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第7話 いつかまた会える

 サーシャを乗せた馬車の御者は、何があっても彼女の訴えを聞いてはならないと固く言われていた。直前になって逃げられたら元も子もないからだ。だから、マリエッタがどれだけ追いかけて、サーシャが必死に訴えても、そのまま走っていくしかなかった。やがて叫ぶのを諦めたサーシャは、馬車の中でさめざめと泣いた。


(マリエッタが会いに来てくれた……! 手紙が届いたんだ! 一目見れただけでも奇跡だ……)


 たった一瞬最後に姿を見られただけでも御の字だ。それは分かっているのにどうしても涙が止まらない。なぜ泣いているのか理由が分からなくなるくらい散々泣き晴らした末に、馬車は目的地に着いた。王都の郊外にあるヘンダーソン家の別邸だ。どうして直接本邸へ行かないのか、それにはある理由があった。


 直前まで泣いていたサーシャは、このままでは泣き顔を晒してしまうことにやっと気づく。しかし、もうどうにでもなれという気持ちが強かったので、特段気にすることもなくそのまま馬車を降りて、建物の中に入った。アドルファスも後でここに来るというが今は一人だ。馬車の中に彼が同乗するのを拒否したため、このような形になった。


 自然豊かな庭に囲まれた別邸は、日差しを多く取り入れるためにガラス窓を多用した、居心地のよさそうな平屋の建物だった。土地の面積が大きいため平屋でも十分の広さがある。最悪の気分でなければ、ワクワクしただろうにと恨めしく思う。そんなことを考えながら迎えが来るのを待っていると、奥の部屋から小さな少年が姿を現した。


「お姉さんだれ? どうして泣いているの?」


 サーシャは、意外な住人に目を凝らした。子供がいるなんて聞いていない。見れば、アドルファスをそのまま子供にしたような、銀髪に切れ長の目をした造作の整った顔立ちだ。歳のころは6、7歳くらいだろうか。


「今日からここにお世話になるサーシャ・パウエルよ。よろしくね」


 サーシャはどう言えばいいか分からず、とりあえず通り一遍の挨拶をした。相手の少年はきょとんとしたままだ。なにも聞いてないのだろうか?


「家族ってアドルファスの奥さんってこと?」


「え? ええ、そういうことになるのかな?」


「僕はノーラン。アドルファスは自慢の兄さんなんだ。よろしくね」


 ということは、彼はアドルファスの弟ということになる。でも弟のことなんて彼から聞いていない。そういえば、彼についてのことは何一つ知らない。知ろうとしなかったという方が正しいかもしれないが。


「こんな小さな弟さんがいたんだね。知らなかった」


「僕もあなたのこと聞いてないよ。きれいな奥さんだね」


 子供の邪気のない賞賛に、サーシャは頬を染める。緊張している最中に、裏表ない言葉をかけられると不意打ちを食らった気分になる。


「まだ奥さんと決まったわけじゃないよ。婚約しているだけ」


「いつどこで知り合ったの? 兄上のどこが好き? 結婚式はいつ?」


 ノーランは目を丸くしながら、矢継ぎ早に質問をしてきた。そのどれもが答えられる内容でないので、戸惑いを隠せない。騙し討ちの形で親が勝手に引き合わせて、勝負に負けてついさっきまで家の中に軟禁されていたなんて、正直に言えるわけがない。


「まだ先のことは分からない。これからちゃんと話し合う必要があるし。一人で決められる話でもないしね」


「兄上はすごく優しくていい人だから、きっと幸せになれるよ。よかったね」


 ノーランの表情は一点の曇りも見られず、兄を信用しきっているのが分かる。サーシャは愛想笑いを返すしかなかった。少なくとも、肉親にはいい顔を見せているということだろうか。伴侶に対しては、出世するための政争の具としか考えてないくせに。


「ノーラン、ここにいたのですか。あら、到着したのね。奥に行っていたので気づかなかったわ。近所で堤防が崩れたとかで、使用人もそっちに言ってて人手が足りないの。ごめんなさい」


 そこへ、30代くらいの女性が奥の方から出てきたので慌てて礼をする。この人が、話に聞いていた館の主人だ。本館に行くまでの間、サーシャの世話係兼指導係となると聞いている。予想と違っていたのは、彼女が車椅子に乗っていたことだ。器用に車椅子を操作しながら、サーシャの前にやって来た。


「初めてお目にかかります。サーシャ・パウエルと申します」


「私のことはアドルファスから聞いてますか? 叔母のモリー・ヘンダーソンです。モリーと呼んでください」


 モリーは、アドルファスの父の妹だと聞いている。結婚しないまま実家にとどまるのは、この世界では珍しい。黒い髪を後ろに結った清楚な女性で、身なりは地味だがまだ若々しさも残っている。叔母と聞いていたので、もっと年上の中年女性だと思っていた。


「モリーは僕と一緒に住んでいるんだ。お姉さんみたいなものだよ。今日からはサーシャもお姉さんになってくれるの?」


「え? ええ。よろしくね」


 自分の境遇をまだ受け入れられないサーシャではあったが、ノーランの前では本音を明かすわけにはいかなかった。罪のない子供に不都合な真実を見せるのは忍びない。


「ノーラン、庭の薔薇の花がきれいに咲いたみたいよ。お外に行って見てくれば? 私はサーシャさんとお話があるから」


 モリーは、ノーランを外に出して二人きりになってからサーシャに向き合った。


「あなたのことはアドルファスから聞いています。本家に入る前に指導をしてもらいたいという話だったけど、私ごときが、パウエル家のご令嬢に何を教えられると言うのかしら? こんなに立派なお嬢様なのに?」


