昼の月
目を覚まして、俺が一番初めに見たものは、清潔感のある真っ白な天井だった。俺の家の天井って茶色じゃなかったか、と思いながら、俺は目線をゆっくり下げていく。俺の目に映る景色は薄暗く、推定5時ってところだ。いつもなら熟睡している時間。しかしなぜか、俺の頭には二度寝しようなんて発想は浮かばない。
次に目に入ったのは真っ白のカーテン。なぜ自分で自分を焦らしながら、辺りを見ているんだ、と自分にツッコミを入れつつ、それでも目線は鈍い速度で降りていく。
どうやら俺は病院のベッドの上に寝ているらしい。それも大部屋の方ではなく、個室の方だ。
あいかわらずゆっくりと降りていく目線がやっと下までいくと、俺が寝ているベッドの上に5つの丸が見えた。
一瞬びっくりして、思わず声を出しそうになる。しかしギリギリのところで声が出るのを抑えた。
冷静になって、よく見てみると、その丸は人の頭だった。
右側にある3つの丸は、俺に近い方から、最近着々と体重を増やしてきている母さん、俺のお人好しな性格の遺伝子のもとの父さん、毎日何かと忙しそうな大学生の姉ちゃん。そして左側には俺の悪友2人。その計5人が面白いくらい爆睡している。
今は7月の終わりということもあって、5人とも汗をかいていた。一応、病院ということもあり、空調は整えてあるようだが、やはり暑いものは暑い。でも5人の寝顔は気持ちよさそうだ。
寝ている悪友は俺に近い方から、運動神経はずば抜けていいのに、頭の方は下の中くらいという、これぞ体育会系の自称、俺たちのリーダー、岸本健史だ。坊主頭で見るからに野球部員なのに、実際は体育館でオレンジのボールをついている。顔は中の中のくせに、バスケ部部長であるというだけで、女にもてる。
そして健史の横には運動神経はそこそこだが、成績はいつもトップクラスの、見るからにさわやかな芹沢虎次郎が眼鏡をかけたまま眠っていた。地毛で茶髪、顔良し、それに加えて金持ちという、いいとこ取りの虎次郎だが、容姿と名前が合っていないということが玉に瑕だ。周りに風を吹かせても、おそらく誰も文句は言わないほどのさわやかさなのに、「虎かよっ」と思わず突っ込んでしまう。
俺たちの高校では、もてる男子は女子から名前で呼ばれる。ついでに俺は名字で相澤君だが、健史は健史君だ。顔のレベルはそこまで違わないのに…たぶん。
ま、そんなことは置いといて、虎次郎は容姿といい他のことといい、一番初めに名前で呼ばれてもいいのだが、4歳からの付き合いである俺と健史以外、男子でも虎次郎ではなく、芹沢と呼ぶ。そこまで行くとちょっとかわいそうな気もするが、それはそれで面白いので、俺も健史もなんのフォローも入れず、やっぱり懲りずに虎の方で呼び続けるのだ。
そんなことをぼんやり考えていたら、目が覚めてきた。それに従い、寝起き特有のぼーっとした感じが消えていく。でも、それが失敗だったらしい。頭に急に、痛みが走った。
「痛っ。」
思わず、そんな声が出る。起こしたかもしれない、そう思い5つの頭を見てみるが、ちょうど熟睡できる今の時間帯が幸いしたのか、そんな一瞬の声では誰も起きることはなかった。
しかし俺は、痛みの余計なおせっかいのせいで、すっかり目が覚めてしまった。
そして俺の中にやっと、根本的な疑問が浮かぶ。
“何で俺、ここにいる?”
って今さらかよ、とか思いながらも、なぜ自分が病院なんかにいて、家族、友人に見守られる形になっているのか。
そもそもなぜこんなに頭が痛いのか、を思い出してみることにした。
頭の痛みが変にいい方に作用して、いつもより頭の回転が速い気がする。痛みで助長される俺の脳って一体…。と自分の中クラスの頭の良さを悲観しつつ、俺は記憶をさかのぼることにした。
今日、いや昨日か。今が何日かわからないけど、寝ている健史と虎次郎がまだ制服姿のところを見ると、たぶん今日が夏休みの初日だ。俺たち3人は昨日の(わからないからこう言っておくことにする)修業式のあと、事実上の夏休み1日目を祝って、カラオケに行ったんだ。
長いくせに、いつも同じようなことしか言わない校長の話を一応真面目に聞いて、相変わらず可もなく不可もない成績表をもらったあとだ。熱を発して光ってくる太陽に向かって、心の中でため息をつきながらも、雲ひとつない青空をきれいだと思ったんだ。昼なのに薄っすら月まで出ていて、風も気持ち良く吹くから悪態をつくにつけない、いい日だった。
高校2年の夏休みって言ったら、世間は「受験」に一色に染まり始めるころかもしれない。でも俺は、今の俺でも行けそうな地元の大学に行くって決めている。だから今から、そこまで焦って勉強、勉強と言う必要はないと思っている。
まだ大学に行って、何やりたいとか決まっているわけじゃないけど、オープンキャンパスに健史と虎次郎と行ったときから、ここに入るっていうのが自明の理のように思えたから、もう変えるつもりはない。なんかそれは、健史も虎次郎も同じみたいだ。
俺の場合は、一応、入れそうという程度だから、3年になったら周りと同じように勉強一色の毎日がやってくるはずだ。だから、この夏はいっぱい遊ぶって決めている。
本当なら、健史はスポーツ推薦で、もっといい所に行けるはずなんだ。虎次郎も頭がいいから同様。だからこの2人は今から受験に燃える組に入った方がいいのかもしれない。
ついでに俺は今、5人の教師から2人の説得を頼まれている。いい大学に入ったからって必ずいいことが待っているはずないが、それなりの恩恵は受けられるだろう。俺だってやっぱ、2人には幸せになってもらいたい。絶対口に出して言わないけど。
だから一応、「何とかやってみます」って答えておいた。というかまず、俺の性格からして、頼まれごとを断ることは、本当にどうしても嫌なことでない限り難しい。だから、俺は2人にそれとなく諭してみるのだが、「あそこがいい」という理由に加え、「他を探すのが面倒臭い」という、うらやましい理由を並べやがる。
一度決めたことはめったに変えない、という面倒なところが似ている俺たち3人だから、たぶん全員そろって、同じ大学に入るんだろうな。先生、ごめんさない。でも、俺が何か言って素直に「うん」と言う奴らじゃないことはわかっているよね…。
結局、何か大きな変化が訪れない限り、4歳から続く同じ学校の3人組という縁は、あと5年は続きそうだ。
そういうわけで、俺たちは、受験なんて忘れて(現実逃避とも言う)始まったばかりの夏休みをエンジョイしてたわけだ。制服のまま向かったカラオケボックスで、マイクを離そうとしない健史を虎次郎が睨みつけ、マイクを奪い、それを俺に渡す。そしてそのマイクを健史が奪う。そんないつものよくわからない力関係を繰り広げつつ、笑っていたんだ。そして3時間、歌いまくって、ストレス発散したあと、何か食べていこうという話になって、よく行くファミレスへ向かう途中だった。
3人がほぼ並列に並んで歩いていたのだが、俺はほどけた靴ひもを結び直すために、一度止まった。その間に健史と虎次郎との距離が開いたが、7月末という暑さもあって、走るのが面倒だったから、そのまま5メートルくらい2人から離れたところを1人で歩いていたんだ。
そしてしばらく歩くと、背後に変な気配を感じた。
気になって後ろを振り返ると、黒い軽自動車が俺に向かって突っ込んできた。
そうだ、俺、車にはねられたんだ、と俺は他人事のように思った。横になって寝ている状態の自分の体を、腕を使って動かし、ベッドの上で座った状態にする。
腕は動くようだ。痛みもない。皆を起こさないように注意しながら、足も動かしてみる。こっちも異常はないようだ。頭には、痛みが走るし、触ってみるとおそらく包帯が巻いてあるけど、それだけみたいだ。痛みも耐えられないものではない。
車にはねられたのに、よく無事だったな、とまた他人事のように思った。
そして自分の体が無事だとわかると(いや、本当に無事かはまだわかんないけど)、心配は5人のところへいく。これまたきれいに全員が俺の方を向いて眠っている。その状況に笑いそうになったが、起こすと悪いので、無理やり出てきそうになる笑い声を押し殺した。母さんも父さんも仕事じゃないのか、と思ったが、確か昨日が金曜だったので、おそらく今日は土曜で休みのはずだ。でもせっかくの休みなのに、休ませてあげられなくて悪いな、と素直に思う。
その2人の奥で眠る姉ちゃんの顔を見た。大学の無駄に長い夏休みは8月過ぎだったからはずだ。そういえば最近「単位、単位」と言っていたから、テスト期間中だったのかもしれない。本当なら今ころは椅子の上で一晩を明かすなんてことせずに、ベッドの上で疲れ取っていたのだろう、と思うと、申し訳なかった。
それにまだこの3人は家族だから迷惑をかけてもしかたない。しかし健史と虎次郎は違う。
せっかくの夏休みなのに巻き込んでしまったことを反省した。
俺は自分でも認めるほど、お人好しの性格だ。そのくせ、自分でも認めるほど口が悪い。そんな型破りの性格の俺だから、どうせ素直に面と向かって言えるはずない。だから今のうちに言っておくことにする。
「ごめん。」
たぶん誰にも聞こえない、小さな声で言ってみた。全員寝ているし、俺の小さすぎる声は届くはずがない。それなのに、俺は体が熱くなるのを感じだ。夏特有の蒸し暑さに加え、柄にもないことをしてしまったため、俺の体温は勝手に上がっていく。汗が出てきて気持ち悪い。
そんな俺の目に、窓の姿が飛び込んできた。俺が寝ているベッドの右側だ。この勝手に出てくる汗を乾かすため、窓を開けに行きたい。行きたいのだが、5人に囲まれている中で、誰も起こさずそんなことできるわけもない。窓はすぐそこにあるのに…。
窓の所まで飛んで行けないかな、と心の中で言ってみる。非現実的なことと、わかっているが。
でも、
「えっ?」
俺の口から小さな声が漏れる。5人を気遣って小さな声にしたわけではない。そんな声しか出なかっただけだ。
だって、俺の体が宙に浮いているなんて、そんな非現実的なことそう簡単に納得できるわけはないだろ?
