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第8話 小さな巨人

 サーシャは、モリーとアドルファスに説得されたのに加え、マリエッタの手紙が最後の一押しとなった形で、ヘンダーソン家別邸に滞在して、淑女教育を受けることに同意した。と言っても、まだ本当に納得したわけではない。心の奥底ではまだ不満がくすぶっている。そんな往生際悪い彼女だが、意外な人物に影響を受けることとなった。


「やれやれ。アドルファスはああ言いましたが、思ったより飲み込みが悪くて困りますね。本当は、心の中ではこういう作法や慣習は古くさいなんてバカにしてるんでしょう?」


 お世辞にも優等生とは言えないサーシャに、モリーはため息をつきながら言った。挨拶のマナー、手紙のマナー、訪問のマナー、会話のマナー。一般常識的な範囲ならサーシャも知っているが、大人として社交界で渡っていくには更に煩雑な手順を覚えないといけない。その一つ一つが、サーシャにはこの上もなく非合理的かつ前時代的なものに見えて仕方がなかった。


「だって、初対面の相手に自ら話しかけてはいけないとか、夫婦一緒にいる時も、夫より先に話し始めてはいけないとか、時代錯誤にも程があるよ。古いものは僕たちの代で終わりにした方がいいと思います」


「僕じゃない、私でしょ。それにしたって、まだ一人前にすらなっていない、何の力もないあなたが主張するのと、ある程度地位を築いてから主張するのとでは、どちらが説得力あると思う? 今のあなたが何かしたところで、若造がイキってるくらいしか思われないわ。古い慣習を変えたいのなら、周りが耳を傾けてくれるだけの人物にまずなりなさい。自分の言葉に説得力を持たせられるように努力なさい」


 正論すぎてぐうの音も出ない。ここに来てから、サーシャは鼻柱が折られることばかり経験している。と同時に、今までぬるま湯の中にぬくぬくしていたと認めざるを得なかった。


「サーシャ、お稽古は終わった? 遊ぼうよ」


 そんな時、ドアのところからひょっこりノーランが顔を出した。普段はモリーとの二人暮らしなので、新しい家族が増えたのが嬉しいらしい。兄のアドルファスはノーランを十分かわいがっているが、普段は本邸にいるためなかなか会えない。なぜノーランが別邸にいるのかは不明だ。


 ノーランと一緒に花の咲き乱れる庭園を散歩する。庭師が丁寧に鋏を入れた庭園とは違い、ある程度自然の勢いに任せた状態にしてあった。伸び放題になっている植物もあるが、それはそれで美しい。厳しいモリーの指導の合間にノーランと庭園で遊ぶひとときは、サーシャにとって癒しの時間だった。


「ここの生活はもう慣れた?」


「ええ、おかげさまで。みんないい人たちで感謝してる」


 ノーランが、木の棒でコガネムシをつつきながら尋ねる。この少年の前ではよき姉でいようという気持ちも手伝って、サーシャは敢えて快活な口調で答えた。


「モリーは怒ると怖いけど、本当はいい人なんだよ。僕と一緒にこのおうちに来てくれたもの」


「本邸から一緒に出て行ったってこと?」


「うん。お義母さまに赤ちゃんが生まれてからこっちに来てるんだ」


 ノーランは何気ない調子で話し出したが、内容はなかなか深刻なものだった。軽い気持ちで聞き始めたサーシャだったが、話が進むにつれて次第に身じろぎを正すようになった。


「赤ちゃんをあやしたつもりだったんだけど、触るなって怒られちゃって。その時かばってくれたのが兄上とモリーだったの。お義母さん赤ちゃんが生まれてから怒ってばかりいるようになった。だから僕がこっちに来たんだ」


 サーシャも義母と一緒に住んでいたが、義理の弟が生まれても態度が変わることはなかった。本当は、前妻の子供だから邪険に扱われるかもと覚悟したのだがそんなことはなかったし、義理の関係だからって臆することなく、娘の教育にも取り組んでくれた。それを突っぱねたのはサーシャの方だ。


「ノーランはお義母さんに怒ってないの?」


「お母さんは赤ちゃんが生まれたばかりの時は大変なんだって。だからもう少し落ち着いたら元通りになるよって兄上が言ってた。だからその間はこっちで待ってる」


 サーシャは恥ずかしそうにうつむいた。自分よりノーランの方がよっぽど大人だ。こんな小さな子供が聞き分けよく我慢しているのに、己のちっぽけさよ。


「そう言えば、ここに最初に来た時にサーシャ泣いてたよね。あれどうしたの?」


 突然話題を変えられて、一人反省会をしていたサーシャは、はっと顔を上げた。しかも、答えにくい話題を振られて言葉に詰まってしまった。


「え? ああ、あれね? あれは……、大切な友達と別れたばかりで悲しかったんだよ」


「友達? もう会えないの?」


「そういうわけじゃないけど。でも住んでいるところが違うからしばらくは無理かな。つい最近のことなのにもう昔みたい」


 寂しそうに笑うサーシャをノーランはじっと見つめた。


「でも生きてるんでしょう? それならまた会えるよ。僕が会いたい人はもういないから……」


「え、どういうこと?」


「本当は2歳下の妹がいたんだ。仲はよかったけど流行病で去年……。だからって新しい赤ちゃんが憎いなんて一度も思ったことないよ、でもお義母さまがーー」


 じっと泣くのをこらえるノーランを、サーシャは黙ってぎゅっと抱きしめた。ぶるぶる震える肩に力を込め、小さい体を守ってあげたくなる。


「ノーランは何も悪くない。まだ小さいのに色んなことを我慢して偉いね。でもまだ子供なんだから、もっと自由にしてていいんだよ。アドルファスもモリーも僕もみんなあなたの味方だから」