 立派なお嬢様と言われて、サーシャは反射的に身を縮めた。今は付け焼き刃的に女の服を着ているが、淑女教育の類は、端からバカにして真面目に受けてこなかった。一緒の空間に小一時間もいれば、簡単にボロが出てしまう。アドルファスは、あらかじめそのことについて説明しておかなかったのだろうか? 彼もここにいればよかったのに。


 しかし、馬車に同乗して一緒に到着するはずが、「長時間狭い車内にあなたと二人きりなんて耐えられない」と拒絶したのはサーシャ自身だ。こうなるのなら断らなければよかった。


「あの……、お聞きでないかもしれませんが、ちゃんとしているのは見た目だけで、実はなにも分かってないんです。ですから、本家で恥をかく前にここでモリーさんにご指導を受けながら準備しろとーー」


「パウエル家の男装令嬢と言えば知らない人はいないわ。じゃじゃ馬お嬢さんを手なずけるなんて私にできるかしらと言ってるの」


 え? じゃじゃ馬お嬢さんって自分のこと? サーシャはびっくりして目を丸くする。


「まさかご自分の評判をご存知ない? アドルファスは、家中の栗を拾ったとか散々な言われようよ? 本人さえ良ければ、外野の評価なんてどうでもいいけどね」


 楚々として地味な見た目にも関わらず、モリーは歯に衣着せぬ物言いを繰り返した。相手は車椅子で自分は立ったままだから、視線は向こうが下になるが、相手の目力はちっとも負けていなかった。鋭い目で射抜くように見つめられ、すっかりたじたじとなる。

 

「あれ、姉さんもう会ってたんだ? これでもかなり急いで来たんだけどな?」


 突然アドルファスの声が聞こえ、はっと振り向く。サーシャの後から別の馬車でやって来たアドルファスが到着したのだ。彼は、開け放たれたドアの枠に手を置いて身をもたせかけていた。実際は叔母と甥の関係だが、姉さんと呼んでいるらしい。


「先に挨拶させてもらったわよ。素敵な娘さんじゃないの。でもどうせなら、勇ましい格好の方を見てみたかったわ」


「彼女すっかり驚いているじゃないか。初対面なんだからお手柔らかに頼むよ。サーシャ、こちら叔母のモリー。ごめんね、こう見えてかなりの毒舌家なんだ。びっくりしただろう?」


「私くらいで毒舌なんて言ったら社交界では通用しないわ。アドルファスの妻になるということは、社交界で影響力を振るうことが期待されるのよ? 今のままじゃボロボロにされるのが関の山よ」


 自分のいないところで話が勝手に進んでいるのを聞いて、気が引けていたサーシャも黙ってはいられなかった。


「ちょっと! あなたを影から支えるために私を社交界デビューさせるってこと? そんなのお断りよ! 政治の世界で野心を燃やすのはご自由だけど、私まで巻き込まないで!」



「でもさ、一人で生きるとか男に頼らないとか勇ましいことを言っているけど、具体的にはどうしたいの? 世捨て人にでもなるつもり?」


 アドルファスに突っ込まれてサーシャはうっと言葉に詰まった。お前は甘いと言外に言われたようなものだ。それに対して抗う言葉を彼女は持っていなかった。


「アドルファス、若いお嬢さんをいじめちゃダメよ。私は彼女の気持ちが分かるわ。若い時は誰しも考えることだもの。でもそれだけじゃ悪い大人に利用されて健全な魂をすり減らしてしまう。そうならないための処世術を身につける必要はあるわ」


 モリーはそう言うと、今度はサーシャに向き直って話し続けた。


「貴族の妻として夫を支えろとか、責務を果たせとかそういう意味じゃないのは分かってちょうだい。でも、あなたみたいな人が人の悪意に触れてポキっと折れてしまうところは見たくないの。この世界での戦い方を身につけてほしい。武器を使うだけが戦じゃないのよ?」


「大丈夫。君は頭がいい。貴族社会での戦い方を今から学べば、あっという間にマスターするだろう。でも、今のままではだめだ。人前に出しても恥ずかしくない状態にするためにモリーにも手伝ってもらう。彼女はかなり厳しい先生だけど着いてこれる?」


「着いていくもなにも僕は何にも――」


 サーシャとしては、アドルファスの言いなりにはなりたくなかった。でも、ここまで来てただ反発しているのは子供じみているような気がする。どうすればいいか分からなくなって、サーシャは口をつぐんだ。その時、アドルファスが何かを思い出したかのようにはっとして、懐から何かを取り出した。


「そういえば忘れてた。はい、これ。手紙とプレゼント。家を出る前に追いかけてきた友達がいただろう? 彼女から託されたものだ。すごく心配していたよ」


 サーシャはびっくりして、ひったくるように手紙とプレゼントを受け取った。マリエッタだ。その場で手紙を読んでからプレゼントの包みを開ける。すると中から安物のブローチが出てきた。いつか彼女に髪に差してもらったのと同じオレンジのヤマユリのブローチだ。決して高価ではないが、こんなに嬉しい贈り物をサーシャは受け取ったことがなかった。涙ぐみながら手紙とブローチを大事そうに抱えるサーシャを見て、アドルファスが混じり気のない労りの言葉をかけた。


「再会するためにも頑張る必要が出てきたな」


「え? また会えるの?」


 サーシャが驚いたようにアドルファスを見上げると、彼は声を出して笑った。


「二人とも生きているんだからいつでも会えるじゃないか。何も今生の別れというわけじゃない。とにかく希望を捨てないことだ。大切な友達なんだろう?」


 大切なともだち。サーシャは自分に言い聞かせるようにその言葉を繰り返し、静かに頷いた。マリエッタに会えるためならどんなことでも頑張れる。彼女が私にしてくれたように。やっとそう思えるようになった。





  

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