第6話 囚われの男装令嬢
マリエッタは、定期的に届くサーシャからの手紙が途絶えていることが気がかりになっていた。いつもは、直接会ったあとすぐに手紙をしたためることになっている。それが、今回に限って、向こうからの返事が届かないのだ。郵便事故にあったのかと思い色々原因を探るが、それらしきものは全く出てこない。もしかして、病で倒れたのかもなどと考えてしまい、仕事も手につかなくなってしまった。
「あー、ロウソクを置く順番逆にしてるじゃない。また朝食抜かれるわよ」
先輩のケイトに指摘されはっと我に返る。今まで上の空だったことに気づき、慌てて間違っているところを直した。
「どうしたの? 最近いつにも増してぼんやりしてるじゃない。何かあったの?」
「いいえ……いや、はい。じゃなかった。ええと」
「なに言ってるか分かんないわよ! どっちなのよ!」
「すいません! 自分でもどうしたらいいか分からなくて……不安で……」
相談できそうな相手と言えばケイトくらいしかいない。マリエッタは、サーシャからいつもの手紙が届かないことを打ち明けた。
「もしかしたら、サーシャの身に何かあったのかもしれません。そんな話聞いてませんか?」
「熱を出して寝込んだ程度じゃ噂にも上らないから分からないわね。一応調べといてあげましょうか?」
「えっ! いいんですか!? ぜひお願いします!」
「その代わり高くつくわよ? 巡礼者の案内の仕事に加え、正殿の掃除。これを一週間。できる?」
「はい! 何でもやります!」
サーシャの近況が分かれば、仕事が増えることくらいどうってことない。マリエッタは、心を入れ替えたように仕事に集中した。約束の一週間が終わるころ、ケイトは新しい情報を持ってきた。
「やっと事情がつかめたわ。何でもあまり大っぴらになってない話らしくて、使用人も口外を禁じられているんだって。いい、驚かないでね? サーシャ・パウエルは婚約したって」
婚約!? 思ってもみなかった言葉が出て、マリエッタは腰を抜かさんばかりに驚いた。あれだけ結婚はしたくないと言っていたサーシャが婚約? 一体どういうこと?
「あ、相手の方はどなたなんですか?」
「アドルファス・ヘンダーソンといって、若手ながら前途有望と期待の高い、新進気鋭の政治家みたいよ。パウエル家の威光を笠に着れば、ますます王宮での発言力が増すという算段なんじゃないの? やるわねえ。男装の麗人も年貢の納め時ね」
マリエッタは、それ以上ケイトの言葉が頭に入らなかった。男に頼る人生は嫌だ、自分で道を切り開くんだと言っていたサーシャが政略結婚だなんて。おそらく逃げられない状態になっているのだろう。手紙を送ることすら禁止されているのかもしれない。なんて可哀想なサーシャ! マリエッタは、すぐにでも彼女を助けに行きたかったが、もちろんそんな力は持っていない。彼女の家に行ったところで、門前払いされるのがオチだろう。なす術もなく、ただ涙を流すほかなかった。
自分に何ができるだろうかと考える間にも、月日だけが空しく過ぎていく。しかし、10日ほど経ってから奇跡が起きた。なんと、サーシャから手紙が届いたのだ。マリエッタは、半狂乱になりながら、仕事の手を止めて手紙を読み始めた。それにはこう書かれていた。
『急に連絡ができなくなってごめん。外出はおろか、部屋の外に出ることも手紙を出すことも禁止されている。この手紙も無事に届いているか確かめる術がない。一縷の望みをかけて窓から落として親切な人に運よく拾われるのを願うだけだ。もし、マリエッタがこれを読んでいるのならば、無事君の手に渡ったということだろう。急な話だけど、婚約することになった。会えなくなったのもそれが原因だ。今までの行いが悪かったから、逃亡できないように部屋に閉じ込められている。監視の目が厳しくて手も足も出ない。◯月◯日にここを出て婚約者の家に引き取られることになっている。場所を移して花嫁修行みたいなことをするそうだ。ここを去る前に一目君に会いたかった。別れの挨拶もできなくてすまない。落ち着いたら手紙ぐらいは書けるようになるかもしれない。それまで元気でいて欲しい。マリエッタのことは絶対に忘れない。永遠の友人、サーシャ・パウエル』
マリエッタは居ても立っても居られなくなった。サーシャとの別れの時が近づいている。こんなことをしている場合ではない。◯月◯日にサーシャの家に行けば、せめて別れの挨拶くらい言えるだろうか。その日は仕事が入っているが、それどころではない。後でペナルティを受ける分にはどうでもいい。それよりもサーシャのことを最優先しなければ。マリエッタの腹は決まっていた。
手紙に書かれた日にち、いつも通りマリエッタは起床の鐘で起きた。他の聖女たちと一緒に朝の清掃に入る。朝の祈り、朝食の時間。ここまでは同じだ。しかしこの後、上司の聖女のところへ行って外出許可を取りに行った。
「故郷の父から速達が来て、母が病気になったらしいんです。見舞いに行けないので、せめて手紙を送ることはかなわないでしょうか?」
もちろん嘘の話である。上司の聖女は、仕事を途中で抜けることになるため、しかめ面を隠さなかったが、身内の不幸とあらば許可しないわけにいかない。なんとか許可を取り付けたマリエッタは、いそいそと外出着に着替えて、荷物を持って聖堂を飛び出した。