でも俺の体はベッドの上で座ったままの形のまま、ベッドの2メートルほど上にある。5人の頭が下にあった。さっきのは冗談だぞ、と心の中で叫んでみる。
いや、これは夢かもしれない、と冷静に考えてみた。でも俺は生まれてこのかた、一度も夢の中で「これは夢だ」と認識できたことはない。とりあえずベタに頬を叩いてみた。もちろん痛い。いい音までした。
もう現実だと認めるしかなかった。冷静にそう認めたつもりだった。
でも俺は無意識に叫んでいた。
「え――――――!!」
その声に爆睡中の5人が文字通り飛び起きた。父さんなんか、驚きすぎて椅子を倒している。そして目覚めたばかりの5人が一斉に俺を見た。ベッドの2メートル上にいる俺を。
1・2・3・4・5。
5秒間、何も言わずに俺を見ていた。そして5人は、顔を再びベッドに押しつけ、全員そろって眠りの世界に戻ろうとする。
「ちょっと待て。全員同じ行動するな!現実逃避するな!つーか父さん、椅子戻すの、速過ぎだから。」
俺の声に、5人は閉じかけていた目を開け、もう一度俺の方を見た。
何も聞こえない時間が続く。その間に電気のスイッチに一番近い虎次郎が、ゆっくりと歩いて行き、明かりをつけた。
そんなに冷静に明かりをつける余裕があるのなら、何か言葉を発してくれればいいのに…。
明るくなった部屋で、やっぱり浮いている俺がさらに目立っている気がした。
「・・・亮、何で浮いているの?・・・夢?」
そう言って、しばし生まれた重い沈黙を破ってくれたのは母さんだった。
「夢じゃないっぽいよ。・・・夢ならいいんだけど。でも6人が6人同じ夢っていうのは無理でしょっ。」
「・・・。」
はい、また沈黙。いや、黙っちゃう気持は俺もわかるよ、痛いほど。でも全員現実逃避してもいられないよね。だから勇気を持って認めてください。
これは現実・・・みたいです。
「あのさ、悪いんだけど俺を降ろしてくれない?とりあえずちゃんと地上に・・・。」
そう言っている間に、俺の体はゆっくりとベッドの上に降りて行った。
「・・・降りられたみたい。」
とりあえず苦笑いをしておく。
「・・・亮、お前どうしたんだよ。どっかおかしいんじゃねぇの?お前、頭打ってどっかおかしくなったんだよ。そうだよ、きっと。俺のこと覚えてるか?俺は健史だぞ。岸本健史。お前は相澤亮だ。俺にいいように使われる、お人好しの俺の幼馴染だ。」
いや、頭打っておかしくなったからって体は浮かないだろ。ってかまず、今の発言、親の前で言うなよな。そう健史に文句を言おうとした俺のチャンスは、健史につられパニックを引き起こした母さんによって妨げられる。母さんは俺の肩を掴んで、俺の体を前後に揺らしながら叫んだ。もしかして母さん、現役高校生の俺より、力ある?
「そうよ。あんたは健史君にはいいように使われるけど、なぜかこんなにかっこいい虎次郎君には強いのよ。お金持ちですべてそろっている虎次郎君の上にあんたなんかが立っていいわけないのに、なぜか虎次郎君はあんたに従順なのよ。わかる?思い出した?なのになんで、体なんて浮かしているの?」
母親だからってそんなこと言っていいんですかね?俺だって傷つくよ?
それに虎次郎とのことと、俺の体が浮いたこととまったく関係ないし。
そもそも頭打った状態(頭の痛さから推測)で体を揺らすのは危ないんじゃないか?
言いたい文句はたくさんあったけど、まずは体を揺らす母さんの行動を止めさせようとした。
したんだけど、健史のバカがまた口を開きかける。
俺の性格知ってるよね?俺の性格だと先に譲っちゃうんだって。また俺の発言チャンス奪われるのかよ。俺は心の中で嘆く。でも、今回は俺のチャンスを守る救世主が現れた。
「健史、ちょっと黙れ。おばさんも落ち着いて。・・・亮がなんか言いたそう。」
「ナイス、虎次郎。・・・まず、体揺らすの、止めてくんない?頭痛い。」
「あ、ごめん。」
そう言うと、母さんはすぐに手を離す。
「なんかよくわかんないけど、頭痛いだけだから。記憶とかなくなってないから。大丈夫。・・・体が浮くのは本当に意味不明だけど。」
それじゃあ、大丈夫とは言えないだろう、と心の中で自分の発言に文句をつけてみる。でも、ここで、「大丈夫じゃないけど」と言えるわけがない。
「・・・亮、お前、飲酒運転の車にはねられたんだ。」
「あ~、うん。」
「でも、その運転手、酒飲んで店から出たばっかりだったらしくて、車のスピードがそんなに出てなかったんだよ。だから頭打って気絶しただけで済んだんだと思うって。先生が言っていたぞ。」
「その酔っ払いは、虎次郎がナンバー覚えてて、すぐに捕まった。俺も結構追いかけたんだけど、やっぱ車にはかなわねぇな。」
「そっか。・・・悪いな。」
「ま、まあな。お前、俺の子分的存在だろ。そのぐらい当たり前だ。」
(親友のためなら、そこまでするつーの。)
「健史、俺が病人だからって、親友とかくさいこと言うなよ。健史がそんなこと言うと、俺死ぬみたい。」
「えっ?」
そんな驚きの声が、5人の口から出た。俺、変なこと言ったかな?
「・・・虎次郎、俺、声に出して、親友っていうフレーズ、言った?」
「言ってない。・・・と思う。」
「は?だって、聞こえたぞ。」
「・・・。」
(いや、俺は言ってない。本人を目の前にして、親友なんて言えるかよ。)
「・・・って、言ってるし。」
「・・・は?何、これ?」
健史が俺と虎次郎の顔を交互に見る。どうやら虎次郎に助けを求めているらしい。
「どうした?」
「いや、俺の心、亮に読まれた?」
「健史君、それはないよ。ただの偶然じゃないの?だって、そんな非現実的なこと起こるわけないよ。」
そう、冷静に姉ちゃんが健史に言った。
「でも、現に目の前で非現実的なこと起こりましたよね?」
姉ちゃんより冷静に、的確な意見を虎次郎が述べる。
「え、・・・でも、そんなことって。」
姉ちゃんをはじめ、周りのみんなが混乱し始める。健史なんか、パニックになりすぎて、自分の頭を何回も叩いていた。
そんな中、俺は、完全なる渦中の人間であるにもかかわらず、その光景を客観的に見ていた。心の中で、現実感のある夢ならいいなと思いながら。そんな場を、虎次郎が静める。
「落ち着いて!」
その少し低く、少し大きな声は、皆をおどかさず、しかし混乱状態から戻すのに、効果的だった。さすが、虎次郎。
「ちょっと、俺、今から心の中で言葉を言うから、それが聞こえたら教えて?」
「ああ。」
「じゃ、やるよ。」
(健史のバカ)
「亮、聞こえた?」
「ああ、健史のバカ、だろ?」
「当たり。」
「当たりってさらっと言うな!」
「まあ、実験だから。」
「確実に本心だろっ!!」
俺も思ったツッコミを、健史本人が入れる。
「さぁ?」
「おい、亮、こいつの心、なんて言ってんの?」
「・・・何も聞こえないけど?」
「・・・そっか。健史、ナイスだ。」
「は?」
「整理してみる。まず、なぜか今、亮の体に何らかの異常が起こったらしい。」
「何らかのってなんだよ?」
すかさず健史が聞く。その健史を虎次郎が軽く睨んだ。
心の声は聞こえなかったが、「今から言うから黙っとけ」という合図だろう。
その睨みに黙った健史を見て、満足そうに虎次郎は続けた。
「それで、それははっきりしたことは言えないけど、体が浮くってこと以外には、心の中で話した声が聞こえるということがあるらしい。単に思う、だけじゃなくて、意識的に心の中で声にしたもの。つまり、無意識的に思ったことは聞こえない。」
「どういうこと?」
当の本人の俺は、間抜けな声で虎次郎に聞いた。
「わかんないよ。わかんないけど、俺の考えでは・・・例えば、きれいな女の人を見たとするだろ?その人を見て、きれいとか声をかけようとか思う声は聞こえない。でも、その人に声をかけようと思って考えたセリフを心の中で言うと、その声は聞こえる。今までのことをまとめるとそういうことになるんだ。健史が言ったセリフはきっと、心の中で“言ってみた”セリフだと思う。そして健史のバカっていう俺のセリフも俺は心の中で言ってみた。でも、そのあと健史が俺に悪態ついたとき、面倒くさいとは思ったけど、それは無意識的に思ったもので、言ってみたわけじゃなかった。そしてそれは亮には聞こえなかった。・・・だから、そんな風なことになるんだ。」
「・・・今、姉ちゃん、怖いって言ったろ?俺だって怖いんだよ。そんなこと言うなよ。」
「え、・・・今私、心の中では言ってない・・・。」
「どう言ったんですか?」
「小さい声で言っただけ。・・・聞こえないくらい小さい声。」
「・・・ということは、飛躍し過ぎるかもしれないけど、亮の耳が何かの影響で小さすぎる声でも聞こえるくらい、よくなった。ってことになるんじゃないか?普段人間が持っている能力をはるかに超える能力になったというか。」
「・・・?」
?が5つ並ぶ。…あ、父さん、ちゃんといたんだ。
「いや、俺もわかんないよ。でも、心で声にしたことは聞こえた。でも、感情までは読めなかった。それに加えて、本当なら聞こえるはずのない声までも拾い上げた。それを、何とか現実に戻すと、そんな無理矢理な結論になるんだ。」
「・・・なんか、現実味に欠ける話だな。」
そう俺が言う。
「お前が言うな!!」
もっともなツッコミを、健史が入れた。
いつもの調子で、俺の頭を叩く。
「痛いって。」
本当にいつものように手加減なしで叩いてきたために、俺の頭に激痛が走る。…俺、頭に包帯巻いてるんですけど。
痛さで、少し涙目になった俺を心配そうに見て、虎次郎が健史にきつい口調で言った。
「健史、亮は元気でも、病人なんだぞ。丁寧に扱えよ。」
「ごめん。」
「・・・わかったならいい。気をつけろよ。・・・それより、おじさん、おばさん、亮が目を覚ましたこと、先生に言ってきた方がいいと思いますよ。」
「あ、そうだ。」
そう言って、母さんが早足で駆けて行きそうになる。
しかし、それを虎次郎が少しの間止めた。
「ちょっと待ってください。亮の耳のことは俺の推測でしかないし、第一信じてもらえるかわかりません。でも、体が浮いたのは目で見て確認済みなんで、本当に何らかの変化は起こっていると思います。でも、こっちも信じてもらえるかわからないから、おばさんの判断で言ってください。もし、信じてもらえないようなら、俺の親父に頼んでみます。親父の知り合いに医者がたくさんいますから。」
「ありがとうね、虎次郎君。本当にいつも助かる。」
母さんは虎次郎に軽く頭を下げると、一応走ってはいない程度の速さで先生のもとに向かった。
「亮にこんないい友達がいてくれて、父さん、嬉しいぞ。」
そう言って、父さんがマジ泣きしそうになる。
「お父さん、恥ずかしいから、泣くなら家に帰って。」
母さん似の強い姉ちゃんが、冷たく言い放つ。父さん、かわいそう。
「・・・亮、怖いなんて言ってごめんね。まだ何にも分かっていないのにね。」
一応、優しい父の遺伝子も受け継いでいるらしい。
「でも、まあ不気味だよね。」
やっぱ、母さん似だな。
「・・・素直すぎるのも問題だと思うけど?」
「まあまあ、家族相手に素直になれない、今の世の中で生きていても、素直になれちゃうよ、まあ、なんといい家族なんでしょう。ってことにしておこうよ。」
なんだその変なまとめ。
…でも結局、それにうまく言いくるめられる俺だったりするんだよな。
「・・・ってか、姉ちゃん単位、いいの?俺、体が浮くのと、耳がよく聞こえるのだけで、他は大丈夫だから、家に帰ってもいいよ。」
「・・・本当に、お人好し。耳がよく聞こえる程度の話じゃないでしょ?それにまだ、今日から頭を精密検査で調べるんだからね。まだ完全に大丈夫って安心できないの。」
「・・・へぇ~、検査するんだ。」
「亮、お前、他人事みたいに言いすぎ。」
と、また健史が俺の頭を叩きそうになる。…本当に学ばねぇな。
でも、その前に健史の頭を虎次郎が叩いた。
こいつ、健史には強いんだよな、といつも思う疑問が上がった。
健史は俺には強いのに、虎次郎には弱い。虎次郎は健史には強いのに、俺には弱い。俺は虎次郎には強いのに、健史にはというか、頼みごとをしてくるほとんどの人には弱い。この変な関係は、なんだ?
