第4話 私だけの王子様は私が守る
その日、マリエッタは朝からソワソワしていた。何度も姿見の前に立って身だしなみを確認する。今日は待ちに待ったサーシャとのデートの日だ。
それまで文句も言わず休みなしに働いていたマリエッタだが、最近になって、自分も休みを取りたいと自己主張するようになった。何も言って来ないのをこれ幸いと放置していた上司は、それを聞いて眉をしかめた。しかし、他の聖女はちゃんと休みを取っているのにマリエッタだけ休ませないことが上にバレたらまずい。そう判断した上で許可してやった。こうして、初めて彼女は、他の聖女と同じように休みを取れるようになったのだ。
(ろくな私服も持ってないけど、サーシャはそんなことで笑ったりしないはず……!)
いくら鏡に写したところで、着ている服が豪華になるなんてありえない。平凡な黒髪が金髪になることも、平凡な顔立ちが絶世の美女になることもありえない。
実家から持ってきた流行遅れのワンピース。フリルやギャザーもない殺風景なデザインだ。せめてコサージュでも付ければ多少マシになるだろうか。せっかく大好きな人に会うのにこんな服しか持っていない自分が恨めしい。だが、私服を着るチャンスすらなかった頃とは雲泥の差だ。
初めて休日を迎えるマリエッタは、王都の街を歩いたことがなかった。一年前に田舎から出てきてから、大聖堂の外にほとんど出たことがなかったのだ。
だから、待ち合わせが街のシンボルの大噴水と聞いてもどこにあるか分からなかった。先輩のケイトにしつこいと怒られるまで何度も尋ねてやっと場所を覚えた。それでも迷って遅れたらたいへんと思い、1時間前に出発するほどの念の入れようだ。ここまで準備したので、スムーズに噴水に辿り着けた時は、小躍りするくらい喜んだ。
約束の時間まで、まだ大分あるが、サーシャのことを考えているうちに時間なんてあっという間に過ぎてしまう。待つ時間すら至福の時だ。
「マリエッタ! もう来てたんだ、待った?」
それからサーシャが来たのは、約束の10分前くらいだった。彼女は、ここでも男装姿なのでずいぶん人目を引く。しかし、見られているのは、単に変わった格好をしているだけではなく、完璧な装いだからではと思われた。よく見ると、男性用を着ているのはなく、彼女の体型にぴったり合うように採寸されている。ラベンダー色の山高帽とケープコート、ふんわりしたクラバット、袖のレース、どこをとっても非の打ちどころのない。マリエッタは、しばしぼうっと見とれててしまった。
「どうしたの? そんなにぼんやりしちゃって。行くよ!」
「行くってどこへ?」
「オープンしたばかりのカフェ! ぜひマリエッタと行ってみたかったんた!」
サーシャは笑いながら、自分のペースで先を行ってしまう。遅れないようにと慌てて追いかけで精一杯だ。いつも彼女と会う時はこうなる。でも、眩しい背中を追うのはこの上もなく幸せだった。
サーシャと向かったカフェは、王都の中でも目抜き通りの一角にあった。かなりの人気店らしく行列ができている。並んでいる人を見ると、みな上等な服に身を包んだ若い女性だ。裕福な人でも並ぶほどの店なのかとマリエッタが思っていると、サーシャは列に並ぶことなく、まっすぐ店の中に入って行った。
「サーシャ! 並ばなくていいの?」
マリエッタが呼ぶのも聞かず、サーシャは店内に入ると、近くの店員に話しかけた。
「お客様、ご予約は?」
「ごめん、忘れちゃったんだけど、僕、サーシャ・パウエルって言うんだ。パウエル伯爵の一人娘」
サーシャの名前を聞いた途端、店員の顔が真っ青になった。慌てて奥に行ったまま戻って来ず、しばらくして今度は店長らしき人物が小走りでやって来た。
「サーシャ・パウエルさま! お席のご用意はできています! どうぞこちらへ!」
やり取りを聞いていたマリエッタは、何が起きたか分からなかった。魔法でも使ったのか? サーシャはなに食わぬ顔で店長の後ろを着いて行くだけなので、混乱したまま一緒に歩く。ごった返す店内を縫うようにして進むと、こぢんまりした個室の席に着いた。
「どうぞ、特別室をお使いください。天井から吊り下げられているベルを鳴らせばホールにつながりますので」
「無理言ってごめんね。ありがとう」
「いえ! 滅相もございません! おいでくださって光栄の極みでございます!」
店長は平身低頭でそう言いながら去って行った。口をあんぐり開けたままのマリエッタに、サーシャは座るように促した。
(つまり、家の名前を使って特別扱いしてもらったってこと……? 私、そんなすごい人と一緒にいるの?)