「僕に病気が移ったら大変と言われて最期まで会わせてもらえなかった。だからさよならも言えなかったんだ。サーシャの友達は生きてるんでしょう? それなら大丈夫だよ、きっと」


 まさかノーランから慰められるとは思わなかった。自分だって大きな傷を抱えているのに、この小さな子は……と思っているところに、アドルファスが二人のところにやって来た。兄の顔を見た途端、ノーランはぱっと笑顔になって彼に飛びつく。


「兄上! こないだ来たばっかじゃん! サーシャに会いたくなったの?」


「こらっ! ノーランたら!」


 さっきまでしんみりしていたのに、思わずノーランをたしなめてしまう。それを聞いて、アドルファスは声を上げて笑った。


「ノーランとも仲良くなってるようでよかった。ほら、手紙が来ているよ」


 アドルファスが手にしているのはマリエッタからの手紙だった。ついさっき噂をしたと思ったら、こないだ出した手紙の返事がもう届いていた。サーシャは飛びかかるように受け取ったが、中身を読むのは部屋に戻ってからにしようと思いとどまった。


「どう、レッスンの方は?」


「さっぱり。どうしても『こんなことやって何になるんだろう』と思ってしまって集中できない。モリーはいい人だけど、なかなか厳しい先生だ。僕の知っている女性の中で一番強いと言ってもいい」


「体は不自由だけどね。数年前に事故に遭って両足が麻痺したんだ。でも、絶望することなく気丈に生きている。弱音を吐いているところを見たことがない」


「僕は強くありたいと思って、男装したり剣の腕を上げたりして頑張ってきた。でも、モリーを見てると色んな形の強さがあるのが分かった。モリーは一人で歩くことすらままならないけど、他の誰よりも強い。モリーもノーランも僕より強いよ」


 いつになく弱気な発言に、アドルファスは、うん? と聞き返した。ノーランが声の届かない距離に去って行ったのを確認してから口を開く。


「ノーランから色々聞いた。まだ子供なのに妹を亡くしたり、継母から厄介払いされたりしてるのに健気な子だ。僕があの子くらいの年齢で同じ立場だったらもっと荒れてたと思う。本当に偉いけど、あまり無理してほしくない。子供はもっと伸び伸びしてほしい」


「ノーランが教えてくれたの?」


「うん。僕をいきなり本邸に連れて行かなかったのも継母に気を使って?」


「まあね。それもある。産後間もない時期はそっとしといた方が双方とっていいかなと思って。でも、ずっと譲る気はないよ。本妻の子供は元々こっちだから。私たちが譲歩したのをいいことに、家庭内の主導権を奪われたら元も子もない。だから折を見て、君には本邸に入ってもらうことになる」


「お義母さまはどんな方なの?」


「そんなに悪い人じゃない。変な野心を持つような人じゃないって意味ではね。小物だし、たまにくだらないことを言うけど、耳を傾けなければどうということもない。そんなに力のある人じゃないし」


「随分な言いだね」


 アドルファスの辛辣な評価にサーシャは肩をすくめる。


「君にとっては敵になるような人じゃないと言いたかったんだよ。でも万が一勘違いされたら困るから、本家の筋は通しておくよ。ノーランのことだって本来こっちが我慢するのは間違っている。彼のことも考えて、こちらが譲ってやったけど後で帳尻合わせはする」


「ノーランは、あなたに感謝していたよ。兄上とモリーがかばってくれたって。僕に対する態度とは違うんだね」


 唇を尖らせて言うサーシャの横顔を、アドルファスは珍しいものでも見るかのように目を見張った。


「君も私に興味を持ってくれるようになったのか。関係性が一歩前進したかな」


「ちょっ! 気味悪いこと言うんじゃない!」


 顔を真っ赤にして怒るサーシャなどお構いなく、アドルファスはあははと笑って先を行った。全く、油断も隙もありゃしない。だが、ここに来てから、自分がいかに恵まれた環境で生きてきたか思い知る機会が増えてきた。安全圏でイキっていただけだと言われても返す言葉がない。


(次にマリエッタに会う時は、もっと成長した自分でいたい。彼女はどんな私でもいいよと言ってくれるだろうけど)


 そんなことを考えながら部屋に入り、一人になったところで手紙の封を開く。マリエッタの手紙を読むひとときは誰にも邪魔されたくない。サーシャは椅子に腰掛け、手紙に目を通した。


『愛しい私のサーシャへ。お手紙ありがとう。一生会えないかと覚悟したのに、すぐに返事が来た時はびっくりして気が遠くなるくらい嬉しかったです。こうしてやり取りができれば、会えなくてもあなたを身近に感じることができるわね。新しい生活はどうですか? 婚約者の方は優しいですか? 暇な時間ができるとあなたのことばかり考えています。ぜひ近況を教えてください。心配させたくないからなんて嘘は言わないでね! 余計心配になっちゃうから! さて、私の方は最近大きな変化がありました。なんと、一生下働きで終わると思っていたのになぜか出世したのです。最初裏があるのかと疑ってしまいましたが、よく考えたら私は同期の中で唯一出世しなかったので、これでも十分遅いみたいです。そんなわけで、個室をもらえるようになり、少し暮し向きは楽になりました。あなたがいなくなって、何を支えに生きればいいか分からなかったところなのでちょうどよかったです。次はいつ会えるか分からないけど、少しでもかっこいい私を見せられるといいな。じゃあね。マリエッタより』


「遠く離れていても一緒に頑張ろうね、マリエッタ」


 サーシャは、ふっと笑いながら手紙に向かって語りかけた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

「この先どうなるの?」「面白かった!」「続きが読みたい!」という場合は、☆の評価をしてくださると幸いです。

☆5~☆1までどれでもいいので、ご自由にお願いします。


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