でも、いつも考えても結局答えは出てこないので、その疑問はすぐに消えた。
「健史、頭使えよ。亮を叩くな。・・・。」
虎次郎が口を閉ざしてすぐに、やばい、という顔をする。
どうしたんだ、と思っていると、俺に恐る恐る聞いてきた。
「・・・亮、今の聞こえた?」
「え?何も聞こえなかったけど?」
「そっか~。よかった。」
「虎次郎、何言ったんだ?」
純粋な気持ちで俺が聞く。
「聞こえなかったならいいんだ。大したことじゃないし、気にするなって。」
「・・・めちゃくちゃ気になるんですけど。」
俺たちのやり取りを聞いていた健史が二ヤっと笑った。いつも虎次郎に弱い健史が反撃しようとしているようだ。
「何言ったんだよ?」
俺の純粋な質問とはまた違う意味で、健史は聞く。
からかってやろうって気、満々だ。
「だから大したことじゃないって。」
「なんか思い出して、いやらしいことでも考えてたんじゃねぇの?」
「お前じゃないし。・・・ってか、そんなことより、今聞こえなかったんだよな?」
「ああ。」
そう答えつつ、心の中で静かに言った。反撃、短っ!
なんかここまで来ると、健史かわいそう。でも、いつも俺をいいように扱っているから、そこまで同情してやる義理はない。
結局、たった1回の、全く効いていない攻撃をした健史は、少しふくれっ面をしている。虎次郎はそれも軽くスルーして、俺に言った。
「聞こえなかったってことは、もうなくなったかも知れないし、なくなってないとしても制御できるかもしれないぞ。」
「本当か?」
「まだ、よくわかんないけど、でも、聞こえないときがあるってことはその可能性があるってことだろう。」
「もし制御できれば、亮なら人の心の声を盗み聞くなんてことしない、な。」
俺の頭に大きな手を乗せて、父さんが言った。その声は優しくて、なんか嬉しかった。
でも、素直に嬉しいなんて恥ずかしくて言えるわけない。
「俺の性格、完全に父さんの遺伝だけどね。」
「まあ、いいじゃない。本当のことだし。そのお人好しの性格が初めて役に立つかもしれないんだよ。」
「初めてって、そのお人好しをいいように利用している姉ちゃんが言うなよ。」
「やっぱ虎次郎君すごいわ。マジでかっこいいしね。4つも下には、見えない。」
俺の言葉を完全に無視して、姉ちゃんは虎次郎を見つめた。
目がハートマークになっている。
今度は俺が、姉ちゃんの目のハートマークを無視して、軽くため息をついた。
「どうした、亮?ため息なんてお前らしくねぇよ。」
「ため息も出るだろ。こんな非現実的なこと、ポンポン起これば。耳はまだ勘違いってことにできるかもしれないけど、体が浮くのは、動かしがたい事実なんだぞ。・・・俺は、頭も顔も運動神経も中の普通の人間でいたかったのに。」
「まあ、びっくりするよな。・・・たとえ医者に信じてもらえても、治せるわけじゃないだろうし。」
「いや、さらっと残酷なこと言うなよ。」
「あ、ごめん。・・・でも、もしどうしようもなかったら、親父に協力してもらって、何とかするから。」
「虎次郎、お前、亮に甘すぎ。」
「いいだろ?親友なんだから。」
くさいセリフも虎次郎が言うとさわやかに聞こえるから不思議だ。
「・・・?お前に、冷たくあしらわれる俺は、親友ではないのかな?虎次郎君?」
珍しく、健史が敏感に気づいた。
健史の顔に少しだけ怒りの色が見える。
「いや、お前も親友だよ。でも、亮とは量る天秤が違うんだって。」
「天秤で量るな!もういい、お前なんて。」
「嘘だって。健史からかうと面白いから、からかっただけ。本当にお前も亮と同じように親友だし。同じ天秤で、亮と乗せても水平だから。」
「・・・虎次郎、それ半分本当だけど、半分嘘だろう?」
「な、そうなのか?」
「亮、丸くおさまりそうだったのに、そういうこと言うなよ。」
「って、そうなのかよ。そこは嘘でもいいから、違うって言っておこうよ!」
「違うよ。」
「「遅いっつーの!!」」
思わず、俺と健史は声を合わせてしまった。そのやり取りを見ている姉ちゃんと父さんが、声に出さないように笑いをこらえている。
そんないつもの光景が目の前で流れていたから、俺はあーって思った。
変な能力ついちゃたけど、俺の日常は変わらないって。
それが幸せだったから、やっぱり思ってしまう。
「やっぱ、どうにかならないのか?この変な力は。」
「・・・なりますよ。」
突然、聞き慣れない女性の声が耳に入る。俺たちは全員、ドアの方に目を向けた。
そこには、夏だからって、露出しすぎです、ってくらい露出している、ボン・キュッ・ボン(これって死語か?)のお姉さんがいた。見た目推定で、28歳ってところか(独断と偏見による)。
そのナイスバディーのお姉さんの後ろには、母さんと白衣を着た男の先生が立っている。その先生はお姉さんを無視して、病室の中に入ってくると、俺に聴診器をあてた。そして手や足を軽く動かす。
「昨日も診ましたけど、頭を打った以外に異常はないようです。精密検査のために3日ほど入院してもらいますが、それで異常がないようでしたら、この病院からは退院できますよ。」
最後の言い方がものすごく気になるんですけど…。
先生は、俺の声に出さない疑問は気づかず、しかし俺たちの視線の疑問には気づいてくれた。
ゆっくりとお姉さんのところに歩いて行き、横に並ぶ。
「こちらは超能力研究所の方です。」
「高木と申します。」
高木と名乗るこのお姉さんは、格好に似合わず、礼儀正しく頭を下げた。
人は見た目で判断するな、という言葉の典型だ。
「あの、超能力研究所っていう胡散臭いのは?」
健史が素直すぎるくらい素直に言葉に出して聞いた。まあ、本当に胡散臭いけど。
「胡散臭いというのは・・・多少引っかかりますが、まあ慣れない方はそうでしょうから、大目に見ましょう。超能力研究所というのは超能力の持ち主を研究する所です。」
「・・・そのまんま。」
姉ちゃんの小さな漏れが、たぶん俺だけの耳だけに届く。
あ、また聞こえるようになっている。
「超能力というものは本当に、存在するものなんですか?そもそも超能力というものは何かということを説明してくれると助かるんですが。」
「超能力は存在します。超能力は本来、すべての人が内に秘めているものなのです。そしてその能力が初めから開花されている人とそうでない人がいます。後者はたいてい一生、開花されません。しかし稀に、何らかのきっかけで開花する人もいるのです。相澤亮さんはそのタイプです。能力の開花はたいてい、事故など「死」を感じる経験することによって起こります。その経験をした人すべてが開花するわけではありませんが。そして初めから開花している人と、途中で開花した人を合わせても、全世界で超能力者は数えるほどしかいません。亮さん、あなたは素晴らしい才能の持ち主なのです。」
「・・・。」
スケールがでか過ぎて、非現実的過ぎて、ついていけない。それは健史たちも同じみたいだ。
だけど虎次郎だけはちゃんとついていく。
「俺の質問のもう1つの方、答えてもらってないです。超能力というものは何なんですか?」
「超能力とは文字通り、能力を超えることです。」
「・・・。」
「あの、もっと詳しく・・・。」
恐る恐る俺が聞く。
それだけで、わかる人は皆無でしょう。
「しょうがないですね。能力を超えるということは、耳が普通の人が持つ能力をはるかに超えて、小さすぎる声まで聞こえたりすることです。その他にも、視力、腕力、持久力、脚力、回復力また運なども普通の人が持つ能力をはるかに超えることがあります。」
「超えることがありますってことは、超えないこともあるってことですか?」
「はい。」
「それはどういう違いですか?」
「性格に依存する場合とその人の持つ超能力そのものの大きさによる場合があります。亮さんの場合、感情までは読み取れなかったとお母様から聞きました。それは亮さんの能力が低い、ということも考えられますが、お母様から聞いた話から判断すると、おそらく性格に依存している方でしょう。・・・また開花した人の大半は、開花した直後の訓練を受ける前でも、聴力と視力の能力は一般の人の持つ能力よりはるかに超えます。その他は、訓練次第で伸びる程度で普段の生活ではそこまで大きな変化はないと思いますよ。制御する力をつけなくてもいいくらいです。でも聴力と視力は制御できないと少し困ることになりますね?・・・でも亮さんは、聴力だけで視力の向上はまだ確認されていないんですよね?」
今まで虎次郎の方を見ていた高木さんの顔が、急に俺の方を見た。
「あ、はい。」
思わず、声が少し裏返る。…俺、かっこ悪い。
「けれど、たいてい視力の方も能力が標準をはるかに超えます。視力が向上すれば、覗きなんてし放題ですし、その他にも活用的なものとしては、まだ解明されていない脳の機能まで見ることができるかもしれません。また宇宙の様子を地球から見ることも可能かもしれません。」
覗きし放題を勧めるのはどうかと思いながらも、健史がうらやましそうな顔を俺に向けてくるのが気になった。いや、俺も健全な高2の男子としては嬉しい限りだ。嬉しい限りだが、俺は健全な高2の男子である前に、お人好しの性格の持ち主なんだ。
その俺には、おそらく覗きはできない。…もったいねぇ。
「さっき体が浮いたんですが、それはどういう力だったんでしょう?」
「・・・浮遊力ですかね?」
いいかげんですね。またもや心の中で嘆いてしまった。
「制御って自分でできるようになるんですか?」
「はい。でも・・・急に能力開花した人は自分では簡単に制御できません。・・・日常生活で、そんなに見えたり、聞こえたりしたら困りますよね。だから研究所に来て訓練を受けてもらいます。入院ってことですかね。」
「それって強制なんですか?」
この人とこの内容でちゃんと会話できる虎次郎を、やっぱりすごいと思った。他の俺たち、先生も含めて、全員が何か違うものを見ているような感じでいるのに、虎次郎は理解し、質問までしている。
「強制ではないです。でも制御できなくて困るのは本人だから、入院するの。」
「その期間は?」
「・・・飲み込みが速ければ速い、遅ければ遅いです。だから才能があれば、あなたの大事なお友達は1週間くらいですぐに解放できるわ。」
解放って怖いんですけど、と心の中でつぶやいてみる。
やっぱり誰も気づいてはくれない。
「そうですか、ありがとうございます。大体わかりました。」
「いいえ。あなたみたいに飲み込みが速い人がいてくれると助かるわ。・・・少しむかつくけど。」
「ええ、俺も。」
何、その本音?今、そんなこと言うの?
