金、骨董屋は美術品、銀行は投資信託など、これまで散々ムシられてきたのだろう。


 だが、頼まれて真剣に調査し結果を報告すると、それなりの小遣いをくれる。

 ただし一律ではない。


 俺がキチンと調査をするのと、適当に手を抜いているのと、区別がつかないだろうと思うのだが、どういう訳か、俺の真剣度合を正確に見抜いて報酬額を変えてくる。


「そこに書いてある字、お前どう思う?」


「字?」


 瓦は凹面を上にして置かれていた。

 俺は瓦をひっくり返した。

 文字は凸面に書かれていた。


「これは?」


 そこには、釘で引っ()いたような字があった。

 漢文だ。

 刀子か何かで彫ったものらしい。

 刀子(とうす)とは、現代風に言うと刀身が長めのナイフのことである。


 あまり刻線は深くなく、一部がかすれているようなところもある。

 幸い、欠けているところは文字のないところだった。

 読みにくいので、すぐに文意は理解できない。


「ちょっと面白いじゃろ?」


「そうですね」


 気のない返事を返す。


「これをな。お前に調べてもらいたいのだ」


 ちょっと俺は迷った。

 確かに面白そうではある。

 俺の考古学の専門は、歴史考古学だ。


 歴史考古学とは、奈良時代に文書(もんじょ)が登場した後の時代の考古学を総称していて、考古学と文献史学の両方から問題を解明できるところに特徴がある。


 漢文は割と読めるし、瓦がおおむね8世紀の奈良時代であり、俺の最も得意とする時代なので、少し乗り気になった。


「報酬はいただけるのでしょうね?」


「もちろんだとも。いつものように支払いは調査が終わった後だ」


「前払いとか手付とかは、考えていただけないのでしょうか?」


「ダメだ」


 まあ、いつものことだから別にいいか。今はそれほど金には困っていない。


「期限は、あるのでしょうか?」


「1か月にしよう」


 俺は、約1か月後から始まる新しい発掘調査の調査員の仕事を、株式会社アジア文化財サービスという会社から頼まれていた。


 それまでに終わらせられれば、それなりの小遣いにはなるな、と皮算用した。

 金が入ったら、何かうまいものでも食いに行きたい。


「わかりました。お引き受けしましょう」


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