つまりはそういうことなのだろう。サーシャは、ずっと驚いたままのマリエッタを見て苦笑いした。
「びっくりさせてごめんね。うちの名が役立つ機会なんてこんな時ぐらいしかないからさ。ちょっと使わせてもらったんだ。マリエッタを疲れさせたくないし」
「私こそ、気を使わせてしまってごめんなさい。普段顎でこき使われているんだから、特別扱いなんていらないのよ」
「だからこそだよ。毎日お仕事大変でしょ。せめて今日は、お姫様になってほしい。そう思ったんだ」
お姫様。マリエッタは顔が真っ赤になってうつむいた。それを言うなら、サーシャは王子様だ。理想の王子様が今目の前にいるなんてここは天国か。
「ねえ、この店、レモンパイがおいしいんだって。頼んでみる?」
「え? ええ! 一緒にいただきましょう!」
それからは幸せすぎてあまり記憶がない。人は、幸福のバロメーターが上限を振り切ってしまうと、記憶がおぼろげになってしまうらしい。聖女仲間でもここまで打ち解けられる友達はいない。しかも、ただの友達ではなく理想の王子様でもあるのだ。マリエッタは有頂天になっていた。
「あーおいしかった! やっぱり人気店の味は違うね!」
店を出てから、サーシャは背を伸ばしながら満足げに言った。確かに一流店のケーキはとてもおいしかった。しかし、マリエッタにとっては、サーシャと同じ空間にいられたことの方が遥かに嬉しい。
「この後どうする? シャコンヌ通りに新しいお菓子屋さんができたらしいけど、そこ寄ってみる?」
「それもいいけど、しばらくのんびりお散歩したい」
マリエッタとしては、サーシャといられるなら何もする必要がないくらい満足していた。今は一緒に歩いてお喋りしたい気分だ。さっきの店でも十分喋ったのだが、歩きながらの会話はまた違う。少なくとも彼女はそう思っていた。
サーシャはマリエッタの提案を聞いてくれて、川のほとりの散歩道まで行くことになった。その間も他愛のない話題に事欠かない。本当にどうでもいい内容なのだが、二人にとってはかけがえのないひとときだった。
川に沿って石畳の遊歩道をそぞろ歩きしていた時、進行方向から同年代の少女たちが3人やってきた。それを認めたサーシャが、わずかに顔をしかめたのをマリエッタは見逃さなかった。
「あら、誰かと思ったら、サーシャ・パウエルじゃない? 殿方の格好なんかしてるから一瞬誰か分からなかったわ」
真ん中の少女がこちらに気づき声をかける。その声色には若干嘲るような響きがあった。両脇の二人も呼応して一緒に笑う。なんか嫌な感じ。マリエッタは心にざらりとするものを感じた。
「学校を辞めてから何をしているの? 最近は女性でもちゃんと勉強をしないと男性にバカにされるらしいわよ?」
「勉強なら学校じゃなくてもできるので悪しからず。それに、勉強をするのは自分のためであって、男性の気を引くためじゃないわ。もっとも、私は結婚なんて興味がないけど」
サーシャは、冷ややかな視線で少女たちをにらみつけた。こんな表情、マリエッタには今まで見せたことがない。ついさっきまで、朗らかに笑っていた王子様が別人のようだ。
「まーたそんなことを言ってるの? 男の格好なんてしてたら、誰も寄り付かないでしょうけどね! せいぜい王子様ごっこでもしてなさいよ!」
「ごっこなんかじゃないわ!」
突然、マリエッタが声を上げたので、少女たちのみならずサーシャまでも驚いて彼女を見つめた。
「サーシャは王子様そのものよ! 強くて優しくて優雅で、本当の男性より紳士的だわ! 男とか女とか関係ない、サーシャはサーシャだから素敵なの! あなたたちには分からない……」
目の前にいる、粗末な身なりで平凡な顔をしたマリエッタなんて、本来なら恐るるに足らない存在だ。しかし、あまりに剣幕がすごいので、少女たちは言葉を失い後ずさった。
「なんなの、この子? さすがサーシャね! こんな変な子しか友達いないなんて! 相手するだけ無駄だから行きましょ!」
こうして少女たちはぷりぷり怒りながら去って行った。後に残されたマリエッタとサーシャは、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。少女たちが見えなくなったところでやっとサーシャがほっと一息ついて顔を向けると、マリエッタがぽろぽろと涙を流すのを見て、すっかり慌てふためいた。
「ちょっと! どうしたの!? あんな連中になにを言われようが気にしなくていいんだよ? どうせくだらない奴なんだからーー」
「私じゃない、あなたが言われたことが腹立つのよ! サーシャほど素晴らしい人は存在しないのに……。サーシャを侮辱したらたとえ大聖女さまでも許さない!」
涙を流し、目を血走らせながら言うマリエッタに、サーシャは圧倒されてかける言葉が見つからなかった。まさか、彼女がここまで怒りを露わにするとは思わなかったのだ。自分のことに関しては、他人に譲ってばかりいるのに。どこにこんな衝動が眠っていたのだろう。
「ありがとう、マリエッタ……。僕のためにこんなに真剣になってくれるのは君だけだ。大好きだよーー」
そう言うと、サーシャは、両手を回してマリエッタをぎゅっと抱きしめた。突然のことにマリエッタは泣くのを忘れ、はっと目を見開く。サーシャの体温と、いい匂いがふわっと彼女を包み込んだ。
「僕たちの友情は永遠だ。どんなことがあっても君を忘れない。約束する」
「私もサーシャが大好き。あなたしかいない。ずっと一緒だよ」
マリエッタもサーシャの背中に腕を回す。しばらく、二人ともそのままでいた。
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