一気に、この場が、よくわからない、頭のいい人同士の冷戦状態になった。
冷たい、空気が流れる。夏なのに…。
「ま、まあ制御できるってたかったわけだし、今ちょうど夏休みだし、1週間だけなんてラッキーだよな。・・・虎次郎も健史も、もちろん宿題写させてくれるよな。・・・1週間だけかも知れないけど。」
「ああ。も、もちろんだよ。」
鈍感な健史もこの異様な空気を感じ取ったらしい。話を合わせてきた。
めちゃくちゃ棒読みだけど。
「健史のなんか写させたら、亮の成績が下がるだろう。俺のを見せる。1週間で終わらせとくから。」
「あ、ありがとう。本当に助かるよ。」
そしてやっと沈黙が訪れた。
俺は本来、沈黙は好きじゃない。沈黙って、変な汗が出そうになるからだ。でも今回のこの沈黙はなんだか救世主のように思えてならない。
外で一生懸命叫んでいる、セミの声もちゃんと聞こえる。きっと、これは俺だけじゃなく、皆にも届いているはずだ。
そしてこの沈黙に感謝したのは、俺だけじゃないらしい。やっとチャンスが来たとばかりに、先生が俺に言った。
「じゃあ、相澤さん。検査をやってしまいましょうか。」
「あ、はい。」
気づくと、目が覚めてから結構時間が経っている。
もう病院が忙しなく、動き始める時間だ。
「・・・っと、その前に、朝ごはん食べなくちゃいけないのか。」
先生が、自分の腕時計で時間を確認してから独り言のようにつぶやいた。
「そうだな。それじゃあ、相澤さんが朝ごはんを食べたころ、また来ますね。そしたら、検査をしましょう。」
「え、・・・先生はどこにいるんですか?」
「私は部屋に戻ります。」
「・・・俺もトイレに行きたいんで、途中まで一緒に行きます。トイレの場所教えてください。」
この場から離れるのが得策だと思った俺は、自分の足で普通に立って、先生のあとについて行く。自分の足で歩けるくらいなら、すぐにこの病院から出られそうだ。そしたら、変な研究所という所に行くんだろうな。
俺はまた小さくため息を漏らす。
先生がこっちを向いて、営業スマイル的なものを向けた。
(お気の毒に)
あ、心の声、また聞こえちゃった。
案の定、精密検査の結果は異状なしだったため、俺は無事に退院した。そしてその足で、高木さんの車に連れ込まれ…いや、乗せてもらい、1時間ちょっとの間揺られて、今、研究所という建物の前にいる。
高木さんが俺のことを研究所の人たちに話して来るとかで、俺は車の中で1人待たされているのだ。研究所がある場所は、俺の住む街からそんなに離れているわけではないのに、高いビルなど1つもなく、田畑が広がっていた。
360度回ってみても、山の景色が見えなくなることはない、田舎って感じの所だ。のどかにセミの鳴き声とか聞こえてくる。なんかおばあちゃんの家って感じの場所である。
ここで1週間過ごすのも、悪くないかもしれない、なんて思ってしまう。
雲ひとつない青い空が俺を見下ろしている。ビルが建ってないからだろうか、空がいつもより広く感じた。その広い青の中に、白く丸に近い形の月が薄っすらと見える。
たぶん今、ここに立っていなかったら、その存在に気づかなかっただろう。こんな日も、なんかいいかもしれない。健史と虎次郎も一緒に来られれば良かったんだけど。
というか本当は、2人もついてくるって主張していた。
健史は高木さん目当てで、虎次郎は俺を心配して。でも、高木さんにあっさり断られたんだ。
なんか、高木さんと虎次郎は犬猿の仲らしい。ついて行くって言った虎次郎に、「本当は来てもいいんだけど・・・やっぱりだめ」とか言っていた。
ついでに、虎次郎が俺にメールするって言ったのを聞いた高木さんに、「携帯電話は必要ないから置いていってください」とか言われて、結局、俺の携帯電話は家に放置してある。
…高2相手に少し大人気ないですよ。ま、直接言えないけどね。
こんな風に、微妙に心の中で、悪口らしきものを言っていたからだろう。現れた高木さんに「じゃあ、降りて」と言われた俺の返事が、多少上擦っていたのは。
車から降りて、自分の足で立ったその土地は、なんか妙に懐かしい感じのする所だった。冷房の効いていた車内から出てきたため、やはり外は暑かったが、それでも都会に比べてカラッとした暑さで、過ごしやすそうだ。
空気もおいしくて、俺は2回も深呼吸をしてしまった。
それを見て、
「何かおじいさんみたいだね。」
そう言い、高木さんが俺に笑顔を向ける。その顔は、露出度の高い服装から想像できないほど優しくて、また外見で人を判断してはいけないという教訓を身にしみて思った。
敬語を使わない高木さんは暖かい感じがする。
「そうですか?・・・それより本当にこれが研究所なんですか?」
俺は目の前にある2階建ての建物を指さして聞いた。
「そうよ。」
ただそれだけ言うと、高木さんはその建物に入って行く。
俺のイメージでは、研究所って言うくらいだから、もっと大きくて、見たこともないような機械が並んでいるって感じだったんだけど。
高木さんが入って行った建物は、普通の家って感じで、俺のイメージは速攻で崩れた。
でも中に入ってみると、意外に大きい。
そして俺は、高木さんにこの研究所の中を案内してもらった。1階には俺が想像していた機械の代わりに、スポーツジムにあるような機械が多く並べられている。
というか、見た感じ、ジムそのものだった。
そして次に2階に上がる。
そこは1階みたいに広々としているのではなく、本当に普通の家みたいに、3つの部屋に分かれていた。
階段に近い方から、パソコンが何台も並べられている部屋、次に高木さんの紹介では、休憩室と呼ばれていた部屋、そして客用の部屋だ。俺の部屋より幾分大きいその部屋が、1週間、俺の部屋となるらしい。
そしてそのところどころに、人がいた。その数は、計10人。そしてその半分は研究所のスタッフらしい。残りは俺と同類の超能力者というやつだ。
俺の同類には、見た目の推定だから、詳しくはわからないけど、50代くらいの人もいれば、俺とほとんど変わらないくらいの年の人もいるようだ。それぞれがパソコンの部屋にいたり、ジムでトレーニングしていたりする。
研究所なんだから、白衣を着た人たちがいっぱいいるんだろうな、と思っていたけど、白衣を着た人なんて1人もいない。
俺の偏見も直さないとな、とか反省してしまう。
一通り、研究所を回ったあと、高木さんに連れられて、俺は2階の真ん中の休憩室に入った。そこで高木さんに今後の説明をしてもらう。
ついでに、虎次郎には、速ければ速い、遅ければ遅いと答えていたが、本当はきちんと1週間のカリキュラムが存在するらしい。
虎次郎の「俺はできる」って感じに腹を立てたため、いじわるのつもりでそう言ったと少し舌を出して、「ごめんね」と俺に謝った。
やっぱ、この人かわいいかも。
俺は今の感想を口にはもちろん、顔にも出さずに「かまわないっす」と答えておいた。
「ありがとう。」
また少女のような笑み。
無意識に俺の中で、推定年齢が2歳下がった。
「それじゃあ、改めて説明するね。」
「すみません。その前に、もう一度、超能力について詳しく説明してもらってもいいですか?」
俺は、少し申し訳ないと思ったが、このままじゃ納得できないし、知っておく権利があると思ったから、素直に聞いた。
「そうね。ちゃんとわかるように説明しておく必要も義務もあるね。・・・前に話したことと重複するとことがあるかもしれないけど、我慢して聞いてね。」
「はい。」
「超能力には3つのパターンがあるという話はしたよね?」
「はい。初めから自覚している人、途中で開花する人、ずっと開花しない人ですよね。」
「そう。ついでに、25歳まで開花しなければ、一生開花することはないわ。」
「・・・そうですか。」
その情報は知りたくなかったな。
そんな俺のショックに気づいていないのか、それとも無視しているのか、高木さんはさっきと変らない口調で説明を続ける。
「それで、命の危険を感じると途中で開花しやすいってところまでは言ったよね。」
「はい。」
「命の危険はたいてい、あなたのように交通事故が多いの。だから私たちは、病院と連携している。初めから自覚する人も初めてこの世に誕生するときは、今はほとんど病院だからね。それで、病院と連携して能力が開花した人を、今私がしているように、すぐ研究所に招くの。そうしないとその人が困るから。初めから自覚している人は、母国語を覚えるみたいに、自然に能力を覚え、使いこなしていく。でも途中で開花した人は、外国語を覚えるみたいに、努力して学習しないと制御ができない。というわけだから、この研究所は学校での英語の授業ってところかしら。とりあえず、何となくわかって、一応日本でイギリス人に声をかけられても、何とかなる程度までのコントロール力を身につけるの。」
何となくわかった気がした。
いや、わからないけど、認められるようにはなってきた。
だからだ。俺は徐々に実感してきてしまった。
ザ・普通の俺がもはや、普通でなくなってしまったことに。
高木さんの言語での例えは、わかりやすかった。でも、俺は思う。外国語なんてレベルじゃないんだ。
俺の人生が狂うほどのことなんだって。
俺は事の重さに言葉を失う。
そんな俺を無視して、高木さんはさらに説明を進めていく。
「能力が開花さえすれば、訓練次第でよりすごい力を出に入れられるの。私たちの研究所は、能力者を訓練することもしている。さっきの例えで言えば、英会話学校ね。そして私たちは、初めから自覚している人と訓練を受けた人たちを集めて、チームを作っているの。超能力者は、普通の人たちができないことができるでしょ?だから、そのチームが世界を救うの。そのために動くチーム。そのチームで、超能力を活かして、新薬を作って、困っている病気の人たちに与えるとか、まあその他、諸々しているの。」
いや、諸々って…適当ですね。なんかこの研究所って、危ないのか?
しかし目の前にいる高木さんの目は本気だ。この人、自分の言っていることが、曖昧だって気づいていないんだろうな。
「それで、ここからが本題ね。」
「・・・本題?」
「本当は、1週間のカリキュラムが終わってから言おうかなって思っていたんだけど、面倒だから言っちゃうね。」
いや、面倒って、と心の中で突っ込んでみる。どうせ聞こえないってわかっているけど。さっきと同じように、心の中で、高木さんの言動に若手芸人のような下手なツッコミを繰り返していた。
でも、目の前に立つ高木さんの顔つきがだんだん真剣になってくるのがわかった。
だから静かに唾を飲み込んで、次の言葉を待っていた。
「私たちのチームに入って欲しいの。超能力が開花した人すべてに言っていることなんだけど。・・・訓練して、もっと能力上げて、世界を一緒に守らない?」
「・・・。」
黙ったままの俺を無視して、高木さんはさらに進める。
さっきからこのパターンばかりだ。
「さっき例えで使った英語みたいに、この超能力って使わないと、どんどん性能が落ちていくの。そして普通に戻ってしまう。まあ、開花はしているから、少し訓練すれば、また普通とはかけ離れた能力まで上げることはできるんだけど。でも、やっぱりそれには時間がかかるし、より向上させることができにくくなるの。チームに入って、それなりの訓練を受けてほしい。だからそのために、チームに入ると、普通の今まであなたがいたような世界から隔離してもらうことになるわ。・・・世界を守ることに集中して欲しいし、訓練に多くの時間を割いてほしいから。それに、普通の人たちの感覚を持っていてもらうと困ることもあるしね。」
「隔離って・・・。」
「期間は一生。お正月とかお盆とかには一時帰宅はできるわ。ちょっとつらいかもしれないけど、報酬は普通のサラリーマンの10倍だから、悪い話ではないと思う。」
「・・・10倍?」
「それにこれは、特殊な能力を持った、あなただからできる仕事なの。・・・あなたなら、今にも死にそうな人を助けられるかもしれない。」
高木さんは、さっきからの俺の発言を無視し続けながら、どんどん話を進めていく。
その中で俺が思ったのは、「わからない」ということだけだった。
正直、何もわからない。
隔離なんて御免だ。皆と離れたくなんてない。
だけど、「あなただからできる」と言われると…わからない。
俺は高木さんの方に向けている視線を、窓の方に移した。
窓越しに見る空には、白い雲が1つもない。かすかに昼に見える白くて薄い月だけが、空に浮かんでいた。
いつもならうるさく聞こえてくる人の声や車の音が、この田舎にはあまりない。あってもかすかに聞こえる程度で、しかしその代わり、セミの声が異様に俺の耳に届いた。
平和だ、と思った。平和過ぎるほど平和で、「今にも死にそうな人」を想像することは、俺にはできなかった。
でも、この世界には、そんな人たちが確実にいる。そしてその数は多い。
何の取り柄もない俺にその人たちを救える力があるのなら、俺は高木さんの言うチームに入った方がいいのだろう。
でも…俺の幸せは?