元よりサーシャに会うまで戻らない覚悟だ。上司にはすぐに帰ると言ったが、大幅に遅れて大目玉を食らうのは想定内だった。パウエル邸の住所が書かれたメモを頼りに目的地へと急ぐ。
一刻も早く着きたくて、辻馬車を利用して早めに到着した。街はまだ朝が始まったばかりで、一日の仕事にこれから取り掛かろうという頃合いだ。すでに大仕事を成し遂げた気分になっていたマリエッタは、王都の一等地にそびえる立派な屋敷を見上げた。サーシャがどんなところに住んでいるかなんて、今まで考えてこともない。こんな立派な家だったとは。裕福さや育ちの良さは随所から垣間見えたが、本来ならば住む世界が違う人だというのを改めて痛感する。
マリエッタは、どこかに隠れて、玄関を見張ることにした。不審者がいると思われないように、人目につかない場所で待たないといけない。だが、本当に表玄関から出発するのだろうか? 裏口から出るなんてことはないだろうか? あらゆる事態を想定して裏口も見に行く。結局ぐるぐる回る形になっており、これじゃ怪しまれる! と慌てて建物の影に隠れる、というのを繰り返した。
なかなかサーシャは現れなかった。太陽の高さを見ると、そろそろ昼にさしかかる頃だろう。早朝の時間帯に粗末な朝食を食べただけなので、さっきから何度もお腹がグーグー鳴っているが、これくらいサーシャに会えれば何のことはない。それはいいのだが、本当に会えるのか、それだけが心配だった。せめて一目だけでも会って別れの挨拶がしたい。
影と同化してじっとうずくまったまま身を潜めてどれくらい経っただろうか。ようやく、表門の方で何やら動きが出てきた。四頭立ての立派な馬車がパウエル邸前に止まったのだ。マリエッタは、反射的にガバッと立ち上がった。
(もしかして、この馬車でサーシャは行くの? そろそろ出てくるかも?)
心臓がドクドクと音を立てて拍動するのが分かる。目を凝らしていると、馬車から銀髪の髪をたなびかせた長身の男性が降りてくるのが見えた。耳が長ければ妖精王のような人だと思った。この人は誰だろう。まさかこんな綺麗な人が婚約者!? そんなことを思いながら待っていると、また玄関が開いて今度はサーシャが出てきた。やった! やっと会えた! マリエッタは喜びのあまり一瞬気が遠くなりかけたがじっと踏ん張って耐えた。
サーシャは、今まで見たことのない格好をしていた。これまで男装姿しか見たことがなかったが、髪を下ろし、女性の格好をしている。装飾の多いドレスは動きづらそうだが、彼女によく似合っていた。まるでお姫様みたいだ……と思わず見とれてしまう。しかし、はっと我に返り本来の目的を思い出した。今しかチャンスがない。マリエッタは外に飛び出し声の限り叫んだ。
「サーシャ! 私よ、マリエッタよ! さよならを言いに来たの!」
しかし、どういうわけか声が届かない。街中なので、マリエッタの声が喧騒に飲まれてしまうのだ。しかも、隠れていた場所からサーシャのところまで微妙に距離があって、慌てて駆け寄ってもなかなかたどり着くことができない。まさか、ここまで来て間に合わないなんてことあるの? 最悪の事態が頭をよぎる。
サーシャが乗り込んでまもなく馬車は動き出した。マリエッタは絶望的な気分になったが、諦めず食らいつく。汗だくになって走りながら「サーシャ! サーシャ!」と声のかぎり叫ぶ。その甲斐あってか、馬車の窓が開いて、サーシャが顔を出した。
「マリエッタ! 来てくれたの?」
「さよならを言いにきたの! ありがとう! 元気でね! あなたのことは一生忘れない! ずっと大好きだから!」
自分でも何を言っているかさっぱり分からない。サーシャに会ったらあれを言おうこれを言おうと考えていたのがすっぽり抜けて、頭に浮かんだ言葉をただ口走っているだけだった。サーシャは御者に止まるように言っている様子だったが聞き入れてもらえず。どんどん馬車の影は小さくなりやがて角を曲がって見えなくなった。マリエッタは、肩で息をしながら立ち止まると、涙と汗でぐしゃぐしゃの顔を晒して人目も憚らずわんわん泣いた。
(せめてちゃんと会って話がしたかった。手紙もプレゼントも用意したのに。いつも最後でしくじるんだから――)
しばらくその場で泣いていると、静かな足取りで一人の青年が近寄ってきた。さっき馬車を降りた妖精王みたいな人だ。サーシャとどういう関係だろう? そう思っていると彼の方から声をかけてきた。
「どうした? サーシャの友人かい?」
マリエッタはあふれる涙をぬぐうこともせず、ぼんやりと青年の方を見た。間近で見ると美しい顔立ちがより鮮明に写る。その顔はなぜか気づかわしげに曇っていた。
「大事な友達なんです。二度と会えなくなる前にお別れの言葉を言いたかった……!」
そう言って、カバンから手紙と小さな包みを取り出すと青年の手に握らせた。
「サーシャに会う予定がありますか? それならどうかこれを渡してください。本当につまらないものですけど私の気持ちとお伝えください」
青年は黙って包みを受け取り、マリエッタをじっと見つめた。そして、しみじみとした口調でこう言った。
「分かった。必ず渡そう。彼女にも大事な友達がいたんだな。それは何よりだ――」
そして、彼は静かにパウエル邸に戻って行った。
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