震災と老い
俺が二百歳ぐらいの時。関東大震災が起きた。更に世界的には大恐慌が襲う。またしても散々な時代だ。
戦争の影が無ければ、俺達は粛々と地震で亡くなった者達を楽土に連れて行き、成仏の手伝いをする。けれども経済的な大打撃が日本から余裕を無くし戦争に突き進む原動力の一つになったかもしれない。
震災の時には俺達は悪霊との戦いよりも迷える霊体の手助けを優先させた。地震や津波や火山噴火で亡くなった者達の魂は浄化される。俺達はその霊体に楽土への道や橋を造って誘導する。土木隊や案内隊が忙殺される。俺達も手伝う。
大きな自然災害で魂が浄化されるのは、神々が関わっているからだ。神の采配に巻き込まれた者は理不尽な死を嘆き呆然とするが、すぐに悟って成仏を始める。遺族との別れを強く惜しむ者はすぐに成仏せず、楽土から現世を見守る。そういう霊体の霊力は大きい。
悪霊が一時期少なくなったので、刑務隊も現世に来て霊体達を誘導する。俺と縄と翠は同じ所に配属された。
魂が浄化されるとはいえ、地震は悲惨だ。津波も火山噴火も惨たらしい。突然起きた理不尽な暴力。罹災した者達は死んでも生き残っても、打ちひしがれる。現世を心配しつつも、死者達はすぐに立ち直る。しかし生き残った者達には失った物が多い。家も服も水も食糧も無い。人心が荒れて強盗に走る者もいる。
生きる為には失った物をまた新たに作らなければならない。極限状態の中で飯を食べ寝て働く。壊れた大事な物を片さなければならない。
世界各地から哀悼の言葉が表明され、救援物資も届いた。それが本当に実用的かどうかは別だが、日本への敵意は薄れていたのは確かだ。
翠はいつも冷静だ。納得いかない霊体に穏やかに話しかけて説得する。霊体が落ち着けば楽土に続く霊道に連れて行く。まだ回収されて葬られてない遺体、壊れた家、荒れた田畑。翠は時々黙って眺める。翠の魂が揺れているのが俺には分かる。けれども翠は泣くどころか無表情で仕事をこなす。時折、自分の遺体の前で立ち尽くす霊体に経を唱えて慰める。
たまに、震災の後に罪を犯した者が恨みを買って殺されて悪霊になる事がある。震災で心を痛めるどころか、それを利用して詐欺や暴力を振るう輩がいる。そんな奴が殺されるとすぐに厄介な悪霊になる。俺達戦闘隊はそれを察知するとすぐに駆けつけて戦う。
死んでいなくてもそんな連中の魂はどす黒い。俺達はその生霊を笛や太鼓や琵琶で鎮める。本人は聴こえてないけれど、魂の色が少しずつ明るくなる。そうなると、罪を悔い改めるようになる。
理不尽な事は多いけれど、苦しい中で生き残った人間達の多くは力を出し合って必死に生きていた。
仕事が認められたのか、縄は大隊長、俺は中隊長に昇格した。翠は素直にそれを喜んでくれた。
俺はやっと見た目が二十歳になった。翠も二十歳ぐらいの姿のままだ。現世から死んで来た女達は老けるのを嫌がるので、霊格が上がっても若い姿を維持しようとする。俺は年相応に皺や白髪が増えた方が理にかなっていると思う。
「女が老けるのをバカにする奴がいたら俺と縄に伝えてくれ」
俺が言うと翠は苦笑いして、
「男の目が怖いわけじゃないの」
俺は、
「じゃあ、もっと老けても良いだろ」
翠は、
「老けたら自分が許せなくなる気がするの」
俺にはよく分からなかった。翠は真面目だし老成している。それ相応に老けた方が自然だ。だが翠は、
「若さを求めるのも執着なのは分かっている。でも、怖いの」
霊体が老けたからといっても、必ずしも体力が落ちたり歯や筋力が衰えたりするわけではない。翠も分かっているはずだ。俺は、
「それじゃあ俺だけが爺さんになる」
あれだけ速く成長して大人になりたがってた俺がバカみたいだ。霊視しているのか翠はじっと見つめている。困った顔をしている。
「私と一緒に老けたい人がいたら私も老けるかな」
翠が苦笑いしながら言った。俺は、
「じゃあ俺と少しずつ老けてみるか。縄も同じ事を言うだろうよ」
翠は一瞬、俯き、また苦笑いした。