結局、今の俺に言えるのは、「わからない」。それだけだった。
「あの・・・まだ答え出さなくてもいいですか?」
「大丈夫よ。能力が落ち込む前の方が都合がいいから、そこまで気長には待てないけど。」
「・・・はい。でも、今は・・・。」
「うん。ゆっくり考えて。」
高木さんは、優しい笑みを俺に向けた。
お姉さん、という感じのその笑顔は、暖かくて何となく泣きたくなってしまった。
しかしそんな俺をやっぱり無視して、
「それじゃあ、今回のカリキュラムについて説明するね。」
と言って、俺を置いて、さらに先に進んでいく。
「まずは、どの今の時点で、どの能力がどのくらい開花されているかをチェックします。ジム感覚で取り組んでくれればいいから。・・・でも、能力が開花されていない場合はちょっと大変かも。」
「・・・体力テストみたいなもんですか?」
「そうね。そんなものよ。それから、突然超能力を持ったことへの、心の負担などを解消するために、カウンセリングをします。」
俺は、心の中で思う。
テストより、カウンセリングが先だろっ。
この研究所、ところどころ抜けている。俺、1週間もここにいて大丈夫かな?
そんなことを思っても、結局何も発言できずに、ただうなずいているだけなんだけど。
…俺って、小さい。
「それから、次に催眠術をかけます。この催眠術は、すごく画期的で、この能力を訓練で身に付けた人がいてね、この催眠術をかけると、一気に能力をコントロールできるようになるの!例えば、自分の思い通りに心の声まで聞こえたり、小さく話している声が聞けたり、普通の人と同じ聴力にできたり、自由自在に操ることができるようになるわ。」
「・・・そうですか。」
あまりにも楽しそうに言う、高木さんは俺よりも子どもに見えた。
そんな高木さんにどんな表情を向けていいのかわからなく、俺は思わず、そっけない態度を取ってしまう。
「うん。それじゃあ、カリキュラム1日目、始めましょうか!」
でも俺の態度などお構いなしに、高木さんが言った。
そして俺の変な1週間がスタートしたのだった。
窓から見える空は、青というより水色と表現した方がいいような薄めの色で、優しい感じがした。目線を下に向けると、地面に咲いている赤や黄色の花々が風に押されて、左右に揺れていた。
そんな中、俺はなぜかとことん走って、跳んで、とりあえず動かされた。
いや、なぜか、ではないか。体力テストらしきものと聞かされていたわけだし。でも、こんなに運動をさせられるなんて、聞いていない。それも1日。帰宅部の俺にはきつすぎる。
俺がここのスタッフに言われるままに、走らされている間、高木さんは、スタッフの手伝いをするわけでもなく、ただ立っていた。
高木さんがそこにいる必要はおそらくなかった。でも、俺のそばについていてくれた。
スポーツドリンクやタオルを渡してくれ、「大丈夫?」と声をかけてくれた。
高木さんも知り合いとは言い難いが、ここでは一番知っている人である。
その高木さんの存在が、見知らぬ人の指示で、むやみやたらに走る俺の小さな支えになっていたのだと思う。
結局1日目は、さんざん汗をかかされて、ようやく解放された。外はもう暗い。まあ、解放されたと言っても、家に帰されるわけではなく、与えられた一番奥の部屋に誘導されただけなんだけど。ついでに高木さんや他のスタッフはすぐ近くにある寮のようなところにいるらしい。
部屋に入った俺は、やっと1人の時間を持つことができた。
高木さんに言われたこととか、超能力を持ってしまった自分の将来とか、本当はいろいろ考えなきゃいけないことがあったけど、久しぶりに本気で走った俺は、部屋に入るとすぐにベッドの上で横になる。
窓に目を向けてみると、黄色い光が道のように入ってきていた。きっと満月か、それに近い月だったのだろう。そのきれいな光を見て、窓のカーテンを閉めなくちゃいけない、と頭の中でそう思った。
しかし、俺はおやすみ3秒の速さで、夢の世界に旅立ってしまった。
いっぱいかいた汗は、ジムに付いているシャワールームで落としたし、月の光も部屋に入ってくるし、なんだかいい夢が見られそうだ。…変な研究所の中だけど。
カリキュラム2日目。
完全に筋肉痛になっていると思ったが、意外なことになっていなかった。これも体力とか運動能力が上がったからなのか?
朝8時に朝食を持って現れた高木さんに聞いてみたら、「そうよ」と軽く言われた。
もう少し、真剣に話して欲しいものだ。
その高木さんが言うには、今日は午前中にカウンセリングを受けるらしい。
だから朝食を済ませた俺は、高木さんに言われた通りに、昨日説明を受けた真ん中の部屋の椅子に座って待っていた。
しばらくすると、30代前半くらいの女性が入ってきた。そう言えば、昨日この研究所にいたかも。
「おはようございます。」
「あ、おはようございます。」
高木さんとは違った感じの、地味でおとなしい印象を受けた。
今日は昨日そばについていてくれた高木さんの姿は見当たらず、1対1でやり取りをするらしい。
始めは、一問一答という単調な形だった。しかし次第に俺の中で、もうこの際、思っていることを全部ぶつけてしまえ、と変なスイッチが入る。
だから俺は、超能力を身につけて、自分を怖いと思ったこと、これからの将来の不安、周りとのつき合い方など不安に思うことを並べ立てた。
やっぱり言葉にすると、すっきりする。
話終わっても、まだわからないことや不安に思うことは確かに消えない。けれど、心が少し楽になった気がした。
カウンセリングと言っていいのかわからない対談のようなものが終わり、俺はまた与えられた部屋に戻る。
そしてすぐに、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい。」
「高木です。お昼だよ。」
そう言って、昼食を持って来てくれた高木さんがドアを開け、中に入る。
「ありがとうございます。」
「午前中はどうだった?」
「・・・いろんなこと話せて、不安は正直まだ消えないけど、でも頭の中の整理はできたような気がします。」
「そっか。よかったね。午後はあなたの性格とかについて知るために、心理テスト的なものをやるんだって。体は使わないけど、頭を使うから、今日も疲れるかも。・・・ごめんね。」
「いいですよ。高木さんが謝ることじゃないし。・・・ところで気になっていたんですけど、高木さんの役割な何なんですか?スタッフの人の手伝いをしているようでもないし・・・。」
「役割は、勧誘ってところかな?だから、詳しいことは実はあんまりわからないの。カリキュラムの内容とかね。だから時々曖昧な言い方になっちゃうの。」
「・・・そうですか。」
そう言いながらも、それじゃだめだろうと思った。
思ったけど、少し舌を出すしぐさが、見るからに年上だけど、なんかかわいいとか思ってしまう。きっとこうやって許されてきたんだろうな。
「本当は、こんなにずっとついていなくてもいいんだよね。最後のときだけ、勧誘しにくれば。だけど・・・亮君は気になるから来ちゃうんだ。」
不覚にも、胸がドキッとなる。俺だって「気になる」の意味が、俺に都合のいい「気になる」ではないことぐらいわかる。わかるけど、ドキッは自然現象なんだ。
…もしかして今のセリフも勧誘のため?それなら怖い。女って怖い。
「・・・そうですか。」
「うん。それじゃあ、また1時に迎えに来るね。って言ってもまた同じ部屋なんだけど。とりあえず来るよ。」
「わかりました。」
そんなこと言うと、またドキッっていうから…。
そんな勘違いという見えない敵と戦っている俺に背を向けて、その根源である高木さんは去って行った。ドキッのせいで妙に体が熱くなった俺は、窓を開ける。
生ぬるい風が勢いよく入ってきた。空を見ると、浮かんでいる白い雲が、速い速度で流されている。そのくらいの風が今の俺にはちょうどよかったけど。
窓を開けて、ぼんやりしているうちに、気づけば1時まで残り15分になっていた。冷めてきている昼食を、味わう暇もなく腹の中に入れると、緑茶で一服、なんてしている時間もなく、高木さんがドアを叩く音がした。
そしてそのまま隣の部屋に行く。…やっぱ、なんで高木さん来たんだろう。
俺の頭に浮かんだ疑問+期待をすぐになかったことにして、俺は扉を開ける。
そして机の前に座り、大量の質問文に答えていった。マーク式だったため、センター試験の模擬テストを受けている気分になる。嫌な現実感だったけど、久しぶりの現実感がなんか嬉しかった。
カリキュラム3日目。
今日は、初日に高木さんが目を輝かせて話していた、催眠術をかけられるらしい。1週間のカリキュラムの3日目に最終奥儀出すのかよっ。
こう思ったのは、この日も部屋まで迎えに来てくれた高木さんも同じらしく、他のスタッフに、次の日から何をやるかを聞いてきたらしい。
そしてその答えを知っている高木さんは、同情的な目を俺に向けて、申し訳なさそうに言った。
「明日から、ずっと、訓練だって。・・・つまり初日と同じことをずっとやるらしいよ。制御できるようになった超能力をさらに伸ばすのが目的だって。」
そんなにずっとを連呼しないでください。俺は帰宅部なのに…。
「・・・そうですか。」
「でも、運動能力とか上がっているから、大丈夫だよ。きっと。」
そう言う高木さんは苦笑いをしている。しかも最後に「きっと」って小さくつけてるし…。
俺は気づかれないような小さなため息をついた。
小さくしたのではない。そんなため息しか出なかっただけだ。…はぁ~あ。
そもそもこの研究所に入ってから、心の声というものを聞いていない。高木さんが言っていたような、目がよく見えるようになったということもない。多少、以前より持久力などは向上しているかもしれないが、催眠術なんてものをかけるほどではないだろう。
でも、日常生活で、聞こえてきてはいけない声が勝手に耳に入ってくるのは大変困るので、俺は何も言わず、高木さんについて行った。また、すぐ隣の部屋だったけど。
今日は、部屋に入るとすでに人がいた。部屋の真ん中にある椅子に座っていたのは、中年のおじさんだった。中年のおじさんといっても、メタボのおやじという感じではなく、あごひげを生やした、ダンディなおじさまといった感じだ。
「おはよう。さあ、ここに座って。」
「おはようございます。」
差し出された椅子に座りながら、俺は挨拶をする。
「超能力には慣れたかい?」
「・・・慣れたというか、今、聞こえない状態なんです。」
「今はオフ状態なのか。でもいつオン状態になるかわからないから、コントロール能力を身につけていた方がいいだろう?」
「はい。お願いします。」
俺がそういうと、軽くうなずいて、おじさまは催眠術について説明してくれた。
それをまとめると、催眠術をかけて、脳とか体の細胞とかに初めから超能力があったと思いこませて、体の1つの部分として自在に扱えることができるようにさせるらしい。
例えば、右手を上げるみたいに、自在に。
そしてこの催眠術をかけることで、ちょっとしか向上していなかった能力も、飛躍するらしい。
俺の場合、聴力はアップしても、感情までは読み取れなかった。でも、この催眠術をかけることで、おそらくそれも自在にできるようになるという。そんな悪趣味なことする気はないけど。
でも、この催眠術で制御できるようにしたとしても、やっぱり使わないと落ちていくらしい。この催眠術をかければ、また普通以上になるのだが、この催眠術をかけられるのは、このおじさまを合わせて数人しかいないらしく、新たに開花した人優先でやっているため、あとのことは自分でやって、状態のようだ。
そしてここまで聞いていて、俺はとても残念なことに気づいてしまった。
「あの、じゃあ・・・初日に俺が走ったことって無意味だったんじゃ?結局、普通以上に跳ね上がるなら、チェックなんてする必要ないですよね?」
「・・・私もそう思う。そう思うのだが、ここのスタッフは使命感が強くて、何もしないまま催眠術をかけるより、何かしてからの方がいい結果が得られると思って実行しているのだよ。先日、君がしたことは、能力チェックというより、彼らの中ではその意味が強いんだ。・・・変わらないとは思うのだが。でも、それだけ彼らの情熱があるということで、許してやってほしい。」
「・・・はい。」
結局、イエスマンで文句なんて言えない俺。
俺ってお人好しなんじゃなくて、ただの弱虫なのか?自分の性格にまで疑問を感じてしまう。
そんな俺に、おじさまはさっきより、少し低い声で言った。
「それじゃあ、始めようか。」
「はい。」
俺は、頭の中を空にして、真剣におじさまを見た。目の前のおじさまはそれに合わせて、何も言わず深くうなずく。そして俺に目を閉じるよう指示をした。
目を閉じて、何も見えなくなった俺は、意識がだんだんと遠のいて行くのを感じていた。
次に俺が目を覚ましたとき、辺りは真っ暗だった。
俺は、部屋のベッドの上に寝かされているようだ。真っ暗な中で、俺は自分の頭・体を触ってみる。異常はない。…たぶん。
今度は周りを見渡してみる。黒い闇に覆われていて、何も視界に入ってこなかった。
だから俺は、「よく見よう」としてみた。急に、暗くて何も見えなかった辺りが、電気をつけたようにはっきり見える。どうやって、そんな風にできたのかわからないが、とりあえず超能力というやつをコントロールできるようになっているようだ。
俺はよく見えるようになった目のまま、窓を探し、カーテンを開けた。そして目を元に戻す。そのまま空を見た。
おそらくまだ丸に近いはずの月は、厚い雲で覆われているようで見えない。ま、そうでなければ真っ暗になることなんてないんだけど。
田舎だからかわからないが、窓から見える明かりの数は少ない。
俺の家の方なら、夜でもネオンの光や、家の電気で明るいのに。
ところどころ見える街頭の明かりだけが、ポツリポツリと光っている。
その光景がなんだか俺を切なくさせた。なんだか急に家に帰りたくなる。いわゆるホームシックというやつだろうか?
健史や虎次郎に聞いてもらいたいこともたくさんある。
「・・・情けねぇな。」
思わずこぼれたそんな声に、苦笑し、俺はまたベッドに戻った。
俺しかいないこの部屋で、いないはずの誰かに「おやすみ」と小さく告げて、ゆっくり目を閉じた。
カリキュラム4日目、5日目、6日目、7日目。
俺はとことん運動をした。汗をかいた。
残りの間、ずっと訓練ということは、先日高木さんから聞いていたけど、超能力をコントロールできるようになったし、楽勝、とか思っていた。けど、甘かった。ここの研究所のスタッフの情熱とやらを忘れていた。
俺は、訓練が始まる前に言われた。
せっかくコントロールできるようになった超能力をどんどん使ってやる気満々だったのに。
「あ、超能力は使わないでくださいね。」
いとも簡単に、さらっと言われた。
「な、何でですか?超能力を伸ばすためなら、超能力を使って訓練した方がいいんじゃないですか?」
「でも、超能力を使うと、簡単に何でもできてしまいますよね?それじゃあ、意味がないと思いませんか?超能力って文字通り、能力を超えるということなんです。だから、元の能力を伸ばしてやれば、超能力も伸びる気がしませんか?」
「何か言い方が曖昧な気がするんですけど・・・。」
「ええ。実験などしていませんから。・・・さあ、始めましょう。」
あの、今さらっと、またさらっとすごいこと言いましたよね?実験してないのに、何の確証もないのに、俺に疲れろと?
そもそも4日間運動したくらいで能力が伸びるなら、この世界にはオリンピック選手がいっぱいですよ?何日も積み重ねて努力するからこそ、持っている能力を向上させることができるんじゃないですかね?
なんて文句が頭の中で、驚くほどたくさん並んだ。
だけど俺は学習したんだ。ここのスタッフの変で、迷惑な情熱とやらを。
きっと言ったら毎日来させられて、毎日走らされる。何度も言うようだが、俺は帰宅部だ。
口に出さないと決めた抗議は、もちろん気づかれず、俺は黙って次々に与えられる試練を必死で越えていった。
回復力だけは、使っていいと言われたため、疲れを翌日に残すことはなかった。
しかし、それでも疲れた。この4日間もずっとそばについていてくれた高木さんの苦笑いが何となく俺を切なくさせる。
でも、そんな説明のしようがない切なさを抱えながらも、俺は乗り越えたんだ。…長かった1週間。
研究所に連れてこられてから、やっと1週間と1日目の朝。俺は、高木さんから、最後の説明を受けるため、帰る準備を完了させ、2階の2つ目の部屋の椅子に座っていた。
本来なら昨日の夜にこの説明を受け、帰れるはずだったのだが、疲れていた俺は、帰りたい気持ちより、寝たい気持ちを優先させた。
その結果が、今の状態だ。ま、走らないなら何でもいいけどね。
結局、運動した思い出しか残りそうもないけど、この研究所から見る景色は何となく思い出として覚えておきたいと思った。
同じ空でも、いつも見てきた空とは違う。いつも見る空より、大きくて、なんだか近い気がした。
窓の方を見てみると、熱い光を放ち大きな太陽が目に入った。青い空とその太陽がきれいに調和している。やっぱりこの景色は覚えておこう、と改めて思った。
しばしのんびりと窓の外を眺めていた俺の耳に、ドアを2回ノックする音が届いた。そしてすぐに高木さんが入ってくる。
やっとこの研究所から、というか運動漬けの毎日から解放されることに浮かれている俺の目の前に立つ高木さんは、なんだか深刻そうな顔をしている。
そのいつもとは違う雰囲気に、俺はなんだか怖くなって、唾を飲み込んだ。
高木さんは椅子に座ると、さっそく話を始めた。
雰囲気のせいか、なんだかいつもより声が低く聞こえる。
「カリキュラム、お疲れさまでした。・・・チームに入るか、入らないか決まりましたか?」
いつもとは違う敬語が、なんだか高木さんを遠く感じさせる。
やっぱり少し怖かった。
「・・・いえ、まだ考え中です。親にも相談したいし。」
「わかりました。しかし先日も言ったように、あまり長い間、待つことはできません。そのため、1ヶ月後に私たちの方からお電話させていただきます。」
「電話?」
「はい。これは、私たちの方の番号です。」
そう言うと、高木さんは、小さなメモ用紙を俺に渡す。
そこには2つの番号が書いてあった。
「上の方がこの研究所の電話。そして下の方が私の携帯電話の番号です。1ヶ月以内に決断でるようであれば、そちらからお電話ください。」
高木さんの携帯電話の番号をゲットできたというのに、なぜこんな、胸がつかえるような息苦しさを感じなくてはならないんだろう。
俺から目線をそらすことなく話す、高木さんがものすごく大人に見えた。
高木さんの様子や、スタッフの適当さから忘れていた、深刻な問題が一気に現実味を増す。
「あの、チームに入ったら、もう普通の生活がほとんどできなくなるというのはわかったんですけど、チームに入らなければ俺はどうなるんですか?」
「どうもなりません。以前と変わらない生活に戻るだけですよ。ただ・・・周りの対応も変わらないとは限りませんが。」
「えっ?」
「たとえ、あなたが自分の能力のことを隠していても、少なくとも病院関係者の数人。家族、友人はあなたの超能力のことについて知っています。・・・周りは以前と同じように、あなたを見てくれるでしょうか?」
「・・・。」
何も言えなかった。
それでも、高木さんは続ける。
「あなたは心の声を読むことができます。何かを気づかれないようにしようとして、心の中で思うその感情を、あなたは読み取ります。見てほしくないものが、あなたには隠しても見られてしまいます。・・・周りは以前と同じように、普通にあなたと接してくれるでしょうか?以前と変わらない生活を手に入れたいと思うのは、あなたのエゴではないのですか?チームの人々は、全員、超能力者です。あなたの能力を理解してくれます。普通に接してくれます。・・・もう一度、今この場で聞きます。チームに入りませんか?」
「・・・高木さん、ずるいですね。なんか、ずるいですね。」
芸がないけど、これしか言えなかった。
「どこが?」と聞かれても答えられない。高木さんの言うことは正しい。ずるくなどない。
でも、正し過ぎるから、ずるいのだ。
そんな俺の発言に、それ以上深く突っ込まず、高木さんは悲しそうな笑みを俺に向けた。
「そうね。でも、それでもあなたの力はこの世界には必要なの。」
「・・・俺の幸せを奪ってでもですか?」
「じゃあ、あなたは他の人の幸せを奪ってもいいの?あなたがもしかしたら、助けられるかもしれない人の幸せ。あなたの存在におびえるかもしれない人の幸せを。」
「・・・。」
何も言えるわけがない。
俺と高木さんの間に、重々しい沈黙が流れる。口を開かず、まっすぐ見つめてくる高木さんの瞳はあまりにもきれいで、きれい過ぎて、ずるかった。
だから俺は、ゆっくりと目線を窓に移す。
嫌なことに、さっきまで晴れていたはずの空には、厚い雲がかかっている。太陽の光が遮断されている分、俺の目に映るこの世界は暗かった。
幸せに、大きいも小さいもないと思う。いや、そう思いたい。
だけどきっと、俺1人の幸せより、高木さんの言う、俺が助けられるかもしれない幸せの方が、ずっと大きいのだろう。そして俺がそばにいることで、奪ってしまう幸せもある。1週間以上前に、姉ちゃんが言った「怖い」がいい証拠だ。俺の存在はもう「怖い」ものでしかないのだ。
でも、やっぱり俺は、エゴでも…。
「・・・やっぱり、考えさせてください。1ヶ月猶予があるなら、その1ヶ月を使って考えたいです。」
絞り出したその声は、かろうじて高木さんに届いたようだ。顔を見ると涙が出そうだったので、失礼を承知で、窓の外を見たまま言った。
「わかりました。いい返事を期待しています。それでは、帰りましょうか。」
敬語に戻した高木さんはそう言うと、ドアを開けた。俺も高木さんに従って、部屋から出て行く。
ドアを閉める瞬間、黒い雲から薄っすら光が見えた気がしたけど、気のせいかもしれない。
重い空気のまま、俺と高木さんは車に乗りこみ、俺の家まで行く。車内でも、言葉を交わすことは一切なかった。
何か話した方がいいとは思った。だけど、何も言えなかった。声を出すと、それと一緒に涙が出そうだったから。
出てきそうになる涙を必死でこらえながら、俺は、渡されて持ったままのメモ用紙を、見ないように、しかし、失くさないように、強く握った。
結局、家の前まで送ってくれた高木さんに、お礼を言うことさえもできず、車を降りて、ただ深く頭を下げただけだった。
でもそんな俺に、高木さんはいつもの口調で、「それじゃあ、1ヶ月後に」と言った。
その口調は、俺の知っている高木さんだったから、なんだか少し嬉しかった。
俺は何も言えなかった代わりに、高木さんの車が見えなくなるまでその場に立っていた。そして車が角を曲がり、その姿が俺の視界から消えると、少しだけ安心する。
振り返ってみると、俺の目の前に、見慣れた我が家があった。ほんの少ししか空けていないのに、懐かしく感じる。
車を降りるときに見た時刻は、9時10分前をさしていた。ということは、父さんと母さんは仕事で、姉ちゃんは大学に行っているはずだ。研究所の電話を借りて、今日帰ることは伝えてあるけど、会社や大学を休むとは思えない。
そう思って、俺は、家の鍵を取り出し、ドアを開けようとドアノブに触れようとした。でも、俺が触れる前に、ドアが開く。
勢いよく開いたドアに、俺はちょうど頭をぶつけた。
「痛ってー!」
ぶつけた個所を抑えながら、俺はしゃがみこむ。…帰ってきて早々、これ?
「うわ、ごめん、亮。」
聞き慣れた声。
でも、それはこの家から出てくるはずのない声だった。
ぶつけられ箇所を摩りながら、俺はゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは、健史と虎次郎だった。
「おかえり、亮。」
「おかえりっ!早く終わってよかったな。」
そう言ってくる2人をとりあえず無視して、俺は家の奥を覗きこむ。
「おじさんとおばさんは仕事で、お姉さんは大学だ。俺たちは、亮が帰ってくるのをここで待たせてもらっていたんだ。それで、今、車の音が聞こえたから、帰ってきたと思ってドアを開けたってわけだ。」
俺の疑問を察した虎次郎が説明した。ちょっと無用心だろう。他人に家を任せるのは。
ま、でもこの2人だから、いいか。
疑問も解決したことだし、俺は健史と虎次郎に言ってやる。
笑顔のおまけつきで。
「ただいま。」
そう言ったら、健史と虎次郎も笑った。その笑顔は、いつも見ているものと何1つ変わらない。
「さあ、入れよ。」
「・・・健史、これ俺の家。」
「あ、そうだった。」
こんなバカなやり取りも、今の俺には最高に幸せで。思わず涙が出そうになる。
必死でこらえたけど。
「亮、朝食は食べたのか?」
「ああ。軽く食べてきた。」
「なんだ。亮の母ちゃんが朝飯用意してくれてたぞ。」
「そっか。・・・ま、昼にでも食べるよ。」
「亮、昼はだめだ。」
「なんでだ?・・・そんなにすぐに腐りそうなものだったのかよ?」
「いや、そうじゃねぇって。今から虎次郎の家に行って、亮、おかえり、パーティーするんだ。ついでに、虎次郎の発案な。だから、昼は虎次郎の家で、御馳走だ。」
「いいよな、亮。それで帰りに宿題持って行けよ。終わらせておいたから。」
「マジで終わらせたのかよ。・・・なあ、虎次郎、俺にも見せて。」
「自分でやらないと成長しないぞ。」
「それは亮だって同じだろ?」
「亮は大変だったんだからしょうがない。」
「たった1週間だろ?」
「病院の入院も含めると10日だ。」
「たった10日だろ?」
「10日は大きいと思わないか?」
「・・・そんなに俺に貸したくないのかよ。」
「・・・最終日まで、できていなかったら、見せてやるよ。」
「亮、こいつになんか言ってやってくれよ。」
いつもの、当たり前すぎるやり取りが、俺の目の前で繰り広げられる。
だから、こんなにも暖かい空気だったのに、俺は聞いてしまった。
聞きたくて、聞きたくて、でも聞きたくないことを。
「・・・俺が怖くないのか?」
小さい声だったから、聞こえていなければいいな、なんて、言ってしまったあとに思った。
でも、さっきまで笑っていた健史と虎次郎の目が、真剣な目に変わったから、聞こえたんだとわかった。
だけど、もう一度言った。今度ははっきりと。
「怖くないのか?」
「何言ってんの?」
「何を言っているんだ?」
ため息をついて、間髪を入れずに2人が答えた。その表情が、「何でそんなことを聞くんだ?」という2人の感情を俺に伝える。
だから、笑って言った。
「だよな。ごめん。」
完全にすっきりしたわけではなかったけど、不安が払拭されたわけではなかったけど、でも、ものすごく「当たり前」だったから、嬉しかった。
悔しいくらい。
無意識に下を向いていた俺に近づき、健史は頭を、虎次郎は背中を軽く叩く。
「早く、御馳走食べに行こうぜ。」
「早く行こう。」
「ああ。」
普段と変わらない口調で言った2人に、普段と変わらない口調で答えてやる。
そしたら2人は笑って、家に帰ったばかりの俺に、一服する暇も与えず、俺を連れ出した。
研究所のある田舎では、雲に覆われて見えなかった太陽と青空が、顔を見せている。
目が少し痛かったのは、太陽を直接見てしまったからだ。きっとそうだ。
空に浮かぶ、薄っすらと見えていた昼の月に、優しく笑いかけられたような気がした。
朝9時台とは言え、外は暑かった。
しかも俺たちは、その炎天下の中、歩いている。俺の家から、虎次郎の家までは歩くと30分もかかるというのに。普段なら、自転車を使うのだが、健史と虎次郎が俺の家に親の車で来たため、俺たちは今、歩くはめになっている。
でも、まあ、3人で歩くのも悪くはない。たわいもない会話が俺たちの間を飛び交った。
ただ、悪くはないのだが、数日前に、車にはねられたばかりの俺としては、妙に後ろが気になるのだ。健史に「気にしすぎだ」と言われるし、俺自身もそう思うが、体が勝手にキョロキョロする。
そんなことをしていたからだろう。俺の視線が、男の2人組をとらえたのは。俺の視線の先で、体育会系という感じの男2人が、話し合っていた。その2人の視線を追ってみると、銀行がある。
…なぜだろう。嫌な予感がした。
普通の光景だったかもしれない。でも、俺はそう感じた。
しかも、2人の近くに停めてある車の運転手も2人と面識があるらしく、アイコンタクトを取っている。
超能力が身についたことで、運や勘の能力も上がると言われた。だがら、この勘が当たっているような気がして、しょうがない。
銀行の中には、俺のいる位置から見る限りで、若い女性2人とおじいさん1人がいる。
「だめだ」と訴えてくる理性を無視して、俺はあの2人の声だけ「よく聞こえる」ようにした。だが、あくまで、心の中ではなく、声だけに限定して。
「店員と女3人に老人1人だ。いけるな。」
「手はず通りにいけば、大丈夫だろう。下見も何回もしている。こんな昼間に、それも小さめのこの銀行に強盗が入るなんて、夢にも思ってないだろうからな。」
男の1人が言ったそのセリフを聞いて、俺は思わず足を止めた。
それに気づいた健史と虎次郎が俺に近寄ってくる。
「どうしたんだ?」
「・・・。」
俺は、聞かれたことに答えなかった。
今はまだ、あの2人の声に耳を傾けていなくてならなかったから。
「もう実行してもいいんじゃないか?」
「いや、手はず通り行こう。10時決行だ。」
「ああ、わかった。」
「お、おい。亮、大丈夫かよ?」
下を向いて、男2人の会話に集中していた俺が顔を上げたのと、健史が額に手をやるのとが同時だった。
勢いよく顔を上げた俺に、健史が少し驚く。
「・・・警察に行かなきゃ。」
俺はつぶやくように言った。
「はあ?」
「・・・どういうことだ?」
この2人を巻き込んでいいのかわからなかった。でも、俺1人じゃ、どうしようもないと思ったから、俺は聞いたことを素直に話す。
「10時って言ったら、あと15分くらいだろ?警察に言って間に合うのか?」
「健史、落ち着け。幸いにも、この裏の方に交番があるから、走って行けばギリギリかもしれないけど、間に合うことは間に合うだろう。だけど・・・。」
「けど、なんだよ?」
「信じてもらえるかどうかわからないって言うんだろ?」
「ああ。」
「じゃあ、どうすればいいんだよ?知ってて、何もできないのかよ?」
俺は思わず、いらだちを虎次郎にぶつけてしまう。
でも虎次郎は、俺の態度に気を悪くしたようでもなく、冷静に答えた。
「・・・考えよう。何か手はあるはずだ。」
「・・・。」
「・・・なあ、偶然聞いたとかって言うのはだめなのか?あいつらが立ってる所って、塾の前だろ?バスケ部の仲間も、あの塾に行ってる気がするんだよ。だから、塾から出ようとしたら、声が聞こえた・・・とか。」
健史の言葉に、俺も虎次郎も、すごい勢いで健史の顔を見た。
その勢いのせいだろう、また変なことを言ってしまった、という顔をして、「ごめん」と小さく言ったのは。
でも俺たちの思ったことは、それと真逆だ。
「健史、お前すごいよ!」
「やるときはやるんだな。」
落ち込む健史に、俺と虎次郎は輝かせた目を向ける。
健史は、訳がわからず、頭に?マークを浮かべているようだが、とりあえず今は無視しておこう。
「あの塾はあの2人が立っているところから死角になっている。だから話を信じてもらえる可能性はあると思う。だから亮、話が聞こえたお前がなるべく嘘偽りなく伝えることが、一番信憑性が高く聞こえると思うから、亮が、警察に話してくれ。わからないことはわからないって素直に言えばいいから。」
真面目な表情の虎次郎の目を見て、俺は深くうなずいた。そして、すぐに交番に駆け込む。
俺たちの必死さが伝わったのか、警察は俺たちの言葉を信じてくれた。
ところどころフォローを入れてくれた、虎次郎のおかけでもあると思うが。
そして手はず通り、10時に銀行強盗を決行した男3人は、俺たちの言葉を信じてくれた、警察によって、現行犯逮捕された。
面倒なことに巻き込まれるのは、もう御免だったので、現行犯逮捕される瞬間を少し離れた場所で見ていた俺たちは、すぐにその場から消えた。
健史が「これって表彰とかされないのかな?」とか言って、目をキラキラさせていたが、見てみないふりをしておく。
やっと、虎次郎の大きな家が見えた。
俺が超能力を使ったあとでも、健史と虎次郎の反応は変わらなくて、健史なんか、何もしていないくせに、自分の手柄みたいにさっきのこと話していた。
だから、虎次郎の家に入る前に、俺は少し、時間をもらった。
「すぐに行くから」そう言って、2人を先に家に入れて(虎次郎の家だけど)、俺は炎天下の中、汗を流しながらも、久しぶりに携帯電話をいじった。
メモを開き、数字を1つ1つ確認しながら、ボタンを押す。
「はい、高木です。」
もう聞き慣れた声が、俺の耳に入った。
「俺です。相澤亮です。」
「・・・どうしたの?入る決心がついた?」
「・・・逆です。やっぱり、俺、チームには入れません。」
俺は、はっきりと言った。
今まで生きてきて、一番強く言った言葉かもしれない。
「やっぱり、俺、ここにいたいです。ここにいて、当たり前の毎日を送っていたいです。・・・それが、誰かの幸せを奪う行為だとしても。」
「・・・。」
高木さんは、何も言わない。でも、それでもかまわなかった。
これは、高木さんへの答えではなく、俺の宣言だから。
「困っている、困るかもしれない人がいることを知っていて、何もできないのは、つらいです。・・・でも、俺には俺にしかできないことがある。俺がいなくなったら、母さんも父さんも姉ちゃんも健史も虎次郎も一滴かもしれないけど、涙を流すと思うんです。俺は、・・・こいつらの笑顔を守りたい。・・・俺がいなくても、笑えるとは思うんですよ。だけど、俺が作っている笑顔もある。だから、俺はここにいたいです。ここで、一緒に笑顔になっていたいです。・・・だって、バカみたいに強敵な母さんが、その母さんの尻に敷かれている父さんが、男のことでいつもわめいている姉ちゃんが、ばれると困るとか言って、俺の部屋にエロ本を隠しにくるバカな健史が、こんな俺にいいように使われる虎次郎が、俺には必要だから。・・・こいつらに囲まれて暮らす当たり前の毎日が、たまらなく愛しいから。」
「・・・1ヶ月猶予はあるのよ。だからもう少しゆっくり考えてもいいんじゃない?今日のうちに答えを出さなくても。」
「1ヶ月経っても、1年経っても、変わらないんです。ちょっと悔しいけど。・・・俺の守りたい幸せは、俺の大切な人の幸せ。それを守るために、近くにいたいんです。」
「・・・。」
「・・・俺は、皆に見てもらえる、太陽でも、きれいに輝く夜の月でもない、薄くて見えにくい、昼の月みたいな存在だと思うんです。・・・でも、昼の月も、ほんの少しかもしれないけど、見てくれる人がいて、きれいだって思ってもらえる。俺は、俺のことを知らない何億人もの人を救うより、俺のことを見ててくれる、大切な人のことを守りたい。・・・自己中心的だってわかっているんです。でも、やっぱり俺はそう思う。」
「・・・昼の月ね。そうね。そんな感じかも。」
「それってけなしています?ま、いいや。・・・でも、俺、誰かの役に立てるなら、立ちたいんです。だから、俺の力が必要なときは呼んでください。・・・超能力って、完全になくなることはないって言っていましたよね?俺、呼ばれたら一生懸命、訓練を受けます。そしてまた超能力を復活させます。だから、必要なときは俺のこと使ってください。・・・すみません、自己中で。」
「いいえ。・・・あなたは、何となくそう言うだろうなって思っていたの。若いながらも、大切なものに気づけている、そんな気がしていた。・・・私はね、当たり前なものを失くす前に、大切だと気づくことができることほど幸せなことはないと思うの。昼の月もそうでしょ。薄くて、見えにくいけど、青空に浮かぶ白い月は、美しい。あの美しさに気づけることは、幸せだと思うわ。・・・でもね、私も、昼の月に気づけた人の1人なの。だからやっぱり、あなたを待つわ。・・・気が向いたら、何時でも言って。」
「・・・高木さんみたいな人に、そう言ってもらえるだけで嬉しいです。」
「そう?・・・なんてね。・・・何かあったらまた連絡するわ。いつか、また、会いましょう。」
「そうですね。・・・いつか、また。」
そんな日はないだろうな、と思ったけど、それでも自然に思ったセリフを口に出す。
きっと俺の超能力は、これから先、今日みたいなことがない限り、使わない。
だからすぐに廃れて、超能力とはお世辞にも言えないくらい、普通に戻るだろう。
耳元で、高木さんが電話を切る音がした。携帯電話の画面に、通話時間が表示される。
10分程度のその時間で、俺の生活は、また普通に戻ったのだ。
よし、戻ろう。そう思って、健史と虎次郎が待っているはずの家の中に入ろうとした。
でも、白というよりベージュに近い色の石垣の陰に見慣れた坊主頭が見える。
よく見てみると、茶色の毛も見えた。…マジかよ。
「お前ら、盗み聞きとは趣味が悪いな!」
その2つの頭に向かって言う。怒りの色を十分にこめて。
「・・・あ、いや。虎次郎が、な。」
「健史が、な。」
互いに罪のなすりつけ合い。
でも、な、どっちが先でも、聞いていたことは変わらない。
それなら、
「どっちでも、一緒だ!」
「・・・でも、亮が俺らのことそんな風に思っててくれたなんてな。・・・しかも、昼の月。」
健史が鼻で笑う。
その目はからかってやろうって気満々だ。…こいつ、俺には強いからな。
「つーか、何だよ、昼の月って。何の例えだよ。くさ過ぎるだろっ。」
どんどん来るね、俺だと。そういうの、差別って言うんだそ?
「それも、ほんの少し、涙ぐんでいたりするのかな?ん~?」
「だー!もー!うるせぇな。俺のときばっか、態度でかくなってんじゃねぇよ。あーもー、悪いかよ。昼の月なんだよ!!」
恥ずかしさのあまり、意味不明な逆切れをしてしまう。
それでも、健史は笑いながら俺を見る。…こいつ、むかつく。
「亮、でも、俺はお前がここにいてくれてよかったと思っている。」
俺と健史のやり取りを聞いて、よくそんな声が出せるな、と感心してしまうほど、真面目な声で虎次郎が言った。
「だって・・・亮は俺のあこがれだから。」
「・・・あこがれ?」
「亮が虎次郎の?」
「ああ。亮も恥ずかしいこと言ったし、俺も言うよ。・・・亮が病院で目を覚ました日、俺の心の中で言った声で聞こえない声があっただろう?」
「あった・・・な。そう言えば。」
本当はあまり覚えていないけど、そう言うと話が先に進まないから、とりあえずそう言っておく。
「あのときも俺のあこがれって言ったんだ。」
「でも、なんで亮があこがれなんだ?」
素朴な疑問を健史がぶつける。
虎次郎の方が頭も顔もいい。運動でも、俺は健史に劣る。
俺にあこがれる要素なんてあったかな?
「俺、小さいころ、自分の名前が嫌いだったんだよ。皆がかっこいい名前だね、とか言ってくるのも、お世辞だってわかってたし。だから、俺、すぐにうつむく癖があったんだ。でも、亮が初めて会ったときに、そんな俺に言ってくれたことが嬉しかったんだ。」
「・・・俺、なんて言った?」
「覚えていないのか?」
「いや、初めて会ったときって言ったら、4歳だろ?そのときのこと、そんなに鮮明に覚えている虎次郎の方がおかしいと思うぞ。」
「・・・まあ、いいや。で、亮は俺に、『下ばかり見てたら転ぶぞ。虎次郎ってかっこいい名前なんだから、前を向けよ。』って言ったんだ。俺はそう言った亮に、自分の名前が嫌いだって告げた。そしたら、『似合うような大人になればいい、それだけのことだ。』って。・・・俺すごく嬉しくて、その亮が本当にかっこよくて、この人について行こうって思ったんだ。」
4歳の俺、かっこよすぎ。というか、4歳児はたぶん、そんなこと言えない。
絶対半分以上、美化されている。
…なんか、虎次郎のこと騙しているような気がするのは、俺だけ?
「ついでに、健史への態度がきついのは、俺がそのあと『ありがとう。』って言って、亮に手を差し出したのに、健史が横入りしてその手を握ったから。」
なぜか、虎次郎が余計なカミングアウトまで始めた。
…態度がきついって自覚してたんだ。確信犯かよ。
「結局、亮は俺と健史の手の上に、自分の手を乗せて、『仲良くやっていこうぜ。』って言ったんだ。それも、かっこよくて、そのときから亮は、俺のあこがれなんだ。」
「なんだよ、それ。それだけか?俺はたったそれだけのことで、こんなにも邪険に扱われてるのか?つーか、そんな昔のこと忘れろよ。」
「俺、記憶力いいから。」
「・・・よすぎだろ。」
健史があきらめにも似た声を小さく漏らす。
でも、ここまで来ると、健史が虎次郎に弱い理由も気になる。ただ虎次郎が強いだけではないようだし。
だから、常々思っていた疑問を、ついでだからぶつけてみた。
「ところで、健史はなんで虎次郎に弱いんだ?」
「・・・4歳のころから、虎次郎はもててただろ?虎次郎の周りには、いつも女子がいて、いいなって思ってたんだ。・・・だから、こいつといれば、俺も女子と仲良くなれるかな、って思って。で、虎次郎にでかい態度を取ると、女子から嫌われるから、とりあえず従ってたら、・・・こんな毎日だよ。」
「健史、お前、意外に策士だな。」
「・・・策士ってなんだ?」
健史のその発言に、俺と虎次郎は思わず噴き出した。
無意識の策士が実は一番怖いのかもしれない。…いや、健史のことだから、単に言葉を知らないだけか?
「まあ、あとから教えてやるよ。それより、暑いから、早く家に入ろうぜ。」
俺がそう言いながら、健史と虎次郎の肩に手を置いた。
2人も俺の肩に手を乗せる。
「ここ虎次郎の家。」
「ここ俺の家。」
肩を組みながら、2人が同時にツッコミを入れた。
「あ、そうだった。」
なんだか、笑いがこみあげて、俺は声を出して笑った。
俺につられたのか、健史も虎次郎も笑いだす。そして俺たちは大きな声で笑ったまま、虎次郎の家に入って行った。
空を見上げると、大きな太陽が俺たちを照らしている。少し目線を横に移してみたら、「俺」がいた。
薄くて、見えにくくて、でもやっぱりきれいで。
この世界で、何人の人が大きな太陽ではなく、青い空ではなく、白い雲ではなく、あの目立たない昼の月を見ているのだろうか。
何人でもいい。
少なくとも俺は見ている。そしてきれいだと思っている。
時間が経てば、必ず変化は訪れる。
それでも、少しずつ変化を経験しながら、俺たちは「いつも」の日々を過ごしてきた。こんな普通で、ありきたりで、何もできない俺だけど、健史と虎次郎は変わらずに隣にいてくれる。
4歳のガキのころ、不器用にも3人で握手をしたあの日から、俺たちの「当たり前」は始まっていた。
それは、昼の月みたいに、気づかれないような始まり。
でも、俺に「当たり前」の毎日を作ってくれた、とても大切な始まりだった。
気に入ってくれた方がいましたら、感想をくれると
嬉しいです。
励みになります。




